1970年代後半に不条理ギャグでカルト的人気を博し、2005年には自らの失踪体験を描いた「失踪日記」で手塚治虫文化賞など数々の賞を受賞した北海道浦幌町出身の漫画家・吾妻ひでおさんが69歳で亡くなった。ネットや地元で、マンガ表現の新しい地平を切り開いた異才の他界を惜しむ声が聞かれた。

 吾妻さんが卒業した旧道立浦幌高校(10年閉校)の卒業生らは、SNSで訃報(ふほう)を共有しその死を悼んだ。目立たぬ生徒だった吾妻さんだが、在学中からマンガを一生懸命描く姿は同級生の印象に残っていた。

 札幌市の会社経営、嘉会憲幸さん(70)は物理の試験で吾妻さんが答案に描いた絵が忘れられないという。「水の中に棒を入れたらなぜ屈折して見えるか、という問題で、吾妻くんは氷が張った水たまりの絵を描いて、フキダシに『凍っちゃって折れちゃった』と書いた。先生も感心し、ちゃんと点数をくれた」。上京して漫画家になってからの活躍は同級生の間で誇らしげに語り継がれたという。

 同年代のライバルとしてお互いのマンガにキャラクターとしても登場し合った漫画家いしかわじゅんさん(68)は、「ギャグマンガの最前列で戦っていた同志がひとり消えた」と話す。「『起承転結、意味がなくてもいい』という不条理ギャグマンガは吾妻以前にはなかった。誰も描いていなかったジャンルを無から切り開き、未開の広野に大きな足跡を残した」と友の死を惜しんだ。(戸田拓)