床中に散らばる「読まなかった本」を見て、どうしてこんなことになったのかと頭を抱えた。
本棚から全ての本を取り出してみると、半分以上の本が未読のままだった。
その上、最初の20ページだけ読んで、付箋が貼ったままになっている本も大量にあった。
Kindleを開いても同じだった。
Kindleでセールになっていたときに大量に購入した「まんがで読破」シリーズは、一つも読まずに3ヶ月が経った。
なぜ、こんなことになってしまっているのか。
「あれも読まなきゃ、これも勉強しなきゃ」と焦り、本を買い、少しだけ読んでまた別のものに関心が移り、1章読んだきりで本を投げ出してしまう。
本の整理をしながら剥がした付箋は20枚以上になった。どれも中途半端なページに貼られていた付箋だった。
戦力の逐次投入は愚策である。選択と集中こそが肝要だと古の賢者が散々警告していたにも関わらず、僕は全く守れていなかった。
なぜこんなにも読まない本が積み上がっていくのか。
どうして時間と気力を投入しても何も身につかなかったのか。
原因は自分のリソースを逐次投入して、全てを中途半端なままで中断してしまったからである。
ではなぜリソースが分散されてしまうかというと、次々と興味が引かれて一つの対象に集中できないからで、その主な原因はインターネットにあった。
ツイッターで誰かが
「この本がすごくよかった」
「絶対読んだほうがいい」
「サロンの課題図書だから」
と紹介しているのを見つけると、すぐにAmazonで購入して本棚に飾っていた。
日経新聞の下の方に広告が出ている。
その広告を見るたびに興味を引かれ、すぐにAmazonで本を買った。
読んだブログで本が紹介されていたら、我慢できずにAmazonで注文した。
次から次へと「読んだ方がいい本」が現れて、何一つ読み終えることができなかった。
ツイッターで誰かが「ビジネスでは決算書を読んで判断するのが大切だ」みたいな話をしていた。
そういえば会計を勉強したのはずいぶん昔で、自分は決算書の読み方に自信がないなと思った。
Amazonで「会計を学ぶ」「コーポレートファイナンス」みたいな本を検索して衝動買いした本は、1ページも読まれぬまま本棚で眠っていた。
Pythonが流行っていると読んだらPythonの本を買い、機械学習が話題になると機械学習の本を大量に買った。
どれも中途半端に読み、中途半端なまま眠った。
戦力の逐次投入は愚策である。
投資の世界では「卵を一つのかごに盛ってはいけない」と言われているが、学習においては興味を分散するとリターンが消滅してしまう。
中途半端でやめると何も頭に残らないからだ。
色々なものに興味を持って、色々なものに手を出す前に、
「何をやるか」
「何をやらないか」
を考え、決断する方がよほど大事だったのだ。
特にツイッターには賢い人がたくさんいて、自分の知らない知識を披露している。
そんな様子を見て
「俺はこんなことも知らない。勉強しなきゃ」
焦っていると、時間がいくらあっても足りなくなってしまう。
「知らないものは知らない」
といえる勇気を持たねばならぬ。
そして「何を知っておかなければならないのか」は自分で考えて判断しなければならない。
他人にレコメンドされるがままに興味を移していくと、何も身に付けることはできない。
現代はプッシュされてくる情報が多すぎる。
ツイッターを見ると色々な人が色々な情報を発信し、読むと影響を受けてしまう。
ブログを見ると色々な人が色々な情報を発信し、読むと影響を受けてしまう。
誰かの発信が回避困難な強力な広告となっているのだ。
ネットは様々な知識を与えてくれるが、少なくとも僕の処理能力は爆発的に増える情報についていけなくなっていた。
「情報こそが差別化要因だ。情報のシャワーを浴びろ」
と言ったのはホリエモンだったが、ジャンクフードを大量に食べても健康にならないように、ジャンクな情報を大量に浴びても賢くはならない。
自分が処理できるレベルまでシャワーの蛇口を絞る必要がある。
そう考え、ツイッターを極力開かないようにして、はてなブログの読者登録を解除し、読んでいたメルマガを解約し、日経新聞を捨てた。
他人からプッシュされてくる情報を遮断したのだ。
その後は読まない本を売りに出し、Kindle上の読んでいない本を「永久に削除」して、「今読んでいる本」「絶対に必要な本」だけに手持ちの本を絞った。
大量にあったノートも捨てて、一冊だけ残した。
散らかっていた机も片付け、一つのことだけに集中できるようにした。
目に入るものを泣きながら捨てていったのは、自分の関心の対象を絞り、各個撃破するための苦肉の策でもあった。
10月も半ばを過ぎたが、「関心の各個撃破戦略」は有効だったと感じている。
少なくとも以前のように「あれもこれもやらなきゃ」と時間に追われるような感覚は消えた。
「今やるべきこと」に集中するためには、興味を散らせるものを遮断しなければならなかったのだ。
情報を遮断して困っていることは今のところ出てきていない。
ツイッターの話題が全くわからず、誰が何で炎上しているかも見えない。
タイムラインを一切追っていないから当然ではあるが、2週間近くツイッターからの情報を遮断しても特に困りはしない。
というより、他人の怒りや悪意に触れる機会がほぼなくなったため、感情の浮き沈みがなくなり、心の平穏が訪れたようにも思える。
完全な情報鎖国を続けてしまうと、いつか浦島太郎状態になってしまうかもしれない。
その点については、江戸時代の長崎のように、
「本屋で情報収集する」
ことで世の中とのつながりを保っておきたい。
ツイッターも完全にやめるのではなく、他人からプッシュされてくる情報との付き合い方をよく考えた上で有効活用したいと思っている。