鳥肌

きのうのコメント欄にも書きましたが、これから学会の会合に参加することを想像した時に、まわりが一人残らず洗脳されたカルトの集団だと思うと気持ち悪いですね。耐えられるかどうか。全員で声を合わせて勤行したり、学会歌を歌ったり、なにより「先生のために」というフレーズを聞くと鳥肌が立つような気がします。今思えば北朝鮮の国営放送と酷似してますね。
北朝鮮で脱北しようとした3名が射殺されたというニュースが流れました。最高指導者が息子に変わって、脱北に関して厳しい制裁を加える指示が出されたのだそうです。脱北者は有無を言わさず射殺。そんなことがまかり通る国があること自体不思議ですが、学会がやっていることもそれとさほど変わらないですね。
学会は最高指導者を失ったことをどの時点で明らかにするのでしょう。いつまで「先生からのメッセージ」を続けるのでしょう。これからもずっと「先生のために」という洗脳を繰り返すのでしょうか。イケダセンセイの健康状態を語ることをいつまでタブーとしておけるのでしょう。タブーを破ると地獄に堕ちると洗脳されているのでしょうか。う〜ん、会合に参加してそのあたりを探ってみるのもいいかもしれませんね。鳥肌立つだろうなあ。

もうすぐ一ヶ月

もうすぐこのブログをはじめて1ヶ月になろうとしています。アクセス数もすでに30,000を越え、毎日多くの方に見ていただいているようです。私のプライベートなブログは、もう5年ほどつづけていますが、一日のアクセスがせいぜい300程度なので、このブログが立ち上げから毎日1,000を越えるアクセスであるというのは、それだけ学会問題の根深さを表わしていると思います。アクセス数が増えるのは嬉しいです。その反面、なんでまたこんなんことになったんだろうと、肩を落としたりの繰り返しの毎日。世界経済を牛耳る巨悪に比べれば、池田創価などチンケな薄っぺらい問題かもしれませんが、それでも創価学会の崩壊は日本の歴史を大きく左右することになると思います。それだけ多くの人を不幸に陥れてきた。まだこの先にも不幸であり続ける人がいるのかと思うと、ますます肩を落とさざるをえません。

ちょっとだけこれまでいただいたコメントを読み返してみました。あらためて問題の根深さを感じます。そしてコメントされる方の切実な訴えと、冷静な分析、深い思索には頭が下がります。このブログを立ち上げてよかったなとあらためて感じます。
ひとつ思ったのは、せっかくのみなさんの対話が、かなり中途半端に途切れてしまうというブログの性格上やむをえない欠点を感じました。ひとつの問題点に対して、ある程度の対話が展開されても、日にちが経つとその記事が後ろの方にいってしまって、なんとなく中途半端に見過ごされてしまうということです。ブログですからこれは仕方のないことかもしれません。なにかいい方法がないかなと考え中です。
それからせっかくいただいたコメントが表示されないと言う問題は今もあります。メールボックスに届いたものは気づき次第アップしてますが、それもなんとも申し訳ないし、私もいらない気と時間をつかってしまっています。そこで別のブログへの移行を試しているのですが、なかなかうまくいきません。私自身がこういったことが苦手なもので、ほんとは何でもない簡単なことなのかもしれませんが、もうしばらく我慢してください。
とりあえずしばらくはこの状態で、思いつくままを書きながら対応策を考えていきたいと思っています。…なにか国会答弁みたいに、いいわけがましくなってしまったことにお詫び申し上げます(笑)。
もう少し、気軽にいきたいと思います。多少のいい加減さ、ゆるさをお許しください。

創価学会本部職員のみなさまへ

創価学会本部職員のみなさまへ
私は創価学会員です。両親が草創期の幹部であったこともあり、生まれたときから創価学会の正義を信じてこれまで活動もしてきました。しかし53年の月日を経た今になって、ようやくその間違いに気づいたものです。おそらく創価学会本部職員のみなさまの多くも、私と同じように創価学会の正義を信じて、広布の役に立っている自分の仕事に誇りを持ってこられたと思います。また一部にはすでに学会の矛盾に気づきはしたけれども、いまさら自分の人生を否定し、家族を路頭に迷わせることに不安を感じながら、毎日を過ごしている職員の方もいらっしゃると思います。おそらく上の役職に就けば就くほど、そのジレンマは大きなものだと察します。
聖教新聞を見ても、そこにあるのは池田氏の今の姿を見せることができない学会本部の悪あがきとしか見えません。洗脳され続けてきた末端会員であっても、私がそうであるように、もはや目先のごまかしは通用しません。あなたがたの言う平和や正義がいったい社会に対してどれだけのものなのか、あなたがた自身に問いかけたいものです。会員に対する洗脳と企業や政治団体との金銭的利害だけで人の心を幸せにできるのですか…と。そうしたことで自分の人生を費やすことに疑問を感じないのですか?自分の一生を人々を騙し続けることで終わらせていいのですか…と。あなたは自分の子供や孫に対して自分の人生を胸をはって語ることができますか…と。
私は学会本部職員の上層部に至っては特に、末端会員とちがって学会の正義を信じていないと思います。学会が崩壊すれば自分の行き場がなくなるから、そして自分のこれまでの人生を否定しなくてはならなくなるから、それが怖くて何が何でも必死にとりつくろうとしているようです。学会本部職員のみなさん、あなたがたに少しでも自分や自分の家族を本当に守りたいと思う気持ちが残っているのであれば、自ら学会の真実を社会に示していただきたいと思います。自分も含めた多くの人を救うことになるのだと気づいていただきたいと思います。
創価学会は日本における戦後最大の病理現象です。それは池田大作という一人のとてつもないコンプレックスから始まりました。それは大陸、半島、日本を含めた歴史がつくりだしてきた複雑な国際関係の歪みであったのかもしれません。ここでは多くは語れませんが、私はそう解釈しています。学会の問題は、単に組織それだけでは見えてきません。極めて政治的な側面もあり、これまでの日本の政治政党の成り立ちと複雑に絡み合っています。彼と同じように出処不明の人物が日本の政治経済を操作しているという現実。これは日本という国だけの問題ではありません。学会本部職員の中でも、そうしたことをどこまで知って働いているのかはわかりませんが、あなたがたが確実に日本の巨悪に加担していることは間違いないのです。いまでこそ学会の権力や資金源にすり寄ってくる有象無象はいるかもしれませんが、ひとたび学会の真実が世に出れば、誰もあなたがたを弁護するものはいません。たとえ自分たちは何も知らない被害者だったとしても、それでは済まされないのです。すべてをあなたがたの責任に仕立て上げ話を終わらせてしまう。それが巨悪のやり方です。使い物にならなくなれば、すべての責任を負わせて葬られる。つまりあなた方も最終的には使い捨てにされるのです。今一度、そうした見方であなたの周りを見回してみてください。あなたが抱いていた様々な疑問が綺麗さっぱり見えてくるはずです。そのあまりにも反社会的な巨大組織の側面が見えてくるはずです。見えなければ仕方ありません。そのまま巨悪の捨て駒として使われ続けてください。これはあなたがた一人ひとりにとっての人生の問題です。そして家族の問題であり、日本という国の問題でもあります。

新年勤行会

功徳というクモの糸に群がる亡者の群れ。十把一絡げにこう言いきってしまうのには無理があると思うのだけど、少なくとも昔の貧乏人と病人の集まりと言われた創価学会は、そうした藁をもすがる人たちにクモの糸を垂らして会員を増やしていたように思います。涙ながらに語られる神憑った奇跡の体験談に多くの会員が陶酔し、この信仰によって自分にも夢のような幸福がつかめると信じていった。戦後の荒れ果て疲弊しきった日本の心にそうしたクモの糸を垂らされた状況を考えれば、そこに群がった人を責めることはできません。

では今の創価学会はどうでしょう。集団での唱題や学会歌の合唱。功徳功徳と涙ながらに力説する体験発表。特攻隊の出陣式のように名誉会長に命を捧げると叫ぶ各部長の挨拶。名誉会長のものと信じきって聞くありがたいメッセージ。そして余裕の語り口でユーモアと崇高さを演出しながら「何も考えず、何も疑わず、師匠である池田先生のために自分の人生のすべてを使い切ることが、地湧の菩薩としてこの世に生まれてきたあなたがた一人ひとりの使命なのです」と幹部指導。学会のいつもとかわらない会合のパターンは、そのどれもが集団での変性意識下における見事な洗脳儀式です。こんな状況下ではその気になれば集団でUFOだって見てしまう。今の世の中に公然とこうした儀式が行われていることに疑問を感じないことのほうが不思議です。しかしこれが洗脳集団であることの証左であり、根拠であります。この信仰だけにしがみつかせるための末法思想は、カルトおきまりの恐怖を植え付ける終末論といえるでしょう。いま現在、全国各地の中心会館で行われている新年勤行会も、末端会員の洗脳を強化するための大切な一年のスタートの行事です。
しかしそこにはメッセージの代読こそあれ、カリスマ池田大作の声も姿もない。あまりにカリスマに依存した組織指導体制は、カリスマ不在という不測の自体(本来なら不測ではないのだが)に、どうにも対処できないでいるのではないでしょうか。これまでのような功徳と罰のダブルバインドによってがんじがらめにされた末端会員の意識も、ここにきていよいよ真実から隠し果せない状況になっているように思えます。とにかく実態のわからない創価学会組織上層部。そのわからなさに疑問を抱くことさえできれば、脱洗脳への道は拓けるのではないかと思います。
聖教新聞を開くと、そこにはもはや現在進行形の学会の姿はありません。昔の池田名誉会長の著名人との会談の記録ばかりで、来る日も来る日もよくもまあこんな昔話を大仰に取り上げるものだと感心します。それだけ伝えるだけの現在の創価学会がないからなのでしょう。そして新しい会館の建設ラッシュ。これも気になります。学会はどんだけお金をもっているのかと感心します。それもそのほとんどが会員から搾取した財務と聖教新聞等のお金なのに、会員は「私たちのために先生が建ててくださった」と本気で思っている。
功徳というクモの糸に群がる亡者の群れ…新年勤行会に集う創価学会員のみなさんの姿を、このように形容するのは心苦しいのですが、今となってはやはりどうしてもそのようにしか見えません。もちろん多くの学会員さんたちは、信仰者として輝かしい新年のスタートを切るために集っていることはよくわかります。私もついこのあいだまではその一人でしたから。しかしその気持ちがわかるからこそ、はやく真実に気づいてほしい。金と権力のために搾取され続けている自分たちの姿に気づいてほしい。そう願うだけです。

2012年元旦

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

昨年は私にとってほんとうに激動の年でした。これからいよいよ脱創価へ向けて行動を起こさなければなりません。しかし前途はそうそう開けているわけではなさそうです。

今年は新年勤行会に参加するつもりでしたが、結局行かないことにしました。MCから抜け出た目で、あらためて学会の姿を見てみようと思っていましたが、今さら会館の仏壇の前で勤行をする気にはなれませんでした。今の私にとって、創価学会は完全に「異物」であり「遺物」となりました。これまでの53年間の私の人生の中での創価学会は、「まちがいでした」と心身ともに認めることができたように思います。これから、聖教新聞等の機関誌購読を中止し、脱会の手続きをとるための作業をしていくつもりです。ただ残念なことに、それが単に事務的な手続きで済むとは思っていません。おそらく面倒なことが待っているでしょう。はじめは組織から引き止めがあるでしょう。新聞を断ったら、それだけで「どうしたんですか」と様子伺いに来るでしょうし、はっきり理由を言うものなら、私の親兄弟に連絡が行くでしょう。たぶん私が親兄弟には伝えないでほしいと言っても無駄でしょう。そこで兄夫婦との一悶着が予想されます。組織の人とはどんなに討論になったとしても、毅然として自分の意思をつらぬく自信はありますが、兄夫婦はもしかしたら兄弟の縁を切るとまで言い出す可能性もないではないのです。また今では認知症が見られる母親は悲しむだけで、説明のしようがありません。どんなに話をしたとしても、翌日にはすっかり忘れて「息子が退転する」という衝撃と悲しみを毎日経験させてしまうと思うと、なかなか切り出せません。

きのう、つまり大晦日の日、私が仕事に出かけようとした時に、妻が言いました。
妻「このごろ勤行しないよね」
私「うん」
妻「鏡餅だって買っておいたのに、ぜんぜん飾る気配もないし、いったいどうしたの?」
私「じつはね、気づいたんだよ」
妻「何に?」
私「学会のまちがいに」
妻「え〜〜〜!」
私「今ね、自分の中でたいへんなことになってる。間違いだったんだ。それに今になって気づいたんだよ。僕は生まれたときから創価学会員として育てられた。何も疑う余地なんてない環境で育てられた。両親も真面目に学会活動をする自分をとても喜んでくれたし、僕はそれに応えたいと思ってきた。大人になっても学会を疑っちゃダメなんだと自分に言い聞かせてきた。他の哲学や宗教や芸術を学んでいく中で、学会の矛盾は感じてはいたけど、でも最終的に学会に間違いはないと言い聞かせてきた。だから少々変なことがあっても、それは自分の考えが変なんだと思い込ませてきたんだ。今思えば思考停止してた。でも、この歳になってもうどうしようもないと思った瞬間に全てが見えてきたんだよ。信じられないかもしれないけど、この巨大な宗教団体は、宗教団体でさえない汚い営利集団だということが、きれいに見えた。そしてこれまで何十年も抱いてきた矛盾が見事に解明できた。だから僕は創価学会を脱会する。」
妻「私は学会にも変な人がいるとは持ってたけど、それはごく一部の特別な人で、もともとはちゃんとした宗教だと思ってた。だから自分は積極的に活動はしなかったけど、そこまでとは思わないけど。」
私「うん、そうだろうね。僕はネットに出回っている学会バッシングの情報もこれまでは相手にしなかった。多くの学会員が教えられているように、ネットの情報はデマばかりだという指導を真に受けてたんだ。それにネットのそれらしいサイトをたまに覗いても、相変わらず互いに口汚く罵りあうネット上のやりとりばかりで反吐が出そうだった。だけど、学会のおかしさに気づいてから見たアンチ学会の人の言ってることは、きちんとしているんだよ。何もおかしなことを言ってるわけじゃない。そして学会員であることで大変な被害を受けてきたし、今も取り返しのつかない被害を受けている人が大勢いることがわかったんだ。僕がバカだったよ。大変な人生を送ってきてしまったと思ってる。僕はそのことに気づきはじめたとき、とある学会員のサイトにコメントを送ったんだ。そこは真面目すぎるほどまじめな末端会員のブログで、100%学会組織の言いなりになっていることがよくわかるブログだった。それで、ちょっと学会に批判的な発言があっても、ものすごい勢いでバッシングする。そこには理屈も何もなく、ただただ感情的に「哀れだ」とか「最低」だとか言うだけで、何ひとつ対話をしようとしない。最後は一方的に僕のことを学会を貶めるのが目的のナリスマシだと決めつけてアクセス禁止にする始末。これが宗教を信じる人間のやることだと思えるかい?それで僕はそうとうあきれかえったんだけど、僕はまだ創価学会員だし、ナリスマシでもなければ学会を印象悪くしたいと思っているわけでもない。むしろあんなサイトがあることのほうが、よっぽど学会のイメージを悪くすると思った。それに途中で話を打ち切られて我慢ができなかったので、そのサイトに腰巾着のようについて回っている別の会員の挙動不審なサイトにコメントをしたんだ。挙動不審というのは、ちょっとした他人の言葉にすぐに動揺して考えを簡単に変えてしまうような、そして満足に日本語も書けないような会員のサイトだった。『あなたが仲良くしているサイトの管理人に、私がナリスマシではなく創価学会の同志として忠告しているだけだということを伝えてください』ってね。そしたら、わけのわからない言葉で話にも何もならなかった。そのうちなぜかそのサイトは突然消滅してたんだよ。まったくわけがわからなかったよ。そこであらためて思ったんだ。創価学会はこうした何も知らない末端会員を都合のいいように洗脳させて、新聞の営業をさせたり、選挙で無理矢理投票をさせたり、人を呼びつけておいて大勢で囲んで契約させるような悪徳霊感商法と同じ手口で会員を増やしてきた。疑問を感じて脱会しようとする会員に対しては「地獄に堕ちる」と脅して精神をボロボロにさせてきた。そんなことがやっとのことで見えてきた。」
昨日の大晦日、妻とそんな話をしました。私はまだ妻に何も話していませんでした。特に学会のことをある程度知っている親しい友人に話をしただけで、特に身内に関して話を持ち出すのは、そうとう下準備やシュミレーションをしてからではないと取り返しのつかないことになると思っていたからです。しかし毎日いっしょに生活している妻には隠しようもないわけで、妻もなんとなくおかしいなとは思っているみたいでした。
これから、私がどうやって脱会に向けて行動して行くのかの一部始終をここでお知らせして行きたいと思います。学会に疑問を持ちかけているみなさん。少しでもここでの話が参考になればと思います。そしてこんな現役学会員のサイトがあることをまわりの人に教えてあげてください。また、少しでもいいですので、ここに感想をお寄せいただけると嬉しいです。よろしくお願いします。