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2019-10-16

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・こんな年齢になってから、いまさらの話をします。
 ぼくは、少し遠慮がちにですが、大学生の人なんかに、
 「落第とか留年とかは、したほうがいいね」と、
 言ってやりたいと思うようになりました。

 遠慮がちにと、あえて付け足したのは文字通り遠慮です。
 人生に対する考え方はそれぞれにあるでしょうから、
 ぼくが思う「いい」を、人も「いい」と思えるかどうか、
 わからないので、文に「逃げ」を入れているだけです。
 「息子の人生をダメにしたら責任とってもらえますか」
 みたいなことを言われたらかなわないからです。

 とか、言ったうえで続けますが、
 「落第とか留年」あるいは「退学」は、
 卒業してからではできないことです。
 もう卒業してしまったら、取り返しがつかない。
 それまで歩んできたまっすぐな道の、
 外れようなのか、曲がりようなのか、戻りようなのか、
 それを経験することになるわけです。
 このことを挫折と呼ぶ人もいるでしょうし、
 失敗ととらえることもあるでしょう。
 どのみち「価値観」を問い直す機会になると思うのです。
 逸脱だか挫折だかを軽く経験することで、
 ぬかるみに迷い込む場合もあるでしょうし、
 いままでと別のおもしろさを知ることもあるでしょう。
 どちらにしても、不安と期待が増えそうです。
 そして、その分以上に自由を見つけることにもなります。
 線路の上だけを走る電車のようにではなく、
 広い道狭い道、道のない道を行かざるを得ない
 自動車のような動き方を覚えるかもしれません。

 とにかく「勉強ができる」ということだけが、
 なによりいちばんの価値だという考えから、
 すこしでも解き放たれることは、大チャンスなのです。
 ぼくのこの考えは、昔よりいまのほうが言いやすい。
 決まった勉強でいい点数を重ねていったら、
 人に認められて幸福を手に入れやすくなるということが、
 昔よりもずっとやりにくい社会になっているからです。
 いま、ぼくに大学生の息子がいたら、きっと、
 留年とか退学とかしないかなぁと期待してると思います。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
失敗や挫折は狙ってはできないけど、運よく得られるもの。


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