なぜ、歌い継がれているのか? ZARD・坂井泉水の直筆メモにみる歌詞への想い

  • 歌詞への“言葉選び”にこだわり。自筆の歌詞には書き直した跡が
  • 岩井俊二監督「実際は“天然ちゃん”で愉快な子」
  • 「代わってやりたかった」盟友・大黒摩季が明かす坂井泉水の存在 

シングル45作品、オリジナルアルバム11作品、残した曲はおよそ150曲。CDの総売り上げは3764万枚を記録した、伝説のバンド「ZARD」の坂井泉水さん。

突然の死から12年、彼女が書いた500枚ものメモの存在が明らかになった。

10月17日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、そのメモに綴られた彼女の思いや、ZARDのバックコーラスを務めていた盟友・大黒摩季さんが今まで語ることのなかった坂井さんの素顔を明かした。

実は“天然ちゃん”で愉快な子

坂井さんがZARDのボーカリストとしてデビューは、なんとも意外なきっかけだった。

坂井さんはアニメ「ちびまる子ちゃん」の主題歌で知られるB.B.クィーンズのコーラスのオーディションにやってきていたのだ。

デビューから多くの作品でZARDのレコーディング・ディレクターを務めた寺尾広さんは当時の印象を「あまりしゃべらない、おとなしい感じの方でした。歌えるかな?と思ったんです」と語るが、「スタジオに入って歌ってもらったら、すごくよく通る声で男性のロックボーカリストと変わらない響きがあった」と話した。

このオーディションでは受からなかったが、その声が注目され、ソロデビューのチャンスを手に入れた坂井さんは、1991年に『Good-bye My Loneliness』でデビューを果たす。

そしてこの曲のバックコーラスとして参加したのが、坂井さんの2歳年下で、当時は全くの無名だった大黒摩季さん。「私は年下だし、バックコーラスの一番ペーペーだったんですけど、そんな私にも挨拶に来てくれました。すっごく丁寧で、品があって、キラキラしてたのを覚えています」と振り返った。

さらに、このデビュー曲のミュージックビデオを撮影したのが、後に映画『Love Letter』(1995年)や『スワロウテイル』(1996年)などを大ヒットさせた映画監督の岩井俊二さんだ。

坂井さんについて岩井さんは「初めてお会いした時はクールな感じで、ルックスがきれいだからそういうふうにしか見えないんですけど、実際は“天然ちゃん”で愉快な子でした」と明かした。「すごく好奇心旺盛な子で、撮影中も『これ何ですか?』って聞いてきた。撮影時に使っていたカポックという発泡スチロールの板にも『あれは何だ?』って。『“カポック”と言って照明に使うんだよ』って教えたんだけど、次の撮影の時に『監督、うそつきましたね』とか言ってきて。魚屋さんで発泡スチロールの箱を見つけて、『これ、カポックだよね?』と質問したら『発泡スチロールだ』と答えられたと言ってきた。『発泡スチロールでできた照明道具をカポックって言うんだよ』って説明してもなかなか信用してもらえなかった」と、坂井さんの天然ぶりが分かるエピソードを語ってくれた。

歌い継がれるワケは「絶妙な言葉選び」

1993年にはZARDが大ブレイクする『負けないで』が発売され、164.5万枚の売り上げを記録し、自身初のオリコン1位を獲得。

この曲が脚光を浴びたきっかけは、ドラマ『白鳥麗子でございます!』の主題歌に採用されたこと。

今でもZARDの名曲が歌い継がれているのは、坂井さんの絶妙な言葉選びにあると指摘する人も多い。彼女がレコーディングで使った自筆の歌詞には「最後まであきらめないで」を「最後まで走り抜けて」に変更するなど、一言一言にこだわって歌詞を直した跡が見受けられる。

歌詞に対して強い思いを抱いていた坂井さんは、生涯リリースしたほとんどの楽曲を作詞。その裏で、坂井さんは意外な努力をしていたことを寺尾さんは明かした。

「“みんなに支持されているものは知っておいた方がいい”ということで、松任谷由実さんと中島みゆきさんの歌詞を全部覚えていました。ユーミンの歌詞は“自分で決めて次の人生を探していく”、中島さんは“男性に委ねる”イメージがあって、(坂井さんの歌詞は)最終的にユーミンと中島さんの間の絶妙なポジションになりました」

そして、そのひたむきな努力があの名曲『揺れる想い』(1993年)を生み出した。発売から26年経った今も歌い継がれCM曲に使われるほどの名曲だ。

大黒さんはこの名曲について「『揺れる想い』という歌詞を乗せるまでに、彼女はメロディーを何百回も聞いているんです。私は『それくらい言葉を選びなさい』と怒られたことあります」と、坂井さんの歌詞に対するこだわりが垣間見えるエピソードを語った。

10枚目のシングル『きっと忘れない』(1993年)もオリコン1位を獲得し、この1993年の一年間だけで合計801.5万枚を売り上げるなど、トップアーティストの仲間入りを果たした。

不運が襲ってもその心情を歌詞に

その一方で、坂井さんはコンサートや歌番組に出演することがなかったため、「本当は存在しないのでは?」と都市伝説が流れるほど、ミステリアスな存在に。

しかし、デビューから最後までZARDのレコーディング・エンジニアを務めた島田勝弘さんは、坂井さんの素顔を「結構話し好きなので、スタジオに来るとずっと話していました。そっちに夢中になって、歌入れ前に疲れちゃうことがよくありましたね」と話した。

デビューからジャケット写真などデザイン全般を担当したアートディレクターの鈴木謙一さんも「写真のイメージとは違い、気さくに、積極的に話をする方。盛り上げようとか、その場の空気を和ませようという人です」と振り返る。

快進撃を続けるZARDは、アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマにも起用された『マイ フレンド』(1996年)で3回目のミリオンセラーを記録する。

こうしてミリオンセラーを連発し、国民的トップアーティストとなった坂井さんだが、ブレイクしたがゆえの不運を彼女が襲う。それは、坂井さんがデビュー前にレースクイーンをしていた過去について暴かれたり、事実ではない中傷記事が雑誌に書かれるなどしたのだ。

しかし、彼女はその時の心情ですら歌へと変えてしまう。自分の過去を隠すのではなく、肯定する気持ちで書いた曲が『Forever you』(1995年)。

この曲の裏に隠された坂井さんの思いを寺尾さんはこう語る。「確かに坂井さんはZARDになる前に、水着やグラビアの仕事をしていましたが、坂井さんは『それはそれで事実だし、タレント時代に担当してくださった方がちゃんと仕事として持ってきてくれたものなのだから感謝して、それを受け入れてやっていた。それがZARDにつながって今の私があるのだから後悔していない』と言っていた」。

病に侵されても…

だが、90年代にトップアーティストとして走り続けてきた彼女は、2001年に突如、活動を休止することになる。

当時、坂井さんは子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と同時に3つの病に侵されていた。しかし、彼女はほとんどのスタッフに病気を隠したまま、1年半の闘病生活を送ったという。

同様に婦人科系の病に苦しんだという大黒さんは、当時の坂井さんの心境を「社長やプロデューサーにもスタッフにも分からない。私も病気をしたので、『痛い』って誰にも言えなくて。でも、ディレクターやエンジニアには分かってしまうんです。声が変だって。それでも挑んで高音を出しても、全部分かっちゃうから。でもこの病気の苦しみは女にしか分からないじゃないですか。彼女が不安だったり、苦しい時に私の所にこそっと来たのは、今思うと“歌いたかった”という気持ちだったんだろうなって思う」と振り返った。

そして、2003年に活動を再開した坂井さん。それまで公の場にほとんど出なかったが、そこで最初に挑戦した大きな仕事がデビューして初めてとなる全国ツアーだった。

“これまで自分を支えてくれていたファンのため”に、自分の歌う姿を見せることにしたのだ。こうして、坂井さんは何度も体調を崩しながらも、全国11公演を歌い上げた。

しかし、2006年、坂井さんは子宮頸がんと診断され、9時間にも及ぶ手術を行い、3ヵ月の入院生活を送ることになる。

その闘病中、苦しい体をひきずって1曲だけレコーディングした曲があった。その曲は『グロリアス マインド』。その時のレコーディングの様子が、今年の10月24日に出版されるオフィシャルドキュメントブック『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)に記されている。

曲は「グロリアス マインド」。
タイアップの話があったため、
病を押してでも、サビだけは録音する必要があったのだ。
母親に付き添われてスタジオに現れた坂井は、
一人で立つことも苦しい状態。

オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より


島田さんは「お母さんに付き添われてスタジオに来たんですけど、いつもの元気なハキハキというか明るいイメージとはちょっと違いました。あまり時間掛けていないんですよ。2回か3回だったかもしれない。ピンと糸が張った感じが伝わってきました」と、その時のレコーディングの様子を明かした。

人生最後となるレコーディングを終えた坂井さんの様子も、このオフィシャルドキュメントブックに綴られている。

「お母さん、私、どうだった?」
スタジオからの帰路、坂井は母親に訊ねた。
「大丈夫だったよ。
 具合が悪いようにはまったく聴こえなかった」
母親は素直な感想を述べたという。
「私もやるときはやるのよ。やればできるのよ」
坂井は笑顔を見せた。


オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より

「自殺ではないか」の憶測に…

その後、がんは肺にも転移し、坂井さんは再入院。そして2007年5月27日。入院先の病院のスロープから転落、倒れているところを発見された。

当時、連絡を受けて病院へと駆けつけた島田さんは「最後は手を握ってお別れしました。その時はもう意識はなかったので…」と振り返る。

鈴木さんも「ご家族の方がいらっしゃって、僕らはスタッフ何人かで病室に入れてもらって、まだ温かかったというか寝ているような表情をされていました」と話した。

その衝撃的な状況から坂井さんの死は、当時自殺ではないかとの憶測まで流れた。

だが、最後の場面に立ち会った島田さんは「自殺したのではないかという噂がありますが、僕の中ではありえないと思います。というのは、2007年1月に連絡を頂いているんです。次のレコーディングに向けて準備をしているという話で。前向きな様子だったので(自殺は)ありえないと思う」とした。鈴木さんも「病室へ行ったときに、とにかく早く治して復帰したいと。そういったモチベーションが溢れていたので、僕が知っている坂井さんは死を選ぶことはないと思います」と語った。

坂井さんが転落した場所は、実は高さわずか3メートル。ZARDの生みの親であり、音楽プロデューサーの長戸大幸さんは、オフィシャルドキュメントブックにこうコメントを残している。

「僕は転落したという現場を見ています。自死に選ぶような場所ではありません。それほど高さも無いですし。地面も芝生でした。不運だったのは、彼女が転落した場所だけが、わずか30センチ四方くらいの金属製の排水溝の蓋だったことです。硬い場所で頭を打ってしまいました。数日前に電話で話したときにレコーディングを楽しみにしていたあの様子からも、やはり転落事故だったとしか思えません。残念です」(長戸)


オフィシャルドキュメントブック 『永遠 ~君と僕との間に~』(幻冬舎)より

坂井さんの訃報を、デビュー15周年のライブを終えた直後に知らされたという大黒さんは「全部…動けなくなりました。代わってやりたいと思いました。私が死んだって誰も何も思わないかもしれないけど、きっと泉水ちゃんは世の中に必要だ、と思って。私の歌は女子の一時の気持ちを一緒に発散する歌だけど、泉水ちゃんのような歌の人は生きていなきゃいけないって思ったから。本当に代わってやりたかったです」と打ち明けた。

坂井さんの死から12年。今年13回忌となる命日には、かつての所属事務所に多くのファンが訪れ堺さんを偲んだ。坂井さんの思いを込めた歌詞と歌声は、“永遠”に人々の心に響き続ける。

(「直撃!シンソウ坂上」毎週木曜 夜9:00~9:54)

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