天皇陛下の「即位礼正殿の儀」が皇居で二十二日に行われる。皇位継承に伴う重要儀式と位置付けられるが、「憲法にそぐわない」との声も。伝統儀式であれ、憲法との整合性に配慮が求められる。
昭和天皇の即位礼は一九二八年に京都御所内の紫宸(ししん)殿で行われた。旧皇室典範第一一条に「即位ノ礼及大嘗(だいじょう)祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」との規定があったためだ。昭和天皇は高御座(たかみくら)から即位を宣明し、当時の田中義一首相は庭に立って、「万歳」を唱えた。
むろん明治憲法の下である。では、国民主権となった日本国憲法下ではどうか。四七年には皇室典範も改正され、第二四条で「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う」と定めた。そのため九〇年の上皇さまの即位礼は東京の皇居宮殿で行われた。
当時の海部俊樹首相は宮殿「松の間」の床上で「万歳」を唱えている。天皇が高御座から首相ら三権の長を見下ろす形で即位を宣言する形式は、国民主権に反するとの指摘があり、「庭」から「床」へと上がった経緯がある。
西欧の戴冠式に相当する儀式で、自らの即位を国内外に宣明する意味があるといえども、憲法と天皇の関係がきちんと捉えられないと、国民に誤解を与えかねない。その注意は必要である。
そもそも天皇の存在は、憲法で「日本国民の総意に基づく」と根拠を示している。天照大神の天孫降臨の神勅による古い時代の天皇とは、根本的に異なる。だが、即位礼は神話に由来する玉座「高御座」から即位を宣言する形式を採る。「憲法の国民主権、政教分離の原則と両立しない」とする声も出てくるゆえんだ。
「万歳」の光景も単なる祝福の意ばかりなのか。戦前回帰と受け止められないよう細心の気遣いを要する。来月の大嘗祭も神道形式で行われる宗教色の濃い儀式であり、政教分離原則との整合性に疑義が示されている。
皇位継承という伝統の重さは十分に理解する。それでも天皇と神道との接近、あるいは天皇の権威を高める効果がないかも考慮すべきだ。象徴天皇制にふさわしくありたい。
上皇さまは戦争の慰霊、災害での被災者への祈りに各地を旅で回られた。今回、台風被害により、即位礼当日のパレードは延期されたが、被害の深刻さを考えれば、祝賀一色にもなれまい。祈りで被災者に寄り添う象徴天皇のいとなみが継続されることを望む。
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