「なんということだ!?我が帝国軍が……それもあのカーベインが敗北だと!?王国の奴らめどんな手をつかったのだ!」
バハルス帝国の帝城にある執務室に大声が響き渡っていた。叫んでいるのは金髪に濃い紫で切れ長の瞳を眉目秀麗な男、バハルス帝国皇帝であるジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスだ。
普段は沈着冷静な皇帝が取り乱しているということが今回の事態がいかに想定外かを表している。
「まぁまぁ、陛下。落ち着いてくださいよ」
部屋の中には秘書官のロウネ・ヴァリミネン。そして現在皇帝をなだめている帝国四騎士の一人、バジウッドである。
「これが落ち着いていられるか!あの不敗のカーベインが負けるとは信じられん!」
カーベイン将軍は古参の信頼厚い軍人であり、その指揮を誰よりもジルクニフは信頼していた。今回帝国が戦争に投入したのは8つある軍のうち半数に上る4軍であり、4万の兵士を預けたのだ。しかし戻ってきたのは3万程。戦力の四分の一を失ったことになる。
しかもその失った1万の兵士たちは帝国騎士団として長い期間をかけて育ててきた精鋭たちだ。冒険者でいえば銀級に匹敵する。
それだけの兵士たちを再び育て上げるには莫大な時間と費用が掛かることだろう。その損害は計り知れない。
対する王国軍は数こそ20万と帝国の5倍もの兵力であるが、民兵が中心でありこれまでの歴史上帝国が敗北したことなどなかった。
つまり、ジルクニフの名前は歴史上初めて敗北した皇帝として後世に伝えられることになるのだ。これほど不名誉なことはない。
「確かにカーベインの旦那が負けるなんてなぁ。王国はどんな魔法を使ったんですかね」
「分からん……だが魔法ではなかったらしいな……しかし、それに対抗する力がない限り次の戦争には勝てん」
そうなれば長い時間をかけて疲弊させてきた肥沃な国土を持つ王国の経済が回復してしまう可能性もある。何としても次の年までには対策を練らなければならない。
「やはりスパイでも送り込むしかないか……金に汚いブルムラシュー侯あたりにでも……」
「その必要はございませんわ」
突如聞こえた女の声に振り向くと、そこには白銀の鎧を来た騎士と黄金のように輝く髪を持った女が立っていた。
「……なぜこの女がこの部屋にいる!?」
その女はジルクニフの嫌いな女ランキング1位の座を不動で維持している女、リ・エスティーゼ王国の第三王女であるラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフであった。
「どうも陛下、お久しぶりでございますね」
ラナーはまるで何事もないようににこやかに笑いかけると優雅に一礼する。
しかし、敵対国家の王女がこの場にいるなどありえない。いたとしてもするべきことは一つだ。ジルクニフは即座に周りへ指示を飛ばす
「すぐにひっ捕らえよ!」
「いえ、陛下。すでに捕えております」
「なに!?」
声を上げたのは帝国四騎士の一人ニンブルだ。ラナーの護衛の騎士クライムがその前に遮るように身を乗り出しているが、よく見ると武器は持っておらずラナーともども手首に縄をかけられていた。
興奮のあまり部屋に入ってきたのも気づかなかったようだ。
「……いたのか、ニンブル。これはどういうことだ」
「はい。この二人がバハルス帝国への亡命を希望すると申してきましたので連行してきました。いかがいたしましょうか?」
「亡命……だと?」
「はい!私は亡命を希望します!」
まるでそれが楽しいことのようにニコニコと笑うラナーの笑顔は太陽のようだ。それを見た人間は誰しもが好感を持つことだろうが、ジルクニフは違う。この女は常人を超越した智謀を持つ化物ではないかと疑っており、この笑顔も演技に違いないと思っている。
「私はもはや行先のない亡国の哀れな姫君ですわ……陛下のご温情にすがりたいとこうして参ったのです」
「おまえの国は亡びてないだろうが!そもそもどうやってここまで来たのだ」
これほど目立つ二人が誰にも見つからずに王国を出られるはずがないだろう。
「それは二人っきりで狭いところに隠れながら……ねっ、クライム」
「ラナー様……その話は……」
クライムと呼ばれた男が顔を赤らめる。それを見た瞬間、どうやって来たのかなどどうでもよくなってしまった。これもこの女の狙い通りなのだろう。
「なぜ戦争に勝った国の王女が負けた我が国へと亡命する?何を企んでいる?」
「何も企んではおりませんわ、ねぇクライム?」
「え?ラナー様私に言われましても……」
ラナーに体を密着されクライムは戸惑った声しか出せない。
「嘘をつけ、私にはお前が信用ならない。生かしておけば災いにもなりかねん」
「なっ、ラナー様に何をするつもりだ!」
「まぁ、怖い。私を守ってクライム」
「もちろんです!」
ますますクライムに密着するラナー。わざと自分を怒らせてそのような状況を作っていると分かるジルクニフは苛立ちを隠しきれない。
「うふふ、陛下。私はきっとお役に立ちますよ?」
「どうだかな……」
ジルクニフはラナーが感情で動くとは思わない。必ず何事かの理由があるはずなのだ。その理由をはっきりさせないことには何をするのか心配でならない。
「確かに王国は戦争に勝ちました。しかしもう長くは持ちませんわ。バルブロお兄様はやりすぎてしまったんです。そしてこれからも変わらなければそれは決定したようなもの……」
「なんだと?何を言って……いや、それがお前の未来予想ということか?」
「私はきっとお役に立ちますよ?少なくとも殺してしまうよりは……」
「うむ……」
この女は頭が回る、それは今までジルクニフも思っていたことだ。ラナーは時折驚くべき方策を考えつくものの王国では貴族たちの妨害により実施されていないものもある。それを帝国でも採用することもあるのだが、それは恐ろしいほど優れた方策であったのだ。
だが、それがまるでこの女の手のひらの転がされているような錯覚を覚えるためジルクニフがラナーを嫌っている理由の一つでもある。
「何か知っているのか?話してみるがいい」
「その前にお約束ください。ご協力いたしますので私とクライムの亡命を認めると……」
「ふむ……まぁいいだろう。王族の亡命者としての客人待遇を……」
「いえ、一般的な亡命者、いえ捕虜として扱っていただいて結構ですわ。ベッドが一つしかない狭い部屋で軟禁していただいて結構です」
「それはさすがに……」
王族に対する扱いではない。亡命者に対する理不尽な扱いということで皇帝としての常識も疑われるかもしれない。しかし、それは王女として譲れないことらしくしつこく食い下がられた挙句、認めることになってしまった。
本当に何を考えているのか分からない女だ。
「それで……何を知っている」
「ロフーレ商会」
「ロフーレ商会?なんだそれは?」
「いずれ世界はロフーレ商会の手の内に落ちますわ。その上で一つアドバイスいたしますと……陛下、軍帽を被ったメイドとは決して敵対しないことです」
「なに?いや……それが答えということか……ふむ……」
化物であるラナーの言葉だ。調べれば何らかの答えが分かるだろう。それに自分自身が人質として捉えられているのだ。こちらの欲しい情報を絶妙のタイミングで持ってきたと捉えるのが自然だ。少なくとも今の情報は信じてもいい。
だが知っていることをすべて話してしまえば用無しとなるのも分かっているからか思わせぶりに情報を小出しし自分の有用性を思い知らせようとしている。確かにこれでは殺せない。
(……やはりこの女は嫌いだ)
「さぁクライム参りましょう!狭い部屋に二人きりね!ああ……怖いわ!絶対に私の傍を離れちゃだめよ!」
「も、もちろんです。ラナー様」
「うふふ、着替えも一緒、ベッドも一緒ですから一緒に寝ましょうね」
「そ、それは……私は床で結構ですので……」
「だめよクライム。私一人では怖くて眠れないわ……」
潤んだ目で見つめられてクライムは戸惑いながらも頷く。困りながらも忠義を全うしようとするその様子はまるで忠犬のようで、それを見たラナーは破顔する。
「わ、分かりました……私がお守りしますので……」
「さすが私のクライムね……あ、では陛下。私は大人しく軟禁されておりますのでお構いなく」
ラナーはまるで欲しかったものを手にいれて喜ぶ子供のようにはしゃいで軟禁部屋へと連行されていった。
残されたジルクニフは考える。あのラナーが意味のないことを言うはずがない。いや、言うこともあるだろうが、それをジルクニフでもある程度は判別できる。
「ロフーレ商会……そして軍帽のメイドか……」
ジルクニフはラナーの助言を確かめるように反芻するのだった。