文政権をめぐる韓国の「分裂」の現在地〜「200万人デモ」の実態

韓国の人々は怒り、心配し、困っている
伊東 順子 プロフィール

複数の人に聞いてみたが、だいたい同じような答えだ。中には他の事件の取り調べとのバランスの悪さを訴える人もいた。現政権に近いハンギョレ新聞の10月7日付の社説は、瑞草洞デモのについて次のように書いている。

「チョグク法務部長官一家に対する検察捜査が行き過ぎだと判断した市民たちは、ややもすれば検察改革が挫折するかもしれないという危機感から決起したのだろう」

 

心配する人、困惑する人々

怒りは伝わってくるのだが、聞いても聞いても、ストンと落ちないことがある。そもそも、チョグク一家の取り調べを指揮しているユン・ソギョン検察総長は、文在寅大統領が「公正さ」を見込んで自ら指名した人だ。

「大統領府であれ、与党であれ、権力型の不正があれば、厳正に対処してほしい」

この、文大統領が自らが望んだ「厳正な対処」が、結果的に「過剰な対処」になっているということなのだろうか。

「文大統領はナイーブだったんですよ。検察の怖さを見誤った。彼らは改革などするつもりはなかった」

政権に近いメディア関係者は言うが、だとしたら、なおさらチョグク法務部長官の任命を見合わせればよかったのではないか。すでに疑惑が出されている時点で、任命を強行した理由がわからない。

検察改革は文大統領にとっての悲願である。それは間違いない。そのために自ら選んだ検察総長と法務部長官。その2人が対立し、しかも、それぞれ応援勢力が街頭で大規模なデモや集会を繰り広げている状況。それが従来の保守派と進歩派に分かれて先鋭化し、国が二分的にするような事態になっていること。これは予想されたことだったのか。ここまで痛みが伴うことだとわかっていたのか。たとえば、他の検察総長ではダメだったのか。なぜチョグク法務部長官でなければダメなのか。何度聞いてもピンとこない。

それは私が外国人だからではなく、一般の韓国人にも理解できない人はいる。そういう人たちは瑞草洞にも光化門にも行かずに、心配をしている。決して、無関心というわけではない。何をどう信じればいいのかわからず、いったい韓国社会がどうなっていくのか、とても心配だという。