2019-10-21

今後の人生サービス残業

5年付き合った恋人に振られた。


学生時代から同棲していた相手だった。

同棲場所相手の家だから、振られたら実家に帰る必要がある。


今、大量の荷物を抱えて乗り込んだ高速バスの中で、この文章を書いている。


今世紀何度目かの人生バイバイチャンスをまたも逃してしまった。だから文章を書くことにした。

不幸な人間文章うまい。その不幸が深く醜く切実であればあるほど、文章が美味しくなる。私の文章もきっと今が食べごろだろう。どうせ匿名なんだし、思ったこと感じたことをそのまま書いてみるつもりだ。


別れた理由は単純に、私が人間の屑だからだ。


卒業してから、私は完全に無職しか引きこもりだった。

相手仕事に合わせて引っ越すため内定を蹴った私は、そのまま何となく無職になった。働きたくなかったのだ。

引っ越した先は1時間に一本しか電車が来ない、その駅に行くにも長い坂を三十分近く歩かなくてはいけないど田舎もいいところだった。当然周りに知り合いもおらず、出歩くのも面倒になり、自然と家に引きこもるようになっていった。

車は職場が近いからという理由で買わなかった。


で、ここまでは問題無い。


恋人は働かないことに同意していたし私も無職引きこもりであることに不満は一切なかった

問題は私が家事全然しないことだった。


私という人間はなにかを続けるということが絶望的に苦手だ。掃除洗濯料理も、一回ならできる、でも続けることができない。頑張らないとと思っても身体が動かない。一日中家にいて何時間ゲームしているくせに、15分の皿洗いができない。

完膚なきまでの屑。


かねた恋人食洗機を買ったりルンバを買ったりホットクックを買ったりして家事サポートしてくれた。それでも家事が滞る時があった。


私は何度も恋人

もっと頑張らないといけないよね」

と尋ねた。


恋人はいつも

「頑張らなくていいよ」

と答えてくれていた。


私は本当に愚かなので、その言葉を頭から信じ込んでしまった。

別に家事しなくていいんだ。頑張らなくていいんだ。だってそう言われたから。

互いに合意しているなら、普通に考えればおかしいことでも許容してもらえるんだ。


そして破局した。


普通に考えたらおかしいってわかるでしょ?」

電話口でそう言われた。その時になってやっと、恋人がずっと私に不満を持っていたことに気づいた。

本当に馬鹿だ。


実際のところ、私だって薄々はわかっていた。このままじゃいけないんじゃないか、なんとかしなくちゃいけないんじゃないか。でも誰も私を咎めなかった。だからずるずる先延ばしにして問題から目を背けた。


この問題に対する解決策はちゃんとあるしかもすごく単純なことだ。

他人と接すること。それだけでいい。

問題当事者ではない、第三者に話を聞いてもらって、客観的意見をもらうこと。

事実地元に戻って友達家族と接した直後は、家事が捗っていた。

私は人間の屑で、だから振られたのだが、それでもなんとかやっていくことはできたはずだ。もし私に身近な友達がいて、定期的に外出できていたら、今もまだ付き合っていたと思う。


でも、そんなことは全部言い訳にすぎない。

環境が良くなくても、頑張れないときでも、やっていかなくちゃいけない時は必ずある。そういうときに頑張れない人間は、その場その場で取り繕ってもいずれ破滅していく。

私は頑張らなくちゃいけないときに頑張らなかった。大切な人のためにできたはずのほんの少しの努力さえ、言い訳を重ねてやらなかった。

そんな人間いつまでも愛されるはずがない。

私たちはいつかどこかで破局していた。それがたまたまこタイミングだった。


5年、少しばかり延命させすぎた気もする。

恋人は優しく、忍耐強く、聡明だった。そして、不満を面と向かって切り出せない弱さも持っていた。

から破綻したまま5年も続いてしまった。


5年の間にたくさんのものをもらった。

私も同じように多くのものをあげたつもりだけど、まだ全然返しきれていない。

本当に申し訳なく思う。






メサイアコンプレックスという用語がある。

ここでは、メサイアコンプレックスを持つ人を、「人を救うことで自分肯定しようとする人」くらいの意味使用する。

具体的には、わざわざ病んでいる人や人格問題がある人に近づいて「みんなはあなたのこと悪く言うけど、私はそうは思わないよ!」みたいなことをいって理解者面してすり寄るような人のことを指す。


なぜこのような、見えてる地雷に突っ込んで爆死するような行為をしてしまうのか。

自己分析するに、自分にはそれ以外の価値がないと思うことが原因な気がする。


自分はいいところが一つもなく他人に愛される価値もない(と思っている)人が、唯一出来ること。それは完全に受動であることだ。

自分から何かしてあげられなくても、受け入れることだけは出来る。自分を殺すのはこの類の人にとってはなんでもない、なぜなら自分は何の価値もない役に立たないだけのゴミと同じだから

ゴミが踏みにじられようが乱雑に投げ捨てられようが、誰も気に留めない。それが自分自身であっても同じことだ。


付き合い始めた当初、恋人はとんでもなく病んでいて、いまにも破裂しそうになっていた。

からこそ付き合えた。

傷つけば傷つくほど自分価値を実感できた。自分しかできないことをしてあげているという自己実現にも似た達成感が気持ちよかった。他人事なら馬鹿げた話で済むが自分の話だから笑えない。


結果的恋人精神は徐々に安定していき、私に感謝してくれたようだった。

恋人は、受動的(サンドバッグ)であること以外なにひとつ上手くできない私を支えてくれた。

そういう関係だった。それが5年も続いた。5年間も。


いま、恋人は完全に自信を取り戻したようだ。

社会的地位のある職業につき、順調に仕事評価されている。後輩に慕われ、上司の覚えも良いらしい。


それに比べ、私はずっと屑のまま、なにひとつ成長していない。

私はもはや必要なくなったのだと、会話の中で感じた。

それはたぶんいいことだ。


恋人はそれなりに人格問題があるが、立派な肩書年収があるから相手には困らないだろう。お金目当ての強かな人でも自分よりはマシだろうし、それこそ優しく、気遣いができて家事もしてくれる素敵な人に出会って幸せ暮らしていけるなら、願ってもないことだ。


私といえば、ずっとこのまま変わることもなくやっていくのだろう。今は落ち込んでいるがどうせすぐに次の地雷を見つける。自分犠牲にして救世主を気取り自己陶酔人生を潰していく。

当時学生だった私も今やたんなるフリーターになってしまった。順風満帆人生が終わっていく。


私の人生本業はこうして終わった。あとは残業時間だ。しかサビ残

だって成長しない人間に与えられる愛などないから。


ありがとう、私は確かに幸せだった。

どうかお幸せに。


もう会うことのない人へ、どうか、この文が届きませんよう。

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