2019年10月

六本木回顧録(地方面談と「法人スキーム」による”洗脳”)


こんにちは、ゆう@5つの空室が1日で2つ埋まりました。

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初めてのスルガ案件の取引が終わって、名古屋でNの会社の「地方面談」でスルガ銀行で融資を引いて物件を買っていた方とお会いしました。この時、面談会場になっていたのは名古屋駅直結の名古屋マリオットアソシアホテルでした。名古屋で一番の高級・高層ホテルですね。

この頃には1泊何万円もする高級ホテルに泊まるのが当たり前になっていました。


さて、地方面談の目的は、20万件近いメールアドレスのリストを面談によって顔が見えるようにすること、それから個人で物件を買っている人に「法人スキーム」を教えて”無限に物件を買える”ようにして物件を買ってもらうこと、の2点でした。

ちなみに「法人スキーム」とは、融資を引こうとした際、個人では「個人信用情報」への照会によって既存の借入が分かってしまうため年収1,000万円オーバーの人でも総借入2億〜5億円くらいしているとそれ以上借入ができず、投資規模の拡大が止まってしまうのに対し、金融機関から新規で設立した法人に融資をしてもらい、個人としては連帯保証にとどめることによって金融機関からは個人にも責任がある融資の保全がきいている一方で投資家側としては個人では借入をしていないので、「個人信用情報」への照会をしても既存借入が出てこず、新規で金融機関に融資相談する際にはどんなに借入をしていても”常に1棟目の物件取得”という体で挑める、という手法のことです。

「個人信用情報」だから法人の融資は出てこず、連帯債務は信用情報に出てこない、という制度の穴をついた投資法のことを言います。都内のある税理士がこの手法を開発して徐々に広がっていった、と言われています。


話を戻して、この時期は後に不動産業界を席巻して誰でも知っているようなノウハウになりましたが、この頃はほとんど知られていませんでした。それだけに地方面談で法人スキームの話をすると客の反応は分かりやすく変わりました。

名古屋面談でボクが対応した客は、すでにスルガ銀行で2億円以上の物件を買っている調剤薬局の経営者でした。

Nは面談では「個人で買ってしまっているのでもう物件を買い進めることはできない。」「これ以上物件を買い進めたいなら、いま保有している物件を売らないとダメ。」という半分事実、半分虚偽のストーリーを客に話をします。そして伝家の宝刀「法人スキーム」の話を切り出すと、持ってる物件を売って法人スキームでやり直そう、という流れで話を進めていきます。

すると客は「法人スキーム」で何十億円もの投資規模で物件を取得して、億単位のキャッシュフローを手にする夢を見始めます。

そして”今持っている物件を売って、「法人スキーム」でやり直します”という具合に”洗脳”が完了します。

繰り返しますが、半分事実、半分虚偽になります。個人の信用の枠内でも10億規模の融資を引くことは不可能ではないからです。しかし、この頃は物件を売ることが正義とされているので、10ある情報のうち2、3の情報は意図的に伝えず、客との間の情報格差を作り出すことに専念することになります。

何がすごいかと言うと、約20万人のリストの中で取引が完結できてしまうところです。

20万人の顔の見えないリストから、面談によって顔が見えるようにして、「法人スキーム」のトークによる”洗脳”で持ってる物件を売らせ、他のリスト内の客に「法人スキーム」で買わせる。なかなかうまく出来た仕組みでした。

「法人スキーム」自体は特に問題はありません。その客が銀行に嘘をついて既存債務を隠すことを除いては。

問題は、前回の記事で取り上げた”収益物件売買の最前線の現場”で行われている手法でした。そのため、面談客の中ではNとの面談中に銀行を騙す手法をとってまで投資規模を拡大したくない、と正義感を振りかざして帰っていく人もいました。


ボクの考えとしては、結論が出ていました。

誰もが認める正規の手法で、どこにも突っ込みどころがなく、違法性が全くない王道の投資法、そんなものは誰でも考えつく程度のものなので大きなリターンを得ることはできないでしょう。ある人間があるニュースを聞いて何かを感じたら、同時に同じようなことを考えている人がものすごくたくさんいるものです。人間の思考パターンは大抵決まっているので。それに当てはならない人はサイコパスということになります。

その他大勢の人の中にいて、自分が抜きんでた資産を築き上るなら、よほど能力がずば抜けていてビジネスなど取り組むものに成功するか、よほど運が良いか、または際どい手法を採るかです。完全に違法なことや税金をごまかすのは、前者は中長期的には必ず明るみに出てしまうため、後者は税務当局は日本で一番の調査能力を持っていることから避けるべきです。

”収益物件売買の最前線の現場”で行われている手法については、金融機関側も暗黙の了解的な必要悪的なものだったのでギリギリグレーだと自分に言い聞かせていました。

いまになって、当時の手法が明るみになっていても、ごく一部の例外を除いて裁判や逮捕者が出ていないのはそういうことだと考えることもできると思います。

ボクはそのような考えにすぐにたどり着き、”収益物件売買の最前線の現場”に馴染んでいきました。

しかし、常に勘違いしないようにバブルの中にいても、自分を戒めることを忘れないように客観的な目で自分を見るようにしていました。

そのために収益物件バブルがはじけてもあまり変わらない生活ができているのだと思います。ボク以外のNの会社のスタッフはみな生活が一変してしまっているようです。



・・・何度も言いますが、この話はフィクションなので決して事実と思わないよう念押ししておきます。

六本木回顧録(スルガ案件と不動産の最新事情)


こんにちは、ゆう@保有物件の空室が増えてきたので、カップ麺と使い古しのネクタイを営業さんにあげてきました。

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スルガ案件を自分で客付するべる買い付けがいくつも入りましたが、スルガ銀行の融資はボクのそれまで扱ってきた収益物件とはまったく別物でした。

どう別物だったかと言うと、ボクの地元の不動産会社では物件の取得のための諸経費まで普通に融資をしてくれる金融機関が多く、オフィシャルオーバーローンがスタンダードでした。金利は1〜2%の間で属性次第でした。それを当たり前と思っていました。

一方、スルガ銀行は物件価格の90%までの融資、諸経費は自己資金による対応、というもの。1億の物件なら2,000万円弱の自己資金が必要になります。・・・ルール上は。


ボクも不動産会社で数十人を束ねる管理職にいた人間、不動産業界の裏側を十分に知っていたつもりでいました。しかし、Nの会社で行われていた業務はボクの常識の1歩2歩先を行っていました。


まず、物件価格の2割近い自己資金をなんとかしなくてはそもそも物件を買うことすら出来ないので、というか4.5%の高金利の融資を引くのに2割も自己資金を入れる人がいるはずがない(!)という暗黙の了解があるので、ここをクリアする必要があります。

具体的には銀行向けの契約書を作って「物件価格の約2割の手付金を支払った」ということにします。

しかし、物件価格の約2割もの手付金を支払いました、というのはあまりに不自然なので、その証拠として手付金を支払った履歴を提出します。この「手付金を支払った履歴」を”作る”わけです。また、それだけの自己資金をもともと持っていたことにするために、銀行口座についても”作る”わけです。

この作り方はボクが地方の不動産会社でやったことがあるのはアナログな方法で、契約書の数字の部分を別に作ってそれを元の契約書の数字の部分の上に貼って、コピーして作っていました。これは不動産業会ではよく行われていることで、銀行側も暗黙の了解とされていることでした。

Nの会社ではこれをデジタルな方法でやっていました。契約書そのものではなく契約書のスキャンした画像を切り取って、貼り付けて、全く新しい契約書を作り上げていました。そのクオリティが完璧すぎて全く疑う余地がないレベルです。

この技術は銀行口座についても使われていて、通帳やオンライン口座など画像になりさえすれば自由自在に口座情報を作り上げることができます。

これらの技術をNはもちろんのこと、事務スタッフに至るまで全員が当然のこととして業務が行われていました。契約書をコピーしてアナログに作るのはまだ可愛げがありましたが、ここまで来ると全く可愛げがありません。正直、かなり驚きました。

しかし、これが”収益物件売買の最前線の現場”でした。

そしてボクはこの技術を使って1件目のスルガ案件の決済を無事迎えることになりました。物件価格は19,800万円、利回り11%の物件だったので仲介手数料は片手で600万円以上、両手の案件だったので1件の契約で1,200万円以上の売り上げになりました。

Nの会社では報酬は折半だったので、1件の契約を決めただけで600万円の報酬になったわけです。

この報酬を手にすることで六本木に来て数ヶ月であっという間に1,000万円を超える報酬を手にすることになり、”収益物件売買の最前線の現場”に完全に足を踏み入れて後戻りできなくなっていったわけです。

そして「エビ」という言葉もすぐに普通に使うようになりました。「エビ」とはエビデンス、自己資金の証明となる口座情報のことで、”収益物件売買の最前線の現場”では頻繁に飛び交うワードでした。


このような手法で融資を引く行為は完全な犯罪行為で、銀行を騙す詐欺行為となります。しかしボクが一番驚いたのは、通常被害者となる立場のスルガ銀行の融資担当者がこの手法を知っていたこと。それどころか、当初、慣れない作業で細かい数字のミスがあって”あり得ない数字の口座情報”を融資担当者に送ってしまったこともありましたが、それに対して丁寧に修正依頼をしてきたこと。

カルチャーショックなんてものではありませんでした。

ただ、六本木に来たばかりの頃はまだスルガ銀行の融資担当者もあからさまではなく、”密室感”を出していました。

これが後にオープンな雰囲気で、しかも広く行われるようになっていきます。そうなると末期症状なんですよね。


とにかく、最初にこの”収益物件売買の最前線の現場”に直面したときには、どこまでが良くてどこからが悪いのかの線引きが不明確で非常に困惑しました。しかも、かなりデリケートな手法、決して外に出してはいけないレベルのノウハウなのに、Nの会社では大っぴらに話されていて、しかも組織化されていないのでチェック体制もまったくない状態でした。これは組織の管理をしていた立場だったボクには信じられないことでした。

Nはサラリーマンでも零細企業で数年勤務していたくらいで組織の運営の経験がないので、組織を作るノウハウが分からなかったんでしょうね。

また、そもそもNの会社とそれぞれの会社の代表との業務委託契約なので、雇用契約のように組織化に馴染みづらいのもありました。

このあたりも後に破綻する要因の一つになります。

六本木回顧録(スルガ案件へのマインドセット完了)


こんにちは、ゆう@Nの会社出身ではボクが一番金回りが良いようです。

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昨日はランチミーティングでNの会社のときのスタッフと会って話をしていました。噂好きなスタッフで以前Nの会社にいた人間の話をいろいろと情報収集していて、聞いていると面白いんです。軒並み六本木時代より収入が減っているようです。。。

まぁ、みんな有名芸能人やプロスポーツ選手なみに稼いでましたからね^^;



Nの会社はスルガ銀行をメインで使って個人で融資を引かせるスタイルの者から、メガバンク・地方銀行を使って法人で融資を引かせるスタイルの者と、個性が分かれていました。

当初、2件連続でボクの担当の物件をスルガ銀行で客付してくれたイケオジサーファーOはスルガ銀行やオリックス銀行をメインで使い、個人の信用枠で物件を買わせるスタイルでした。Oと仲の良かったテキーラモンスターTOYOもスルガが多かったです。こだわりラガーマンMも当初スルガが多かったですが、途中から法人を使うようになっていきました。

ガリガリNo.1のTはごくたまにスルガを使っていましたが、基本的には法人スキームを使った融資、しかもかなり幅広く金融機関を開拓していました。

それ以外の初期メンバーは知識はあるものの、変にこだわりすぎて結果に結びつきづらい人たちでした。プーさんMYは知識もなく結果も出ていませんでした。


ボクはまずはイケオジOにピッタリついてスルガを覚えました。

なぜかというと、当時、ほんの数年前まではスルガ銀行の融資期間はRCが50年(たぶん)、鉄骨造が45年から築年数を引いた融資期間でした。それがボクが六本木にいく少し前くらいからRCも鉄骨造も60年から経過年数を引いた期間が融資期間になっていました。

日本では1947年〜1949年までの第一次ベビーブームで生まれた人たちが成人して20代前半〜半ばになった頃には、住宅が増え続けて戸建ても共同住宅もどんどん建ち続けていきました。

2度のベビーブームを経て、アパートマンションが建築され続けていったので、築30年クラスの物件が非常に多く、RC建築費が高いので全国的には鉄骨造のアパートが非常に多い状態でした。

しかし、通常の金融機関の融資期間は法定耐用年数から経過年数を引いた期間であるため、築30年近い鉄骨造の物件は長期融資が引きづらい状況にありました。

そんな中スルガ銀行が法定耐用年数を度外視する60年から経過年数を引いた融資期間を導入してきたので、一気に全国の鉄骨造の物件の魅力が上がることになりました。

当時はスルガ銀行は融資対象のエリアを絞っていたため、全国的にまだまだ浸透していませんでした。

しかし、スルガ銀行の「特別推進チーム」がNの会社でイケオジOを窓口として出入りしていたため、スルガ銀行の融資については最新の情報に触れられる状況にありました。

あとは、全国で眠っている築30年クラスの鉄骨造の物件を仕入れるだけ、という状況です。


ボクはこの流れをしっかり把握していたため、あとは4.5%の金利で物件を売る、というマインドセットだけが課題でした。

しかし、ここで新しく分かったのがスルガ銀行で融資を引いた客も2〜3年で金利が落ちているケースが多いということ。3%近くまで落ちているということが分かりました。

そこでボクのマインドは出来上がって、30年融資で金利が2〜3年で3%台前半に落ちるのであれば、利回り次第では十分にキャッシュが出て返済や経費を支払った後にもキャッシュフローが出ることが分かりました。

そこで次の取引は、またたまたま以前からの知り合いと連絡をとっていると物件を売りたい、と。築年数30年近いRCで2億円の物件でした。

本当に運が良いんですよね。

欲しいと思った時期にちょうど良い案件が目の前にやってきてくれる。

さて、スルガ銀行を使った融資に初挑戦です。

客は十分にいました。毎日のように新規で六本木のNのオフィスに面談にやってくる客は、半分近い人が年収1,000万円を超えていて、地方の不動産会社にいる頃では考えられない属性でした。その客たちはこれまた驚きだったのが、借金不安がまったくなく、物件を紹介するとすぐに買い付けを出してきて契約をしたがること。

完全なるカルチャーショックでした。投資マインドが”出来上がっている”人がとても多いんです。地方にいたときは数千万円の物件ですら慎重に、慎重に考えて、それでも買わないような人が多かったのに。

というわけで、投資マインドが出来上がっている客たちに物件を紹介すると、何件も買い付けが入り契約へ向けた動きとなりました。


しかし、スルガ銀行を使った融資はボクのそれまでの融資付けとはまったく異なるもので、これまたカルチャーショックでした。

六本木回顧録(スルガ案件へのマインドセット)


こんにちは、ゆう@昼メシを2回食べて満腹です。

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前回の記事でNの会社での初取引と初報酬について書きました。

六本木に来ていろいろとお金が出ていく一方だった中で、やっと収入が入り始めたタイミングでした。それでも1ヵ月強は収入がなく、生活に必要なものを新しく買う必要があったのでそれなりにお金を使いました。

テレビ、冷蔵庫、洗濯機など新規で家具を揃えるとそれなりに金がかかります。成功だけをイメージしていたので、しばらくは買い換える必要がないようベッドは大塚家具で100万円のものを買いました。部屋の芳香剤はミッレフィオーリ。地方のナンバーだった車は品川ナンバーへ。

1ヵ月強で200万円以上貯金額が減っている中、収入が入り始めるのは精神的にかなり助かりました。

これは海外の研究結果ですが、経済的な安定は人生に一番大きな影響を与える要素らしいです。 貯蓄が減る一方というのは何ともメンタルに悪影響を及ぼします。

それが2ヵ月目には契約がとれて収入が入る見通しがたったのは非常にラッキーでした。ただ、決済までは約1ヵ月後、また報酬として受け取るまでにはまた時間がかかるので、約2ヶ月は無収入で地方面談で出張と高級ホテルに泊まる生活、六本木での生活でお金がどんどん出て行きました。


一度流れが変わると面白いもので、前職での客からたまたま連絡があり、そこで売却の話をしてみると売りたいとなりました。

そしてまたガングロイケオジサーファーOがそれを客付する、という流れで成約に至りました。

これまでの2件の契約はどちらもイケオジサーファーOがスルガ銀行にて客付をする、という流れでした。

ボクの不動産投資家としての感覚ではスルガ銀行の4.5%の融資で不動産投資をすることに意味を見いだせなかったので、客付できずにいる中、イケオジサーファーOは平然とスルガで客付、融資付けをする姿を見て正直カルチャーショックでした。

これは1件目の契約の京都の物件の売主も、利回り10%そこそこでスルガで買って大丈夫なのか?と心配するくらいでした。

ちなみにこの京都の物件の売主は楽待のコラムニストを以前やっていたこともあり、数字に強く、純資産も億単位でもっている方でした。その方も不動産会社社長としてのNに一目置いてわざわざアドバイスを求めに来ていました。

また2件目のボクの地元の売主も獣医で不動産投資でも成功して、リアルな資産家でした。その方もNに一目置いていたのがとても不思議でした。

それはNと数年の付き合いがあり、初期の頃の姿や進化していく姿、裏側を知っていたためでした。ボクは人間は表面的なもので簡単に評価が変わるものだと非常に勉強になりました。Nの中身は決して変わっておらず、広告によって全国的な知名度が上がっただけだったからです。


話を戻して、その当時の相場ではスルガでは表面利回り11%の鉄骨またはRCの物件で入居率が90%以上あれば即決の案件という感じでした。京都ではプレミアがついているので、10%台半でも即決案件という感じでした。

この当時はNの会社は全国でもかなり高く物件が売れる不動産会社の位置づけでした。

スルガ銀行を使った場合の成約ラインを2回の取引で体感したので、また報酬をイケオジサーファーOと折半だったので、次は自分でやってみようとマインドセットをし始めました。

六本木回顧録(京都での初仕事と初報酬)


こんにちは、ゆう@台風から疎開して沖縄の過ごしやすい気候で寛いでいます。

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話をP活の彼女からNの会社に戻します。

Nの会社では毎月1〜2回、地方面談をやっていました。おさらいすると、Nはネットビジネスと不動産の融合で「不動産大百科」なるものを無料配布することによって大量の不動産に興味のある人たちのリストを入手していました。この大百科は”作家”にお金を払って何冊かの不動産投資の本をまとめさせたものでした。ゴーストライターですね。

そんな中身のない寄せ集めのような大百科でも、知名度のある人間が配布するとそれをありがたいと思う人が多いものなんです。

ああ、人間とは何とも騙されやすいものかな。

Nがここで採った戦略は、この大百科を無料配布する代わりにメールアドレスを登録させ、Nのメルマガが届くようになっていました。この時はアフィリエイターも使って大百科を拡散させていました。ボクにも当時依頼が来ていましたが、メールアドレス1件につき確か200円のアフィリエイト報酬を支払っていたはずです。

この報酬を支払うために当時Nが持っていた不動産を売却してお金を作ったりしていました。

結果、不動産に関心がある人たちのリストが手に入りましたが、本名かどうか分からない氏名とメールアドレスが手に入っていましたが、これだけでは価値が不十分です。

そこでそのリストを生きたものにするために「無料面談」と称して顔の見えないメールアドレスだけの潜在的顧客を”見える化”していったわけです。

ボクの最初の仕事らしい仕事はこの無料面談で京都に行ったことでした。

Nは各エリアでトップクラスに良いホテルのスイートルームを借りて、そこに1時間刻みでアポイントを入れていました。数日間の滞在でしたが、その間はほぼすべての時間がアポイントで埋まるのはなかなか素晴らしい、Nの人気を改めて目の当たりにしました。

京都での宿泊先は京都駅直結の「ホテルグランヴィア京都」でした。

ここでばスタッフも同行して、面談に同席し、その客を自分の顧客とすることができます。その際、面白いものでNと同じホテルに宿泊するスタッフは稼いでる系、別な安いホテルに宿泊するスタッフは稼げない系、と見事に分かれていました。

ボクは当時まったく売り上げの見通しが立っていなかったものの、Nと同じグランヴィア京都に宿泊することにしました。結果として当時、成功者だったNや年収5000万円以上稼いでいたスタッフたちと同じ視点でものごとをみることができたので良かったと今でも思います。

グランヴィア京都はワンフロアの部屋数がビックリするくらいおおく、ワンフロアに100室近くあったのではないでしょうか?とにかく部屋数の多さに驚きました。そしてボクの宿泊していた部屋からNの客と面談するスイートルームまで行くのに、ドアtoドアで5分はかかりました。広すぎて本当に遠いんです。

ボクは昔から運がとても良いです。

この時、初めての面談のときもその運を発揮していました。

超根アカテキーラモンスターのTOYOが面談予定だった客が、いろいろ理由があってボクの面談客になりました。

当時のボクは地方の投資家レベルの認識しかなく、物件は利回り10%では危険で12%以上で30年近い長期融資を引けないと買わない、という認識でした。全国区(というか東京の投資家)の投資基準をまったく理解していませんでした。しかも地銀の低金利で。

しかし、そのときに面談した客は京都市内の築30年弱のRCを10%で売りたい、という客でした。ボクの投資基準ではとてもこんな物件を買わないし、客にも紹介できませんでした。

しかし、当時のNの会社のスタッフはその情報を聞くと即決レベルの案件、との認識を皆がもっていました。

これはかなりのカルチャーショックでした。

この京都市の物件を持っていた客もそうですが、築年数が古いのでスルガ銀行でした融資を引けず、それでも金利が4.5%では満足なキャッシュフローが出ないからです。なぜこんな物件を売れると思えるのか、そして客に紹介できるのか。

それはほぼすべてのメンバーが実際に自分で不動産投資をしていないから、表面的な数字だけで強く客に紹介できるんですね。

これは教訓で、投資話を勧められたら、その人自身もその投資をしている上にリアルに実績を上げていることの裏付けをとるべきだなーと。人に紹介できるのに自分でその投資をしていないのは儲からないからです。

いずれにしても、ボクは物件元として京都の物件の担当となり、別な担当者O(ガングロイケオジサーファー)がそれを客付けしてあっという間に成約にいたりました。

この物件は6,880万円だったので、ほぼ何もせずに2,293,920円の仲介手数料を得て、その半分を報酬として手にすることになりました。

六本木回顧録(P活とU)2


こんにちは、ゆう@来年のビットコイン価格に興味津々です。

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今回の記事は意外にアクセス数が伸びていないけど、それに関係なく前回の続きです。

ちなみに、世間では彼女ができたら彼女を大事にする、結婚したら家庭を大事にする、ということが美徳とされています。それに反することを言うと批判されます。芸能人なら炎上、場合によっては仕事を失うことすらあります。

ある面では正しいでしょうが、ある面では正しくないように感じます。

何かで成果を大きく上げたい場合、自分にとってストレスとなるものをなるべく避けて、自分の欲望を解放している状態。そういう状態のときに成果が上げやすいと思います。それは六本木の周りの人たちを見てもそういう事例が少なくなかったと思います。というか比例していました。

何を言いたいかというと、ボクが仕事で成果を上げるためにはストレスになる可能性の高いものを排除し、脳に幸福感を感じるものを倫理感に関係なく取り入れました。

一般的に家庭があっても別居してろくに会わず、それどころか他に女を作るのは、しかもたくさん作って遊びまくるのは強い批判の的でしょう。

しかし、それが大きな成果を上げる(変わることができる)ポイントになることも事実ではあります。

大前研一氏の言うように、人間が変わる方法は3つしかないわけです。1つ目は時間配分を変える、2つ目は住む場所を変える、3つ目は付き合う人を変える、この3つの要素でしか人間は変わらない。

少なくとも2つ目、3つ目は大抵の人は難しいですよね。

ボクはそれを敢えてやりました。地方から六本木へ、地元の人間とはあまり関わらず、家族とも離れる。家族との時間は通常は長い時間ともに過ごします。それだけに今日、何か決意しても家族と一緒の時間を長く過ごすと、決意前の自分と変わらず接してくるので引き戻されてしまいます。これは仲の良い友人もそう。

家庭があっても自ら単身赴任状態を作り出して新しいことにのめり込む、これが変われるポイントだと思います。

そして常識にとらわれずにすべての欲望を解放して、新しいことが上手くいくように没頭する。その結果、時間配分も変わっていることになると思います。


と、いう感じでボクが家庭を顧みず女遊びをすることを正当化してみました(笑)

でもそれによって、明らかにそれまでのボクの意識からずいぶんと遠いところまで自分を変えることにつながったと思います。


さて、話をもどして、P活目的の女の子との出会いで4人目はUでした。

20代半ばの関西出身の可愛いOLで、ゴハンを食べていろいろ話をしていると今でいう港区女子なのが分かりました。そして、なかなか慎重でした。P活目的の女の子と上手く遊ぼうとしている目的を見透かしているような、歳よりもはるかに精神年齢が高い印象。パッと見P活しているようには思えないこと、関西弁が記憶に強く残りました。

その日は何もなくそのまま帰宅。終電前に終わったのでタク代も渡さず、でした。

しかし関西弁が何とも心地よく、すぐまた次のアポへ。

慎重な姿勢は変わらず、家に来ようとしない。タワマンの響きにもなびかず。仕方なく、P活目的に乗ってみることにしてみました。これは完全な敗北でしたが、六本木では分からないことが多いので、迷ったらGOの精神で突き進みました。

家に連れて帰ってからの内容は割愛して、別れ際に言ったのがP活はする気は本来はなく、これきりであること、でもUのことは気に入ったこと、また会いたいということ、などを伝えました。

その後何回か会い、結果的にUからの告白で付き合うことに。

・・・ここまでは普通(?)の出会いと付き合いですが、ここでボクがまったく分かっていないことがありました。

それはUと会おうとすると、遅くてもなぜかタクシーで来て会っていましたが、それが週に何回も。しかもタクシー代は自腹です。最初は時間もタクシー代もあまり意識しなかったものの、だんだん不思議に感じるようになっていきました。しかもケータイをほぼ1日中いじっているわけです。

そこで一計を案じることにしました。

「どうしても腑に落ちないことがあるからケータイを見せてほしい」「何がそこにあってもその後も変わらないから」と伝えて、そのすぐ後に会いました。

そこでケータイを差し出すUでしたが、ボクは「いや見なくていいから本当のことを話して欲しい」と。

するとUは驚くことを告白し始めました。


それは・・・

ドラマならCMにいくところですね(笑)


それは、UはOLのかたわらP活をしている女の子ではなく、P活を専門でやってそれで生計を立てている女の子でした。しかも月に100万円近い収入を得ている女の子。

つまり、港区女子かつP活専門の女の子でした。

それを正直に話してくれたのでボクは不問に。というか、中途半端なP活をする女は軽蔑ですが、それを”本業”にして生計を立てているのならある意味プロ。そう言って逆にUを褒めて安心させてあげました。

結果的に、その後広く知られることになる言葉であるP活や港区女子と六本木に来てすぐに近い存在になることができて港区の情報や常識をかなり早く知ることができました。アメリカ人と付き合って、短期間で英語が話せるようになる的な。

このUとの付き合いはその後約2年続くことになり、ボクがNの会社にいる間とだいたい同じ期間を過ごし、いろいろ勉強になることが多い存在でした。


これで六本木の当初のメンバーがそろったことになります。

六本木回顧録(P活とU)


こんにちは、ゆう@グルメ日本一周完了です。

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グルメ日本一周がやっと完了して、この一週間は移動とグルメ三昧だったので更新が滞ってました。4年分の内容なのでもう少しペースアップして更新していこうと思います。

今まではNの会社やスタッフ、初期の情報を記事にしました。

ここでボクの内容も少し書いてみようと思います。ここで念の為書いておきますが、このブログがあくまでフィクションなので、事実も元に書いていますが基本的にすべて架空の内容です。ボクについても六本木でセレブな生活をしてきたアラフォー男子についても創作のストーリーなので、これを読んで気分を害する必要や、不快に思うべきでなく物語として読んで欲しいです。そのため、批判や中傷などは一切筋違いですし、そんなことを思うなら読まないで欲しいです。

念の為。


さて、ボクは非常に女好きな性格で常に5〜10人くらい遊べる女の子がいる状態を維持してきました。20代の頃からずっとそうです。

ところが六本木でもまったく知り合いがいない状態できたので(N以外)、女性についても知り合いなどいませんでした。しかし、培ってきたボクの性癖は容易には変えられません。

そこでネットでの出会いを求める戦略に出てみました。

ここで自分自身について整理すると、大学は都内の1流大でしたがその後地元に戻って10年以上経過していて、都内では電車の乗り方さえ怪しいレベルの田舎ものになってしまっていました。○○駅には○○線が通ってて、とか全然意味が分からない感じでした。だから

ファッションセンスも月に10万円くらい服を買っていたものの、地方の丸井で買う程度なので、六本木を歩いている女の子に太刀打ちできるなど不可能でした。

そこでボクのとった戦略は、いまで言う「パパ活」(以下P活)。(ちなみに当時はパパ活という言葉はなかったものの、パパ活みたいなことをやってる女の子は多かったですね。)

・・・と言っても実際にお金を払ってパパになる気など全くないので、入り口をP活にして女の子と出会い、気に入ったらパパになるけど今日はゴハンだけね、という体で女の子と出会います。

当時使ったツールは幸福を呼ぶ出会い系「ハッピーメール」。

六本木に来て仕事もろくになくて時間を持て余しているので、P活に専念できます。

女の子との出会いは野球に例えると、ヒットはホームランを打てる力をまずつけます。

それは見た目や話し方、ストーリー、話す内容など。見た目については減点がないように清潔にして、キレイめな服装をこころがけます。会う前、食後のためにリステリンも持ち歩きます。話し方は営業だし、訛りはもともとないので問題ありません。話す内容は大事ですが、あまりにも六本木の女の子が何を考えているか分からないので『地方の大手企業の高額年収を蹴って、六本木で勝負するために来た。タワマンに住んでいて、お金はあるけど、女の子にはトラウマがあってお金の関係にしたい』というストーリーにしました。変に東京歴が長い、と見栄を張るより不足している部分は正直に言ってしまった方が変な空気にならなくて済みます。

以上が打撃練習。バットやスパイク、ユニフォーム、道具を揃えた上で来た球の打ち方を覚えて反復練習。そんな段階です。これで一定の打率が発生します。要は女の子を落とせる可能性です。打率が1割でも10回打席に立てば1本のヒットが打てます。100回打席に立てば10本のヒットが・・・というわけです。

次は打席に入ります。打席は経てば経つほどヒットの数が増えます。これはつまり、幸福を呼ぶ出会い系「ハッピーメール」の掲示板に定型文を掲載するわけです。当然課金します。お金をかけてスピード感が増すのであれば十分な課金をして挑むべきです。ヒットの数が変わってきます。

女子目線からは本気かどうかは掲示板やその後のメッセージのやりとりだけでも伝わると聞きます。ここでもなるべくシンプルさと最低限伝えたいことをしっかりと書きます。

お金が発生する関係であること、すぐ会えること、ドタキャンはしないこと。嘘はつかないこと(笑)。

するとすぐに反響が。

次の日のアポが入りました。しかし、これに満足せず、次のアポへといきます。

ガチ彼女を作るときもそうですが、1人に絞ってしまうのはリスクでしかありません。女の子との出会いはタイミングの要素が大きく、彼氏がいなければ落ちていた女の子も彼氏がいることでNGを出してくることもあります。ビッチな女の子だけどたまたまそのとき彼氏に気を使う時期だったからNGを出してくることも。

またはこちら側の打撃練習が不十分なためにそのときは落ちなかった女の子も、別な打席でヒットを打ったことによって自信がついて(打ち方を覚えて)、ヒットが打てることもあります。

このようにタイミングに左右されることもあるので、基本、同時並行でトライすべきです。

というわけで3件のアポが入りました。

1人目は会ってあまり可愛くない。23歳の普通のOL。テンションがあがりませんが、ボクの用意していたストーリーはすんなりハマって相手的にはOKサインです。これはもちろんP活としてです。

ここでレフト方向には引っ張らずに、ライト方向へ流すバッティングをこころがけます。要は金をかけずにヒットを打ちにいくわけです。(「落とす」、「ヒットを打つ」の使い方のルールがいまいち統一されていませんが後日校正します)

”君のことは気に入ったけど、長い関係を持ちたいから一度エ○チしてみないと分からない。だからうちにおいでよ”というわけです。

この1人目は打撃練習がうまくいって初打席初ヒット。

でも代走を出しました。要は次回はありません、ということです(笑)

可愛い女の子との出会いではなかったものの、六本木(というか全然六本木の女の子ではなかったですが)でも通用する、という自信を持つことができたのが大きかったです。


さて、次の打席です。

20歳の学生、まぁまぁ可愛い。合流するのは20時とか21時で、ゴハンを食べてお酒を飲みます。で、連れて帰ってバッティングと思ったら、お金の話をしてきます。変にゴタゴタするのも空気が悪くなるので、「初回なので1万円」という設定に。なぜ初回だと1万円なのか謎ですが(笑)

費用はかかったものの2打席連続ヒットです。

3人目、可愛い。アメリカの大学に通う女子大生で、冬休み中で神奈川の実家に帰省していました。ゴハンを食べてバーへ。今回は少し角度を変えてバッティングに挑んでみました。それまでの2人はお金の関係がめんど臭くなくて良い、というスタンス。今回は可愛いので、「お金の関係が良かったけど、君なら付き合いたい」というスタンスで。お金を発生させずに持ち帰る方向に持っていきます。

戦いは終電間近の時間で、家に来ることにはまんざらでもない反応ではあるものの、「明日が早いから終電で」という信用度ゼロのコメントを発してきました。そこで「それならタクシー代あげるから、それならあと1〜2時間大丈夫でしょ?」と。

これで延長戦に入りました。

しかし、次に「彼氏じゃないとエッチしない」という社交辞令できたので、「じゃ付き合おう」と言ってエ○チへ。どうせアメリカの学生ですし(笑)

でもボクはマメなので、その後その年の年末まで約1年間ずっと毎日LINEのやりとりをしていました。基本、マメなんですよね。


そして4人目。

この子(Uとします)との関係は長くなるのでまた次回にしようと思います。
☆「成功の9ステップ」
ジェームス・スキナー
(CD10枚組)

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ボクも今でも毎日聞いている超お勧めCDです☆


ゆうプロフィール

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