1989年のベルリンの壁崩壊に続く、1991年のソ連邦崩壊は世界中を驚かせた。
ベルリンの壁崩壊によって共産主義諸国が「矛盾に満ちた脆弱な存在」であることが明らかになったが、ソ連に関しては、ミハイル・ゴルバチョフのペレストロイカという中国の「改革・解放」に相当する政策が成功していると思われていたからだ。
もちろん、冷戦時代を通じて、米国とともにスーパー・パワーと呼ばれる「世界2大国家」と認識されていたことも大きい。
ソ連邦が崩壊したのにはたくさんの理由があるが、
1)共産主義そのものが国家を繁栄させることができず自滅する
2)ペレストロイカが西側で思われていたほどうまくいっていなかった
3)東ヨーロッパも含めた地域に手を広げたことによって巨大化し、統制を失った
という3点を主要なものとしてあげることができると思う。
1)は、共産主義が「分配」に関する議論には熱心でも「生産」にはまったく無頓着なことが最大原因だ。
例えば、共産主義は、「資本家の金持ちは悪だから、彼らから奪ってもかまわない」とする。しかし、そのようなことを続けていれば、誰も汗水たらして働き富を蓄積しようとは思わなくなり、誰もが金持ちから富を奪う強盗団の仲間に入るようになる。
しかし、他人から奪う人ばかりになれば、国家としての生産性は極度に低下し、経済的に維持が困難になる。ソ連邦の場合は、米国と張り合うために巨額の軍事費を費やしたことも大きな財政的問題であったが、いずれにせ(特に現代社会では)生産(性)を向上させることができない国は、衰退・滅亡するのが必然だ。
2)1)の問題点に気づいてペレストロイカを思い切って導入したゴルバチョフ氏は、確かに賢明であったが、結局、共産主義の枠組みを残したまま「自由化」するのにはかなりの無理があった。
「民主化」、「自由化」された社会には、国民を「指導」する共産党など無用の長物であるから、共産主義を維持したままの自由化は常に自己矛盾を抱えるからである。
共産主義中国の改革・解放は、鄧小平という傑出した人材がいたからこそ成功した点については、1月9日の記事「客家・鄧小平の遺産を失った中国共産党の『哀しき運命』を読む」で述べたが、彼でさえ、「改革、解放」が真に成功した場合には、「共産党一党独裁」との矛盾が明らかになることを予見し、その場合には共産党一党独裁を優先する腹積もりであったと思われる。
したがって、ペレストロイカも、改革・解放も、時期の違いはあっても、共産党一党独裁のもとでは最終的に失敗することが運命づけられているのである。
香港の「自由を守る」問題も、このように考えると、「香港を共産主義中国から切り離さない限り『自由社会』は実現できない」ということなのだ。