和田誠さんが亡くなった。
どう言ってよいのやら、適切な言葉が見つからない。
この20年ほどは、メディアを通じて配信される記事や報道の中で、お名前を見かける機会がなくなっていた。それゆえ、私自身、和田誠さんのことを思い出さなくなって久しい。私は、忘れてはいけない人の名前とその作品を、本当に長い間、思い出すことさえせずに暮らしていた。何ということだろう。
訃報に触れて、あれこれ考えるに、自分がいかにこの人の作品から多大な影響と恩恵を受けていたのかを、あらためて思い知らされている。今回は、そのことを書く。
テレビや新聞の回顧報道を眺めながら、その回顧のされ方に時間の残酷さを感じることは、誰の訃報に触れる場合でも、毎度必ず起こる反応ではあるのだが、今回の和田誠さんの業績のまとめられ方には、ことのほか大きな違和感を覚えている。
何より、扱いが小さすぎる。
誰の訃報と比べてどんな風に小さいという話ではない。
和田誠という人が残した仕事の量と質と範囲の広さと、それらの作品を生み出した才能の非凡さに比べて、その死の扱われ方が、あまりにも軽く感じられるということだ。
私が和田誠という名前を初めて知ったのは、たぶん1977年のことだ。
「たぶん」という言い方をしているのは、訃報を知ってから検索やら何やらでかき集めた情報と、アタマの中に記憶として残っている知識の間に、かなり深刻な食い違いがあることが判明して、我がことながら、自分の記憶が信じられなくなっているからだ。
コメント29件
sun_toko
これを読んで初めて、和田誠さんの偉大さを知りました。
教えてくださって、ありがとうございます。
bluck703
隠居
私は和田さんのことは存じ上げていませんでしたが、みなさんが絵の話をしていたのを読んでピンときました。
正直、それでも私には和田さんの残した功績がどれほどの物かはわかりません。
しかしながら、私は小田嶋先生のコラムにとても影響を受けています。
...続きを読む日経ビジネスオンラインを知ってよかったと思えるのは、小田嶋先生と鈴置先生の存在を知ることができたからです。
今回の小田嶋先生のコラムは、普段から不機嫌なお父さんの涙を見てしまったとき安心感、そんな感情を抱くものでした。
ゆいたんパパ
兼業主夫
人の恩というのは忘れ去られやすいというのが世の定めなのでしょうね。。。一方で、私のように和田氏を知らない世代に対しても、オダジマさんの創作を通じて彼の偉業は伝えられているのですから、知らず知らずのうちに恩返しているともいえるのではないでしょ
うか。...続きを読む小田嶋さんのファンです
小田嶋さんは、和田誠さんの「お楽しみはこれからだ」はお読みになりましたか?もし読んでいらっしゃるとすると、初版が1975年6月30日です。
小田嶋さんの高校を卒業された年ではないかと思いますが、確か、小田嶋さんは一浪されてますよね?(怪しい
ものではございません。人生の諸問題などから得た情報です。)...続きを読むそれで倫敦巴里ではなくて、「お楽しみ・・・」のほうを高校時代に読んだと錯覚された…、なんてことはないでしょうか。
あと、息子さんである和田唱さんはご存知ですか?女優の上野樹里さんと結婚した・・・といってもあまりピンと来ないでしょうか。
唱さんは、和田誠さんの若いころにとてもよく似てると思います。
最近、テレビで唱さんが出ていて、少しやつれた感じで、それからまもなくの和田誠さんの訃報に、もしかして看病疲れが唱さんのお顔に出ていたのかな、と思いました。
あと、毎日新聞の書評欄「今週の本棚」の題字が和田さんで、(ある時期までは「この3冊」というコーナーのイラストもずっと和田さんだけでした)、この前の日曜も何も変わらずに、紙面に、「題字・レイアウト 和田誠」の文字がありしんみりしてしまいました。
倫敦巴里は私の本棚にもあります。
またページをめくってみようと思いました。
tegu香
和田さんの画風に洗練された軽妙な知性を感じ、好きでした。
文中の文章模写云々ですが初出は『話の特集』ではなかったでしょうか?あの雑誌で読んで笑った記憶があります。とすれば、小田嶋さんの記憶はオーケーですね多分。私の記憶も境がなく、自信無しで
すが・・・・・...続きを読むコメント機能はリゾーム登録いただいた日経ビジネス電子版会員の方のみお使いいただけます詳細
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