メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

郷ひろみ、そして「新御三家」のアイドル史的意味

太田省一 社会学者

絶妙のバランスだった「新御三家」

 ここで、前回で述べたことも併せて「新御三家」ついて少しトータルな観点で考えてみたい。所属事務所はみな異なっていたものの、3人の三者三様の個性は絶妙のバランスとなって「新御三家」をあたかもひとつのグループのように見せていた。

 まず音楽的には、野口五郎と西城秀樹が好対照だった。野口がフォーク的な要素を巧みに取り入れながら歌謡曲に新しい色合いを与えたとすれば、西城秀樹はロックをベースに洋楽のエッセンスを歌謡曲に持ち込んだ。

 それは、演歌の五木ひろし、森進一と並んで当時歌謡界の「四天王」と呼ばれた布施明と沢田研二の関係性にも似ている。

 布施はフォークの小椋佳が作った「シクラメンのかほり」(1975年発売)を自らアコースティックギターを弾きながら歌って大ヒットを飛ばし、沢田は自前のロックバンドをバックに歌い、世間をあっと驚かせた衣装やメークなども含めてロック的な表現を歌謡曲のフィールドで主張し続けた。野口五郎と西城秀樹はこうした音楽的追求をアイドルの領域において繰り広げたと言える。

 またここまでたびたびふれてきた男性アイドルにおける「不良」と「王子様」のイメージの対比は、西城秀樹と郷ひろみが表現していた。繰り返しになるが、西城が「不良」とすれば、郷が「王子様」である。

「明星」(集英社)は 郷ひろみ(中央)は表紙の常連だった。75年2月号拡大芸能誌「明星」(集英社)で、郷ひろみさんは表紙の常連だった。右は桜田淳子さん、左は山口百恵さん=1975年2月号
 しかし1970年代になり、そこには時代とともに起こった変化もあった。

 たとえば不良性は、すでにGSのように社会問題化するようなものではなくアイドルのひとつの個性として受け入れられるものになっていた。西城秀樹に対する“ワイルド”という形容は、「不良」がポジティブなものに反転した好例だろう。

 また郷ひろみの「王子様」も、私たちの日常生活に身近なテレビの時代においては同様に解釈し直されていく。酒井政利が郷を形容した“中性的な美しさ”とは、そのような読み替えのひとつだったと言えそうだ。

 そうした“中性的な美しさ”は、ちょっと浮世離れしたところのあるコミカルな魅力と視聴者から受け取られ、郷自身の活躍の幅を広げた。樹木希林とのデュエットでヒットした「お化けのロック」(1977年発売)や「林檎殺人事件」(1978年発売)などはその典型であり、ともに二人が出演したTBSのコメディドラマ「ムー」シリーズで歌われたものだった。

 郷に限らず「新御三家」は、日本テレビのバラエティ番組『カックラキン大放送!!』(1975年放送開始)に代表されるようにコントなども達者にこなした。ただその特長も、郷がその独特のキャラクターが醸し出す面白さだったとすれば、野口はダジャレの巧みさ、西城は物まね上手というようにそれぞれ三者三様であった。

全ジャンルパックなら13607本の記事が読み放題。


筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

太田省一の記事

もっと見る