243話 ラミトの帰還
モルテールン領ザースデンに、珍しい顔が居た。いや、懐かしい顔というべきだろうか。
ペイスの幼馴染の一人で、モルテールン家で外務を担う従士、ラミト=アイドリハッパだ。柔和な顔立ちでありつつも、憎めない愛嬌を感じさせる風貌。日頃あちこちに出かけているせいか、多少日に焼けた感じが実に逞しく見える。
成長を感じられるとあって、モルテールン家の家中では期待の若手の一人だ。将来は父親の跡を継ぎ、モルテールン家譜代の重臣として重用されていくことだろう。
「久しぶりですね、ラミト」
屋敷の執務室で、ペイスがラミトを出迎える。長旅で少々埃っぽくなっているはずのラミトだったが、そんなことを毛ほども気にせず心から歓迎して迎え入れた。
子供の時からの知り合いだけに、気楽な感じで相対する。ラミトにしても、勝手知ったる他人の家だ。懐かしさを感じ、帰ってきたと実感しつつ挨拶する。
「ペイス様もお変わりなく」
姿勢を正し、深々と腰を折るラミト。今彼は、表向きの肩書としてナータ商会の従業員として活動している。見習いの丁稚働きをしている、ナータ商会会頭デココの弟子、という立場だ。
他領に出向く際、馬鹿正直にモルテールン家の従士ですなどと名乗ろうものなら、仲の悪い相手ならば真っ先にスパイとして拘束される。偽造身分として、ナータ商会の丁稚なのだ。親に勘当されて、モルテールン家からも処罰を受けた為に商人になった、というのが公式の発表である。本当にそういう話もあり得たというのだから、親の苦労は推して知るべきである。
どこに目があるかわからない現状のモルテールン。あくまで出入りの商人の一人としての態度を崩さない。姿勢を正し、上位者に対する平民の態度そのままに、恭しく腰を折る。
その様子に満足そうに頷くペイス。
「僕は変わっていませんか? これでも最近は背が大分伸びたのですが」
ペイスは目下、成長期の只中にある。タケノコのごとくにょきにょきと背が伸びる時期だ。子供から大人に変わっていく時期でもあり、変わっていないと言われたら、少しぐらい変わったと思わないのかと言い返したくなる年頃である。
「俺も伸びましたから、気付きませんでした」
口調こそ貴族と商人といった堅苦しさのあるものだが、気楽な感じのやり取り。お互いにお互いがチビの頃を知っているので、笑いあうのも自然な雰囲気だ。
ペイスも、十代となって背が伸び盛り。日を追うごとにすくすくと伸び始める時期だ。対しラミトはそろそろ背の成長も止まるころ。ペイスは、父親も母親も背が高いのだ。もしかしたらいずれはペイスの方が背も高くなるかもしれないが、現状はまだまだラミトの方が高い。
「ヤントは頑張っていますか?」
出されたお茶を飲みながら寛ぐ青年に、ペイスは尋ねる。何気ない世間話の一環だった。
ヤント=アイドリハッパ。家名で分かる通りラミトの弟で、兄と同じく外務の仕事を担当している。基本的にはラミトのサポートであり、周辺諸領や王都に足を運び、情報収集を行っていた。時折ラミト達の情報を運ぶメッセンジャーの仕事をこなしていて、主に王都にいるカセロールやコアントローの元に出入りしていると聞く。ペイスとは久しく会っていない。彼こそ、久しぶりに会えば大きく風貌が変わっていることだろう。
「ええ。時々落ち合って情報交換することもありますが、あいつなりに頑張ってるみたいです」
弟の頑張りを、兄はうれしそうに語る。兄弟仲は良好なので、弟の活躍もまた喜ばしいことなのだ。兄として負けたくないという競争心も勿論あるが、それはそれとして弟にエールを送る気持ちに嘘偽りはない。
「それは何よりですね。またそのうちヤントも呼んでみますか」
前に集まったのはいつだったかと思い出そうとする。子供の時なら、さほどの苦労もせずに皆で集まってバカをやらかしたものだが、今ではお互い同士が仕事を持ち、離れた場所にいる。また集まってみるのもいいと、ペイスは提案した。
「そりゃいい。ただあいつは仕事が楽しいみたいですから、帰りたがらないかも」
「そうなんですか?」
ラミトにとってみれば、反対する理由など何一つない提案だったが、肝心のヤントはどうであるのか。
仕事が楽しいに越したことは無いが、自分の家に帰りたくないほど楽しめるとなれば不思議な話だ。それほど仕事にのめり込むような性格では無かったはずなのだがと、ペイスが首をかしげる。
上と下の兄妹に挟まれた中間子であり要領が良かったヤントが、親の手伝いが嫌だからといって逃げ隠れしていたのは、それほど昔のことではない。ラミトやヤントの妹も大概だが、だからといって兄達が大人しいわけでもないのだ。というよりも、ここの兄妹は皆、成人前に結構色々とやらかしている。寛容と自由と自己責任を貴ぶモルテールン家の家風に、いい意味でも悪い意味でも染まり切った、譜代の家柄なのだ。
「ほら、俺らは情報収集が主要な任務の一つでしょう。あいつは酒が飲めますから、酒場に行くことも多いんですよ。西の方に出向くことがあった折に、どうも夜遊びを色々と覚えたらしく、いつも金が無いってぼやいてます」
はあ、とペイスから溜息が出た。
妹が最近ようやく形になってきたかと思えば、兄の方が緩んできているという。どうにもこの兄妹は扱いが難しい。
西の方に出向く用事というのは、元傭兵であるシイツ従士長の古巣に用事があったときのことだ。西部を中心に活躍している傭兵団に、伝言を伝える仕事。大方その時、シイツの知り合いやらに悪いことを覚えさせられたに違いない。向こうは風紀が緩い土地も多く、若い男にとっては歓楽街が毒になりがちな場所だ。出身者でもあるシイツを見ていれば分かる。
「……そのうち、タガを締め直さないといけないでしょうか」
いっそ王都の中央軍か、寄宿士官学校の学生たちの中に放り込んで、ブートキャンプとして徹底的にしごいてやった方が良いのではないか。
或いは、一度領地に呼び戻し、おっさん連中で徹底的に説教と扱きをしてやらねばならないのか。
どちらにしたところで、気持ちを引き締めなおす特訓をせねばなるまい。
情報を漏らすと大騒動になる外務の担当者が、ゆるゆるな気持ちで居てもらっては困るとペイスは言う。
「大目に見てやってください。仕事はちゃんとしてますし、実際、役に立つ情報を手に入れてます。借金まではしないよう言い含めてありますから」
「ヤントなら大丈夫……と思えないのが不安で」
ヤントは、一時期ずいぶんと荒れていた。盗んだバイクで走り出す不良少年状態だったのだ。夜の校舎の窓ガラスがあれば、壊して回ったことだろう。それを思えば、遊びにハマって借金をこさえ、親兄弟に泣きついてくる未来も、無いとは言い切れない。博打と女遊びと酒は、不良少年が身を持ち崩す典型的なパターンだからだ。
ペイスの心配は、杞憂だとラミトは笑う。ヤントと頻繁に顔を合わせる人間として、彼の成長ぶりは見て取れるのだという。
「ルミよりはマシだと思いますよ」
「確かに」
ラミトは、自分の見立てを話す。彼にしてみれば、ヤントは苦労もしている分、成長も著しく、妹よりは大分マシだという。実際、彼らの妹であるルミはペイスと並んでモルテールンの問題児だった。盗み食い、不法侵入、器物損壊、などなど。犯した罪の数は結構なものだ。ここ最近では、ペイスが隠していた魔法の飴をつまみ食いし、ひと騒動起こしている。問題を起こすたびに親からは叱られているのだが、なかなか治らないと大人たちを悩ませてきた。
世に名高い悪童三人衆の紅一点である。
「あいつは今どうしてます?」
「寄宿士官学校で、性根から叩き直されているところですね。最近、つまみ食いで酷い目にあってますから、二度とやらないようにと矯正中……らしいです」
「らしい?」
「その手の情操教育と躾の専門家に任せてるんです。僕には子供も居ませんから、子育ての分野は専門外です」
寄宿士官学校には、優秀ではあっても素行の悪い人間というのも入学してくる。何にでも序列をつけたがったり、自分の優秀さを他人に称賛させたくて仕方がない人間は一定数いるわけで、イキった輩が調子に乗って問題を起こす、などというのは最早風物詩のようなものだ。
当然、学校にはこの手の学生を躾ける手練手管が存在していて、それを得意とする教官もいる。
むしろ、そういった人生経験がものをいう教育分野については、ペイスは苦手にしていた。風格や威厳というものに関しては、どうしたって一歩劣るのだ。年齢的にも体格的にも、威圧感や重厚さといったものと対極にあるのだから仕方がない。見た目だけは、どこまでいっても子供である。見た目だけは。
「ペイス様にも苦手なことがあったんですか」
「苦手なことだらけですよ。特に、領主代理やら教官やらは苦手です」
「いやいや、それで苦手って言われましても」
劣等生を首席で卒業させたり、ド貧乏領だったモルテールン領をどえらく発展させてみたり、ペイスがやらかしてきたことは枚挙に暇がない。それで苦手というのであれば、世の中に教官やら領主やらの仕事を得意とする人間は存在しないことになってしまう。
ペイス未満の教官や領主などゴロゴロいる。彼らの立つ瀬がなくなる話だ。
「僕が自信をもって得意と言えるのは、お菓子作りぐらいなものです。お菓子を作りたいがために仕方なく他の仕事をしているのです」
ペイスは、自分が菓子職人であることをアイデンティティの原点に置いている。よく勘違いされがちだが、領地を豊かにするためにお菓子作りをしている、のではない。お菓子作りをするために、領地を豊かにしているのだ。
「それじゃあ、差し当たってシイツさんあたりは、酒の為に仕方なくペイス様の補佐をしてるってところですか」
今度はラミトが従士長をくさす。
「最近じゃあ、シイツも子煩悩になってるらしいですよ。赤ん坊をあやすのに舌を出して、べろべろばあとやっていたのを見たニコロが腹筋を
「え? あのシイツのおっちゃんが? あ、いえ、従士長が?」
思わず素が出てしまうラミト。
「はい」
「そりゃ笑うでしょ」
お互いに、大笑いだ。
強面で知られる我等が従士長。戦場に出れば一騎当千の勇者。時に脅迫や拷問も平気でやらかす汚れ役。それが、自分の子供の前ではただの親ばかになるという。これが笑わずにいられるだろうか。
「すっかり丸くなったと評判ですよ、うちの従士長は。子供が生まれたことで心境の変化でもあったのか、自分の後継者の必要性を提言してきました。若い人たちには、期待すること大ですね。勿論、貴方もですよ」
「うわ、そう来ますか」
「ええ。これから、どんどん難しい仕事を投げていきますので、期待の表れと思って頑張ってください」
従士長も、孫が居てもおかしくない年齢である。自分に子供が出来たことで、それを強く実感したそうだ。
また、二十年以上にわたって政務を補佐してきた以上、そろそろ一線を退いて、後継者教育に専念する頃合いではないかとも考えるようになったらしい。
次世代の政務のトップに立つ人材。忠誠心と能力を兼ね備え、部下を指導監督し、家中を一つに取りまとめていかねばならない従士長という立場の後継者。今日明日でポンと生まれるものではなく、育成も含めて長期戦略が必要となる人材だろう。
勿論、ラミトもその候補の一人である。
薄々、当人も察していたようだったが、口にして言われたことで背筋に鉄骨が入った。ピンと胸を張り、期待に応えてみせると気合を入れる。
「が、頑張ります」
「差し当たって、急ぎでお願いしたい仕事がこれです」
気持ちが盛り上がったラミトを温かく見守りつつ、ペイスは一枚の羊皮紙を取り出した。
「鉱山技師の勧誘?」
紙に書いてあったのは、モルテールン領内の鉱山開発計画に伴う、技術者確保に関する提言である。
「ええ。当家も最近は状況が落ち着きつつあり、特に農業分野においては安定成長が見込めるようになりました。そして、製糖産業や製菓産業は絶好調です。このまま安定を求める者も家中には居ますが……何かと敵の多い当家としては、産業の多角化を図るべきだと、僕は考えています」
「産業の多角化って何です?」
「色々な産業を領内に抱え込むということです。サトウモロコシなどの商品作物を栽培し、搾汁から砂糖を生産し、お菓子にして売る。これが当家における産業の基本です。そして、食料自給と製菓産業への派生から、麦や野菜の生産や、家畜の飼育を行っている」
「はい」
モルテールン家の産業構造の変遷を辿るなら、カセロールという飛び切りの人材を貸し出す、人材派遣業がメインの産業としてスタートしている。
その後農業振興政策と農地開発に勤しみ、サトウモロコシの生産を始めた時ぐらいから、これらの派生産業が主要産業に躍り出た。
「しかし……これらは全て土台が農業です。天候一つ不安定になるだけで、領内の産業が一気に廃れる危険性がある」
「なるほど」
農業を主要産業とし、食品加工業を立ち上げたはいいもの、根本的な脆弱さをペイスは懸念している。一つの産業に頼り切って領地運営をする危うさを感じているのだ。
「儲かる産業に集中して投資し、人的資源を集中運用することは、より効率的に利益を産む。しかし、集中すればするほど危険性も高まる。
「ほう、分散というと、ばらけさせるのですか」
ラミトの思いついたものは、農地をいろんな場所に作るということだ。幸いにして土地の広さだけはあるモルテールン領。不可能じゃないだろうと、ラミトは言う。
「農業の生産地をばらけさせても、意味が薄い。無意味ではありませんが。出来るなら、根本的に違った産業を育てたいと思っています」
しかし、弱点が共通の産業を幾ら作ろうと、問題は解決しない。根っこの部分が全く違った産業が必要なのだ。次期領主はそう力説する。
「それが、鉱山技師と関係すると?」
「当家は山に囲まれています。折角なら、ここに有用な資源が眠っていないか探そうと思っています」
「山師の仕事ですね……そりゃ」
山に分け入り、有用な鉱脈がないか探す、アウトドア派の博打打ち。それが山師と呼ばれる人種だ。山の形や地形、周辺の環境、実地の調査や試掘などを踏まえ、有用資源の偏在、
「折角なら儲かっているうちに、探しておこうと思ったのです。こういうことは、借金まみれになってから慌てて博打のようにやるよりは、ゆとりのある時に落ち着いてやらねばならない。駄目で元々、ぐらいの心構えでないと」
一か八かでやることは、大抵が失敗する。見つかれば得するぐらいの軽い気持ちの方が案外上手くいくものだ。
「分かりました。とりあえず、近隣をそれとなく回って、その手の知識の有る人間を探してきます」
「有るかどうかも分からないものを探すわけですから、無理に一流の職人を連れて来なくても良いですからね。何となくそれっぽい、というのが分かるだけでも役に立ちますから」
「はい」
本気で鉱山の探索に乗り出すのなら、経験も知識も豊富で、一流と呼ばれる人間を出来るだけ多く連れてくる必要がある。
ペイスは、そこまでのことは必要ないという。あくまで余裕があるうちに手を付けておきたいというレベルの話なので、本調査の前の下調べの、更に下調べぐらいの気持ちで居てくれればいい。
「ところで……ラミトが帰って来てることは、誰かに伝えましたか?」
急な話題転換に、ラミトは思わず咄嗟に応える。
「いいえ? ここに直接来ましたから」
モルテールン領に入って、どこにも寄り道せずに直行してきた。そういうことらしい。
ならばと、ペイスはニヤっと笑った。
「それはいけませんね。この後、ちゃんとナータ商会に顔を出しておくように……待っている人が居ますからね」
ラミトは、ペイスの揶揄いに顔を真っ赤にした。
注)ラミト
ルミニートの一番上の兄。
友達以上、恋人未満の相手がナータ商会にいる。
…モゲロ