ライター
アケミン
03年〜09年までAVメーカー2社にて広報として勤務後、09年にフリーランスのライターとして独立。
『スポニチ』での連載や『週刊SPA!』(扶桑社)での特集記事など紙媒体を中心に活躍。現在はwebでの執筆も奮闘中。対談の構成、インタビューも多い。著書にAV女優のインタビューをまとめた『うちの娘はAV女優です』(幻冬舎)がある。
Twitter:@AkeMin_desu
はじめまして、ライターのアケミンと申します。
新聞・雑誌、いわゆる出版不況まっただ中の紙媒体を中心に執筆しています。ここ数年は、マネーから社会問題、アダルトなど男性誌メインに書いているアラフォーです。
プライベートではここ数年は都内でパートナーとの二人暮らし。二人とも離婚経験者ということもあり、凪のような日々を送っています。
普段は「目指せ! 仮想通貨で資産10倍!」なんて記事やら「新格差社会の現実」みたいな記事も書いている私ですが、どういうわけか最近は、恋愛をテーマにした記事も扱うことがグッと増えてきました。
戦略的に出会う人の共通点とは
そんな私ですが、最近は恋愛をテーマにした記事も扱うことが増えてきました。
特に今年の8月は、大学生のマッチングアプリ事情についての座談会も頻繁に行いました。
取材を進めていくと、いくつか印象に残ったケースがありました。
取材で知った「うまい」恋愛とは
ひとりは、慶応の大学3年生の女子。
「とにかく黒人と出会いたい!」と語るパリピモード全開の彼女の主戦場はTinder。
彼女の日課は学校帰りには日吉から六本木へ移動し、Tinderを起動すること。最長距離を「2km」に設定し、照準を絞ると言います。
別の日には「好きなタイプは石田ゆり子さん」と語る、年上好きの東大生2年生の男子に会いました。
彼はいわゆるママ活をする度胸はないものの「年上女性が多いアプリに登録して日々恋活に勤しんでいる」と話をしていました。
またこれは、知り合いの大手IT企業に勤めるアラサー女子の話なのですが、結婚を前提とした恋人を探していた彼女は、Tinderやペアーズなどの大手アプリよりも少し知名度の低いアプリに絞ったところ、彼女の望む程度にはハイスペックな男性と見事マッチング。
出会いからわずか3ヶ月で婚約までこぎつけた、という知らせを受けました。
共通するのは「戦略的」なこと
刺激度のやや高めな出会いから、割とガチめな婚活と彼らの属性はさまざまですが、共通しているのは戦略的なこと。
自分が「どんな恋愛をしたいか」「どんな相手と出会いたいか」がものすごく明確なのです。
そもそも戦略とは「戦いを略する」と書くだけに、彼らのスピード感にも目を見張るものがあります。
もちろん、展開は早ければいいわけではありません。
会えない時間が愛を育てて、 目をつぶれば 君がいる的なもどかしさや、恋しさとせつなさと心強さを感じる時間もまた恋愛の醍醐味です。
またマッチングアプリでの出会いには、「しがらみ」がない分だけ脆い人間関係、という弱点もあります。(その話はまたどこかでできたらいいなと思っています)
「自然な出会い」信仰の裏にあるもの
その一方で、「自然な出会い」にこだわるヒトも一定数います。
「学校やサークル・職場で、目と目で通じ合い、ときに無言で色っぽい関係になっていく……」というイメージでしょうか。
確かに「サークルの飲み会のあと、意中の彼と”自然に”二人きりになって、”どちらともなく”キスをした……」なんて流れはロマンチックです。
また「職場で辛苦を共にし、困難なプロジェクトを押し進めていくうちに、”気づいたら”お互いが同僚以上の存在になっていく……」なんて絆を深め合うエピソードも素敵ですね。
ただ、これらの出会いはなんせ状況に左右されるし、そもそもあるかないかわからない。
千載一遇のチャンスを捉えるかどうかは、努力以上に運要素も強い。また知り合ってから恋愛関係に発展するまでにも、時間がかかります。
これまでの恋愛市場においては、このような「オーガニックな出会い」こそ、理想の出会い方とされていました。
また結婚相談所やマッチングアプリはおろか、他人に紹介してもらうことにもハードルの高さを感じる人もいるそうです。
その背景を考えると、欲を見せないことをよしとする「奥ゆかしさ」に重きを置く日本的な価値観が挙げられます。
特に女性は「求められることが美徳」とされる社会的通念の存在による影響が大きい。
長きに渡る家父長制度の下では、女性は恋愛や結婚において自分の意見や思いを貫かず、男性をおびやかさない存在であることが求められてきた、という背景も関係があります。
簡単にいうと基本的に私たちには、ムッツリな日本人的な気質をベースに、
「モテる女は自分から動かなくてもお声がかかる」「イイ女は追わない」
という潜在的な意識が横たわっているのではないでしょうか。
もちろん「自然」を求めるのも悪いことではありません。
しかし何も策を練らず、「いつか」「気づいたら」「どちらともなく」を待つだけが策ではないと思うのです。
欲なきところに、快楽なし
欲望のないところに、快楽はない
これは、故・雨宮まみさんのエッセイに綴られていた言葉です。
したいことをしないと。欲しいものを欲しいと言わないと。手を伸ばさないと。
私は何がほしいのか、何を求めているのか。
どんな恋愛をしたいのか、将来どんな風な生活を送りたいのか。自分はどんな恋にドキドキするのか。
主語はすべて「私」です。
就活なら「自己分析」と言われるものでしょう。
そして前述の例に挙げた恋愛を楽しむ3人は、この「自己分析」に長けた人たちでもあると思うのです。
恋愛は、相手を選ぶ以上に自分の「欲」と向き合う作業でもあります。
「恋愛は自分を映す鏡」なんて言葉もありますが、自分の欲を結構な確率で映し出すものだとも感じています。
欲という言葉がナマナマしくて抵抗があるならば、「価値観を映し出すもの」と言い換えても良いでしょう。
失敗から知った「欲を知る」大切さ
そんな考え方には、私自身の苦い離婚経験も関係するのかもしれません。
というのも、かつての夫は知人の結婚式で席が近かったことにより”自然と”出会い、いつの間にか惹かれ、勢いもあいまって結婚しました。
しかしお互いの将来への見通しの甘さなどから、ままごとのような結婚生活は2年弱で終止符を打ちました。
当時の喪失感は大きく、自尊心は地に落ちました。(とはいえ男女の関係でこれほど涙を流したのも数年ぶりだったので、そのこと自体は甘美とも言えるものでした。)
そして次に出会うパートナーには「私はこんな人がいい」という明確かつ具体的な恋愛観のもと、マッチングアプリを含め、そこそこ戦略的に恋活をした自負があります。
ちなみに私が抱いていた恋愛に対する「欲」とは、
- 都内在住の同年代
- バツイチ
- 子どもがいたら養育費は払っていてほしい
- ITに強い
- 情弱でないこと
という感じでした。
感情の乱高下に支配される恋愛要素の強い生活よりも、人生の折り返し地点とも言われる40代は、オキシトシンが分泌されるような穏やかな生活が送りたかった。
欲を表すことは滑稽?
もちろん、恋愛は理屈で進むものではありません。
90年代のトレンディドラマらしく「なんでこんな人と!」と思う相手に心惹かれることもあるでしょう。惹かれてはいけない人との忍ぶ恋も存在します。
自分の欲をあらわにするのは滑稽だし、ときに恥ずかしさも伴います。
ただ結局はいつまでも相手を探すだけの恋では、自分は満たされないとも思うのです。
雨宮まみさんの言葉は、次のように続きます。
無駄だろうが、馬鹿げていようが、愚かなことであろうが、それをしないと、私は自分の人生をちゃんと生きていると言えない
他人を理不尽に傷つけない限り、恋愛の進め方には正解も間違いもありません。
漠然とした「自然」を待つのももちろんアリです。
しかし欲望を知り、戦略的に進めることで、得られる出会いもあると思うのです。