トヨタの米テキサス工場 世界トップクラスの経営大学院、ハーバードビジネススクール。その教材には、日本企業の事例が数多く登場する。取り上げられた企業も、グローバル企業からベンチャー企業、エンターテインメントビジネスまで幅広い。日本企業のどこが注目されているのか。作家・コンサルタントの佐藤智恵氏によるハーバードビジネススクール教授陣へのインタビューをシリーズで掲載する。3人目は、製造業のマネジメントを研究するウィリー・シー教授だ。
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佐藤 シー教授は、長年、イノベーションやオペレーションの授業でトヨタ自動車について教えてきました。2018年にはおよそ20年ぶりにトヨタのビデオ教材を刷新しましたが、前のビデオと比べるとどのような点が新しくなっていましたか。
ハーバードビジネススクール教授 ウィリー・シー氏 シー このビデオ教材は、ケンタッキー州ジョージタウンにあるトヨタ自動車の工場を撮影したものです。1990年代に撮影された以前のビデオと比べても、トヨタ自動車の基本的な原則は変わりません。しかし当然のことながら、トヨタは「カイゼン」を続けているので、工場のオペレーションそのものは進化していて、生産過程や生産方法において、いくつかの変化が見てとれました。たとえば、車体により多くのアルミニウムを使用していますし、生産している車種の数も増えています。
■AI導入、工場では限定的
工場では、セット・パーツ・サプライ・システム(SPS=部品の「選択」と「組付」の作業を分離し、あらかじめ組立ラインとは別のヤードで、車両1台分の部品を選択・セットして作業者に供給する方式)も導入されていました。SPSが取り入れられたおかげで、ラインの作業者は、短い時間で必要なプロセスを学べるのに加え、組み立てに集中することができるようになったのです。
佐藤 トヨタ自動車の生産現場で、どのように人工知能(AI)は活用されていますか。
シー 今回のビデオはオペレーションを教えるためのものですので、AIについては詳しく調査していません。しかし、私の知る限り、自動車の生産現場においてAIが導入されているのは、溶接、塗装、組み立てなど限られた分野です。
トヨタの生産システムは、継続的に改善を行うことで成り立っています。トヨタの工場でAIは、その原則を実現するための手段として使われていますし、今後もその方針は変わらないと思います。
佐藤 AIはトヨタの従業員の代替になりうるでしょうか。
■AIは「従業員の能力を強めるための新しいツール」
シー それは「AIはトヨタウェイを学べるか」という質問と同じですね。そういう極端な議論でAIを考えるべきではないと思います。トヨタはAIを「従業員の能力を強めるための新しいツール」として、活用しているのです。その主な目的は、品質検査の精度の向上や欠陥率の改善などです。
家電業界でもAIの導入が進んでいるのは、品質検査の分野です。今、家電製品の中の部品と部品の間のピッチは、どんどん狭くなっています。特に半導体の部品と部品の間のピッチは狭く、はんだボールの配列やコネクションの品質などを通常の目視で完璧に検査することなど不可能です。こうした極小の部分の検査には自動光学検査装置が使われていますが、ここにAIが活用されているのです。機械学習ができる環境において、AIは人間以上の能力を発揮します。
佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。日本ユニシス社外取締役。 佐藤 アメリカでは特にどのような分野でAIの導入が進んでいるのでしょうか。
シー アメリカでAI革命が起こっているのは、機械学習とディープラーニングの分野、つまり、データが関わる分野です。AIの導入には主に2つの目的があります。1つは、製品の品質を検査するため、そしてもう1つは、複雑なシステムの動作を理解し、パフォーマンスをモニターするためです。
これは私独自の見方ですが、「データを収集して分析する」という発想は、1960年代~70年代のIBMやDECの製品に由来すると思います。これが現在のAIへとつながっているのです。
当時、IBMとDECのコンピューターシステムは複雑になっていくばかりで、人間の力では十分な動作確認ができなくなっていました。そこでコンピューターシステムの各部分が、どのように動いているかを正確に理解するために、パフォーマンスデータを収集するための装置をコンピューターの内部に実装することにしました。これを「内部計装(Internal Instrumentation)」といいます。
90年代、インターネットの普及とともに、「クッキー」という概念が生まれました。クッキーとは、ウェブサイトの利用者のコンピューターの中に訪問履歴のデータを蓄積していく仕組みのことです。これもまさに「内部計装」と同じ考え方です。この「データの蓄積と分析」は、インターネットの成長とともに、ますます重視されるようになっています。
ゼネラル・エレクトリック(GE)など、産業機器を製造するメーカーは、ガスタービン、飛行機のエンジン、発電装置などに内部計装の考え方を取り入れました。つまり広範囲にわたってパフォーマンスをモニターできる装置を内部に実装したのです。現在、GEは、より洗練されたソフトウエアを使って、製品の劣化状態を把握したり、潜在的な問題を予知したりしています。
佐藤 GEのほかに同じような目的でAIを活用している企業はありますか。
シー たとえば、世界的な昇降機メーカー、フィンランドのコネ社は、IBMワトソンのIoTプラットフォームを使っています。ワトソンは各エレベーターについているIoTセンサーを常に分析し、潜在的な問題を検知したら、不具合が起こる前に、保守担当者に症状を報告してくれます。
アメリカの航空機エンジンメーカー、プラット&ホイットニーのギヤード・ターボ・ファン・エンジン(GTFエンジン)にもAIが実装されています。1つのエンジンには400万のデータポイントがあり、1秒飛行するごとに1テラバイトものデータが得られます。エンジンを動かすごとに、タービンブレードなど部品が少しずつ摩耗していきますが、このデータを利用すれば、潜在的な問題を予知することができ、早めにメンテナンスをすることができるのです。
■日本人はAIを恐れすぎ?
佐藤 AIは人間の仕事の補助的役割をしてくれるけれども、人間の代わりにはならない、ということですね。
シー 日本では多くの人々が「私の仕事はいずれAIに取って代わられる」とか、「日本は人手不足だからAIを搭載したロボットで何とかしなければ」などと、あれこれ心配しているのを目にします。実際、日本人はアメリカ人よりも、「AIがもたらす未来」について強い関心を抱いていると感じます。しかしながら、アメリカの大企業を見ても、AIができることは限られていますし、AIを搭載したロボットが、トヨタウェイを完璧に学ぶことなどできないのです。
ウィリー・シー Willy Shihハーバードビジネススクール教授。専門はマネジメント。特に製造業と製品開発について研究。同校にて人気講座「成功する企業の設立と持続」を教える。IBM、イーストマン・コダックなどを経て、現職。トヨタ自動車、コマツなど、日本企業に関する教材を多数執筆。2009年にハーバード・ビジネス・レビュー誌に発表した論文「競争力の処方箋」は、マッキンゼー賞を受賞した。主な著書に「Producing Prosperity-Why America Needs a Manufacturing Renaissance」(共著、Harvard Business Review Press)
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