「SN比(シグナルとノイズの比率)が理解できていない」ということだった。
SN比というのは、工学部なんかで良く使われることばで。
パチンコのような物凄い雑音がある中では、何か言われても聞こえにくいけど、
静かな図書館で話しかけられれば一発で分かるよね?っていうこと。
ノイズというのは、片づけられていない床に散らばったペットボトルや洋服のことで。
シグナルってのは、「片づけなきゃいけないもの」のこと。
ADHDは、シグナルには気づくんだろうけど、ノイズがたまりまくる。シグナルを感じられるレベルまで、ノイズを減らすことを意識するとよさげ。
youtubeを見ていたら、youtubeが小さく見えた。
当然ながら、パソコンの画面の中だけが動いており、周りの部屋は動いていない。
意識としては、片づけなければならないペットボトルに気がとられるため、youtubeに集中できない。
ここでフト気づいた。
「youtbeは、画面という中で動いているから信号を受け取れるが、部屋は動かないから脳みそに響かないんだ」
と。
そして、響かない理由は、部屋が動いていないというより、
「十分に乱雑な部屋になったから、シグナルが入っていても、ノイズに消されてしまって気づかない」ことに気付いた
では、と考えて、
「ノイズを減らしてシグナルを受け取れるように、ゴミを捨てよう」と考えに至った。
ペットボトルや、洋服をゴミ箱や洗濯に入れた。
すると、ノイズが減って、「床掃除をしなきゃ」となった。
床を掃除した。
愕然とした。
「ノイズが無い空間 = 整理されてキチンとしている空間」という、『感覚』が襲ってきた。
他人の部屋を見て、キレイだなーとか、きちんとしてるなーとか思っていたが、その理由が分からなかった。センスの問題だと思っていた。
違った。
「シグナルが十分受け取れるくらい。ノイズが小さい」ということだった。
そこに気付けたからこそ、「シグナル」に気付けたのだ。
ノイズをノイズだと気づくくらい、周りのノイズが小さい状況にすれば、自然と「シグナル」が受け取れる。
そのシグナルを受け取れるくらいの自然なノイズとシグナルの比率は人によっては違うが。
自分にとっては、「掃除をしたくなるほどのノイズの低減」が理解できた。
ノイズを減らしてシグナルを得ようとする感覚なら、片づけや掃除ができるんではないかと自信が出た。
「片づけろ、整理しろ、掃除しろ」といのは、センスが無いため、理解できなかったが。
「SN比を掃除が候補になるほど低減させろ」というのは、明確な指標があるし、ノイズとシグナルを分けることができるような理系っぽい思考だから、アッサリ理解できた。