◆2019 プロ野球ドラフト会議 supported by リポピタンD(17日・グランドプリンスホテル新高輪)
タイガースの帽子をかぶり、胴上げされる西の横で、創志学園・長沢宏行監督(66)は感慨深げな表情を浮かべていた。「ほんまに(帽子が)似合いますね。(西のことは)最初、あんまり覚えてないんです。でも1年の後半ぐらいから出てきた。お父さんがお亡くなりになったんで、その時から変わりましたね」と2年前の出来事を振り返った。
2017年10月7日だった。秋季岡山大会のおかやま山陽との3位決定戦。創志学園は6回表まで4点をリードしていたが、終盤に7点を返され、逆転された。西も6回途中から3番手でマウンドに上がっている。
「僕が投げて、負けてしまった試合でした。その帰り道に(観戦に来ていた)父が倒れたと聞いています」。父・雅和さんが脳幹出血で集中治療室に入ったと聞いた時は頭が真っ白になった。
思わぬ悲報に創志学園ナインは病室に駆けつけた。一人一人が雅和さんの胸に手を当て、回復を願った。隣では中学1年生だった西の弟・凌矢くんも泣いていた。だが、4日後の10月11日。周囲の祈りもむなしく、父は45歳の若さで息を引き取った。
「本当にかわいそうでした。急死でしたから。でも、練習にも来ましたね。そういう強さを持った子なんです」(長沢監督)
通夜、葬儀などが終わると、西は間もなく、グラウンドに帰ってきた。その後は目つきも変わり、練習に打ち込むようになった。「自分自身が変わったことは一切なくて、周りの方に成長させてもらった。一つ年上の3年生に助けてもらって、練習も付き合ってもらって、成長させてもらいました」と本人は振り返るが、つらく悲しい別れを乗り越える強さがあった。
昨夏の甲子園、創成館(長崎)との1回戦。西は4安打無死四球で16三振の完封勝利を演じてみせた。帽子を飛ばし、派手にガッツポーズする姿は批判を浴び、高野連から注意も受けた。だが、長沢監督は必死にかばった。
「甲子園に出た姿を父親に見せたかったというのは子供として持っていたんです。上を向いて(天国の)親父に対してやっていたんです。説明するのが大変やったんですけどね」
西はU―18の韓国遠征後、広島・廿日市市内に眠る父の墓参りに訪れた。「侍ジャパンのこと、ドラフトが近づいている報告をしました。お母さんにはこの2年間、つらい思いをさせてきたので、今日家に帰ったら、ありがとうと言いたい」。家族の絆が最速154キロ右腕の原動力となってきた。天から見つめる父の思いも背負い、西がまた熱い聖地・甲子園に帰ってくる。(表 洋介)
◇西 純矢(にし・じゅんや)2001年9月13日、広島市生まれ。18歳。鈴が峰小2年時に「鈴が峰レッズ」で野球を始め、阿品台中では「ヤングひろしま」に所属。3年時に「NOMO JAPAN」に選出。創志学園では1年春からベンチ入り。好きな選手と球団はドジャースの前田健太、広島。球種はスライダー、カーブ、スプリット、チェンジアップ。184センチ、85キロ。右投右打。