お気に入り記事の保存はアプリが便利!

logo_1101

2019-10-22

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・思えば、岩田さんが社長になってすぐに、
 「ゲーム人口の拡大」と言ったのも同じことだった。
 いままでゲームに触れたことのない人、
 ゲームというと敬遠していた人だとかに、
 ゲームのたのしさを味わってもらいたい、というのは
 これはつまり「ニワカファン」を仲間にしたい、だ。

 「ニワカ」とは、「新しいファン」のことである。
 そして、それは「遅れてきたファン」でもある。
 往々にして、その人たちは低いものとして見られがちだ。
 「いままで、だれにも見向かれないときにも、
 こらえて耐えてファンをやってきた真のファンと、
 ぽっと出の、おいしいとこ取りの自称ファンなんかを、
 同じように語れるものではない」という意見は、
 これまでにあらゆるジャンルで語られてきた。
 ある意味では、まったくそのとおりなのであろう。
 しかし、その正論めいたご意見が押し通されていたら、
 「新しいファン」はそこに仲間入りできなくなる。

 なにかとトンチンカンで、ほとんど知識もないような
 「新しいファン」のことを、仮にうざったいと思っても、
 ちょっとやせがまんして歓迎してみたら、
 そのジャンルはもっと豊かになるんじゃないでしょうか、
 という「ニワカじゃない人」へのお願いが、起点だった。
 聖書(マタイによる福音書)のなかにも、
 「後の者が先になり、先の者が後になるであろう」
 という逆説的にも見えるたとえ話があるし、
 『歎異抄」では親鸞のことばとして、
 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」とある。
 「ニワカをこそ大切にね」というコンセプトは
 歴史的に繰りかえされてきたのだともイエッス!

 「ニワカを、感謝して歓迎する」という迎え側と、
 「ニワカですけど、すいません」という謙遜の参入側の、
 双方が「敬意」があったので、うまくいったのだと思う。
 そうなんだよなぁ、ラグビーは「敵にも敬意だぞ」
 というスポーツだものだから、環境にもそれが広がるね。
 なんだかとにかく、たくさんのことを感じて、
 たくさんのことを考えさせてくれているラグビーである。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
どこでも、先輩が身を低くしている世界は、よくなるよね。


ここ1週間のほぼ日を見る コンテンツ一覧を見る