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【暮らし】

<障害者のきょうだいたち 広がる支え合いの場> (中)母とすれ違う思い

「いろんな人に助けてもらってここまで来られた」と話す戸谷知弘さん(左)と母洋子さん=名古屋市緑区で

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 障害者の兄弟姉妹の交流会「きょうだい会@Nagoya」を、四月に名古屋市で始めた戸谷知弘(かずひろ)さん(34)。母洋子さん(69)は十六年前、知弘さんが通っていた北海道の全寮制高校で聞いた、担任の言葉が忘れられない。

 「知弘さん、苦労してますね」。その時は、どういう意味なのか分からなかった。「一番大変なのは私、と思い込んでいたから」と洋子さんは言う。

 夫が早くに亡くなったため、一人で子どもを育ててきた。知弘さんの七つ上には、重度の知的障害と自閉症の匡志さん(41)がいる。目を離すと、金属などの異物をのみ込んだり、興味を持った物に突進したりと行動が予想できない。公的な支援が今ほどはない当時、家庭は当然、匡志さんが中心だ。暴れることもあるため、そのたびに力ずくで止める洋子さんの両腕はあざで黒ずんでいた。

 知弘さんは振り返る。小学生のころ、兄に教科書をびりびりに破られた。母は器用に貼り合わせてくれたが、理由を聞かれたくなくて、学校では「なくした」とうそをついた。中学入学後は兄についてばかにされることが多くなり、学校に通えないように。「一番苦労しているのは母だし、兄が悪いわけでもない」。分かってはいるのに、寂しくて、苦しい。誰にも相談できず、一人で抱え込んだ。

 知弘さんについて、洋子さんは「自由に生きてほしい」と願っていた。知弘さんが不登校になる少し前、匡志さんを施設に入れたのはそのためだ。「子どもを捨てるのか」などとも言われたが、自分が年を取った時のことを考えた。同じ時期、経済的に自立できるよう、社会福祉法人の職員として働き始めた。「全て匡志と知弘のためだった」

 ただ、周囲から「お兄さんとお母さんを支えて」と言われ続けて育った知弘さんは、心が不安定になった。自分を思いやってくれた決断なのに。一方、洋子さんは、匡志さんの存在が不登校に関係しているとは想像もしなかった。「小さい時から駄々をこねたことなんて一度もない。うまく育ってくれたと思っていた」

 親は障害児を持った瞬間から、じっくり向き合い方を学んでいく。でも「きょうだいは違う」と知弘さんは言う。「兄弟姉妹の障害を勉強する間もなく、『障害者のいる家庭』に組み込まれる」

 時間はかかったが、今なら正直に言える。「障害のある兄弟姉妹を、みんなが受け入れられるわけではない。そういう気持ちを否定してほしくない」。洋子さんは「匡志も、普通のお兄ちゃんのイメージからはかけ離れているもんね。当たり前」としみじみ答える。

 きょうだい会は「安心して家族についての弱音を吐ける場所」だ。「気持ちに余裕が生まれれば『この人ときょうだいで良かった』と思えることもあるはず。そうなれば、悲観するだけの人生から抜け出せる」

 知弘さんは一七年に社会福祉士の資格を取り、同市西区にある障害者の通所施設で働く。心掛けるのは、障害者本人だけでなく、家族側の立場でも考えること。そこには、障害者のきょうだいとして育った経験がある。

 「兄貴」と呼ぶ匡志さんとは、つかず離れずだ。正月やお盆などに施設から帰ってくると、二人でドライブや散歩に出掛ける。匡志さんは話すのが難しく会話にはならないが、どうやら「身内」であることは分かっているようだ。「弟と認識しているかは分からないけれど」 (出口有紀)

 

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