阪神・鳥谷敬の最後の打席は、チームの激闘の終わりでもあった。9回、2死。代打で登場し、二ゴロに倒れ、彼の野球人生は大きな区切りを迎えた。今後は新天地を模索する彼の高い志を、宮崎で受け継ぐ男がいる。
「プロに入る前はあこがれの存在でしたし、入ってからも同じ遊撃手として目標であることには変わりありません」
こう話したのはフェニックスリーグに参戦中の京田だ。練習では鳥谷から譲り受けたグラブを使用している。最終戦が行われた9月末。関係者を通じて、グラブが届けられた。親交があったとはいえ、サプライズ。まともに礼を言う時間もなかったが、運動具メーカーの担当者からは「鳥谷さんはめったに人にグラブはあげませんよ」と聞かされた。
「宝物ですが、飾っておくだけでは申し訳ない。屋内練習場とか汚れない場所で使わせていただいてます」。ポジション、左打者、背番号。すべて同じ京田が最もあこがれるのは、鳥谷の「強さ」だという。
「ケガをしないところ。走攻守のバランスがいいところ。感情をあまり表に出さないところ…。たくさんありますが、ずっと試合に出続けることが、どれだけ大変で、大事かってことが一番ですかね」
鳥谷は大卒1年目の9月から昨季5月まで、歴代2位の1939試合連続出場という記録をもっている。つまり、京田の年齢(25歳)では、すでに鉄人伝説は始まっていた。背筋を痛めても、鼻骨を折っても休まなかった。そんな鳥谷はゴールデングラブ賞を5度(三塁手で1度)受賞しているが、初めては30歳のときだった。
「守備で堅いなと思うのは中日のショートかな。目立ってないけどいいショートだなあ」。同賞の投票について、番記者と雑談した巨人の原監督がこう褒めた。あこがれの鳥谷より早く、名手の称号を手に入れられるか。その資質は敵将も認めている。