「……新たな性癖に目覚めたんですよ……」
ペロロンチーノがいつになく重々しい口調で言ったので、モモンガはいぶかしんだ。何を今さら。ちらりと横に目をやれば、その性癖の集大成ともいえるシャルティアがたたずんでいる。彼が業の深い変態なのは周知の事実である。これ以上はばかることなど何があるというのか。
「ゲロを吐いてる女の子って、いいと思いませんか」
「うわ……」
予想の斜め下を行く告白に、さすがのモモンガもドン引きである。
「いや、誰でもいいわけじゃなくて! かわいい女の子限定ですよ? ゲロインっていう言葉もあるくらいで! それに、ゲロ自体をなめたいとかじゃなくて、そのくらい深刻なダメージを受けてる女の子がいいって話ですよ?」
「それが言い訳として機能してると思ってるんですか」
「ゲロを吐いてる女の子に優しくしてあげたい気持ちが高まってきてるんです。だからシャルティアにゲロイン属性を追加しようかと思って」
「やめてください。ギルマス権限使ってでも止めますよ」
「……じゃあせめて、ゲロイン好きという属性だけでも追加」
「……まあ、それなら。……これ、『ドア・イン・ザ・フェイス』じゃないですか?」
「はっはっは、ジャパニーズ営業テクニックを使いこなすのが、自分だけだと思っていたんですか?」
アルシェは疲れ果てていた。
このナザリック地下大墳墓に侵入したあの日。アインズの圧倒的な魔力に恐怖のあまり嘔吐したあのとき、上の方から「ああっ❤」というシャルティアのなまめかしい声が聞こえた。とたんにアインズの殺意が薄れ、気が抜けたような空気が漂った。
闘技場に舞い降りたシャルティアを見て、アインズはやや困惑したように尋ねた。
「……優しく、したいのか?」
「アインズ様のお許しがあれば」
「……そうだな、お前はそのように作られたのだからな」
さっぱり状況が分からないまま戦いが始まり、終わった。ヘッケランとイミーナとロバーデイクは氷漬けにされ、アルシェの働き次第では助けると伝えられた。ナザリック基準では破格の優しい扱いと言える。
で、アルシェは日々、シャルティアに優しくされている。怖い。ヤクザの親分に肩を組まれてディナーをおごられているような気分である。まだ何事もないが、貞操も危ういと思われる。話に聞くペロロンチーノ様とやらに、感謝していいやら恨んでいいやらである。
たまにはシャルティアに連れられ、各方面にあいさつまわりもさせられる。恐怖公だの餓食狐蟲王だのニューロニストだの、あまりのおぞましさに嘔吐すると、シャルティアはいつにもまして優しくなる。
アルシェは自ら、ナザリックのメイドとなることを申し出た。シャルティアにお客様扱いされる恐ろしさに耐えきれなかったのである。仕事をしていれば気もまぎれるし、その間はシャルティアに連れまわされなくてすむというのもある。
アルシェはツアレから指導を受けることになった。休憩時間に二人で話しているうちに、アルシェはなぜだか涙が出てきた。ひさしぶりに人間と会話できて気が緩んだのだろう。
アルシェの見るところ、ツアレはひどい目に合うこともなく日々過ごしているようである。やはりセバスの庇護下にあることが大きいのだろう。アルシェは深い考えもなく、思ったことをそのまま口に出してしまった。
「セバス様の愛人になりたい」
アルシェには相手の魔力を看破する
アルシェはあせった。別に取り繕うのがうまい方でもなければ、恋愛の機微に通じているわけでもない。そして焦燥に駆られて口に出した言葉が、運悪くさらなる地雷を踏み抜いた。
「う、嘘です、あんなおじいちゃんが恋愛対象なはずがない」
ツアレの拳がアルシェの顔面にめりこんだ。恋の力は乙女の細腕を鋼鉄に変え、レベルの差も戦闘経験の差も凌駕した。セバスから護身のために一つだけ教わった技、「正拳突き」である。もとより近接戦闘は魔法詠唱者に不利である。アルシェはマウントポジションからの連撃になすすべなく失神した。途中でタップはしていたのだが無視された。
気が済んだツアレがポーションを飲ませたので、アルシェは息を吹き返した。人工的なほほえみを浮かべるツアレに、アルシェはただ震えて黙りこむことしかできなかった。安住の地などどこにもないと痛感した。
ツアレに伴われたリュラリュースは上機嫌に第一階層の廊下を進んでいた。今回リュラリュースは、訪問の手土産としてトブの大森林の魔獣の毛で作った布を持参した。これがたまたま、取引先にタオルを持って挨拶しに行ったことがあるアインズのジャパニーズ営業マン魂に響いた。その結果、妙に気前のいいアインズから極上の美酒美食を振る舞われた帰り道なのである。最初は恐ろしさしか感じていなかったこの大墳墓だが、配下として付き従う分には案外悪くないかもしれないと感じていた。
リュラリュースがふと廊下の奥の突き当たりを見ると、右からシャルティアが、左からメイド服のアルシェがやってきて出くわした。アルシェは即座にひざまづいて礼をした。
「ツアレ殿。階層守護者の方にメイドがひざまづいているところは、わしは初めて見るのじゃが、よくあることなのですかな」
「いえ、あのアルシェというメイドは、畏れ多くもこのナザリック地下大墳墓に侵入した賊の一味であったのですが、シャルティア様の特別の御慈悲によって生きながらえているので、メイドである以前にシャルティア様の所有物なのです」
柔和な印象のツアレから穏やかならぬ言葉が出てきたことに違和感を覚えつつも、ナザリックの基準では驚くほどのことではないとリュラリュースは納得した。
見るとシャルティアが何か話しかけ、アルシェが顔を引きつらせて断っている様子である。
「あれは何じゃろうか」
「よく分かりませんが、近づくのはやめてしばらく様子を見ましょう。守護者の皆さまは強大な力をお持ちですから、巻き込まれてはいけません」
どうやら交渉が決裂したらしく、シャルティアがアルシェ目がけて突進していく。アルシェは魔法を連発してそれを食い止める。
「ツアレ殿、あのアルシェなるメイド、人間でありながらあの若さで第三位階魔法を使いこなしているようじゃが……」
「魔法のことはよく存じませんが、第三位階というのはすごいのですか?」
「…………すごいのか? いや、ああ……すごいはずなんじゃ」
奮闘むなしくアルシェは捕まった。そしてシャルティアによる腹への膝蹴り。アルシェは嘔吐した。そんなアルシェにシャルティアは惜しげもなくポーションを与え、優しく頭を撫でた。アルシェは死んだ目でシャルティアの膝の上に座っていた。
「さっぱり分からん。ツアレ殿、これはいったい」
「私にも分かりませんが、彼女は殺されるはずだったのに不思議にも命を助けられたのです。でしたら膝蹴りの後に不思議にも頭をなでられるぐらいのことはあってもいいはずです」
不思議すぎるだろ、と思わずツッコミを入れそうになったリュラリュースだったが、ツアレの人工的なほほえみを目にして思いとどまった。このナザリック地下大墳墓はやはり自分の理解を超えた恐ろしい魔窟にほかならず、目の前の穏やかな人間のメイドもまたその住人であることを悟ったからである。
解放されたアルシェがふらふらとこちらに歩いてきた。そしてツアレの前に来るとひざまづいて礼をした。リュラリュースは改めて気を引き締めると同時に、自分と同様にまだ魔窟の住人になりきれていないアルシェの今後の人生にひそかに同情するのであった。
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