【まとめ・登山怖い話】山にまつわる怪談・心霊体験

山の怖い話


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山にまつわる怖い話(2019年10月19日追記)



クラミングビバーク

ビバークという、

大変高度な技術を要する

登り方があります。

もうほとんど人間が

立てないようなところに、

ザイルでもって自分の体を

固定して休んだり、

そこでもってうまく寝袋に

入って寝たりとかする、

それで段々だんだん山を登っていく。

あるときに、ビバークをして、

岩場からザイルがスーッと下がってね、

ちょうどミノムシのような格好で、

一番下に寝袋がぶら下がっている。

それがどうもおかしい、

と地元の方から連絡が

入ったんですよね。

あの登山者は

もう死んでるんじゃないだろうか、

3日経っても全く同じ姿勢で

ぶら下がっている、と。

早速現地へ行ってみたが、

近づけない。

天候が非常によろしくないわけで、

吹雪ではっきり見えない中で、

たしかに岩場に

ザイルがブルーンと下がって、

その下にミノムシのように寝袋がある。

下から拡声器でもって、

おーい!聞こえるか。

聞こえてるんなら何か反応を示してくれ。

手を振るでも、

頭を振るでも何でもいいから見せてくれ、

というんですけれども意思表示がない。

全くない。生きてるものか

死んでるものか分からない。

岩場にぶつかったとか

落っこちたというなら分かる。

でもきちんと寝袋に

入ってぶら下がったまま

死んでいるっていうのは

あんまりありえない話なんですよね。

5日経ってるんですよ。

ただその場所に行くのは

非常に難しいんですよね、

相当な技を要するもんですからね。

結果的には、もしその人間が

死んでいるならば、乱暴な話ですよね、

これ当時実際にあったんですがね、

ザイルを銃で撃ち落とすっていうんですよ。

そのまんま寝袋がドーンッと

地べたに落ちたのを

回収しようという話だった。

お父さんとお母さんが呼ばれたんですよね。

ニュース映像に出ましたよ。

非常に哀しくつらい話なんですが、

ご両親は決断しましてね。

倅は死んでいるに違いない、

と認めたわけですよ。

それで撃ち落とす話になった。

実はそのニュースを撮りに行ってた、

っていうんですよ。

ただ、その場合、何が難しいかというと、

当時のことですから、

極力近づいて映像を撮らなければならない。

そこで近くの山小屋、

といっても普段使われていない

荷物置き場みたいな小屋って

言った方がいいのかな、

そこで何日か、

狙撃が行われるまで待機することになった。

ベテランのニシダさんが

リーダー格だったんですよね。

民放テレビ各局のクルーがそれぞれ、

カメラさん、音声さん、照明さん、

と集まって山を登って行く訳ですが、

何しろ状況が非常に悪い。吹雪いている。

下手をすれば自分たちが遭難してしまう。

(ゴォーーーッ)(ヒューーーッ)

吹雪いてる。前がよく見えない。

そこを隊列を組んで、

一歩でも離れるとどうなるか分からない。

前が見えないから

皆絶対離れるなっていうんで、

体をくっつけて、みんな歩いて行った。

ザッザッザッザッザッ

山道ですよ。険しい中を行く訳だ。

相当体力消耗しますよね。

ザッザッザッザッザッ

気を付けろ、いいかー!

(ゴォーーーッ)(ヒューーーッ)

凄まじい勢いで吹かれながら。

必死ですよね。着いてみれば、

粗末な小屋で隙間だらけ、

ボロボロなんですよね。

一応道具がありますから修繕をする。

あっちこっちが傷んでいる。

(ビシューーッ)

(ギシイーーーーーッ)

(ガタガタガタン)

(バタバタバタンッ)

(ビシューーーーッ)風でもって、

建物がうなりを出している。

一応修繕も済んだ。火を焚いて、

暖をとって一息ついた。

リーダーだったニシダさんは、

「この天候だと何日か待機することに

なるかもしれない。明日は早くなるし、

こういう状況で

相当消耗してるだろうから休もう」

と指示を出して。

いいか、みんな寝ろよ、

と寝袋に入ったわけです。

外はっていうと、

風が(ゴォーーーッ)

(プヒューーーッ)

(ガタガタガタン)

(ビシューーーッビシューーーッ)

(バタバタバタンッ)って

相変わらず音がしてる。

でもそのうち、みんな疲れてますからね、

寝息が聞こえるわけですよ。

ところがどうにもニシダさん眠れない。

神経が起きちゃってる、自分がリーダーですからね。

天候が悪い。この先、何が起こるか分からない、

緊張で眠れないんですよね。

ただ黙ってじーっとしていた。

(ゴォーーーッ)っと

相変わらず吹雪く中、

ザッザッザッ、

ザッザッザッザッザッ

(ん?)

雪の中を誰かが歩いてくる足音がする。

(だれだろう)と思っていたら、

目の前の若手が起きて、

「ニシダさん、だれか来ますよね」

「おお、お前も聞こえたか」と。

真っ暗で、こういう状況じゃ悪いから、

こちらから声を出して呼んでやろうか、

と2人でもって、おーーい、

こっちだ!おーい、大丈夫かー、

と呼びかける。

すると他の人間も起きだして、

だれか来てる、というもんだから、

みんなで聞いてみた。

ザッザッザッザッザッ。

確かに音がしてる。

おーーい!こっちだぞ!と、

皆で呼んだわけですね。

ザッザッザッザッ

小屋のそばに来た。

ザッザッザッザッザッ

建物の裏から

周り込んでくるんですよね。

ザッザッザッザッ

小屋の入り口まで来た。

バサッ、バサッ、バサッ

雪を払う音がする。

行ってやれ、と若手に命じて。

ガタガタガタンと戸を開けると、

雪が凄まじい勢いで

ブワァアアアーっと

中に入ってくる。真っ白ですよ。

「大丈夫ですか!」

返事はない。

「大丈夫ですか!・・・

あれ?ニシダさん、だれも居ませんよ」

そうこう言う内に、

吹雪がどんどんどんどん中に

入ってきて火が消えそうになる。

「そんなはずは・・・もういいから、閉めろ」

(みんな足音を聞いているのに、おかしいな…)

と思いながらも、起こして悪かった

、明日も早いしみんな寝てくれ、

ということで、みんな寝袋に戻った。

その後もどうしても

ニシダさんは寝れないもんだから、

また黙ってじーっとしている。

外はっていうと

(ゴォーーーッ)

(ビシューーーッ)

と風の音がする。

(ガタガタガタン)

(バタンバタンッ)

(ギシーッギシーッ)

小屋は揺れている。

どれくらい経ったか知らないけれども、

突然、ザッザッ

小屋のすぐ近くで音がして、

(ん?)

ザッザッザ

歩いてくる。

若手が起きてきて、

「ニシダさん、いますよね」

ザッザッザッ

歩いて入り口までやってきた。

ザッ

「おい、開けてやれ」

ガタガタンとやって、

戸をバッと開けた瞬間に、

(ブワァアアアーっ)と、

のけぞるほどの凄まじい吹雪。

「どこにいますか!大丈夫ですか・・・

ニシダさん、いませんよ」

どうしたどうしたと周りの

クルーの連中も起きてくる。

「今来たんだよ、おっかしいなぁ」

見てもだれもいない。

また戸を閉めた。

そのうちニシダさんも眠りについたわけですよ。

疲れがありますからね、すっかり寝てしまった。

翌朝早めに目が覚めた。

無線が入ってきた。

いよいよ今日、ライフルで撃ち落とす、

決行するという合図なんですね。

「今日決行することになった。

準備して、みんな行くぞ。外の状況、

あまりよくないから気を付けてな」

出発の準備もついた頃、若手の一人が

「あれーっ!ニシダさん、

これちょっと見てくださいよ!」と呼ぶ。

見ると、小屋の入り口から

足跡がずーっと続いている。

小屋に向かってくるんじゃなくて、

小屋に背を向けてどこかへ向かっているんだ。

(やっぱり昨日来てたんじゃないか。

おかしいな、何で小屋に入らなかったんだろう)

「行く前にみんな悪いけど、

どこかに倒れてるかもしれないから

小屋の周りを見てくれないか」

ニシダさんは若手と2人で

足跡について行ってみた。

靄(もや)ってすごいんですよね、

山の靄は。手を前に出した瞬間から

手先が見えなくなるっていうほど濃くなる。

「踏みしめて歩け。落ちるといけないからな」

ニシダさんは前を歩く青年のベルトをぐっと掴んで、

いいか、行くぞ、と歩いて行った。

「足跡、ずっと続いてますね、どこに続いてるのか」

「ああ、続いてるな。

どこに断崖あるかも分からないから、

気を付けろよ」

「…どこへ行ったんですかね」

「…ああ」

しばらくすると、

「…うわぁ!びっくりした」

若手の方が足を滑らせる。

「だから言っただろ、大丈夫か」

靄がスッと退いた瞬間に…

人間て面白いんですよね。

そういうときって、うわぁこわいって、

もう一回確かめて見るんですよね、

なぜか。うわーっ、こんなとこだったんだ、

危なかったぁ、って。

断崖なんですよ。

足跡もずっと続いてる。

恐る恐る下をうーっと覗いて見る。

「ニシダさん、いますよ!

見てくださいよ、あれ」

見ると、断崖の真下、

岩場に大きい岩が三つあって、

その抉れた中に

すっぽり嵌るようにして、

と黄色のヤッケっていうんですか、

それが見えてる。人が落ちてる。

(そうか、歩いてきて暗くて

見えなくて落っこちたんだ。)

おーい!と呼んでも返答がない。

どう考えても生きてるとは思えない。

(これは無理だろうな…)と思いながらも、

すぐに無線で連絡とって、

下の救助隊を呼ぶように言った。

「こちら撮影隊なんですけども、

救助隊お願いします」

下に無線をつなぐ。

「今、けが人か遺体か分からないんですが

発見したんです。至急お願いします」

下から、他に救助隊がないから

すぐには行けない、と返答がある。

「どこの局の人間でしょうかね…

赤と黄色のジャケットを着ていて…

夜に来た人間なんですけども…

崖から落っこちたようなんですよ」

夜中にそちらへ行った人間なんかいない、

ましてやテレビ局の人間が着ているのは

紺か黒かグレーに決まってる、

赤と黄色の奴なんかいない、と。

言われてみればそうなんですよね。

やりとりがあって、

なにしろこちらは狙撃を決行するから、

とにかく当初の場所に行ってくれと。

後から別動隊に行かせるから、

そちらは任せなさいということになった。

その岩場というのは、

崖の上からなら見えるんですよ。

ところが下からだと、

岩の窪みに嵌った死体は

見えないような場所だった。

何があったか知らないけれど、

と思いながらも、

ニシダさんたちは

目的の撮影ポイントへ向かった。

ライフルでロープ狙撃を実際にやりました。

(ドゴーーーン!)

とザイルが撃ち落とされて、

ストーーーンっと落っこった。

回収されました。

そのときのニュース映像で見ましたけれども、

外で山男が集まって、

遺体が焼かれるんですよね。

お父さんはっていうと、

遠く、白い靄に包まれた岩肌を

じーっと見てるんですよね。

哀しそうに、じーっと見てましたよ。

お母さんは、ただ泣くばかりでしたよね。

一方ではですね、

別の救助隊によって

赤と黄色のジャケットの

遺体を引き上げられた。

「オレ驚いたよ」

ニシダさんが言ったんです。

「その救出された遺体なんだけどさ、

それ、一年前の遺体なんだよね」

「よく考えてみたらさ、猛吹雪の中、

足音なんか聞こえるわけないよね。

なのにみんなちゃんと聞いたんだよ、

足音。雪を払う音も」

「小屋からあった足跡。

あれは俺たちを“案内”したんだな、きっと。

一年前に死んだ人間が、

自分の居場所を見つけてもらいたくて、

助けてもらいたくて足跡つけてたんだね」

「幽霊って、そんなことするんだねぇ」

って言ったんですよ。

私も、ああ、なるほどそんなことが

本当にあるもんなんだねぇ、と思ったものです。

…そんな話を聞いてから、随分月日が流れて。

局の仕事が終わって、

いつもは車で向かうんですが、

なぜか、その日、歩いてたんです、駅に向かって。

すると、私、しばらくぶりに会ったんですよ、

ニシダさんと。「おう、どうも」

「しばらくだねぇ!

元気?変わらないね」と。

なんて言ってね、

「してくれた例の話、

覚えてますよ、ビバークの」

って言ったら、

ニシダさんが

「あれ、違うんだよ。あの話ちがうよ」

って言うんです。

聞いてみると、

その後ニシダさんのところに連絡があった、

っていうんですよ。

ザイルにぶら下がって、

ビバークをしていて亡くなった

青年の山仲間の友人たちなんですね。

時間も経ってお父さんお母さんも

気持ちが落ち着いた、

我々も彼の魂、

気持ちを送ってあげたいから

みんなで集まって

懐かしい話でもしようじゃないか、

という集まりがあった。

あなたは当時映像を撮って下さった、

これもご縁ですから

良ければ顔を出してくれないか、

と連絡があった。考えてみれば、

局のカメラマンなんて

色んな人撮ってますから、

そんな付き合いをすることも

普通ないんですけれども、

妙に好奇心が湧いて

行ってみたそうなんです。

行ってみると、お父さんお母さんも

いらっしゃって、その節はどうも、

と挨拶を交わす。

亡くなったその青年は

非常に几帳面な方で、

色々と日誌を付けてる。

ああ、こういう明るい人だったんだね、

そういう人だったんだね、と話をした。

他にも、彼は写真を撮ってるんですよね。

自分で撮ってるんですよ、

自動シャッターで。

それも見せてもらった。

山を背景にニコっと

笑ってる写真だとか、

何人かで撮ってる写真だとか、

楽しそうな笑顔がずっと写ってるんですが、

向こうの方に3枚ばかり

ひゅっと抜いて渡された。

「ニシダさん、この写真なんですけどね、

これ、ちょっと見てもらえませんか」

見ると、10人くらいが山小屋を背景に

笑って写っている団体写真。

大体2列になって並んでいる。

「これが、彼です」と指さす。

前列の、割と左側に、

亡くなった青年が笑って写っている。

ニコ〜っと。

「彼の、斜め後ろの、

この人、見てください」

見れば、青年の斜め後ろに、

同じようにニコニコ

嬉しそうに笑いながら、

彼の肩に手をかけている男性がいる。

で、笑っている。

「この笑ってる人なんですけどね、

ニシダさん」

「ええ」

「赤と黄色の、ヤッケ、着てますよね。

覚えてらっしゃいませんか?

あの日、もうひとつ死体発見されましたよね」

「え・・・ああ、覚えてますよ。

でもねぇ、あれは、違いますよ。

あの死体はすでに

一年前の遺体だったんですよ。

この写真に写る訳ないんですよ」

と言ったら「いいえ、ニシダさん。

それが、ここに映っている本人なんですよ」
と指さす。

「そんなバカなことはないでしょう。

だって、あの人間は一年前に死んでるんですよ、

一緒に写真に入る訳ないじゃないですか」

というと写真を出した人間が、

「ええ、でも、違うんです。

たしかに赤と黄色のヤッケを着ているこの青年。

“この青年”に間違いないんですよ、

ニシダさん」と念を押す。

「じゃぁ、一年前に死んだ人間が

一緒に写っていたっていうのかい」

「…そうなんです」

「ええぇ?」

何ともいえない気持ちになって、

別れを告げて帰ってきた。

その帰り道で、あることに気が付いた、

とニシダさんはいうんですよ。

「亡くなった青年の肩に

手をかけて笑ってる、

あの赤と黄色のヤッケの男な。

分かったんだよ」

「だって、あのビバークの青年が

亡くならなかったら、

誰もあんな場所行かないぜ。

俺たちだって、

彼が亡くなったから、行った訳だ」

「一年前に死んだあいつは、

探してたんだよ、

自分を見つけてくれる人間を。

どうしたら自分が見つかるか、その方法を」

「分かったんだよ、

誰かが死ねば自分も

見つけてもらえるって」

「自分を見つけてもらうために、

だ〜れ〜を犠牲にしよ〜かなぁ〜、

と思っているうちに、

『あ・・・こいつに決〜めた!』って」

「それで、笑ってたんだよ」



北アルプス御嶽山噴火

2014年9月27日、

58人が死亡、

5人が行方不明となった

戦後最悪の火山災害、

御嶽山(おんたけさん)=長野、

岐阜両県=の噴火から

東京都内の40代の女性が

初めて取材に応じた。

火山灰が積もった山頂付近で、

周囲の登山客が次々と息絶える中、

生還を信じ救助を待ち続けた女性。

「備えの大切さを伝えたい」。

噴火で受けた傷は今も癒えないが、

当時の状況を振り返る決意をし、

「あの時」を語った。



もう手を振る力は

ほとんど残っていなかった。

噴火から一夜明けた

平成26年9月28日

午前11時半。

火口付近の八丁ダルミにある

石像の石造りの台座に

寄りかかった女性は、

頭上を飛び交う自衛隊などの

ヘリに向けて救助を

求めようとしたが、

わずかに右手を振るのが

やっとだった。

降りしきる噴石で左腕を失い、

腰や背中にも傷を負った。

動くたびに激痛が襲い、

貧血で何度も意識が遠のいた。

「私に気付いていないのかもしれない」。

なかなか近づいてこないヘリを

見ながらそう思っていると、

手元の携帯電話に着信があった。

「どこにいますか」。

災害対策本部からの電話だった。

前日、ともに山を登り、

無事助かった友人が、

通報していてくれたのだ。

しばらくすると消防の

ハイパーレスキュー隊が

到着した。

「がんばってね。がんばってね」。

女性を乗せた担架を運ぶ

隊員が励ましの声を送り続ける。

まもなく灰に覆われた

王滝頂上山荘が目に入った。

「助かった」。そう思った。



救出された台座の周囲には、

前日までは確かに生きていた

登山客の男性が、

朝を迎えることができないまま、

息絶えて倒れていた。

「生き残れたのは噴石が当たる、

当たらないの運、

どこに当たったのかの

運もあると思う。

でも、少しだけ準備して

いったことも大きい」。

女性はそう振り返ると、

あの時の体験を語り始めた。

女性が登山を始めたのは

5年ほど前。

関東近郊の百名山を

中心に楽しんだり、

長期の休みには、

北アルプスへ遠出したりした。

山岳会には所属せず、

あの日も友人と2人で

御嶽山を訪れていた。

選んだのは長野県王滝村の7

合目にある田の原駐車場の

登山口から山頂へ向かう、

ごく一般的なコース。

噴火直前は、

友人と離れた場所で

八丁ダルミを

1人で歩いていた。

山頂までは、もうすぐだった。

「ぺースが上がらないし、

迷うところではないので

友人には先行してもらっていた」

変は音で気づいた。

何かがはじけるような

「ポン」という感じだったと

記憶している。

音がした方向を見ると、

黒煙がモクモクと上がっていた。

午前11時52分。御嶽山噴火。

だが現実と受け止められなかった。

「まさか、この山とは思わず、

どこか他の山かなという感じで…」。

においや揺れといった

確たる変化もなかったため、

直後は周囲の登山客と同様に

噴煙を写真に収めていた。



現実を突きつけられたのは10秒ほど後。

気付くと周囲は真っ暗に。

「逃げる時間はなかった」。

近くに身を隠せるような

岩も見えたが

「その場で立ち尽くすというか、

動けなかった」。

噴煙は、もう目前に迫っていた。

想像もできなかった御嶽山の噴火。

女性は迫り来る噴煙に背を

向けるしかなかった。

「(噴煙は熱く)サウナに

入ったような感じで

『焼け死ぬのか、

溶けるのかな』と思った」

噴石が襲ってきたのは

噴火から1分もしないころだった。

山梨県富士山科学研究所の

試算では、火口から噴石が

出た速度(初速)は

時速360~540キロ。

地面に衝突した際の速度は

最低でも108キロだったという。

女性にもそんな噴石が容赦なく襲い、

ザックで隠れていない

後頭部や腰を直撃した。

「折れたかなと思うほど、

これまで受けたことのない衝撃」。

実際に腰の軟骨は折れていた。

噴石の勢いが少し弱まったとき、

近くで一緒にしゃがんでいた

男性が声をかけてきた。

「起き上がれないから起こしてくれ」。

男性の体を支えてあげたが、

すぐにばったり前に倒れた。

どうすることもできず、

男性の口に付いた灰を

ぬぐってあげるしかなかった。

その直後、

噴石が再度襲ってきた。

最初より激しく降り注いだ

噴石は次々と体に直撃、

最後に身体が地面に

沈むくらいの衝撃を

左腕に受けた。

「痛い、熱い、しびれ。

味わったことのない感覚だった」

噴石の勢いが弱まり、

体を起こした。

周囲で動ける登山客は

3、4人。口をぬぐった男性は

亡くなっていた。

自身はおなかに

重たいものを感じた。

噴石の直撃でちぎれた

自分の左腕だった。

体に少しだけくっついた状態で

傷口から血が滴り落ちている。

「止血お願いします」。必死に叫んだ。



男性が手ぬぐいで止血を試みたが、

傷口に驚いたのか結びが緩く、

別の男性がきつく結び直してくれた。

腕をなくしたことは残念だが、

命を落とすことはなかった。

「とりあえずここまで乗り切れたから、生きよう」。

そう思った。

無事だった登山客に

下山しようと言われたが、

貧血がひどく、

腰にも違和感があった。

「歩けない」。

その場に残る決断をした。

100メートルほど離れた場所に、

身を隠せそうな石造りの

台座を見つけた。

左腕を抱き、

何度も気を失いながら、

足とお尻を使い、

尺取り虫のように進んだ。

途中にうずくまる

登山客の男性がいた。

「一緒に行きませんか」。

声を掛けると、

男性は時間をかけて

台座近くまで来た。

長い時間を費やして移動し、

台座を背にしたころには

日が沈みかけていた。

台座周辺には別の男性が一人いて、

携帯電話で通話していた。

相手は家族だろうか。

「今噴火にあって、

ちょっと無理かもしれないけど、

俺は絶対に帰るから」。そう告げていた。

夜になるにつれ風が強くなり、

標高3千メートルの

過酷な環境が女性たちを襲った。

女性は日が暮れる前、

台座の前を歩いて

通り過ぎようとした男性に頼み、

ザックの中から

ダウンジャケットと

簡易テントを出してもらい、

防寒対策として

体に巻きつけていた。

ふと携帯電話をみると、

一緒に登っていた友人から

何度も着信があった

形跡があった。

友人は無事だったんだ。

少しだけほっとして

折り返し電話を掛けた。

周りが暗くなる中、

ただ寒さに耐えた。

長野地方気象台によると、

標高1千メートル付近にある

御嶽山麓の開田高原で

噴火翌朝の最低気温は6・6度。

女性が一夜を過ごした

標高3千メートル付近は

氷点下だったことが想像される。

過酷な環境に耐えられたのは、

携帯電話から聞こえた

友人の励ましの声だった。

「私がここで死んだら

友人はきっと自責の念にかられる。

だから生き抜こう」。

勇気を振り絞った。



救助されたのは

噴火から丸1日が経過した

28日午後0時半。

台座の周囲にいた

2人の男性は

息を引き取っていた。

山にゴミを残してはいけないと、

テントやダウンジャケットは

ザックにしまった。

心身ともに負った大きな傷。

それでも経験を語ろうと

決意したのは、

連日のように自然災害の

脅威が伝えられる中、

御嶽山の噴火が

忘れ去られるのではないかと

危機感を抱いたからだ。

生死を分けたのは何だったのだろうか。

「御嶽山は初心者でも気軽に

登ることができるだけに、

十分な準備をしている方は少なかった。

生き残れたのは運もあるが

最低限の準備を

していったからだ」と言う。

性は登山の際、

日帰りでも簡易テントは必ず携行し、

3千メートル級の山には

ダウンジャケットも

持っていった。

夜になるまで生存していながら

周囲で亡くなった登山客は、

ダウンジャケットや

簡易テントは

持っていなかったようだった。

生死を分けたのは「その差」と思っている。

4月に職場復帰し、

山登りも再開したが、

火山へは二度と

登るつもりはない。

「もし山へ行かれる方は、

リスクを考え準備をしてほしい」。

最後にそう訴えた。



カムイエクウチカウシ山

1970年(昭和45年)7月に

カムイエクウチカウシ山で

発生した獣害事件の

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件

は知っていますか?

若い雌のヒグマが登山中の

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会

会員を襲撃し、3名の死者を出した。

福岡大学ワンダーフォーゲル同好会

ヒグマ襲撃事件、

岡大学ワンゲル部員日高山系

遭難事件とも呼ばれます。

ヒグマの習性を知らしめることに

なった熊害事件の一つ。

18歳から22歳までの若者5人が

登山中にヒグマと接触し、

その習性に翻弄されたあげく

3人が犠牲になった凄惨な事件である。

被害に合ったパーティは

部と省略されがちだが、

実際は後者の同好会のほうが正しく、

規模の小さな組織であったことが伺える。

本記事では通りが良いため

彼等をワンゲル部と略す。

メンバーはリーダーのA(20歳)、

サブリーダーのB(22歳)、

他同行していたC(19歳)、

D(19歳)、

E(18歳)の5人である。

それぞれの本名は周知されたものであるが、

ここではあえて控えることにする。

ちなみにワンダーフォーゲルとは

「渡り鳥」という意味で、

転じて当時流行っていた

「青少年達が自然溢れる山野へ出向き、

それを通じて心身ともに鍛える活動」

のことをこう呼ぶ。

平たく言ってしまえば登山部であるが、

ワンゲル部は山に限らず自然溢れる環境ならば

どこにでも目的地を定めて出向くという点が異なる。

1970年7月12日、

ワンゲル部は九州福岡から

北海道の日高山脈へと向かって旅立った。

同月の14日に到着して入山を開始した彼等は、

それから11日かけた同月25日、

1979m地点のカムイエクウチカウシ山

八ノ沢カールに到着する。

この時、予定は大幅に遅れていたので、

翌日の登頂後には

すぐ下山するという方針が固まっていた。

テントを設営し、一息ついていると、

その近くに1頭のヒグマがやってきた。

この時、キスリング(荷物)は

外に放り出されていた。

ワンゲル部のメンバーは物珍しかった

ヒグマをしばらく面白そうに観察し、

写真を撮るなど余裕を見せるほどであったが、

やがてヒグマは放置していたキスリングを漁り始めた。

食料などが入ったキスリングを

奪われたままでは困ると思ったメンバー達は、

ヒグマが興味を失った隙を

見計らってキスリングを奪還。

その後はラジオの大音量を流したり、

火を炊いたり、食器を鳴らすなどして

ヒグマを威嚇してなんとか追い返した。

それから疲れ果てて眠りについた

彼等だったが、妙な鼻息を聞いて目を覚ました。

鼻息の主は、さっきのヒグマだった。

戻ってきた先ほどのヒグマは、

拳大の穴をテントに空けていくと、

また去っていった。

これに肝を冷やした彼等は

2時間ごとに交代で見張りを立てることになった。

しかしこの時、事態は既に

深刻な状況へと陥っていったのである。

26日を迎えた。見張りを立てていた間も、

ワンゲル部の面々は恐怖の

あまり誰一人として眠りにつけなかった。

早朝、早々と荷造りしていた彼等の元に、

またヒグマが現れた。

ヒグマはしばらくうろうろしていたが、

ついにテントに近づいてきたので

一同はテントに一度は逃げ込んだ。

テントを押し潰そうとする

ヒグマとの押し合いが続いたが、

このままでは危険と判断した彼等は、

反対側の入り口から急いで脱出し、

稜線まで逃げた。

やがてヒグマはテントを潰すと、

自分の漁ったキスリングを

移動させる行動を取り始めた。

命の危険がより間近に

迫っていることを悟った

リーダーのAは、サブリーダーのBと

メンバーのEに助けを呼んでくるように指示した。

この時、彼等は全員ですぐ山を

降りるという選択を取らなかった。



遺族はその理由を

「登頂達成という目標への未練が

あったのではないか」と推測している人が多い。

やがてBとEは北海学園大学の

パーティと遭遇することに成功する。

このパーティもまた同個体と

思われるヒグマの襲撃を受けていた。

しかも、福岡大ワンゲル部よりも

さらに執拗に追いかけられており、

1人は躓いて地面に倒れるなど

ヤバイところまで追い詰められていたが、

一度荷物を捨てたことで、

命からがら逃げられたという。

ちなみにその荷物を後で見に行くと、

ヨダレでべちょべちょになった

ズタボロのキスリングが

岩の上に整然と並べられていたらしい。

北海学園大ワンゲル部から

2人は下山を薦められたが、

まだ上に3人を残しているので

合流してからにすると答え、

食料などを分けてもらうと

仲間の元へと戻ることにした。

一方で、残ったメンバーは

やがてヒグマが姿を消したのを見計らって、

再度荷物の半分程度を取り戻し、

引き返していた。

しかし疲労がピークに達していた3名は

疲れて数時間ほど眠ってしまった。

目を覚ますとヒグマの気配はもうなく、

彼等は残りの荷物を回収し、

先ほどの稜線まで引き上げた。

この時、鳥取大学や中央鉄道学園の

パーティが通りがかっており、

ヒグマがうろついているという情報を共有した。

北海学園大学の支援を受けたBとEは、

引き返して残留チームと合流、

壊されたテントを修理すると、

安全だと思われる稜線に設営、

なんとか夕食がとれる

状況へと持ち直そうとした。

だがその時、またヒグマは姿を現した。

今度はさらに執拗に

テントを狙っている様子で、

一同はまたテントから

逃げ出すことを決意。

何度かリーダーのAが偵察したが、

ヒグマがテントから離れる様子はなく、

彼等は鳥取大学のパーティに

泊めてもらう方針を固めた。

三度偵察してもヒグマが

居座っていたので完全に

荷物を諦めた彼等は、

一気に沢を下っていった。

この時の時間は、

もう午後の6時30分頃で

、辺りは既に暗くなっていた。

下っていた最中、ふとDが後ろを向くと、

ヒグマが自分達の後を

追いかけているのが見えた。

慌てた彼等は急いで逃げ出したが、

ヒグマもそれに刺激されて

すぐに追いかけてきた。

ヒグマはまずEに襲いかかった。

「ギャー!」悲痛な悲鳴が山の中に轟き、

その直後に「畜生!」と怒鳴り声をあげげ、

足を引きずりながら

Eはカールの方へと逃げていった 。

その後Eの生きた姿を見たのは、

恐らくそのヒグマしかいなかっただろう。

リーダーのAが必死になって

助けを呼んでいると、

鳥取大学のパーティが事の重大さに気づき、

焚き火を起こしたりホイッスルを

鳴らすなどして位置を知らせ、

自分達は助けを呼ぶためにテントや

荷物を残して下山することを決意する。

福岡大ワンゲル部のメンバーは

なんとか合流に成功したが、

騒乱の中でメンバーはCとはぐれていた。

CのことをAは呼びつづけたが、

一度応答があっただけで

合流は出来なかった。



後に分かったことだが、

Cはこの声を確かに聞いていたが

詳しい内容が聞き取れず、

ヒグマの気配もあって合流に

失敗してしまったのである。

A、B、Dの3人は鳥取大学の残した物資の

あるカールに降りることは出来ず、

その夜は岩場に身を隠した。

はぐれたCは鳥取大の残した目印を

頼りにテントへと移動しようとするが、

その間にまたヒグマに遭遇した。

Cは死に物狂いで崖に登り、

岩を投げつけるなどして必死に抵抗した。

すると投げつけた岩が一発当たって

ヒグマが怯んだので、

その隙に一気に鳥取大の残した

テントに逃げ込んだようだ。

しかし、助けがいると思ったそこに

持ち主の姿は既になく(もう下山していた)、

疲れ果てたCは、そのまま

テントの中で眠りに付いたという。

27日は朝から濃霧が立ち込めており、

ヒグマの接近など

察知出来る状況ではなかった。

それでもCとEを探そうと

一行は出発したが、

彼等はすぐさまヒグマと遭遇した。

リーダーのAはカールの方に逃げ、

ヒグマはそれを追いかけた。

それがB達の見たリーダーAの最後の姿だった。

標的から外れたBとDは

麓まで降りて救助を要請した。

結果として彼等は生存者となることが出来た。

山に残されたCは、

その後どういったことが起きていたか、

メモに残していた。

メモから察するに彼はずっと

鳥取大学の残したテントに残り続け、

孤独に恐怖と戦っていたことが伺える。

実際のメモはググるとすぐに出てくるが、

ここではあえて避ける。

文中には「早く博多に帰りたい」

という切実な思いが

綴られていたということだけは触れておく。

メモは26日の午後5時から27日の

朝の8時頃にかけて残されたもので、

最後は恐怖に支配されて手が震えていたのか、

ところどころ判別が難しい内容になっていた。

Cはその後、遺体で発見され、

メモはその近くに置かれていたという。

Cがどの程度まで生き永らえていたのかは

判然としていない。

救助隊が結成され、

行方不明の3名の捜索が行われた。

そして29日に2名、30日に1名が発見された。

遺体は、衣服を完全に

破り取られベルトだけに

なっていたなど、見るも無残な状態だった。

顔が半分なくなっていたり、

腸を引きずり出されていたり、

耳や鼻などの部位が

齧り取られていたなど……。

それはもう目も当てられない

状況だったという。



悪天候のため遺体を降ろすことが出来ず、

現地で荼毘に付されることになった。

彼等を殺害したヒグマは29日、

ハンターによって発見、

射殺された。4歳の雌だった。

検死の結果、3名の死は

「頚椎骨折および頚動脈折損による失血死」だった。

ヒグマの怪力の凄まじさを物語る死因である。

誤解されがちだが、

このヒグマは彼等を食べるために殺害したのではない。

ヒグマの射殺後、胃の内容物を調べたところ、

人の部位が出てくることはなかったのだ。

これはすなわち、ワンゲル部の面々はヒグマにとって

「自分の所有物を奪おうとする敵対生物」

という認識だったことを意味する。

要は「獲物ではなく、敵として排除された」

という証拠であった。

実際敵対生物は食害せずに

排除するという行動は

前例がないわけではない。

有名な三毛別羆事件の

人食いクマと決定的に

違うのはこの点である。

ただしこの時のクマは、

キスリングの荷物からぶんどった

食物をある程度摂取していたことから、

人間まで食べる必要が

なかったのだとも言う。

しかし、結局のところ彼等の

遺体が食害されなかった

理由はわかっていない。

3人の若者の命を奪ったヒグマは、

ハンター達のしきたりによって

熊肉として食され、

さらに剥製として日高山脈山岳センターに

保管されることになった

(以前は役所で保管されていたこともあるようだ)。

ちなみに剥製にする際、

銃弾を受けた部分を削ったため、

やや身体が小型化してしまっている。

しかしこちらを見ながら

威嚇するようなのポーズを

とっているそれは、見るものを圧倒するものがある。

余談だが今でも福岡大学には

ワンダーフォーゲル部が存在し、

事件当時は同好会だったそれは、

正式に部として昇格した。

事件のあった地には

慰霊碑も設立されており、

部では慰霊登山が行われているようだ。

しかしかなり悲惨な事件だったため、

そういった活動をしていることは

あまり表沙汰にはしていない。

当時はインターネットなど当然ない時代である。

現在でもそうだが、当時は今よりも

ヒグマの対処法が人々に浸透していなかった。

ワンゲル部のミスは大雑把に言うと、

ヒグマから荷物を執拗に

取り返そうとしてしまったこと

逃げる時に色めき立ったことで

ヒグマを刺激してしまったこと

散り散りに逃げてしまったこと

と、ことごとくヒグマの神経をさかなでし、

かつヒグマが追いやすくなる行動を

とってしまったことに尽きる。

そしてそもそも最初にヒグマと遭遇した時、

すぐに下山しなかったことは致命的だった。

最初は大丈夫だと高をくくったとしても、

テントを押し倒された時点で、

つまり2日目朝の襲撃時点で

下山の判断をしていれば、

3名の命が失われることはなかったという

厳しい意見も聞かれる。

この登山計画自体は

大変良く練られたものであった。

よって彼等は登頂するということに

並々ならぬ熱意を注いでおり、

その思いが彼等を山に踏みとどまらせてしまった。

一つ擁護するのであれば、

ワンゲル部が荷物に固執したのは

無理もない話でもある。



11日もの間、山を歩き続けた彼等にとって、

残り少ない食料を詰めた

キスリングは生命線だった。

さらにこの中には財布などの

貴重品も入っていたという話もある。

とはいえ、他の登山者の存在を

認識した時点で、彼等の支援を

受けながら即下山するという

選択肢があったこともまた事実である。

この事件を教訓に、

ヒグマの執着心の強い習性、

誤った撃退方法などは、

より多くの一般市民に知れ渡った。

ちなみに惨劇の地となった日高山脈では、

これの前後において人が死ぬほどの

熊害事件は起きていない。

が、襲われかけた事件は事件前にも

何度か起きていた。

これらは全て同個体の仕業では

ないかと見られている。

これを機に、ヒグマの生態や

習性が明らかにされたことで、

この日高山脈ではこれほど酷い

熊害事件は起きていない。



美ヶ原高原

梅雨に入るか入らないかの頃である。
たまたま有給休暇が取れたので、A君は夜行列車に飛び乗った。
仕事の進行次第、ということで、実際に休暇がとれるかどうかはギリギリまで分からなかったため、緻密な計画が必要なハードな山は、はじめから諦めていた。
「忙しくストレスもたまってたし、ちょっと息抜きになればと思って、比較的穏やかな松本の美ヶ原に登ることにしたんです。
2000メートルくらいの、まあ初心者級の山で、地元の小学生がよく林間学校に使う高原です」
A君は語ります。
気晴らしにはちょうどいいコースだった。
大学生時代から何回も登っていて、地形も知り尽くしていた。
「ああ、それと」
と、A君は付け足した。
「もう一つ、実は不純な動機があったんです……」
A君には、当時、付き合っていた彼女がいなかった。
おまけに男性ばかりの職場で、正直言ってくさっているところに、仕事が忙しくて女の子と知り合う機会さえなかったのである。
「美ヶ原に三城牧場という、牛がたくさん放牧してあって、そこに山小屋があるんですけど、ああそうだ、あの山小屋のそばにドラム缶風呂があったな、って、ぱっと閃いちゃったんですよね。いや……そのドラム缶風呂によく、小屋にバイトに来ている女の子が入ってたことを思い出しまして。
美ヶ原=ドラム缶風呂=女の子、っていうのがパアーッと頭に……」
A君は、ドラム缶風呂のまだ見ぬ美女を思い描いて夜汽車に乗ったのである。
しかしその不純な動機こそ、恐怖体験の元凶となってしまったのだ。
列車は明け方近く松本に到着し、A君はバスに乗って登山口で降りると、そのまま休まずに歩き出した。
「ドラム缶風呂が俺を呼んでたんですよ。もう食事をとらなくても平気でしたから。いや、大した山じゃないっていう気がやっぱりあったんでしょうね」
順調に登山したA君は、夕方前、まだ陽が高いうちに目的の山小屋がある三城牧場に到着した。
6月だというのに気温の高い高原は、夏には青々とした緑の海になるはずの牧草も、まだまばらだった。
藁のような枯れ草の間から岩肌がのぞき、それでも牛の放牧が始まっていて、白と黒のツートーンカラーの牛たちが、点々と見えていた。
ただでさえ変わりやすい山の天気だが、
梅雨時のためしきりにガス(霧)が巻き、時々霧雨が頬を濡らした。
「そろそろ山小屋が見えてもいい頃だけど……」
A君はリュックを下ろしてあたりを見渡した。
この高原には山小屋のほかに、宿泊所もあった。が、A君は一応、懐中電灯やテント、ラジオなど、リュックの中にはいつもと同じように、登山に必要な七つ道具を入れてきていた。
雨が止み、少しもやっていた霧が晴れてみると、目的の山小屋が、目の前の斜面の上の方に見えていた。
ドラム缶風呂も山小屋の脇にあるはずだった。
やった!とA君は思った。
「確か、もう少し下のほうにキャンプ場があったんですが、不純な目的があったから出来るだけドラム缶風呂(山小屋)のそばで1泊するつもりでいたんです。でも、いくらなんでも、風呂のすぐ隣にテントを張るわけにもいかないので、もう少し近づいたあたりに張ろうと思って……」
A君は、山小屋まで15分くらい、とおぼしき岩肌に接する斜面にテントを張った。
テントからは山小屋がけっこう近くに見える場所だった。
時計を見ると、山小屋の夕食までにはまだ時間がある。なにしろ、連日徹夜同然で仕事をこなし、夜行列車の中で少し仮眠を
とったほかはゆっくり休んでもいなかった。A君は寝袋を取り出すと、そのまま泥のように寝入ってしまった。
夕食時には起きて、山小屋で食事をとるつもりだったのだ。

……ガサガサガサ……
どのくらい眠ったのだらう。
A君は、ガサガサガサというテントを揺らす
風のような音で目を覚ました。
気がつくと日にが暮れていて、テントをの中はすでに真っ暗である。
「しまった。食いっぱぐれた!」
飛び起きて、手探りで懐中電灯を点けて腕時計を見ると、もう9時を回っている。
山小屋の夕食の時間はとっくに過ぎている。
あわてて外に出て、山小屋があるはずの方向を眺めてみたが、当然真っ暗で窓の灯火も消えていた。
A君は寝過ごしたばかりに、その日の夕食を自分で作らなければならなくなってしまった。
山小屋に行けば水道があるのだが、歩けば
15分くらいはかかる。
そこまで登っていって水をくんできて、湯を沸かしてインスタントラーメンを作る、という気力が、もうその夜のA君には残っていなかった。
―まぁいいか。このまま眠ったとしても、どうせ朝まで寝ちゃうだろうし。そうすれば空腹も感じずに済むだろう―
A君は懐中電灯を消すと、そのまままた寝袋にもぐり込んだ。ほとんどふて寝である。
ところが…。
……ガサッ、ガサガサガサ……
奇妙な音に、A君はまた目を覚ました。
テントが靡いているのかと思った。風が強いのだろうか?
いや、さっき起きて外に出たときには止んでいたはずだ……。
A君は寝袋から抜け出して、またテントの外に出た。
風はなかった。
あたりを見回してみたが、板切れやゴミなど、テントにぶつかるようなものもない。
「おかしいなあ、気のせいかなぁ……」
再び寝袋に入り、うとうとっと来た時だった。……ガサガサガサ……また音がする。
さっきより大きい。
―牛だろうか?いや、牛は高電圧の柵の中から出られないはずだから、ここまでやってくるはずはない―
暗闇の中でぱっちりと両目を開いたまま、A君は奇妙な音に耳を澄ました。
……ガサガサガサッガサガサッ……
よく聞いてみると、テントの表面に何かが触る、というか、当たっているような音だ。
「まてよ……そうか、きっとそうだ!」
A君は、急に低い山ではシーズンになると、時々テント荒らしが出没することを思い出した。―そうに違いない―
「何してるんだっ‼
虚を衝こうと大声で怒鳴りながら、またテントの外へ転げ出た。
A君は、体格もよく一応柔道は二段である。
テント荒らしの一人や二人、の・す・ だけの自信はあった。……が、
「あれえ???」
キョロキョロと探し回ってみたが、やはり誰もいない。
牛もいない。
風もない。
仕方なしに懐中電灯を手に、首をひねりながらテントの中に入ってから、1秒も経っていない時、
……ガサガッ……ガサッガサガサガサ……
また音がした。さっきより遠慮のないしつこい音だった。
今度は、懐中電灯を点けたままでテントの中が明るくなっていたため、A君は反射的に音のする方を見たわけだが……。
「それが、テントの斜めに張ってある布の部分が、外から押されて、ガサッガサッ、と音をさせながら確かに飛び出てくるものがわかるんですよ」
テントの片側は岩肌、片側は道である。
音を立てながら何かが凸型に飛び出てくるのは、岩肌側のテントの布だった。
「?…」
懐中電灯で、音のするその箇所をさらに大きく明るく照らし、もう一度よく見ると……。
……ガサッ……
「あっ!」
それは握り拳を作った、人間の4本の指の関節だった。
音がするたび、握り拳の形が布の向こうからくっきりと浮かび出てくるのだ。
―やっぱり泥棒じゃないか―
「コラー‼
正体を確信したA君は、ありったけの声を張り上げながら、今度はいきなり、その拳が見えたテントの岩肌側に走って出た。
けれど、やはり誰もいないのである。
テントの周囲をくまなく回ってみたが、誰もいない。
生き物らしきものもいない。
片面の岩肌はほぼ絶壁で行き止まり。反対に伸びている路上にも人影はなく、後は見渡すかぎりの草原である。
とても人が隠れるような場所はない。
テント荒らしに来た人間はものすごいスピードで柵を越えて、草原のかなたに走り去ったとでもいうのか。
「おかしいなあ、確かにいたんだがなぁ……?」
それでも、背を伸ばして道の向こう側に暗闇をのぞいているときだった。
A君はいきなり後ろから、ツンツンと右肩をつつかれた。
ハッとして振り向いてから、
「ギャーッ‼
A君は本当に腰をぬかし、へなへなとその場にへたり込んでしまった。
テントを張る時には霧のため気づかなかったが、すぐ目の前に張り付くようにして、岩と見まがう小さな遭難碑(慰霊搭)が
建っていたのである。
「こんなところでは、とても夜を明かせない……」
遭難碑の真ん前というとんでもないところにテントを張ってしまい、恐ろしい目にあったA君(サラリーマン、29才)は、大急ぎで荷物をまとめリュックを背負った。
懐中電灯を握りしめ、ポケットのラジオのスイッチを入れると、真夜中の山道を転げるように走り出した。
「坂道を下っていったんですよ。坂を上れば15分ほどで山小屋だったんだけど、荷物背負ってるから下るほうが楽ということもあったし、それにしばらく行けばキャンプ場があって大勢人がいるはずだったんです……」
実はA君の悪夢のような夜は、この後から佳境に入るのである。
懐中電灯を消せば、それこそ一寸先は闇である。
あたりは人気のない高原とあって、シーンと静まり返っていた。
虫の音さえ聞こえない。
A君は思わずラジオのボリュームを最大に上げた。
その時いったいラジオから何が流れていたのか、とにかく大パニックに陥っていたA君は、まるっきり覚えていない。
ただ自分が手に持って照らしている、5メートルほど先の懐中電灯の丸い光りを頼りに、ひたすら走り続けた。
ところがである。
5分ほど走っただろうか。
プツッ……電池を換えたばかりのはずなのに、あっけない音を残して、勇気の源だったラジオが突然聞こえなくなったのだ。
ラジオが消えたとたんに不気味静けさが広がった。
「マジかよ……」
と思うと、新しい恐怖が頭をもたげてきて、だらだらと脂汗が出てきたという。
「ほんとバカみたいなんだけど、仕方ないから俺、大学の校歌歌ったですもんね。一人で、大声で……」
A君は、校歌を歌いながら、バタバタと大騒ぎで坂道を下り続けた。と、
「今度は、行く手というか道の上を照らしていた懐中電灯の光が、突然消えたんです。手元の懐中電灯はちゃんと点いているのに、照らしている先がないんです。走っている間じゅう、ずっと白っぽい光が見えてたんですけど、それが、ふっと見えなくなったんですよ」
転げるように走っている最中だ。
そのことに気付いて立ち止まろうとしたのだが、なにしろ下り坂で勢いがついているため、急には止まれない。
A君は何メートルか惰性で進んでしまった。
と、突然、ものすごい風が顎の下のほうから吹いてきた、という。
「あわわ……」
A君はつんのめった。
つんのめったおかげで、やっと止まることが出来た。
懐中電灯の光が消えるはずである。
A君がやっと止まったところから50センチほど先は、底も見えないほどの深い谷になっていたのだ。
「危機一髪でした。谷底から烈風が吹いてきて助かったんです。あの風がなかったら確実にお陀仏ですよ。それよりもっと怖かったのは…」いったい自分は、なんでこんなところに立っているんだろう……ハアハアと肩で息をしながら、崖の縁に立ち尽くしたA君が、ゆっくり振り返ってみると、
「!?」
すぐ後ろに、何十という墓石が、ひしめくように並んでいたのである。
それは、寄り添ってA君の背中をじっと見つめているように見えた。
真っ暗闇であるにも関わらず、墓石の一つ一つが、ぼーっと浮き上がるように見えている「ギャー‼
A君はまた走り出した。
走りながら、こんなところに墓地などあるはずはない、などと考えたが、とにかく、走るよりほかはなかった。
どこをどう走ったのか全く覚えていない。
その間、時々、後ろから誰かに肩をつかまれたというが、
A君は一度も振り返ってはいない。
「肩もつかまれたけど、そいつというか、
ソレはなんとなく右側の後ろのほうにいる、という感じがずっとしてました。なんか視線を感じるんですよ。ついてきていたのかもしれないでも逃げるのに必死で、振り返るなんてとても出来なかった。とにかく人がいる場所にさえ行けば……とそれだけでした。」
あの時坂を登ってさえいれば、とっくの昔に山小屋に着いているはずなのに、という思いが頭をかすめたが、今となっては遅すぎた。
A君は、真っ暗な山道をわーわー騒ぎながら、パニックの極致で走り続け、途中でリュックも投げ捨てたという。
どれくらい走っただろうか、今度は先刻からわずかに靄っていたガスが濃くなってきて、あっという間に20センチ先も見えない、という状態になってしまった。
泣きっ面に蜂である。
あたりは白一色。もちろん振り返ったところで何も見えない。
懐中電灯は点いてはいるが、その光は白い空間に吸い込まれるばかりで、果たしてそこが道なのかどうかもわからなくなったという。
さっきのようなことになっては危ないから、と、A君はありったけの理性でその場に立ち止まった。
すると、
「遠くのほうに何人か子供が立っているんです」
A君の行く手十メートルほど先に、小学校の高学年くらいの子供が、5人いるのが見えた。助かったと、A君は思った。
「なんか、人がいたというだけでほっとしたんですけど……」
真夜中だというのに、子供たちは元気な声で騒いでいる。「バカやろー」
「うるせー」
集まって何かゲームでもしているのか、汚い言葉を吐きながらも楽しそうな様子に見えたという。
きっとキャンプ場もすぐそこなのだろう。
A君はそう思って、その子供たちのほうに向かって、引き続き歩き出したのだが、
「……うん!?」
A君は、やっと気が付いた。
あたりは濃霧である。
自分の手のひらさえ、こうやって目の前に持って来ないと見えない状態ではないか。
どうして、あんなに遠くにいる子供たちだけがはっきり見えているのか?
そう思いながら、目をこらすと、
「なんかうすボケているんですよ。うまく言えないんですけど、輪郭だけあって半透明で色がない感じって言うか……」
―あいつら、人間じゃない―
またパニックに陥ったA君は、再び今度は逆方向走り出した。
すると、「いきなり、キナくさいにおいがしてきたんです。火事のようでもあったし、たんぱく質のが焦げるようなにおいでもあった。とにかくイヤーなにおいでした」
走るA君を追うようにして、そのにおいはずっとつきまとってきたという。
「それにやっぱり、このへん(右肩すぐ後ろ)に誰かがピタッとくっついている感じもずっとしてました。」
濃霧の中、A君はがむしゃらに走った。
「バカやろー」
「ふざけんなー、てめー」
走っても走ってもキナくさいにおいがして、時々後ろからさっきの子供の声がしたという。
その声は、お互いに呼び掛けているのではなく、明らかにA君を罵っていたのである。その証拠に、
「ネルのシャツの襟を、後ろから引っ張られて、俺、転んだんですよ。でも後ろはとにかく見なかった。見れませんよ、もう」
リュックも捨て、懐中電灯もいつの間にか放り投げたA君が、スキー場の見張り小屋近くで保護されたのは、明け方近くだった。
いつもは無人のリフト乗り場だが、6月の登山シーズンでイタズラする者が続発するため、たまに警備の人がついていたのである。
A君はその警備の人に
「ガチガチ歯の根も合わないくらい震えていた」状態で助けられた。
後で聞いてみると、テントを張った場所から保護されたリフト乗り場まで、ゆっくり歩いても1時間とかからない距離だった、という。
これは友達から又聞きした話である。



鈴鹿山脈ジプシー

日本は国土の7割が山岳地域であり、ただでさえ狭い日本列島を圧迫している。利用できる平地は限られており、巨大な工場はもっぱら海外に建設するのがトレンドだ。そうした事情もあり、古くから山は身近な存在であり、米が不作の際に農民は狩猟や採集で食料を調達することもあった。

 そうした生活を徹底して実践していたのが〈サンカ〉である。〈サンカ〉は定住地を持たない流浪の漂泊民で、山岳地域限定のジプシーのようなものだ。戸籍には登録されておらず、狩猟採集で食料を調達し、食物の不足する冬季には手工業で作った竹細工などの小物を近隣の村々と物々交換したりしていたらしい。

 そんな彼らも終戦と同時に徐々に文明世界へと帰化していき、いまでは完全に消滅したとされている。

 3年ほど前の早春、俺は例によって山に入っていた。
 山域は鈴鹿山脈。南北に滋賀県と三重県を貫く1,000メートル級の低山が40キロほども続いている。とくに中部はいくつもの支脈が走り、峠を越えて長大なコースを作ることもできる。標高の割には歩きごたえのあるエリアだ。

 その日は誤算が連続した。孫太尾根から主稜線に取りつき、藤原岳をハント、西尾根を経由して茶屋川に降り立ったまではよかった。ところが茶屋川の遡行はたいへんな難路であり、途中にぶち当たった滝の迂回は文字通り命を賭けさせられた。さらにようよう地図記載の尾根に取りつくも、踏み跡も皆無の完全な廃道と化しており、精神力は削られるいっぽうだった。

 それでもどうにか土倉岳をハントし、茨川廃村へ降りてこられた。ここからも不運は続く。伊勢谷ルートを見つけられずに適当な尾根を登ってしまい、これが道迷いを深刻化させる結果になった。命からがら迷い尾根に辿り着いたときにはすでに17:30、あたりは暗くなり始めていた。この時点で俺はもう、一歩も歩けないほど疲れ切っていた。

 疲労困憊しているとき、糖の不足によって判断力は鈍る。じきに日没するのだから、このときは多少登りがあってさらなる苦労を強いられるとしても、往路を戻るのがベストであるはずだった。ところが俺はこれ以上登りをこなす気にどうしてもなれず、孫太尾根ピストンを避け、楽な青川峡への下山へ逃げることにした。これが決定打になった。

 治田峠に到着し、さてあとは峠を下るだけだと俺は楽観していた。入り口には工事用のトラロープが張られており、「土石流により通行止め」という看板も出ていた。ふつう山屋はこの手の警告を無視する。どれだけ道が荒れていようとも、徒歩で踏破できないようなケースはまず考えられないからだ。

 当然俺もそうした。トラロープを潜り、軽快に下っていく。最初はよかった。落ち葉は深く堆積していたものの、道は明瞭でロストするようなおそれはない。ところがそれは罠だった。道がまともだったのは最初だけだったのだ。沢が近づくにつれて登山道は荒れていき、ついには完全に踏み跡が消失してしまった。徹底したことに、木々に巻かれているはずのペナントもひとつ残らず撤去されていた。

 例の警告は正しかった。当時の俺は沢・尾根という地形を読む登山を修得していなかったため、パニックに陥ってしまった。どこがどこだかさっぱりわからない。間もなく日没。俺は暗闇に包まれた山のなかに一人、取り残された。

 あてもなくさまよっていると、人の声が聞こえたような気がした。それも複数。最初は天の助けだと思った。これでなんとかなる。傾斜のきつい斜面を無理やりトラバースして、声のするほうへヘッドランプの灯りを頼りに突き進んでいった。

 徐々に声がはっきり聞こえてくる。ところが妙なことに、彼らがなにを話しているのか一向にわからない。俺はようやく正気に戻り始めた。日没したあと、廃道になった登山道に複数の人間がいる。とてもこれ以上近づく気にはなれない。ヘッドランプの灯りを消し、息をひそめる。

 すると彼らがこっちに向かってきた。灯りを消しているのでどんな背格好なのか正確にはわからないが、月明かりが助けになった。人数は六人。老若男女が入り混じっており、みんな妙に背が低い。栄養状態がよいとは言いがたく、手足は枯れ枝のようだった。男女ともに汚らしい蓬髪で、男は濃い無精ひげを生やしている。まだ早春で山は冷えるはずなのだが、まとっているのは甚平か作務衣らしきぼろぼろの衣服のみ。

 なにより不思議なのは、彼らが日本語を話していなかったことだ。沖縄や青森のように本州から外れるほど、方言ははなはだしくなる。それでもだいたいなにを言っているかはわかるし、なによりここは日本のど真ん中である。英語でも中国語でも韓国語でもなかった。それはまぎれもなく独自の言語だった。

 彼らは道なき道をまるで通勤路のように歩き、俺には気づかないまま鬱蒼とした樹林帯へ消えていった。俺は時間を忘れて彼らに魅入っていた。幽霊なんかでは絶対になかった。あれはまぎれもなく実体を持った人間だった。ただ彼らの素性の説明がつかないだけで。

 十分以上もその場に釘づけにされていただろうか。連中が戻ってこないことを確認すると、俺はがむしゃらに沢を下り始めた。道に迷ったときは尾根を登るのが鉄則とされているけれども、尾根のほうにいくと彼らと遭遇する可能性がある。沢を下ればやがて本流に出られるので、これは次善の策として有効だ(とはいえ途中に滝があると立ち往生するので、おすすめはできない)。

 やがて広大な河原に出た。地図によればこのあたりまで林道が通っているはずなのだが、林道はどこにも見当たらない。まちがった沢に降りてきてしまったのか。ここまできてしまった以上、戻る気力も体力も残っていない。方角を進行方向である東にとり、ひたすら河原を歩き通す。

 途中に何度も水没しつつ、19:30ごろ、ついに林道らしきものを発見した。あとで調べてわかったのだが、林道は記録的な土石流によって河原の下に埋まってしまっていたらしい。俺は奇跡的に正しい沢に降りてきていたのだ。ここまでくればもう安心である。青川峡キャンピングパークのにぎわいを見て――人びとが交わす日本語に安堵して――車道を歩き、孫太尾根の入り口である墓地に帰還。20:15、実に11時間以上にもわたる山行だった。

 登山道具をリアハッチに放り込み、運転席に座ってエンジンをかける。ライトに照らされた孫太尾根登山口が、不気味に浮かび上がっていた。

 鈴鹿山脈の滋賀県側斜面には、昭和中期くらいまで林業で生計を立てていた山岳の村が多数点在していた。今畑集落、茨川村、御池鉱山跡地、保月集落など、いまでも家屋の残っている廃村もある。いまではそのすべてが廃村になってしまっているが、このような土台は山岳の漂泊民である〈サンカ〉たちにとって、たいへん住みよい環境だったのではないか。

 それほど標高を下げることなく村に住む人間と物々交換ができる環境ならば、〈サンカ〉が遅くまで――少なくとも上記の村々が廃村になった昭和中期くらいまでは――残っていたとしてもおかしくはない。

 俺が遭遇した〈彼ら〉とはもしかしたら、山に魅入られて文明から取り残された現代の〈サンカ〉だったのかもしれない。



北アルプス奥穂高岳白出沢遡行

俺の場合、登山は単なる趣味であって、ライフワークなんかではぜんぜんない。山が好きというわけでもないし、温泉の薬味程度に考えているというのが本当のところだ。

 それでも命は惜しいので、それなりに勉強したり体力づくりをしたりはしている。山に入る前から計画を立て、何時までに下山するというおおまかな予測も立てる。とはいえそうした優等生的準備が億劫になるときもある。

 1年前の夏、恒例の穂高参りに出かけた。山屋のなかには北アルプス絶対主義者というのがいて、穂高とか槍以外は山にあらず、なんてことを言いだす輩もいる。俺はそこまでひどくはないものの、やっぱり穂高岳は好きだ。その夏も奥穂岳(3,190メートル)目指して新穂高温泉から入山した。

 俺はもう、奥穂には何度も登っているし、岐阜県側からのアプローチも通ったことがある。そうなるといきおい計画もなおざりになって、しまいにはナイトハイク前提になってしまい、出発は14:30という、考えられないほどずさんな山行となった。

 長い林道を歩き通し、白出沢出合に着いたのが16:30。ふつうの山屋はとっくに山小屋なりテン泊なりしている時間帯だが、俺はこれから標高差2,000メートルをやっつけるのである。自信はあった。まったく愚かだった。

 沢を詰めはじめてすぐ、天候が崩れ出す。途端に猛烈な土砂降りに見舞われた。慌ててレインコードを取り出してかぶる。最初はどうということもなかったのだが、夏とはいっても北アルプス、2,000メートル以上ともなれば気温は涼しいを通り越して寒いくらいだ。それに加えて雨。ぐんぐん体温が奪われていくのがわかった。

 18:00ごろ荷継沢を横断、ここからは足元の悪いガレ場が一直線に、標高3,000メートル付近の白出のコルまで続いている。この登りは前回通ったときもかなり手こずった記憶がある。とはいえここを登り切らないと山小屋はないし、途中にテントを張れるようなスペースはまったくない。一度登り出したが最後、やり切るしかない。

 登りは困難を極めた。雨のせいで体温が奪われ、日没により道がまったくわからない。さらに悪いことに濃い霧が出てきて、あたりは白亜の迷宮と化した。ヘッドランプの光輪は霧で乱反射して使いものにならず、1メートル先も満足にわからないようなありさまだった。

 何度もルートをロストし、慎重にもときた道へ引き返す。この霧だと一度迷ったが最後、正規ルートに戻ってこられる可能性は低い。すでに体力を消耗し、雨によって体温も下がっている。真夏の高峰で低体温症になって死ぬ山屋を俺は見下していたけれども、このときばかりは事情がわかった。震えが止まらない。身体機能が目に見えて低下していくのがわかる。

 どれくらい登っただろうか。たぶん19:30くらいだったろうか。俺は幻覚を見始めた。それまでははるか遠くに見えていた穂高岳山荘の灯りが、不意に目の前に移動してくる。まばたきをすると山荘は姿を消している。するとまたもや山荘が数10メートル先に見えた。近づいてみると、それは単なる巨岩だった。

 本格的にまずいな。携行していたチーズをかじりながら、まだそんなことを考える余裕は残っていた。雨は止んだけれども、そのぶん霧の濃さがますますひどくなり、岩に描かれたマークを追うのが非常に困難になってきた。ビバークを考えなかったわけじゃないが、傾斜がきつすぎる。とてもテントを展開できるスペースはないし、そのまま横になれば風と雨で低体温症になるおそれがあった。白出のコルまで登りきるしかない。

 正確な時刻はわからないが、たぶん20:30くらいだったと思う。永遠にこの地獄が続くような錯覚と戦ってた俺の目前に、濃霧から登山パーティがまったくだしぬけに現れた。彼らは幻覚にしては強烈なリアリティがあった。手を伸ばせば触れられるのではないかと思ったほどだ。

 道はたいへん狭く、すれちがうにはどちらかが脇へ避けねばならない。俺はばかげていると思いつつも、山側の岩に背中をつけて道を開けた。すると先頭のおっさんが顔を上げて、「どうもすいません」と確かにしゃべった。

 ここで初めて俺は彼らの姿をしっかりと観察した。べつにザクロみたいに頭が割れているとか、身体のあちこちが欠損しているとか、そんなことはなかった。どう見ても生きている人間だった。遭遇した時間が昼間なら、まったく不自然な点はなかっただろう。ところがいまは夜の20:00台で、濃霧という最悪の天候である。

 先頭のおっさんとすれちがうと、大人数のパーティだったらしく、次から次へと登山者が降りてくる。一寸先は闇の濃霧から、忽然と人間が吐き出されてくる。みんなどこにでもいるなりのおっさんおばさんだった。ただ人数が異常だった。冗談じゃなく無限にいるんではないかと思うほど、行列が途切れることなく霧の向こうから吐き出されてくるのだ。

 誰もがまるで昼間の晴天のなかを歩いているみたいに、確かな足取りで歩き、対岸の笠ヶ岳が見えるかのようにニコニコしていた。ほとんどの登山者が脇へ避けている俺に対して「すいません」だの「ありがとう」だの一言かけていく。1人くらいならまだわかる。2~3人でもまあ、穂高くらい有名な山になら無茶をやる人間がいてもおかしくはない。けれどもこの時間、この天候のなか、100人は下らない大パーティで危険な白出沢を下降するというのはもう、完全に狂気の沙汰だ。

 俺は「夜間訓練かなにかですか」とは最後まで聞けなかった。なにか見当ちがいの回答をされそうな気がした。

 ふと気がつくと、誰ともすれちがっていないことに気づいた。霧の向こうからは誰も歩いてこない。それでも俺はすぐに歩き出せなかった。この霧の向こうに入ると、どこかよその山へ放り出されるような気がした。

 20分くらいはじっとしていただろうか。不意に霧が晴れ始めた。晴れるときは本当に一瞬で晴れるものだ。あれだけ悪かった視界がクリアになって、歩くのにはなんの支障もなくなった。俺は気が進まないままゆっくり歩を進めてみた。妙な場所へワープするようなことはもちろんなかった。

 やがて目の前に石垣らしき人工物があるのに気づく。見上げるとすぐそこに穂高岳山荘があった。なぜ灯りがついていないのか不思議に思う。また幻覚かもしれない。慎重に近づいていくと、今度こそ本当に山荘だった。時刻を確かめる。21:15。とっくに消灯している時間だったのだ。

 ぼろぼろの死に体になりながら、扉を開ける。灯りの落とされた小屋の受けつけは当然閉められており、宿泊の手続きができない。ラウンジにいた若い兄ちゃんたちが駆けつけてくれて、今日はそこらへんのベンチで寝たらいい、金はあとで払えばいいさと教えてくれた。彼らに感謝しつつ、俺はベンチにシュラフを展開し、飯も食べずに横になった。

 硬いベンチは当然寝心地は最悪で、これだけ疲れているにもかかわらず、まったく寝られなかった。うとうとすると決まって、霧の向こうから現れた例の団体が脳裏によみがえる。

 彼らは無事に下山できたのだろうか。



北アルプス白馬岳

10年前の話だ。

当時、大学の山岳部に入部していたAは、

休日でも、一人で山に

入山してしまうほど登山に熱中していた。

ある日、Aは北アルプスにある白馬岳を、

縦走するコースを上っていた。

その途中の事、

不意に背中を軽く叩かれた、そう感じた瞬間。

「はい触った、次はお前の鬼~」

子供?

ボロく小汚い着物を着た、

ざんばら髪の男の子だ。

すす汚れた顔をニタリと歪ませ、

笑いながら走り去って行く。

悪戯か。

この辺りに住む子供だろうか?

走り去っていく子供の背中を

ぽかんとした顔で見送っていると、

Aの直ぐ横を通り過ぎて行く人影があった。

農夫姿の、腰の曲がったお婆さんだ。

背中に背負った籠には、

色とりどりの野菜が積まれている。

田舎にあるよくある風景だなと、

さっきの悪戯のことも思い出し、

Aは軽く苦笑いを零しながら、

再び山を登り始めた。

一時間程立った頃だろうか、

ふと、何やらおかしなことに

気がついたAは、その場で足を止めた。

変だ。

さっきから同じ景色を

見ているような気がする。

白馬岳を目指すのは初めてだし、

もしかしたらこの辺りは

似たような景色が続いているのかもしれない。

だが、それでも何か違和感がある。

首を傾げ考え込むも、

それが何かと問われると分からない。

結局、考えても仕方がないと

判断したAは、

軽くため息をつきながら再び登山を開始した。

しばらく歩くと、視界の先に人影が見えた。

目を凝らすと、どうやら先ほど、

Aの横を通り過ぎて行ったあのお婆さんだという事に気がついた。

やがてお婆さんとの距離が縮んでいき、Aはその横を通り過ぎようとした。

通り過ぎる際、軽く会釈をする。

するとそのお婆さんは、会釈を返す訳でもなく、何やら不思議そうに顔を覗いていた。

気持ち悪いな、と思い、直ぐに顔を反らし俺は先を歩く。

それからまたしばらく歩いていると、やはり何かおかしいと、Aはまたもやその場で足を止めた。

歩けど歩けど同じ風景だ。

迷った?

いや、そんなはずはない。

登山を開始してから道は真っ直ぐだ。

しばらく歩けば、中腹を示す目印が見えてくるはず。

ポケットにしまった地図に目をやり場所を確認する、が、やはり間違ってはいないようだ。

じゃあ何なんだこの違和感は?

するとAの目の前を、再びあのお婆さんが通り過ぎて行くのが見えた。

しかもさっきよりも訝しげな顔で、Aの顔をじっと見ながら。

何だか不気味に思えてきた俺は、お婆さんを追い越すようにして足早にその場を立ち去った。

周りの景色を眺める余裕も無くなってきた。

先ほどから付き纏うこの違和感と、あの不気味なお婆さんの顔が頭から離れない。

が、その時だった。

「やーい鬼っ子、早く上ってこーい」

子供の声。

Aは顔を上げた。視界の先、着物姿の子供が手を振っているのが見える。

あの子供だ。

Aに悪戯をしてきたあの子供。

子供は手を振ると、また直ぐに上へと走り去って行く。

鬼っ子?何だ?何の話だ?

違和感との葛藤もあり、思わずうろたえていると、後ろから人の足跡が聞こえた。

不意に後ろを振り返る。

あのお婆さんだ。

目を見開き、驚愕した顔で俺を見て足を止めている。

どいつもこいつも、何なんだ一体……少しイラっときたAは、立ち止まりこちらを凝視するお婆さんに思わず声を荒げた。

「な、何ですかさっきから、何か」

そう言い掛けた時だった。

「あ、あんたその顔、もしかして遭難しとるんか……!?」

お婆さんが口を僅かに震わせながらそう言った。

すると突然、あらゆる光景が巻き戻される様に、Aの脳裏に先ほどの光景が浮かんだ。

お婆さんが背中に背負った籠の中身だ。

最初に見た時、かごの中身は野菜で一杯だった。

次に、立ち止まっていた俺の前を通り過ぎた時、お婆さんが背負っていた籠の中は、空っぽだった。

そして今、Aの目の前に居るお婆さんの背中には、籠自体が見当たらない。

Aは自分の顔を震える手で触る。

ざらつく感触。

伸びきった髭。

腕時計が視界に入る。

金具部分が錆付いていて、全ての針が停止していた。

ポケットから携帯を取り出すが、

出発前フル充電されていた携帯は、

既に電池切れしていた。

何が何だか分からない、混乱する頭に思考が追いつかない。

次の瞬間、

「うわぁぁぁぁぁっ!?」

Aは腹の底から叫び声を上げ、そのまま意識を失った。

どれくらいたっただろう、気がつくと、Aは病院のベッドに寝かされていた。

医者の話によると、Aは二週間も山を一人さ迷い歩いていたそうだ。

近くに住むお婆さんが、畑作業に出かける時、数日に渡ってAの姿を目撃したらしく、三回目にしてもしやと思い、Aに声を掛けたそうだ。

後から警察が来て、なぜ助けを呼ばなかったのか等、自殺を疑うような聴取を受けたが、終始Aは、

「分かりません……」

としか、答えるしかなかった。

ただ一つ思い当たる節があるとすれば、あの子供の事だけだ。

だが、これを話したところで、誰も信じてはくれないだろう。

あの子度がAの事を鬼っ子と呼んで走り去っていく時、Aは妙な違和感のせいでそれをずっと見落としていた。

あの子供がAの前で走り去っていく時、あのざんばらの髪の間、頭上に生えた角のようなもの。

あれは、何だったのだろうか……

あれ以来、山に登るのを辞めてしまったAには、知る術もない……

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