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2019年10月21日07:00
日本ラグビー、カンパイです!
幸せな気持ちでいっぱいです。こう言うと選手はあまりよく思わないかもしれないですが、本当に幸せな気持ちです。ラグビーワールドカップ、日本は準々決勝の南アフリカ戦に臨み、負けました。率直に言って完敗でした。「南アフリカは強いなぁ」と思いましたし、試合途中に「負けるのだろうなぁ」と思いました。いろいろな縁が重なった自国開催の舞台でも、これほどまでに届かないものなのかと思いました。
でも、試合が終わったときの心はどう考えても「負けた」という色ではなかったのです。うなだれて、悔しさを噛み殺す時間ではなく、目に入るすべての人に「ありがとう!」と伝えたくなる喝采の時間でした。輝かしくて、鮮やかでした。そして、そんな気持ちでいた人が、たくさんいたことも感じました。
試合終了後も僕はスタジアムにいました。帰りたくなかったのです。余韻に浸っていたかったのです。たくさんの人がそうやって過ごしていました。写真を撮り、ハイタッチをして笑顔でした。負けたんですよ、日本は。でも喜びがあふれ返っていました。すれ違うスプリングボクスのジャージを着た人に、ごく自然に「Congratulations!」と声をかけていました。手を叩いていました。負け惜しみでも格好つけでもなく、相手には心から「おめでとう」だし、自分たちには心から「ありがとう」だったのです。
日本の代表が僕がいた面に挨拶にきたとき、拍手と喝采が響き渡りました。その直後にスプリングボクスが挨拶にきたとき、彼らは同じくらいの拍手と喝采で迎えられていました。僕が手を振ると、彼らも手を振り返してくれました。「こんなに清々しく負けられるのか」と思いました。後悔もたらればもありません。そんな差ではなかった。でも、こんなにも気持ちいい。「負けたぞー!」と空に向かって叫びたいくらい。最高の気分だったのです。嘘偽りなく。
↓日本代表に心からのありがとうよ届け!よかったよ、本当によかったよ!
↓自国のファンの元に向かうスプリングボクスにも、たくさんのありがとうよ届け!

言葉にはできませんでした。心では「いや、無理だろ」と思いましたが、それを僕が言ったらダメだと思いました。ラグビーは面白い。ワールドカップが日本に来るとは何て素晴らしいんだ。自分の中には確かな「価値」があった。その価値を感じている人間まで先に諦めてしまったらいけないと思いました。「いや、無理だろ」という現実に抗わなければいけないと思いました。その時点では日本代表はワールドカップで1勝しかしたことがない、オールブラックスに「17-145」で粉砕されたチームだったとしても。
準々決勝の東京スタジアム、壮観でした。収容可能人数4万9970人という箱に4万8831人が集いました。日本戦なのだから当然と思われるかもしれませんが、その前日の試合も4万8656人が集っていました。そして、この先の試合のチケットは(リセールで出品されるものがあるかもしれないけれど)もうナイのです。日本の戦いだけでなく、ラグビーが盛大な祝祭となって日本を盛り上げ、世界を盛り上げていたのです。
南アフリカ戦、赤と白に染まったスタンド。選手たちがロッカールームに戻る際に肩を組むと、それだけで大きな歓声が上がりました。入場してくるときひとりひとりへの声が上がりました。君が代を歌うとき、流大が泣いていました。僕も泣いていました。姫野和樹も稲垣啓太も田村優も汗と言い張るには無理がある滴でした。見ろよみんな、この光景をと思いました。見ているか五郎丸、この光景をと思いました。見てますか小野澤さん、大西さん、大畑さん、平尾さん、松尾さん…記憶に残る選手たちの顔を思い浮かべては「にわかファン」なりの涙を流すのです。日本は作ったぞと。日本代表は牽引したぞと。世界に誇れる舞台をここに生み出したぞと。
「この国にはラグビーがある」
伝統国との格差、腹の底では「舐めやがって畜生」と感じることもあったけれども、「17-145」の国ならばそれも仕方ないと思いながら卑屈な笑いでごまかしていたことを、もうそれはしなくてもいいんだと思いました。強い選手がいる。熱いファンがいる。このスタンドにいるファンは、密集のなかのジャッカルを見分けるのです。ひとつのキックがワンバウンドするかどうかの天地の差を理解して拍手するのです。4年ごとのチャンスに「さてどうやって説明したものか」と考えてきた難解なルールを、もう言う必要もないのです。
↓ワールドカップを呼んだ人たちに、ありがとうよ届け!
よく信じてくれた!
よく応えてくれた!
始まった試合。日本は立ち上がりから押されていました。フォワード戦では徹底的に押されました。自信を持って臨んだスクラムでも優位を作れず、モールではそれのみでトライまで持っていかれるほど完全に押し負けました。ブレイクダウンの攻防では、日本はほぼゲインを取れず、逆に相手を止めるのにはダブルタックルでもまだ不足を感じるほどでした。
日本代表の戦いを突き詰めると、最終的には「バックスによる高速展開ラグビー」に行きつきます。スクラムを鍛えた、フィジカルを鍛えた、それは確かにそうですが、それは「それのみで負けない」ために鍛えたのであって、懐に隠している本当の刀はそれではありません。最後はお家芸の「高速展開」を繰り出すのです。タイプ的にはオールブラックスに近いでしょう。スケールはともかくとして。
南アフリカはそれをわかっています。わかっているからこそ徹底的にフィジカルで当たってきます。何も彼らにとって目新しいことではありません。スプリングボクスは「オールブラックスを倒すため」に、そういう戦い方を備えているのです。まず接点で負けない。接点で負けなければ相手は展開した翼を閉じないといけなくなる。翼を閉じさせれば、「それなりの速さで、強いフィジカルを備えたウィング」によるフィジカル強襲ができる。
サッカーで言う「守ってカウンター」のような戦い。南アフリカは徹底的に陣地を取り、徹底的にペナルティを避け、徹底的に手堅くきました。試合途中の計測で南アフリカのオフロードパスはゼロでした。前半、フォワードによるパスすらもゼロだったといいます。素早くつなぐことなど一切考えず、当たって潰れて陣地を保持することを考えていました。日本の攻撃に対してはとにかく一発で大きく抜かれないことを考えていました。日本はボールを「持たされて」いました。
ある意味で噛み合う戦いでした。矛と盾のように。日本は攻めるチームなのです。トライを数多く許すけれど、それ以上に取るチームなのです。本質的には。しかし、序盤に試みたキックでの裏への展開は、「それはさせないよ」と待っている相手によって逆にピンチを生み出しました。高速展開のつなぎはターンオーバーを狙う相手にとっては美味しいチャンスでした。相手のミスで救われたものの「あわや」の場面がいくつもありました。
前半の折り返しは3-5というもの。ワールドカップのベスト8以降にありがちな「ペナルティゴールを取り合う小差の精神戦」のような戦いでした。それを日本の代表がスプリングボクスを相手に演じている。誇らしかった。ただ、厳しさも感じていました。ガラスにヒビが入るように、いつか破綻を迎えるという気配を感じていました。日本が取った3点は相手が一時退場で14人だった時間帯のもの。「15人対14人でようやく互角か…」という想いは先行きの険しさを告げていました。ここぞと繰り出した「スクラムで福岡がボールを入れ、自分で拾ってダッシュする」というスペシャルプレーも防がれました。後半、僕は「頑張れ」としか言えませんでした。どうしろなんてないのです。頑張れ、ただそれだけでした。
↓それでも前半18分にはスクラムで押し勝ってペナルティを取った!
ここで得たPGを田村が決めて3-5に!
日本のスクラムは世界でも戦える!
↓しかし、得意の高速展開ではウィングが勝負をかけてからインゴールまでが遠い!
もっと前から走らせてやれれば…。
インゴールが遠い…。
やがて日本には綻びが生まれてきました。これは当然のことではありますが、日本には余力というものがありませんでした。ボーナスポイントを取り逃がすまいと一番格下であっただろうロシア戦にも全力を尽くし、格上のアイルランドには最高の状態をぶつけ、休みなく戦ってきました。強豪国はどこかでひとつ「メンバーの大半を入れ替えてもラクにボーナスポイントを取る」ような楽勝があるものです。そこで一度リフレッシュしてくるのです。しかし日本はひとつも手を抜いていい試合がなく、アイルランド戦をピークにじょじょに状態は落ちてきていました。
アイルランドやスコットランドを相手に浮沈艦としてゲインを取ってきた姫野和樹も、南アフリカを押し込む強さはありませんでした。ブレイクダウンを制してきたフォワード陣は、ラックでボールを守ろうとしているのに「相手に押されて剥がされる」場面がつづきました。ボールを守れず、逆に奪われる。それはほぼ「力技」という内容でしたが、それに抗することができませんでした。
さらにラインアウトはむしろ「ピンチ」とさえ言える内容。サインを読まれているのかと思うほど、次々にボールを奪われました。競ってきたときの相手は高く、スライドする動きも早い。コッチが投げるボールなので相手は「見てから跳んでいる」はずなのに、コチラより高いのです。ペナルティを得る⇒キックで前進⇒マイボールラインアウト⇒ボールを取られる、という形でチャンスになりかけた場面がチャンスにならずに終わってしまうのです。ペナルティをもらってもチャンスにすらつなげられない壁の高さを感じました。
ジワリジワリとペナルティゴールで離されながら、後半26分にラインアウトからのモールで大きく押し込まれトライにまで至ったとき、「これがワールドカップの準々決勝か」と思いました。この先には全世界で8ヶ国しか進んだことがないんだと思い返しました。そして、全部で4ヶ国しか優勝したことがない、そのうちのひとつが南アフリカなのだと思い返しました。強かった。あまりにも。
↓最後まで戦った、けれどトライを奪えずに3-26で日本は負けた……。
手は尽くしたけれど、向こうが上だった…。
トライすらない完敗ですが、この試合は立派な準々決勝でした。かつてこの舞台で見てきた試合のような、特筆すべき負けでも勝ちでもない、これまで見てきたような準々決勝でした。ここまで勝ち上がり、この戦いを演じた日本は、ひとつ上のステージに上がりました。あなどれない相手、敬意を持って叩き潰すべき相手、またベスト8に進出したとしても「ありえる」と思われるチームになった。「奇跡」ではなく「ありえる」になった。
その手応えが、今日のこの1試合の勝ち負け以上に大きいのかなと思います。試合に勝っていないので「勝った」とは言いませんが、長い屈辱の歴史を振り払って、過去の日本を乗り越えることはできました。壁を超えることができました。その意味では、この完敗のなかでも「勝った」と思える部分が確かにあったのです。
日本代表たちは晴れやかでした。
少しの悔しさ、けれど後悔のない笑顔。
ピッチを足早に去る者はなく、むしろ少しでもそこに長くいたいと、座り、笑い、写真を撮り、スタンドの家族を招き入れていました。それを観衆は名残惜しく見守り、立ち去れずにいました。この大会が決まったとき、こんなハッピーエンドを誰が想像できたことか。僕はできなかった。したかったけれど、あまりにも遠く思えた。恥ずかしながら、信じる気持ちはか細かった。けれど、やってくれた。素晴らしい試合、素晴らしい大会、誇り高い日本代表。ラグビーの「美しさ」の部分を、今大会で初めてラグビーに出会ったたくさんの人に刻み込んで大会を終えられるなんて。
あまりの嬉しさで、僕は今大会初めてハイネケンを飲みました。家に帰れば自分なりの記録も書かねばならないので、飲んで眠くなったりするのは避けていたのですが、この夜は飲まずにはいられませんでした。美味かった!この日のハイネケンは一生ものの味でした。カップを手にコンコースを歩けば、たくさんの人が祝杯をあげ、「Cheers!」と声を掛けてきます。南アフリカのジャージを着た知らない人や日本のジャージを着た異国の人との乾杯は、スタジアムを去る寂しさを紛らわせてくれました。
ラグビーの魅力。
僕は「思い通りにならず、何度も倒れるけれど、少しずつ前に進んでいく」ことだと思います。
一歩ずつしか進めず、ラクな道はどこにもありません。時間がかかります。手間が掛かります。ジワリジワリとしか動きません。ひとたびボールを蹴れば、どこに転がるかわかりません。前に進むどころか、落とし穴に落ちることさえある。だから、頑張れと思うし、声よ届けと思うのです。諦めたり、決めつけたりしていい瞬間はラグビーにはないのだから。頑張れば頑張ったぶん、ほんの少しずつだけ勝利に近づくのだから。目指す先が、たとえ絶望的に遠いハッピーエンドであったとしても。
ラガーマンたちが好んで使う「楕円球」という言葉。そこには自分たちが扱っているものは、「真球」ではない、思い通りにならない不都合なものなんだという自負が込められていると思います。投げづらく、取りづらい。蹴ったときにどう転がるかわからない。でも、その不都合に向き合って、挑みつづけている者なのだ自分たちは、という自負が。それは誰しもが挑む「人生」と同じ質のものです。人生に勇敢に立ち向かいたいと思う僕たちが、どうして共感せずにいられましょう。
2019年日本代表は前進しました。
一歩、あるいはもっと大きなゲインで。
今はベスト8で止められました。ただ、ボールはまだ保持しています。潰れた味方の元で拾われるのを待っています。スクラムハーフよ拾え。スタンドオフよ捌け。フォワードよ潰れろ。バックスよ駆け上がれ。止められたら一度ボールを置けばいい。進んだ一歩は無駄にはならず、また次なる男たちが楕円球を拾い、未来へ運んでいくはずだから。ラグビーのような歩み、ラガーマンにできないはずがありません。いつかきっと、この先へ。
ありがとうラグビー日本代表。
おめでとうラグビー日本代表。
忘れられない大会になりました!この試合に立ち会えて感無量です!!
幸せな気持ちでいっぱいです。こう言うと選手はあまりよく思わないかもしれないですが、本当に幸せな気持ちです。ラグビーワールドカップ、日本は準々決勝の南アフリカ戦に臨み、負けました。率直に言って完敗でした。「南アフリカは強いなぁ」と思いましたし、試合途中に「負けるのだろうなぁ」と思いました。いろいろな縁が重なった自国開催の舞台でも、これほどまでに届かないものなのかと思いました。
でも、試合が終わったときの心はどう考えても「負けた」という色ではなかったのです。うなだれて、悔しさを噛み殺す時間ではなく、目に入るすべての人に「ありがとう!」と伝えたくなる喝采の時間でした。輝かしくて、鮮やかでした。そして、そんな気持ちでいた人が、たくさんいたことも感じました。
試合終了後も僕はスタジアムにいました。帰りたくなかったのです。余韻に浸っていたかったのです。たくさんの人がそうやって過ごしていました。写真を撮り、ハイタッチをして笑顔でした。負けたんですよ、日本は。でも喜びがあふれ返っていました。すれ違うスプリングボクスのジャージを着た人に、ごく自然に「Congratulations!」と声をかけていました。手を叩いていました。負け惜しみでも格好つけでもなく、相手には心から「おめでとう」だし、自分たちには心から「ありがとう」だったのです。
日本の代表が僕がいた面に挨拶にきたとき、拍手と喝采が響き渡りました。その直後にスプリングボクスが挨拶にきたとき、彼らは同じくらいの拍手と喝采で迎えられていました。僕が手を振ると、彼らも手を振り返してくれました。「こんなに清々しく負けられるのか」と思いました。後悔もたらればもありません。そんな差ではなかった。でも、こんなにも気持ちいい。「負けたぞー!」と空に向かって叫びたいくらい。最高の気分だったのです。嘘偽りなく。
↓日本代表に心からのありがとうよ届け!よかったよ、本当によかったよ!
↓自国のファンの元に向かうスプリングボクスにも、たくさんのありがとうよ届け!
僕はこの大会が成功するとはずっと思えずにいました。招致が決まったとき、ほぼチケット代だけで賄わないといけない収支を計算したときに、内心では絶望していました。独自のスポンサーを集めることはできず、140億円という大会補償料…つまり上納金を納めることが先に決まっていたこの大会。運営費用を賄うには、48試合約180万枚のチケットを平均2万6000円で売らなければいけなかったのです。ラグビーのチケットに1000円すら出したことがない人たちに、それを売らないといけなかった。
言葉にはできませんでした。心では「いや、無理だろ」と思いましたが、それを僕が言ったらダメだと思いました。ラグビーは面白い。ワールドカップが日本に来るとは何て素晴らしいんだ。自分の中には確かな「価値」があった。その価値を感じている人間まで先に諦めてしまったらいけないと思いました。「いや、無理だろ」という現実に抗わなければいけないと思いました。その時点では日本代表はワールドカップで1勝しかしたことがない、オールブラックスに「17-145」で粉砕されたチームだったとしても。
準々決勝の東京スタジアム、壮観でした。収容可能人数4万9970人という箱に4万8831人が集いました。日本戦なのだから当然と思われるかもしれませんが、その前日の試合も4万8656人が集っていました。そして、この先の試合のチケットは(リセールで出品されるものがあるかもしれないけれど)もうナイのです。日本の戦いだけでなく、ラグビーが盛大な祝祭となって日本を盛り上げ、世界を盛り上げていたのです。
南アフリカ戦、赤と白に染まったスタンド。選手たちがロッカールームに戻る際に肩を組むと、それだけで大きな歓声が上がりました。入場してくるときひとりひとりへの声が上がりました。君が代を歌うとき、流大が泣いていました。僕も泣いていました。姫野和樹も稲垣啓太も田村優も汗と言い張るには無理がある滴でした。見ろよみんな、この光景をと思いました。見ているか五郎丸、この光景をと思いました。見てますか小野澤さん、大西さん、大畑さん、平尾さん、松尾さん…記憶に残る選手たちの顔を思い浮かべては「にわかファン」なりの涙を流すのです。日本は作ったぞと。日本代表は牽引したぞと。世界に誇れる舞台をここに生み出したぞと。
「この国にはラグビーがある」
伝統国との格差、腹の底では「舐めやがって畜生」と感じることもあったけれども、「17-145」の国ならばそれも仕方ないと思いながら卑屈な笑いでごまかしていたことを、もうそれはしなくてもいいんだと思いました。強い選手がいる。熱いファンがいる。このスタンドにいるファンは、密集のなかのジャッカルを見分けるのです。ひとつのキックがワンバウンドするかどうかの天地の差を理解して拍手するのです。4年ごとのチャンスに「さてどうやって説明したものか」と考えてきた難解なルールを、もう言う必要もないのです。
↓ワールドカップを呼んだ人たちに、ありがとうよ届け!
よく信じてくれた!
よく応えてくれた!
始まった試合。日本は立ち上がりから押されていました。フォワード戦では徹底的に押されました。自信を持って臨んだスクラムでも優位を作れず、モールではそれのみでトライまで持っていかれるほど完全に押し負けました。ブレイクダウンの攻防では、日本はほぼゲインを取れず、逆に相手を止めるのにはダブルタックルでもまだ不足を感じるほどでした。
日本代表の戦いを突き詰めると、最終的には「バックスによる高速展開ラグビー」に行きつきます。スクラムを鍛えた、フィジカルを鍛えた、それは確かにそうですが、それは「それのみで負けない」ために鍛えたのであって、懐に隠している本当の刀はそれではありません。最後はお家芸の「高速展開」を繰り出すのです。タイプ的にはオールブラックスに近いでしょう。スケールはともかくとして。
南アフリカはそれをわかっています。わかっているからこそ徹底的にフィジカルで当たってきます。何も彼らにとって目新しいことではありません。スプリングボクスは「オールブラックスを倒すため」に、そういう戦い方を備えているのです。まず接点で負けない。接点で負けなければ相手は展開した翼を閉じないといけなくなる。翼を閉じさせれば、「それなりの速さで、強いフィジカルを備えたウィング」によるフィジカル強襲ができる。
サッカーで言う「守ってカウンター」のような戦い。南アフリカは徹底的に陣地を取り、徹底的にペナルティを避け、徹底的に手堅くきました。試合途中の計測で南アフリカのオフロードパスはゼロでした。前半、フォワードによるパスすらもゼロだったといいます。素早くつなぐことなど一切考えず、当たって潰れて陣地を保持することを考えていました。日本の攻撃に対してはとにかく一発で大きく抜かれないことを考えていました。日本はボールを「持たされて」いました。
ある意味で噛み合う戦いでした。矛と盾のように。日本は攻めるチームなのです。トライを数多く許すけれど、それ以上に取るチームなのです。本質的には。しかし、序盤に試みたキックでの裏への展開は、「それはさせないよ」と待っている相手によって逆にピンチを生み出しました。高速展開のつなぎはターンオーバーを狙う相手にとっては美味しいチャンスでした。相手のミスで救われたものの「あわや」の場面がいくつもありました。
前半の折り返しは3-5というもの。ワールドカップのベスト8以降にありがちな「ペナルティゴールを取り合う小差の精神戦」のような戦いでした。それを日本の代表がスプリングボクスを相手に演じている。誇らしかった。ただ、厳しさも感じていました。ガラスにヒビが入るように、いつか破綻を迎えるという気配を感じていました。日本が取った3点は相手が一時退場で14人だった時間帯のもの。「15人対14人でようやく互角か…」という想いは先行きの険しさを告げていました。ここぞと繰り出した「スクラムで福岡がボールを入れ、自分で拾ってダッシュする」というスペシャルプレーも防がれました。後半、僕は「頑張れ」としか言えませんでした。どうしろなんてないのです。頑張れ、ただそれだけでした。
↓それでも前半18分にはスクラムで押し勝ってペナルティを取った!
ここで得たPGを田村が決めて3-5に!
日本のスクラムは世界でも戦える!
↓しかし、得意の高速展開ではウィングが勝負をかけてからインゴールまでが遠い!
もっと前から走らせてやれれば…。
インゴールが遠い…。
やがて日本には綻びが生まれてきました。これは当然のことではありますが、日本には余力というものがありませんでした。ボーナスポイントを取り逃がすまいと一番格下であっただろうロシア戦にも全力を尽くし、格上のアイルランドには最高の状態をぶつけ、休みなく戦ってきました。強豪国はどこかでひとつ「メンバーの大半を入れ替えてもラクにボーナスポイントを取る」ような楽勝があるものです。そこで一度リフレッシュしてくるのです。しかし日本はひとつも手を抜いていい試合がなく、アイルランド戦をピークにじょじょに状態は落ちてきていました。
アイルランドやスコットランドを相手に浮沈艦としてゲインを取ってきた姫野和樹も、南アフリカを押し込む強さはありませんでした。ブレイクダウンを制してきたフォワード陣は、ラックでボールを守ろうとしているのに「相手に押されて剥がされる」場面がつづきました。ボールを守れず、逆に奪われる。それはほぼ「力技」という内容でしたが、それに抗することができませんでした。
さらにラインアウトはむしろ「ピンチ」とさえ言える内容。サインを読まれているのかと思うほど、次々にボールを奪われました。競ってきたときの相手は高く、スライドする動きも早い。コッチが投げるボールなので相手は「見てから跳んでいる」はずなのに、コチラより高いのです。ペナルティを得る⇒キックで前進⇒マイボールラインアウト⇒ボールを取られる、という形でチャンスになりかけた場面がチャンスにならずに終わってしまうのです。ペナルティをもらってもチャンスにすらつなげられない壁の高さを感じました。
ジワリジワリとペナルティゴールで離されながら、後半26分にラインアウトからのモールで大きく押し込まれトライにまで至ったとき、「これがワールドカップの準々決勝か」と思いました。この先には全世界で8ヶ国しか進んだことがないんだと思い返しました。そして、全部で4ヶ国しか優勝したことがない、そのうちのひとつが南アフリカなのだと思い返しました。強かった。あまりにも。
↓最後まで戦った、けれどトライを奪えずに3-26で日本は負けた……。
手は尽くしたけれど、向こうが上だった…。
そうだ、ラグビーは番狂わせがほとんどないスポーツだったな…。
トライすらない完敗ですが、この試合は立派な準々決勝でした。かつてこの舞台で見てきた試合のような、特筆すべき負けでも勝ちでもない、これまで見てきたような準々決勝でした。ここまで勝ち上がり、この戦いを演じた日本は、ひとつ上のステージに上がりました。あなどれない相手、敬意を持って叩き潰すべき相手、またベスト8に進出したとしても「ありえる」と思われるチームになった。「奇跡」ではなく「ありえる」になった。
その手応えが、今日のこの1試合の勝ち負け以上に大きいのかなと思います。試合に勝っていないので「勝った」とは言いませんが、長い屈辱の歴史を振り払って、過去の日本を乗り越えることはできました。壁を超えることができました。その意味では、この完敗のなかでも「勝った」と思える部分が確かにあったのです。
日本代表たちは晴れやかでした。
少しの悔しさ、けれど後悔のない笑顔。
ピッチを足早に去る者はなく、むしろ少しでもそこに長くいたいと、座り、笑い、写真を撮り、スタンドの家族を招き入れていました。それを観衆は名残惜しく見守り、立ち去れずにいました。この大会が決まったとき、こんなハッピーエンドを誰が想像できたことか。僕はできなかった。したかったけれど、あまりにも遠く思えた。恥ずかしながら、信じる気持ちはか細かった。けれど、やってくれた。素晴らしい試合、素晴らしい大会、誇り高い日本代表。ラグビーの「美しさ」の部分を、今大会で初めてラグビーに出会ったたくさんの人に刻み込んで大会を終えられるなんて。
あまりの嬉しさで、僕は今大会初めてハイネケンを飲みました。家に帰れば自分なりの記録も書かねばならないので、飲んで眠くなったりするのは避けていたのですが、この夜は飲まずにはいられませんでした。美味かった!この日のハイネケンは一生ものの味でした。カップを手にコンコースを歩けば、たくさんの人が祝杯をあげ、「Cheers!」と声を掛けてきます。南アフリカのジャージを着た知らない人や日本のジャージを着た異国の人との乾杯は、スタジアムを去る寂しさを紛らわせてくれました。
ラグビーの魅力。
僕は「思い通りにならず、何度も倒れるけれど、少しずつ前に進んでいく」ことだと思います。
一歩ずつしか進めず、ラクな道はどこにもありません。時間がかかります。手間が掛かります。ジワリジワリとしか動きません。ひとたびボールを蹴れば、どこに転がるかわかりません。前に進むどころか、落とし穴に落ちることさえある。だから、頑張れと思うし、声よ届けと思うのです。諦めたり、決めつけたりしていい瞬間はラグビーにはないのだから。頑張れば頑張ったぶん、ほんの少しずつだけ勝利に近づくのだから。目指す先が、たとえ絶望的に遠いハッピーエンドであったとしても。
ラガーマンたちが好んで使う「楕円球」という言葉。そこには自分たちが扱っているものは、「真球」ではない、思い通りにならない不都合なものなんだという自負が込められていると思います。投げづらく、取りづらい。蹴ったときにどう転がるかわからない。でも、その不都合に向き合って、挑みつづけている者なのだ自分たちは、という自負が。それは誰しもが挑む「人生」と同じ質のものです。人生に勇敢に立ち向かいたいと思う僕たちが、どうして共感せずにいられましょう。
2019年日本代表は前進しました。
一歩、あるいはもっと大きなゲインで。
今はベスト8で止められました。ただ、ボールはまだ保持しています。潰れた味方の元で拾われるのを待っています。スクラムハーフよ拾え。スタンドオフよ捌け。フォワードよ潰れろ。バックスよ駆け上がれ。止められたら一度ボールを置けばいい。進んだ一歩は無駄にはならず、また次なる男たちが楕円球を拾い、未来へ運んでいくはずだから。ラグビーのような歩み、ラガーマンにできないはずがありません。いつかきっと、この先へ。
ありがとうラグビー日本代表。
おめでとうラグビー日本代表。
ラグビー日本代表に乾杯!!
忘れられない大会になりました!この試合に立ち会えて感無量です!!
四年前に日本代表が南アに勝った、奇跡の試合を見た事がないにわかファン&基本的にフィギュアやテニスなどの個人競技にしか興味がない私ですが、、今大会はスポーツの観戦でこんなに感動したのってソチ五輪での真央ちゃんの試合を見て以来かも、、というくらい感動しました。
にわかの私の目から見ても「南アフリカの強さはレベルが違う」と感じられたので、、「完敗」に悔しさは感じませんでした。