牢獄の中で最大の苦痛は、暇だという事だ。
人間の軍に拘束されたバザーはつい最近まで人間が入っていた牢獄に閉じ込められた。
しかし、手枷は有るが足枷は無く、それほど劣悪な環境でないところを見ると人間の軍の中で魔導王という存在がいかに重要視されているか分かる。
ただ、牢獄の中ではあまりに暇で余計な事ばかり考えてしまう。
どれほど覚悟を持っていても恐ろしい事はあるし、未練もある。
同室の者でも居れば語り合う事も出来るのだが、残念ながら捕虜となった同族達は別の場所に囚われているらしく、話すどころか気配一つ感じられない。
最初は身体が鈍らないよう鍛錬を欠かさないようにしていたが、給仕役の人間に脱獄しようとしていると勘違いされたので自粛している。もっとも、監視役の居ないところで行っているというだけのことだが。
バザーが投獄されて一週間。外から多くの人間の慌てた声が聞こえる。
その声やそこに含まれた感情にバザーは覚えがあった。
「これは……この突き刺さるような空気…………戦か」
ブルリと、身体が一度震える。
都市という有利な環境であり、魔導王という強者がいるにもかかわらず慌てる人間達、ならば押し寄せた軍はかなりの軍勢ということになる。
ではその軍勢はどこから来たのか。南に向かった軍は占領軍でもあるので引き返しては来ないだろう。丘陵から増員したという可能性も有るがそれにしては展開が早過ぎる。となると最も可能性が高いのは北方占領軍の集結。
「この辺りで俺と同等に戦える者達は……」
記憶にある強者達を思い浮かべていく。
「魔鋼、氷炎雷、白老、七色光、魔爪……は討ち死にしたと聞いたのでその子供ということになるか」
誰も彼も一筋縄ではいかない強者達だ。
バザーはおもむろに立ち上がり、手枷の付いた腕を大上段に構え振り下ろす。
豪風が巻き起こりバザーの毛を揺らす。振り下ろした腕は床に当たる寸前の所で止まっており、僅かな揺れも無い。だが、鉄製の手枷の底部にはとても小さなこすれた跡が残っていた。
それからはより鍛錬を念入りに、人間が見ていようとも関係なく行った。最初は予想通り警戒され、聖騎士が監視に来たりもしたが、彼らも忙しいのかすぐに帰って行った。ひょっとしたら、これも魔導王の力あってのことなのかもしれない。
それから数日後、いつもとは異なる足音が近づいてきた。
上等なブーツが立てるそれは民兵が着用している物ではない。聖騎士達は装甲靴を装着しているのでこちらも違う。となると、残った可能性は―――。
床にひれ伏したバザーの前に足音の主が立つ。そして頭上から声が掛けられる。
「顔を上げよ」
「はっ」
顔を上げると
「さて、以前お前は同族の為なら何でもすると言っていたな」
「はい」
「では、かつての仲間と戦えるのか?」
「それは……亜人軍と戦え、という事でしょうか? でしたら問題は有りません。我々はあくまでヤルダバオトの配下というだけの関係であり、横のつながりは皆無です」
「それは上々」
そう言うと魔導王は牢の錠に手をかざし何かの魔法を唱える。すると、錠は砕け落ち易々と扉が開いた。続いてバザーの枷も同様に破壊すると「行くぞ」とだけ告げ、歩き出した。
手首を擦りながら牢を出たバザーは魔導王の後ろに付き従う。その大きな背中に。
暗い監獄を出たバザーを迎えたのは眩い太陽の光―――ではなく、曇天の空だった。
だが、バザーにとっては充分過ぎるほど眩い光景であったし、山岳地帯に生きるバフォルクにとっては日の光よりも今のような曇り空の方が親しみ深いのだ。
拘束されていた時間が長かった訳でもないのに解放感に浸っていると魔導王が振り向いた。
「さて、それでは先程言ったとおりお前にはこれから東門に向かい亜人軍と戦って貰う」
「はっ。全身全霊で戦ってまいります」
「うむ。では、貴様の武具を返そう」
そう言うと魔導師王は懐から次々と装備品を取り出した。装飾品の類だけならまだしも、剣や盾などは通常でもかなりの大きさであり、いかに魔導王の身体が骨であっても懐に仕込めるはずはない。
だが、まぁこの御方なら何でもありなのだろう、とバザーは半ば考えることを放棄した。
装備を受け取り、慣れた手つきで装着していくとあることに気づいた。
わざと、という言葉が頭をよぎり、冷や汗が吹き出そうになる。だが、そんなはずはない、と自分に言い聞かせ、精神的動揺を抑え込む。
そして、意を決して魔導師王に問いかけた。
「魔導王陛下。つかぬ事をお伺いしますが、お―――私の装備していた鎧、亀の甲羅はどこに?」
すると、魔導王はバザーの予想していなかった言葉を述べた。
「ああ、あれか。あれは今私の従者に貸していてね。代わりといっては何だがお前には私の手持ちの装備を貸そう」
その時バザーに先程とは異なる冷や汗が吹き出そうになる。
「そっそんな! 恐れ多い」
「よい。これは別の配下に与える予定の品だが、その前にどの程度の性能か実験したかっただけのこと。何も気負うことはない。後ほど使用感を聞かせてくれ」
瞬間、バザーの身体が驚きと感動に震える。
部下に与える予定の物を貸す。それはつまり、バザーが帰ってくると信じているということ。
魔導王の何の気も無いような言葉に含まれた想いを知り、目頭が熱くなる。
「感謝致します、魔導王陛下。このバザー必ずや務めを果たし、戻って参ります!」
踏み出した一歩はこれまでの人生のどんな時よりも大きく強い。雄々しく振り上げた角はヤルダバオトに膝を屈してからバザーの周囲にあったいかなる壁もしがらみも引き裂くほど鋭く。剣を握る手に込めるのは種族の王としての責任と強大な存在に信頼されたという喜びだった。
「私は豪王、バザー。魔導王陛下の命により助太刀に来た!!」
佐藤東沙さん誤字報告ありがとうございます