日本の定義!? その2 前回、SCAPIN 677と呼ばれているGHQの最高司令官による指令を記事にした。これは読後の自分の感想として書いたつもりだったのが、コメントやその後のリサーチで、このSCAPIN 677は今日でも竹島をめぐる日韓対立のホット・イシューであることを知り非常に驚いている次第である。 私が読んだ限りでは、このSCAPIN 677は、カイロ・ポツダム宣言に従って解体された旧日本領土のうち、将来において日本領土として留保された主要四島及び小島を通告し、GHQによる日本の行政支配領域の根拠を日本国民に告示したものにしか過ぎないように思えた。これは1946年1月に英語で告示された。GHQ側が日本語でも告示したのかどうか、今のところ不明。 前の拙記事でも指摘したように、日本の旧領土解体を具体的に明確化して日本国民に通告した公文書は占領下ではこれが最初で最後であったと思われる。 しかしながら日本側関係者にとっては、1945年9月にInstrument of Surrender =降伏文書 に署名して以来、最初にその詳細が公にされたということになり、かなりのショックだったのではないかと私は考えている。それが、すぐ後に行われたGHQと外務省高官との会談となったのではないだろうか。その中では米側は明らかに、すべてはSF条約で決まるので、下っ端の自分達には責任はない、とばかり、詭弁もどきで責任逃れをしているのである。 悪い知らせは誰も聞きたくないものだ。ポツダム宣言受諾前に日本側が図った引き伸ばし作戦などはそのもっともよい例であろう。原爆投下は、地位確保を米側から得たかった天皇側のゴネが引き起こした悲劇的結末とも言えるのだが、今日では、日本を戦争に追いやった米国が投下したもので米に全面的に責任がある、とのこと。これでは太平洋戦争に負けたのは日本ではない、といわんばかりで、さすがに米国人を呆れさせている。 以下は1945年9月にミズーリ号上で日本代表と連合国側代表、中国、ソ連を含めて、の署名した降伏文書からの引用である。 We hereby undertake for the Emperor, the Japanese Government and their successors to carry out the provisions of the Potsdam Declaration in good faith, and to issue whatever orders and take whatever action may be required by the Supreme Commander for the Allied Powers or by any other designated representative of the Allied Powers for the purpose of giving effect to that Declaration. 要約すれば、SCAP=連合国最高司令官=GHQ及び他の連合側代表は、天皇、旧日本政府、及びその後に来る継承機関を代行して、善意と良心から(=in good faith)ポツダム宣言の効果的実施に必要な命令を出し措置を取るものとする、となっている。 だから、SCAPIN 677はポツダム宣言に関連する行政命令ということになり、日本定義の部分は領土処分に該当しない、というのはネトウヨ式妄想の一例だと私は思っている。 ポツダム宣言は占領軍によって遂行され、その過程としてSCAPIN 677による領土解体通告が出た。このポツダム体制はSF条約に継承されているわけで、SF体制は突如単独に現れたわけではない。むしろポツダム体制の確立・恒久化に向け、ポツダム体制下で表面化した問題はSF体制下で最終的に解決されたとSF条約は宣言している。 Web 島根に 塚本孝氏による『サン・フランシスコ条約における竹島の取り扱いについて』という短い記事が載せられている。 以下は冒頭からの引用である。 日本はポツダム宣言を受諾。日本に残す島、日本から奪う島を戦勝国連合軍が決定できることになった。 しかし、領土の最終決定は平和条約によるのが国際法の原則。 上は塚本氏の法に対する基本的理解の欠如を示す例であるようだ。しかし、日本ではこれが法であるのかも知れない?ということも考えられる。 カイロ・ポツダム宣言では、日本が領土拡張政策下に取得した領土は返還することが基本線となっている。だから、連合国側が勝手に自分の都合で決めるというように書いているのは、氏による誤解か又は悪意を根底とした曲解である。なぜ連合国の決定になったかというのは、日本は他国による占領を受け入れることで主権を失ってしまったからだ。だから、降伏文書は、連合国側の決定は、善意と良心という法を支える根本原理に基ずいてなされなければならない、と念を押している。 また、当然の事ながら、カイロ・ポツダムの領土決定の基準とこの連合国側による決定というのは、両立しなければならない。これは条約の条約と呼ばれているウィーン条約の解釈条項とも一致している。但し、ウィーン条約の実効は1980年からであるから、この条約自体はここでは適用できないということを断っておきたい。 連合国側の決定は占領下でもSF条約でも正当な理由に基ずくものでなくてはならない。自分の都合によるものであってはならないのである。 だからSF条約というフィルターを通してもなぜ日本の領土はSCAPIN 677と同様であるのかということが理解できるはずだ。これらを変更する正当な理由がなかったからである。 しかし、SCAPIN 677にあった竹島の名はSF条約ではすっぽり抜け落ちている。しかも、竹島をめぐって日本・韓国はそれぞれが自国領に入れるようにと活発に運動を続けていた。米側は最終的に韓国側の要求を拒否し、SF条約に署名国として招待するということも止めてしまった。 このような事態に直面した韓国側は、占領中の日本領域設定をポツダム体制下のFait Accompri =既成事実と見なすことになった。 逆に、日本側は、SCAPIN 677で日本の定義から排除されていた竹島が言及されていないことから、竹島はSF条約での最終決定に該当したものとして日本に返還された、と結論を下した、というのが私の推論である。 この結果として、韓国側はSCAPIN 677の有効性を必要以上に強調し、反対に日本側はSCAPIN 677の無効説を唱えるということになってしまった。さらに、このGHQ指令で日本側に通告された日本の旧領土解体さえ否定するという現実離れで滑稽な説を唱える者も出てきた。 ある法学者の領土主権永久説を持ち出し、占領国側に日本の主権を停止する権限はないので領土処理は法的には起こるはずはない、従って竹島は占領下でも日本領だ、とのこと。 しかし、史実は事実。竹島ネトウヨ勢の期待に反して、日本領土のポツダム処理は起こったのだ。今日の日本領土と大日本帝国の領土を地図で比較すれは明らかである。 |
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前出した1946.2.13の外交記録の他にも、
朝鮮半島南部を占領していた米軍政府(ちなみにロッヂは朝鮮駐留米軍司令官で下っぱの兵士ではない)が1947年8月にとりまとめた『South Korea:Interim Government Activities,No.1』にも、『Final dispositIon of the island' jurisdiction awaits the peace treaty.』と領土の決定は平和条約で行われるべき旨が
SF条約発効後の1954年11月14日にアメリカ国務省が駐韓米大使に送付した書簡にも、『The korean claim based on SCAPIN677 of january 29,1946………did not preclude Japan from exercising sovereignty over this area permanently.』と韓国がSCAPIN677に基づき行った主張は、日本の領域主権を排除するものではない旨が記されている。
2014/3/26(水) 午前 1:32 [ パラン島 ]
そういや子供の頃、ポツダム宣言は、教科書では『無条件降伏』したなんて教わったけど、第5条から7条、あるいは12条なんか読んだら、それがいかに誤りなのかがわかる。
連合国軍に無条件に日本統治への命令の権限を与えたものではなく、『期限・目的の制限』がきちんと定められていたんだよね。
ところで反論は、
論説には論説で
法には法で
事実には事実を以て
お願いしたい。
『下っ端の自分たちには責任はない、とばかり……』
こんな言説がいったいどこから読み取れると言うのだろうか?
それに、貴方が『ある学者の…』としか称しなかったブラウンリーは、国際法の解説書になら名前が頻出する権威ですよ。
論説にはそれを覆す論説で、公文書にはそれを覆す後の公文書で反論すべきでしょう。
政治的意図を勝手に邪推して、これらを印象操作で価値無きものに扱うのは、やめていただきたい。
それからネトウヨ乱用のレッテル貼りも、貴方の自信の無さを露呈することになるだけでしょうね。
2014/3/26(水) 午前 2:03 [ パラン島 ]
>1954年11月14日に米国務省が駐韓米大使に送付した書簡にも
とありますが、これは1952年11月14日付けで、国務省極東担当責任者のKenneth Youngによる釜山の米大使館員E Lightner宛ての内密の返答です。
また、誤解(曲解?)ですね。
原文の最後のpermanenntlyという箇所を見事に読み落としていることからも、書簡の原文を通して読んだことがなく、どこかからの受け売りのようです。この文でYoung氏は占領中には日本に領土主権はなかった、ということを認めています、当たり前のことですが。
1952年11月14日付けというのも、何故このような返答が書かれたか、ということを説明する重要なものです。
2014/3/27(木) 午前 2:07 [ chuka ]
無条件降伏はunconditional surrender の日本語訳ですが、パラン島氏の解釈では英語の意味と日本語の意味が全く違ったものになっています。これは珍解釈ですが、何か。
2014/3/27(木) 午前 2:13 [ chuka ]
ヤング書簡についてはSF条約発効後に出されたことを強調したかっただけで、日付の錯誤に他意はないですよ(笑)。
反対に当方も、『permanenntly』って何だ?原書を読んだのか?と貴方にツッコミたくもなったが、そんな「挙げ足取り」をしてもしょうがないのですよ。(単純な入力ミスだってわかるはずなのに…)
ところで、この『permanently』は『永久に・不変に』と訳すのであろうが、貴方は『永久に排除したものではない=占領期間中に限っては許された』と解釈しているのであろう。
私は、日本の主権喪失をズバリと明示した箇所を指摘していただきたいのですよ。
ポツダム宣言は、名目上ではなくて実質的な意味を述べたものです。
また、受け売り批判をされても困ります(笑)。
国会図書館や海外の公文書図書館までにも足を運んで調査しなくてはならないのかな?(ご熱心な貴方は、そうしているのでしょうが…)。
原貴美恵氏の著書は公立図書館で検索して探したが、発見できないでいる。しかし、是非とも読んでみたい。
2014/3/27(木) 午前 8:57 [ パラン島 ]
パラン島氏は、『無条件降伏』の定義を知る必要があります。学校でおそわった事はきちんと思い出しましょう。もうテストはないからといって勝手に脱線してはいけません。
国際条約には、有効期間、目的が明記されなければ、条約自体に欠陥が生じます。
SF条約第一条(b)連合国側は日本国民に日本とその領海の主権を認める、となっています。すなわちこれが法的な占領の終結と主権の回復を明確にしているのです。実際に条約に書かれていることが勝手な解釈より先行します。
ヤング氏の極秘メモは、ある事件について書かれたものです。条約締結後数年後にポックリと書かれた訳ではありません。
人の揚げ足をとることよりも、自分の思考プロセスに視点をおいた方がよいようです、そちらの場合は、根本的理解そのものに問題があるようです。
ただし、私は竹島日本領土説はダメと主張しているわけではありません。法的判断と歴史的判断は違います。
2014/3/28(金) 午後 10:49 [ chuka ]
原喜美恵氏の著作は私も読んでいません。Japan Focus上で原氏による記事・小論文4本が英語で掲載されています。その中で非常に説得力ある主張が展開されています。
英語記事や論文で竹島問題を扱ったものには、必ずといってよいほど原氏の説が引用されています。
それだけ著名になった彼女の著作が公立図書館にないのは、不審なことです。ぜひ図書館が購買するように要望を出してはいかがですか。
内容については国際関係と冷戦構造についてのかなり高度な理解力が必要ですが。
2014/3/28(金) 午後 11:37 [ chuka ]
>SF条約第一条(b)連合国側は日本国民に日本とその領海の主権を認める、となっています。
原文では
sovereignty の前に
the full と書かれていますが、訳さなかった理由は?
2014/3/31(月) 午後 2:36 [ パラン島 ]
full を付けなくても意味は全く同一です。
2014/4/1(火) 午前 7:21 [ chuka ]
permanently を付けなくても意味は全く同一です。
2014/4/1(火) 午前 9:56 [ パラン島 ]