滅茶苦茶すぎる。
映画の内容と合ってる部分が皆無と言ってもいい。
これはさすがに解釈違いなどでは済まされない。
さあ、おわかりいただけただろうか。アーサーは貧しく不運だからジョーカーになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜアーサーが、アーサーだけが、ジョーカーになったのか。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
いったい何なんだろうこれは。
アーサーは、一度も、こんなこと言ってない。示唆もされてない。
アーサーは実に延々と様々に苦悩や不満を吐露するし顔でも踊りでも強烈に表現するが
こんなことは表現されていない。
以下3点で説明する。
全然ない。全く。
結果的にラストで街は燃えるが、アーサーはあんなことは少しも意図していなかった。
ていうか、燃やすことを計画して燃やせたならそれはもう別のジョーカーでありアーサーではない。
これも言ってない。
明らかに。
そんな理路ではやってない。
なのに「普通にしてろ」という注文はずーっと付けられること。(あの脳障害と精神病を持つアーサーにはそれが何よりも困難なのに。)
「あのウェイン家の素晴らしい財産も名誉も何もかも俺のものだ!」みたいに有頂天になったりはしていない。
そーっと近づいて、彼なりに精いっぱいの優しくナイスな態度で弟かもしれない少年に接してみて
出てきた執事に「父かもしれないからトーマスさんと話がしたい」って言っただけ。
その後に「父」と直で話をする機会も訪れるけど、その時に何を願ったか?
(槙野さんはこの簡単な問題も答えられない可能性がある。半々ぐらいの確率で間違えると思う。)
「アーサーを舐めてる」ということ。
特にだんだんと計画的になっていく同僚殺しやマレー殺しではっきりわかるはず。
アーサーは笑いのツボや行動はかなりズレてるし愚鈍に見えるけど
マレーの番組に自分のテープが取り上げられて幸せそうに見てた時も
マレーがいじった瞬間にぱっと表情変わってる。
あの速度は健常者と同等以上に鋭い。
貧者として富める者を嫉視してのジョーカーだったらなんであんな自分と大差ない人間をクレバーに惨殺する?
(槙野さやかさんはこの問いにもぼんやりした答えしか出せないと思う。)
あいつが殺されたのは徹頭徹尾同じ職場の障碍者っぽい人間を舐めてて
自分が色々こずるい裏切りや保身ばっかしてることについて、アーサーはあんまり認識出来てないんじゃないかと思ってる。
なんとなく怖いからいつも馬鹿にしてる小人を帯同したけど基本的にはやっぱ舐めてる。
アーサーはあいつのそういう人格や振る舞いはとっくに見抜いてたので、ほとんど何も聞かずにぶっ殺したわけ。
脳障害と精神病に覆われてるけどベースにはかなりちゃんとした知性がある人物として演じられてるの。
マレーも同じで、アーサーを馬鹿にするために招いた上に「ジョーカー」と呼んだことまで忘れてる。
動きややることが愚鈍だから、内面も愚鈍で何も感じないと勘違いしてたから殺されたわけ。
マレーが豊かだから殺されたんじゃねえよ。
これらは別に何かの深読みや事前知識がないとわからないネタとかじゃないわけ。
普通にちゃんとスクリーン見てて脳が機能してるなら誰でもわかることしか持ち出してない。
じゃあこの槙野さやか氏の
さあ、おわかりいただけただろうか。アーサーは貧しく不運だからジョーカーになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜアーサーが、アーサーだけが、ジョーカーになったのか。
「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす」
こういう『ジョーカー』の内容と全く関係のないうわ言は何を参照して書かれているのか、出どころはどこなのか。
自分の脳内妄想とか、別の映画のぼんやりしたイメージからなる、記憶の泥団子。
「燃やす」なんていうのはほぼ間違いなく『ダークナイト』でしょ。
あのメジャーすぎるヒースジョーカーはダイナマイトとガンパウダーとガッソリーンを愛しててとにかく燃やしまくりで
「世界が燃え上がるのを見たい」という意味不明な動機の人種をアルフレッドが解説するシーンも印象的だった。
ヒースジョーカーは損得を解さないし、どのような種類の怨恨も抱えてない。
『ダークナイト』のジョーカーは混沌の使者であり人間ではなく世界が燃え上がる光景を愛し人類のSAN値にチャレンジしてくる存在だけど
『ジョーカー』のジョーカーは社会不適合で打ちのめされた末に「ここで人を撃ち殺したら面白い」という自分ルールで生きると決めただけのやけっぱち。
間違いなく別存在だし時間的にもつながりようがない2者だということは心ある人はみんなわかってる。
『ダークナイト』と『ジョーカー』は続編関係ではないし繋がるようにもなってない。
で、槙野さやかさんはこの2作が続きものだと早とちりしてジョーカーの情報を混ぜているんならまだいいんだけど
おそらくはもっとナチュラルにただ記憶やイメージがぼやーっと混濁してる。
つまり『ジョーカー』のシアターに座りながら、スクリーンを見ておらず、自分の脳内の雑な記憶を参照しながら映画見てた。
それで以前に見ていて何度か反芻していた『ダークナイト』のほうがイメージが強かったので『ジョーカー』の情報があんまり頭に入ってこなくて
これはそこまで特殊な症状ではなく、こういう人は実は結構いて、
「いったい何を見てたの??」というぐらい内容と違う感想を言う人はだいたいこれなんだよね。
その感想を聞く方も記憶力が鈍かったり頭が弱かったりすれば違和感に気づかれないので普通に会話が成立したりもする。
脳の機能が少し弱い。
これの人は集中力欠如とか妄想癖とかも抱えてることが多い。脳が現在に固定されにくいの。
指摘したいことは一通り書き切ったけど残りの部分についても一応突っ込んでいきたい。
思ってねえよw
マレーの番組見てるときの痛々しい妄想を思い出してほしい(といっても槙野氏の記憶は多分ぼやぼや)。
アーサーにとって都合の良い展開の妄想ではあるものの、彼はあの妄想の中でも全然冴えない。
自分のたどたどしい振る舞いや母と同居していることなどが笑われることすらシミュレーション出来ちゃってる。妄想の中ですら。
アーサーには何のスーパーパワーも貴種としての生まれも発現してない。
冴えない何もない自分を、マレーがただ目をかけてくれて、優しく対応してくれて、最後に抱きしめてくれるというだけ。
あの妄想ってマレーが少しそんな気分になれば完全に実現可能だということは注意していい。
王子なんかどこにも出てこねえよ。
さあ、おわかりいただけだたろうか。アーサーの怪物性がいかなるものであるかを。アーサーはなぜジョーカーになったか。アーサーは貧しかったからジョーカーになったのではない。アーサーは不運だったからジョーカーになったのではない。アーサーは「自分は大金持ちの有名人の子に生まれてテレビでスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からジョーカーになったのだ。アーサーは、自分は無限の賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ジョーカーになったのだ。
おわかりいただけただろうか。槙野さやか氏の脳機能がいかなるものであるかを。
アーサーの妄想なんてのは、絶頂のものでも「ちょっとしたバーで場末のコメディアンとしてちゃんとやれてて親しい人がそれを見てくれてる」というものなんです。
これはつまりなんなのかといったら、「社会にちゃんと溶け込めている自分」ですよ。これだけ。
どこに大金持ちとか王子様とかスーパースターなんてイメージがあったんだよ?? あれだけの妄想癖人間が一度もそんな妄想ちらともしてねーのに。
要するに槙野さんという人は、おそらく映画館に足を運びはしたのだろうけどほとんど映画を見ておらず、
脳の括約筋が緩いので昔見た別の映画のイメージがだばだばと入ってきて混ざり
『ジョーカー』の内容とは似ても似つかないへんてこな像を脳の中に描いている。
それで全然困らないのは、元から映画の話なんかする気はないから。
この人が本当にしたい話はもう一つの材料、自分の脳内で以前から練っていた妄想の方で、
それはつまり「思いあがって不相応に欲しがっているけしからん負け組男がいる」というイメージと怒り。
『ジョーカー』はその話のダシでしかないから内容の認知や記憶が滅茶苦茶でもどうでもいいのだ。
「アーサーはこんなに身の程知らずな願望を持っている!」という槙野さんの数々の告発は映画のどこにもそんな描写のない電波であり
つまり、こういうのをそう呼ぶのもちゃんとした人に失礼だろうが、
この人は一種のフェミニストであり、「負け組の癖に身の程知らずな願いを持った男」への怒りを抱えていて、脳の機能も少し弱かったために、
『ジョーカー』という映画の内容をまるっきり自分に都合の良い妄想や別の映画の記憶と置き換えてしまったのだ。
ここまでくればアーサーはお前じゃと言いたい。
ただしアーサーは
「父親のようなおじさんに優しくハグしてほしいな」とか「ちゃんと職業人として社会に溶け込めてる姿を親しい人に見てほしいな」とか
あれだけの冴えない人生で精神病や障害や要介護親に圧迫されてる人としては、非現実的なぐらいにつつましく清らかな願望しか持ってない。
怒りと攻撃の妄想を抱えた槙野さんよりどこまでも慎ましくだいぶ高潔ですらある。
槙野さやかさんが求める「負け組の癖に身の程知らずな願望を持ったオス」を探すならこの映画じゃなかったはずだ。
他にもっとそうこじつけられる映画はいくらでもあるだろうに、脳の機能が弱いからうまく探せなくて、世間的ヒット作にとびつくのである。
仲間をつのって煽るのではない。仲間が勝手にやってきて祭り上げてくれるのだ。徹底している、と私は思った。狂を発して「アーサー」から「ジョーカー」になるときでさえ、彼は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。
仲間を募って煽った結果暴動が起きたんならアーサーの人生と彼の決めた開き直りが全然浮かび上がらない。
ヒースジョーカーなら人を煽って好きなように混乱や暴動を作り出せるが、アーサージョーカーはそんな存在ではない。
アーサーは自分の主観で勝手にすると決めたのだ。だから暴徒達は別に仲間ではない。
通じ合うわけがないだろう。通じ合うことをついにあきらめて手放したんだから。
何も与えられてないのだ。受け取らない存在になると決めたのだから。
最後に血で笑顔を作った時の感情が「仲間ができてうれしいな」とか「僕もついにサクセス」だと槙野さんは思うのか。
マジでアホじゃないのか。
変なジョークを思いついて一人で勝手に笑っているところがあの映画でアーサーが心から笑っている唯一のシーンである。
内容を聞かれて「どうせ理解できないさ」と答えるアーサーは晴れ晴れとしている。
ついでに最後に絶対言っておきたいのが、『ジョーカー』は社会的な映画じゃないということだ。
映画を真面目に見ないあんたにはわからないだろうが、不審なところや悪ふざけを感じるところだらけだ。
監督の脚本や演出と役者の演技が一致してないんじゃないかと思われる個所もやたらたくさんある。
バカが弱い脳の機能で見ると政治映画に見えるのかもしれないが、絶対そういうんじゃないだろうこれ。
まあ映画評論家どころか何かのプロですらないブロガーだしあれ
なんか増田の解釈もズレてそう。 ジョーカー見てないし見る予定もないけど、たかが映画に入れ込み過ぎてる辺りが。
みんなどっかでズレてるもんさ ブレブレ人間
なんだろう、自称貧困JK事件のときに批判側が言ってたロジックをそのまんまリベラルさんが言うようになるとは……。時代は変わったなぁ
長文過ぎて面倒いけど、増田も映画読めねなくねえか。 アーサーは計画的に殺人なんか出来ないし、してないだろ。アイツの頭の中は常に被害者意識で他責なのは増田も見ての通りやん...