1560年6月12日未明。敦盛の謡
雲がかかり、星は見えなかった。
その夜は湿気が多く寝苦しい夜であったかもしれない。
運命となった歴史の境目、この日、信長が今川軍に敗北したならば、後世の時代は違ったものになったであろう。
徳川家康が天下を取ることもなく、江戸幕府200年余の歴史は消える。
だが当時の人々は、信長の勝利など誰も考えなかった。
ラクビーの日本代表が決勝戦に出ることが奇跡だと感じるように。いや、信長の勝利は、それ以上に不可能なことだったろう。
家臣でさえ勝利を疑い行く末に死を覚悟するか、あるいは、自らの家の存亡を模索していた。
敵軍軍勢30,000人に対して、清洲に残る織田軍わずか3,000人。
ほぼ10倍の兵力で勝てる相手ではない。
だからこそ、桶狭間の戦いは歴史に残り、当時の人々を驚嘆せしめた。
この勝利は偶然のラッキーが重なったからか、あるいは、勝つべくして勝ったのであろうか。
どんな勝負にも偶然やラッキーな運は存在する。しかし、そのラッキーを手中にするための戦略と努力なくして、運が存在しないのも事実である。
たとえば、ラクビー日本代表のように・・・、彼らの勝利は決して運ではない。選手すべてが一丸となって運を呼びよせたのだ。
昨日、今川軍が織田軍の包囲網を突破して、大高城への補給に成功したことで、織田の家臣は色めきだった。
籠城か、あるいは撃ってでるか、家中が分かれるなか、
信長は「屋敷で休め」と指示した。
これには、誰もが失望した。
「やはり、うつけには荷が重い」と。
信長の真意はどこにあったのだろうか。
彼は事実にしか信をおかない、ある意味、冷徹な判断を下す男であり、戦略や政治に情を持ち込まない。ただ、冷静な視線で事実のみを見ている。
今川軍が大軍で攻め、周囲の者の裏切りや寝返りなど日常である日々。
(さて、これをあなたは、想像することができるでしょうか?
自分が、4000人の兵と民を守るトップにあったとして、その誰をも信じることなどできないとしたら、その足もとが揺らぐような孤独を感じることができるでしょうか?)
信長は、その虚無心を敦盛の詩を歌うことで癒している。
『人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか』
(人の生はたった50年。
永遠の天にくらべれば、ほんの短い夢や幻のような時間、
一度生をえても、必ず滅びていく)
出 陣
早朝未明、まだ夜の暗さが残り、モズが鳴く・・・
織田勢の誰もが死を意識した日。
「殿!」
朝3時、障子の向こうから声が聞こえた。
「お屋形様」
「申せ」
「丸根と鷲巣に向かって敵軍が攻撃」
「空は」
「曇っております」
信長は寝床から飛び上がると、小姓を呼んだ。
「全軍に出撃準備! 熱田神宮に集合せよと知らせよ」
近くで寝ずの番をしていた小姓は、その命に身構えた。
いよいよきた、全身が総毛たつ思いである。
ひとりは伝令に走り、残りは信長の準備を手伝う。
立ったまま食事をすませ、信長は目を閉じた。
周囲には若い小姓たちが控えている。
カッと見開いた。
と、その場にいた小姓たちは平伏する。
信長が前に手を伸ばすと扇子をひらき、無表情のまま、彼が最も親しむ敦盛を歌い舞ったのである。
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか・・・
参るぞ!」
ここに信長の決意をみることができる。
勝つ覚悟。
できる準備はすべてした。あとは勝負に賭ける覚悟だけである。
信長は時間を支配する。彼の戦いは常にスピードを最大限に活用したものであった。時を支配することで、彼は優位を保つことを本能的に知っていた。
「馬引け!」
彼はそう低く命ずると、障子を乱暴に開けた。
「ものども出陣じゃ、続け!」
家臣のもとへ伝令が走った。
眠れない夜を過ごしたもの、酒をくらってやけくそで大いびきをかいていたもの、全員が驚いた。
柴田勝家は家人に怒鳴った!
「はよ、せんか! お屋形様の後塵を配してどうすりゃあす、準備じゃ、急げ」
早朝、午前3時過ぎ、どの重臣の家もにわかに明かりをつけ、馬に鞍をつける。
その中を、一人二人と闇に紛れて走るものがいた。今川側の間者(スパイ)たちだ。
(何事が起きている)
彼らも情報が見えない。
昨日は信長が軍略会議もせずに、世間話をして屋敷に戻ったという伝令を今川のもとへ走らせたばかりだ。
もっとも、家臣の誰も信長の真意を知らないのだから、まして、家来や、その中には今川に通じているものもいようが、誰も信長の真意はわからない。誰もが右往左往して準備をした。
午前4時前、
信長が屋敷を出た。
追いついてくる家臣は小姓の5名のみ。
「急げ! 急ぐのだ!」
信長は熱田神宮まで馬を走らせた。
途中、なんども馬で円を描いて、追いつく軍勢を待った。
信長の戦法は常にそうだ。
自分が最初に走り出す。部下たちは必死に彼に追いつこうと全力を出す。
途中の神社で、彼は戦勝祈願をしたという。
ここには信長が若い頃、美濃路を走りまわり、桶狭間の戦い前には戦勝祈願をしたという記録が残っている。
そのほか、日置神社など数カ所の神社で戦勝祈願して熱田まで駆けた。おそらく、軍が揃うのを待つ時間に祈願していたのだろう。
今川の間者たちは、さぞかし混乱したであろう。
5人が10人になり、100人になり、やがて1000人ほどになったとき、彼は熱田神宮に向けて疾走した。
信長の本拠地清洲城から熱田神宮までは現在の車道を使って、おおよそ15キロ。
午前8時ころに到着すると、さまざまな方面から、信長軍が集結した。
その数、およそ2000から3000人ほど。
熱田神宮を出発して、午後10時には鳴海城を囲む善照寺砦に入った。
鳴海城の東側に鷲巣砦、大高城があった。
「お屋形様」
今川が間者を放っているように、織田も多くの間者を放っている。
落ちた城からも伝令がくる。
「話せ」
「丸根砦、陥落!」
将軍たちの間からため息が漏れたが、誰もなにも言わない。
「佐久間盛重どの500名のものと城外にうってでて、討ち死」
すぐに次の伝令が到着する。
「鷲巣砦では籠城を試みましたが、陥落。飯尾貞宗どの、織田秀敏どの討ち死」
出陣を待つ重臣たちの顔は沈んだ。
信長の顔色には変化ない、ただ黙っている。
凍りつくような沈黙が支配していた。
「大高城周辺、今川軍が制圧」
届く伝令は悪いものばかりである。
午後10時。
知らせを聞いた信長は「よし!」と一言つぶやいた。
「出陣じゃ!」
信長は馬にまたがった。そして、馬上から大声で怒鳴った。
「遅れるな! 我らの勝利の日ぞ! 勝どきをあげよ!」
全員が気負い立つしかなかった。
馬上の信長は凛々しい。
鬼神のような迫力がある。
「よいか! 殺されるようなやつはワシが殺す! この戦、勝機ができた」
大音声で喝を入れると、すぐさま、馬の首を回して、彼は東南方向へ向けた。
その先には中島砦があった。
―――――つづく
*内容には事実を元にしたフィクションが含まれています。
*登場人物の年齢については不詳なことが多く、一般的に流通している年齢を書いています。
*歴史的内容については、一応、持っている資料などで確認していますが、間違っていましたらごめんなさい。
参考資料:#『信長公記』太田牛一著#『日本史』ルイス・フロイス著#『惟任退治記』大村由己著#『軍事の日本史』本郷和人著#『黄金の日本史』加藤廣著#『日本史のツボ』本郷和人著#『歴史の見かた』和歌森太郎著#『村上海賊の娘』和田竜著#『信長』坂口安吾著#『日本の歴史』杉山博著ほか多数。