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多くの日本人が正しく理解できていない「中国経済の基本構造」

1992年の鄧小平・南巡講話の本質

鄧小平は、1990年代の初めの「南巡講話」を通じて、「社会主義市場経済」を導入した。これが現在の中国経済の基本を定めている。

これは、2000年以上前の漢の時代に中華帝国が出現して以来の、最も根本的な変化であった。それは、いかなる内容のものだったのか?

 

「社会主義市場経済」路線で社会主義に訣別

天安門事件以後、西側諸国は、中国政府の対応を非難して中国に倒する経済制裁を行った。(天安門事件については、10月15日公開、「なぜ中国共産党『だけ』が生き残ったのか? 天安門事件と中国の本質」参照)

これによって鄧小平の改革開放路線にブレーキがかかった。他方で、「和平演変」(西側が平和裏に中国の体制を覆すと)を警戒すべきだとする保守派の発言力が強まった。

経済制裁が解除されても、外資の流入は回復せず、中国の経済活動は低迷した。鄧小平は引退を公言し、指導者の地位を江沢民に譲って背後に退いた。しかし、それは表面上のことであり、実際には、密かに政治活動をして行なっていたのだ。

 

1992年1月から2月にかけて、鄧は、武漢、深圳、珠海、上海などを視察した(この時、鄧は87歳)。

各地で行なった講話で,鄧は外資導入による経済建設を大胆に推進するよう力説した。これが、南巡講話と呼ばれる。この考えに多くの支持が集まり、イデオロギー論争に決着がついた。

1992年秋の第14回中国共産党大会では、「社会主義市場経済」路線が改革の目標として確定された。3月に開催された全国人民代表大会(全人代)で、保守派は壊滅した。

エズラ・ヴォーゲルは、『鄧小平』(日本経済新聞出版社、2013年)の中で、つぎのように述べている。

「鄧小平は、中国の指導者が150年間果たせないでいた使命を達成した」「鄧小平が導いた構造的変容は、2000年以上前の漢の時代に中華帝国が出現して以来の最も根本的な変化であった」

「漢以来」というヴォーゲルの評価は、大げさなものとは言えない。実際、この時に決定されたことは、現在の中国経済の基本構造を定めている。この改革の意味を把握せずに、現在の中国を理解し、将来を予測することはできない。

そこで、「社会主義市場経済」路線の内容について以下に見ることとしよう。