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【暮らし】

<障害者のきょうだいたち 広がる支え合いの場> (上)「二の次」で重ねた我慢

参加者たちと、今後の活動内容について話す戸谷知弘さん(右)=名古屋市内で

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 「個性が大事、と障害のある人は好きなことをするだけで親にほめられる」。三つ下の妹に軽い知的障害があるという杉浦悠珠(ゆみ)さん(36)がつぶやいた。「でも、彼らが好きなことができるよう、裏で支えるきょうだいは認めてもらえない」

 九月上旬、名古屋市内であった「きょうだい会@Nagoya」。二カ月に一度開かれ、障害や重い病気がある人の兄弟姉妹が集まる。今年四月に、同市緑区の障害者施設職員、戸谷知弘(かずひろ)さん(34)がつくった。同市内を中心に毎回、五、六人が参加する。杉浦さんはその一人で、会のホームページ作りを手伝った。

 ずっと我慢をしてきたという。姉妹でけんかをすると、母は必ず「妹のことを分かってあげなさい」と言った。「私の気持ちは? 寂しくて妹の障害がうらやましかったこともある」。戸谷さんはうなずきながら言った。「周りの人の頑張りも見てほしいよね」

 戸谷さんの兄匡志さん(41)は重度の知的障害と自閉症だ。父は戸谷さんが小学二年の時に亡くなった。周囲から繰り返し言われたのは「お兄ちゃんとお母さんを支えてあげて」という言葉。次第に苦しくなった。

 匡志さんはこだわりが強く、大声を上げるなど頻繁にパニックを起こす。幼い時、スーパーでのことだ。匡志さんが売り場にあった揚げたてのはんぺんに突進し、ほおばった。とっさのことで止められなかった。自分たちを見つめる目。「兄と一緒にいるのは恥ずかしい」と感じ始めた。

 中学に入ると、からかわれることが増えた。「兄ちゃんがああだから、おまえも頭が悪いんだな」。テストで悪い点を取った時、笑われた。同じころ、兄は施設に入り、母は外で働き始めた。「面倒を見るはずの自分がしっかりしていないからか」と悩み、学校に通えなくなった。

 転機は、母の勧めで進んだ北海道の全寮制高校だ。初めて、同級生や近所の目から逃れられた。「兄のため、母のためではない、自分が主体の人生になった」と振り返る。東京の大学で心理学を学んだ。卒業が迫った二〇一一年、大学の掲示板で、障害のある兄弟姉妹を持つ子ども「きょうだい児」を支援する「横浜きょうだいの会」のボランティア募集のチラシを見た。

 会に出るようになってしばらくしたころ。小学生の男児が泣いていた。「お姉ちゃんに消えてほしい。おもちゃを壊すし」。男児の姉は発達障害で、自身は不登校という。話を聞くことしかできず「無力感でいっぱいになった」。昔の自分と同じ。故郷に戻り、「現実を知りすぎているから」と避けていた福祉の道へ。障害者らの相談に乗る社会福祉士の資格を取った。

 あの時の男児は今、元気に高校に通う。今夏には実名で新聞に出て姉への思いを語った。会の代表から「大人に話を聞いてもらったことが力になった」と話していると聞き、「やってよかった」と心から思った。

 一九年版の障害者白書によると、身体、知的、精神に障害がある人は国内に約九百六十三万人。障害者本人には行政の支援があり、保護者には話し合うための会もある。一方、特に地方では、きょうだい同士が顔を合わせる機会は少ない。

 会には「障害者のきょうだいが苦労を分かち合い、息抜きができれば」と願いを込めた。話し合ったところで、親亡き後はどう面倒を見るか、お金はどう賄うか-などの不安が消えるわけではない。でも「ここに来れば、必ず仲間がいる」。

 ◇ 

 「きょうだい」「きょうだい児」などと称される、障害がある人の兄弟姉妹。家庭は障害児が中心になりがちで、親との関係がうまく築けなかったり、誰にも悩みを言えなかったり…。同じ経験をした仲間と気持ちを語り合い、支え合う取り組みが広がっている。 (出口有紀)

 

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