モリシタヨウスケ

もう大食いできないジャイアント白田――全盛期は年収3000万円、「巨大食料庫」だったころ

10/16(水) 9:19 配信

2000年代前半、テレビ界は空前の大食いブームに沸いていた。そこに現れた数々のスターの中で、最も光り輝いていたのがジャイアント白田である。

195センチの巨体で、強敵たちを次々に倒していった彼は「史上最強の大食い王」と呼ばれた。

大食いは、12年前に引退した。「今は“小食”ですね。どれだけ現金を積まれても全盛期のように大食いはできません」。食い倒れの街・大阪は道頓堀で会った白田に、当時の面影はなかった。(取材・文:ラリー遠田/撮影:モリシタヨウスケ/Yahoo!ニュース 特集編集部)

今は串カツ屋のオーナーとして厨房に立つ

大阪・道頓堀、たこ焼き屋や焼きそばなど大阪グルメの専門店が軒を連ねる「中座くいだおれビル」の一角に白田の姿があった。「串カツしろたや」。

自分の名前を冠した串カツ屋で、多いときは週に3回ほど自ら厨房に立つ。白田の店だと知らずに入った客に気づかれて驚かれることもある。

「よくあるタレントの飲食店とは違いますよ。僕自身がゼロの状態からお店を作って、オーナーとして切り盛りしていますから」。白田は専門学校に通い、調理師免許を取得。大阪に出店し、10年以上が経った。今は立派な経営者なのだ。

「あの大食いブームの当時の僕がいまだに最強だと思ってます」と白田は豪語する。その言葉通り、全盛期はトレーニングでカレー8キロ、試合本番ともなれば約10キロのカレーをたいらげ、稼いだ金額は年間3000万円にのぼる。そんなレジェンドが大食いの世界に身を投じたきっかけは、ささいなことだった。

練習ゼロで挑んだ初めての大会で準優勝、大食いの道へ

大学生のとき、近所の回転ずし屋で「1時間以内に50皿食べたら賞金1万円」という企画をやっているのを見つけて挑戦してみた。

普段から回転ずしで40皿は食べていた彼にとって、この挑戦は赤子の手をひねるようなものだった。その後は大食い企画をやっている店を片っ端から渡り歩いて、賞金稼ぎをしていた。

そうしているうちにテレビ局から声がかかり、大食い番組に出演することになった。

特に何の対策もしない状態で臨んだ初めての大会では、破竹の勢いで予選を勝ち上がるも、度重なる勝負で未知の領域に足を踏み入れたことで、決勝に上がる頃には胃袋が限界を迎えていた。

「最悪のコンディションだったので、決勝では勝てる気がしませんでした。でも、いざ試合が始まると胃が変になったのか、食べても食べても胃の感覚が変わらなかったんです。それで『いけるかもしれない』と思ってがんばったんですが、結局ラーメンどんぶり半分ぐらいの差で負けてしまいました。そのときに思ったんです。『これ、最初から真剣に対策していたら勝てたんじゃないかな』って」

練習ゼロで挑んだ初めての大会で準優勝という結果を残したことで、白田は自分の才能に気づいた。

そこから独自のトレーニングの日々が始まった。1日1食は食べ放題の店で限界まで食べ続けることで胃の容量を少しずつ広げていった。

自らの肉体を「大食いのためだけの巨大食料庫」と化す

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