事業紹介北陸新幹線建設プロジェクト

軟弱地盤と闘って、日本の新しい動脈をつくれ

1998年2月、華やかに幕を開けた長野冬季オリンピック。わが国がホストとなる20世紀最後のオリンピックを成功に導くべく、一大国家プロジェクトが推し進められてきた。長野駅と上越新幹線高崎駅とを結ぶ新しい動脈、「北陸新幹線」の建設プロジェクトだ。
もちろんパシフィックコンサルタンツも、このプロジェクトに一役買っている。弊社が担当したのは、高崎~長野間の高架橋設計と長野車両基地の計画設計。長野車両基地は終点の北長野駅のさらに7km先に、面積11万3000m2もの規模(東京ドーム2.4個分の広さ)で計画された。そしてこの車両基地の設計には、厄介な問題が待ちかまえていたのである。

三重苦のビッグプロジェクト

話は1992年に遡る。長野車両基地の計画設計を担当することになった鉄道部の神部道郎は、3つのハードルに苦しんでいた。時間と、コストと、そして軟弱地盤。
オリンピックの誘致決定とともに、1998年の開催に合わせて新幹線を開業することが絶対条件となった。与えられた時間はわずか6年。このスケールのプロジェクトとしては、異例の短さだ。しかもコストに余裕はない。税金が財源である公共事業の宿命だ。さらに追い打ちをかけるように、技術上の難題が彼に襲いかかった。神部が調査のために初めて車両基地建設予定地を訪れたとき、目にしたのは見渡す限りの田園風景。その地は実は千曲川の氾濫源であり、しばしば大雨で一面水浸しになっているという。地盤はほぼ泥に近い状態。軟弱地盤は地下30m弱にまで及んでおり、巨大な構造物を建設するには最悪の条件であった。
当時を振り返って神部はこう語る。
「たびたび氾濫がおこるということで、盛土の上に構造物を造ることにしました。河川部に依頼して、何十年に1度という最悪の氾濫のケースを想定してシミュレーションしたところ、高さ2mの盛土が必要であることが判明。しかし、ただ2m土を盛るだけではダメなのです。軟弱地盤のため、時間が経つと盛土ごと1mほど沈んでしまう。つまり、盛土は3m必要なのです。かといって、3m土を盛って自然沈下にまかせていると沈下が終了するまでに計算上2年以上かかってしまう。そしてそれから構造物を建設するとなると……基地が完成する頃には、オリンピックはすっかり終わっている……頭を抱えましたね。」

超軟弱地盤を克服する秘策

神部を含めた解析グループで、与えられた時間内に基地を造る工法について議論が重ねられた。地質改良工法はどうか?ドレイン工法はどうだろうか?……およそ半年にも及ぶ綿密な検討の末、時間とコストを鑑みて導き出されたのが“プレロード工法”であった。簡単に言えばこれは、必要以上に敢えて土地を高く盛って、盛土の沈下を促進させる工法。想定される1mの沈下を、人為的に早く沈めてしまおうと考えたのだ。
「プレロード工法がコスト的に一番リーズナブルで、しかも現実的だという判断でした。こうして工法は決定したのですが、盛土の諸元を決めるのにまた一苦労。弱い地盤の上でどれだけ重く乗せられるか。重くすればそれだけ沈下も速まりますが、重すぎると地盤が壊れる。シミュレーションにシミュレーションを重ねて、グループ内で大いに議論を戦わせました。結論として、最初に5m盛ると、地盤も壊れず、1m沈めるのに9ヵ月半ほどでいけるのではないかと。これならオリンピックに間に合う。」
難産の末、軟弱地盤を克服する術は編み出された。

次から次へと降り懸かる問題

完成後の長野車両基地(提供:日本鉄道建設公団北陸新幹線建設局)
完成後の長野車両基地
(提供:日本鉄道建設公団北陸新幹線建設局)

プレロード工法により盛土が築かれると、息つく暇もなく車両基地の構造物の設計に入った。ここでも新たな問題が浮上した。このプロジェクトを統轄する立場にあった鉄道部長の渡辺浩は語る。
「盛土の上に構造物を載せるわけですが、軟弱地盤のための軽いものなら大丈夫なのですが、重いとやはり沈下してしまいます。通常、軟弱地盤の場合、その下にある固いの層まで支持杭を打って安定させ、その上に構造物をつくるのですが、ここは車両基地、絶えず新幹線が出入する。つまり、基地内の箇所によって、地盤にかかる比重が異なるのです。杭を安定させてしまうと、その周辺の地域は沈下せず、杭のない地域だけ沈下してしまう。」
線路にとって地盤の歪みは致命的だ。そこで神部をはじめとした技術者たちはある策を練った。杭のある部分と杭のない部分の沈下が同じになるよう、敢えて固い岩盤まで杭を通さず、摩擦対応で杭を設計しようと。そのためには再び、コンピュータによる気の遠くなるような計算が必要だったのだが……
「精神的なプレッシャーはいつも感じていました。何しろ、私たちがミスを犯すと、オリンピックにも影響するのですから。しかも難しい技術を争うシビアな仕事でしたね。」
神部たちの努力の甲斐あって、難しいスケジュールのなか長野車両基地は竣工した。施工中も、地盤の歪みの誤差はわずか3センチしか記録されなかったという。

完成、そして押し寄せる感慨

北陸新幹線

「毎日寝ないで設計しても、これは終わらないなと(笑)。」
高架橋の設計を担当した遠山祐一は、工期が決定したとき、あまりの短さに思わず苦笑したという。高架橋の場合も、時間と軟弱地盤との戦いだった。「そもそもこんなに短時間で新幹線を設計することは、かつて例のないことらしいんですよ。しかも軟弱地盤。通常、軟弱地盤の場合、支持杭を打ってその上に構造物をつくるのですが、このケースですと30m下にようやく固い地層があって、そこまで杭を打たなければならない。全てを同じように対応していくと、膨大なお金がかかる。そこで区間内の地質を細かく調べて、中間に数メートルでも礫層でもあればそこで杭を止めたり、試験施工でデータを取りながら摩擦対応で設計したり……地質によって杭の長さを変えて、コストを抑えながら設計しようと。挑戦しがいのある仕事でした。」

遠山祐一 神部道郎 渡辺浩

煩雑な設計作業。しかし時間は迫る。遠山もまた、胃が痛くなる思いをしながら精密な図面を必死の思いで仕上げていった。実は彼は入社以来、ほぼこの北陸新幹線の高架橋の設計に従事している。北陸新幹線は遠山にとって“ライフワーク”なのだそうだ。それだけにこのプロジェクトにかける思いも強い。
「最初はどうなることかと思ったのですが、いざ完成して新幹線を目の当たりにすると、やはり言葉にならないほど感動しましたね。関係者だけに試乗会にも招待されましたし。一人でぼんやり車窓を眺めながら、感慨に耽っていました(笑)。」
技術者たちの苦労や知恵や気概、すべてを飲み込んで北陸新幹線「あさま」は1997年10月、開業した。もしこれから「あさま」に乗る機会があれば、ぜひ神部や遠山のことを思い出してほしい。そして、その陰に秘められた彼らの「技術」のことも。

総合建設コンサルタントのパイオニアとして国内外で豊富な実績を持つ弊社が、
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