大学生など、若い世代も困惑しているようだ。瑞草洞デモの中心は40代、光化門デモはさらに上の世代が中心だ。
「検察改革は必要だけれど、でもチョグクを守れとは叫べない。それは別の問題だと思う」という意見はよく聞く。その根っこには、やはりチョグクの娘が受けていたという特権、それに対する「白け」(怒りと諦め)がある。綺麗事を言っても、やはり特権階級にいる人たちなのだと。
「僕はどちらのデモにも行きません。どちらかを選べと言われても困るし。父は一生懸命デモに行っているんですが」
知り合いの大学生はそう言っていた。そもそも彼らは上の世代のように、二元論的な文化では育っていない。旧世代である私でさえ、どちらの集会に行くかと聞かれたら答えに躊躇するのに、若い彼らはとても悩むと思う。
善悪とか白黒とか、そして左右とか米中とか? もう二者選択できるような世界ではない。アジアでも冷戦が終結しようとしている今、人々も国家も一度はバラバラになる。敵と味方に美しくグループ分けされていた時代ではない。
分裂を繰り返す、混迷の時代。
「考えていてはいけませんか? 今はじっくりと」
大学生に言われた。その方がいいと思った。若い人たちは、大人たちの興奮から少し引いて、今はいろいろ考えてみた方がいいと思った。