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<検証 あいちトリエンナーレ> (上)炎上、SNSに作品「電凸」殺到

展示中止となった企画展「表現の不自由展・その後」の会場で、報道陣に囲まれる少女像(手前)=名古屋・栄の愛知芸術文化センターで

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 卓上の電話が鳴りやまない。今度は、年配の女性の声だった。

 「何で韓国の高級売春婦なんか出さなきゃならないの? 日本で。あなた韓国人?」「いえ、違いますけど」「在日?」「いえ違います…」

 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」が八月一日に開幕した直後、名古屋・栄の愛知芸術文化センター六階の事務局。展示への抗議が殺到し、十人ほどの県職員では対応が追いつかなくなった。

 芸術祭は平和なイベントになるはずだった。空気が変わったのは、開幕前日。過去に美術館から撤去されたり改変されたりした作品を集めた企画展「表現の不自由展・その後」が、芸術祭の一角で始まることを本紙などが伝えた。

 インターネットの複数のニュースサイトに、戦時中の慰安婦を象徴する少女像が写真付きの記事で掲載されると、会員制交流サイト(SNS)で拡散された。慰安婦を売春婦とののしる投稿も。昭和天皇の肖像を含む版画を焼くシーンがある映像作品にも、ネットは敏感に反応した。肖像が焼かれる場面だけが切り取られて出回った。

 八月二日、会場を訪れた名古屋市長の河村たかしは「日本国民の心を踏みにじるもの」と発言した。批判的な意見は勢いを増し、事務局の県、実行委員会長を務める知事の大村秀章、芸術監督の津田大介らを非難する投稿がネットにあふれ「炎上」状態になった。

 そして「電凸(でんとつ)」と呼ばれる電話での集団抗議が始まる。事務局や県の担当課の番号一覧がSNSで出回った。県内の自称保守派の男性(23)はネットでこれを見つけ、「今回の件で怒りを覚えた方は、抗議電話をしてください」とさらに拡散した。日韓関係の悪化と時期が重なり、少女像の撤去を迫るなど、ひっきりなしに電話がかかった。

 県幹部は「この企画展をやる時点で抗議の街宣車は想定していたが、組織的に電話が来るとは。電凸という言葉も初めて知った」と振り返る。もはや仕事にならないが、公務員として一般の電話を無視することもできない。職員たちは応対を続け、疲弊していった。

 京都アニメーション放火殺人事件を連想させる「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」というファクスまで届き、大村と津田が話し合い、八月三日に企画展の中止を発表した。安全確保が理由だが、結果的にネットの炎上をあおった勢力の狙い通りになった。

 開幕より一年以上前の昨年三月。名古屋市であった企画発表の記者会見で「社会を批評する作品を増やすと炎上が起きやすくなる」と問う記者に、津田はこう答えていた。「僕は炎上のプロなんで」

 メディアとITをテーマに活動するジャーナリストで、ネットの世界をよく知る津田。ツイッターではたびたび自身の投稿を巡る炎上を経験しながら、発信を続けてきた。

 芸術祭事務局は企画展への反響を想定し「以前展示できなかった事実を見て、表現の自由について議論してもらう趣旨だ」と答えるマニュアルを用意していた。だが、電凸の相手には通じない。抗議の電話は一カ月で四千件、メールは六千件になった。

 美術館は閉じた世界ではなくなり、足を運んでいない人たちがSNSで作品や感想を拡散していく。津田も炎上と電凸にあらがえなかった。「開幕からの一週間はあまり記憶がない。対策が打ちようもないような悲愴(ひそう)感。『どうしてこうなってしまったんだろう』という思いもあった」

 (敬称略)

     ◇    ◇

 十四日に閉幕したあいちトリエンナーレ2019。企画展を巡る騒動はネット時代を象徴し、公権力の介入をへて、改めて表現の自由について議論を巻き起こした。経緯を振り返り、何が起きていたかを探る。

 <表現の不自由展・その後> 2015年に美術評論家や編集者ら有志でつくる実行委員会が「表現の不自由展」として初めて企画し、東京都内で開いた展覧会の続編。津田大介芸術監督と有志5人による実行委員会が企画し、かつて美術館から撤去されたり、公開中止になったりした作品を集めた。15年にも展示された戦時中の慰安婦を象徴する「平和の少女像」のほか、15年以降に規制された作品も追加し、国内外の作家16組の23作品を出展した。

 

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