入団会見で質問に答える香川(写真:ZUMA Press/アフロ)
その2日後、日本の報道陣に向けた小規模な取材会を、香川自らが実施した。その意図をこう話す。
「ネガティブでも批判的に書かれるのも全然いいんだけど、間違ったことが多いから」
香川の移籍をめぐっては、多くの不正確なニュースが流れた。批判を避けたいのではなく、正しい情報を求めている人には伝えたいという、至極まっとうな気持ちからの会だった。
大勢が参加する会見とこうした取材会との違いは大きい。例えばクラブが用意した入団会見は、大きな会場でテレビ、ラジオ、新聞など多くの媒体が参加した。そうなると、自然と誰でもわかりやすい無難な質問が多くなり、突っ込んだ質問がされることは少ない。またスペイン語の通訳を介するため、話す側と聞く側のやりとりに時間と労力がかかる。さらに、通訳がどんなに優秀であっても、細かい話のニュアンスまでは伝わりづらい。
だからこそ比較的少人数で、日本語で細かく正確に話を聞くことができる機会を、ということだった。
日本人記者を対象にした取材会。落ち着いた様子で話す香川(撮影:了戒美子)
厳しい環境が今の自分にとってベスト
会はざっくばらんとした雰囲気だ。香川と初対面の記者もいる。「この中でスペインに住んでるのはどなたですか?」と、香川からの逆質問で始まった。ビデオカメラのセッティングを待つ間、「朝コーヒーをこぼしちゃって」とシャツのシミを気にしながら笑った。
冒頭、サラゴサ入りの理由を説明した。2日前の入団会見では話しきれなかったという。スペイン1部を希望し探していたが、さまざまな選択肢が浮かんでは消えた。その中で今後は心から楽しんで戦える環境が必要だと考えたこと。2部だからこそ圧倒的な活躍を期待される。そのプレッシャーを力に変える必要があるということ。サラゴサでの挑戦を長期的に考え、2022年カタールW杯までのプランをイメージしやすかったこと――。そして、こう付け加えた。
「2部からはい上がるということが、自分らしいんじゃないかな」
香川は19歳で日本代表に選出され、21歳でドルトムント入りすると、すぐに結果を出した。若いころから一線で活躍してきた香川が、意外にも「はい上がる」ことこそが自分らしさ、だと言うのだ。どういうことなのか。
(撮影:中島大介)
「僕はそうやって(下からはい上がって)やってきたと思ってるし、どんな環境でも自分次第で成長できるんだという気持ちで、今までやってきたんです。中学校、高校も、(地元)神戸っていうね、ヴィッセルとかJの下部組織がある中で、あえて仙台の街クラブでの挑戦を選んだし。僕のサッカーキャリアの中で、それがまず最初の大きな決断だったと思ってる」
神戸で生まれ育った香川は、中学入学と同時にサッカー留学し、仙台市のFCみやぎバルセロナというクラブチームに進んでいる。FCみやぎバルセロナは学校の部活でもJリーグの下部組織でもない「街クラブ」だ。プロ選手となるためのルートがあるわけでもない。だが、小学生の香川はクラブの環境を気に入り、決断したのだ。30歳になった今、改めて自分のルーツはその決断にあると言う。それを今回の自身のサラゴサ入りの決断に重ねる。
(撮影:中島大介)
「決断してあとはシンプルに年齢関係なしに、上を目指して戦っていくだけ。ただそれと同時に現実を見ないといけない。だから、この1年が勝負だし、これがもしうまくいかなかったら僕は日本に帰るだけだと思ってるんで。そのくらいの、強い気持ちを持って戦いたい。ここで(出場機会を)失ったらどこもいけないよと。それくらいの厳しい環境が今の自分にとってベストなのかなと思ってます。立ち向かう準備はできてる」
めずらしく「うまくいかなければ帰国」と口にした。それほどの決意と覚悟を持って、サラゴサを選択している。
「苦しかった」W杯後
18年のロシアW杯後の1年を振り返って、香川は「苦しかった」と率直に口にした。
「W杯が終わって、まだ1年? もう1年なのかな? 1年前は遠い昔に感じます。僕の中ではW杯が終わった時に、次のステップを正直踏みたかった。自分のイメージ通りにはいかなかったというのは一つありました。非常に苦しかったです」
18年の夏に「次のステップ」、つまりスペインへの移籍を実現させたかった。W杯という大仕事を終え、モチベーションを見いだすことが難しい時期でもあった。結局、ドルトムントに残留したが、出場機会をつかみきれなかった。ただ、チャンスは皆無ではなかった、ということは自覚している。
(撮影:中島大介)
「ベンチ外が続くことは想定外だったけど、巻き返せる自信があったし、地力はあったと思ってます。監督も代わったけど、必ず自分の(チャンスが与えられる)時間が来るだろうと感じていた。ただそのタイミングでちょっとけがをして。それは9月のニュルンベルク戦ですね。マリオ(・ゲッツェ)がベンチ外だった時で、多分あそこのタイミングで自分がけがせずに、状態キープしてたらまた違ったかもしれない。でもそれはちっちゃい、今だから思える結果論。あそこでけがをするということは自分の実力で、流れを引き寄せられなかった。気持ちの準備は確実にできてなかった。必然だったのかなと」
9月のニュルンベルク戦、チームは7-0で大勝した試合だった。香川は62分から途中出場するも、結果に絡みきれなかった。結局、この試合を最後に、香川はブンデスリーガでの出場機会がなくなっている。
19年冬でのスペイン移籍を探ったがそれもかなわなかった。
「移籍するタイミングっていうのは、やっぱりとても重要だなって。新たな環境への挑戦をする時というのは必ずあるけれど、タイミングを1個間違えちゃうと今回のような形には十分なるかなと」
(撮影:中島大介)
スペインでプレーしたいと10代のころから思いつつ、いざ実現させようとしてからは1年もかかってしまった。
「2018年の夏は、決断ができてなかった、決断をする引き出しの準備ができてなかったというのが、自分の問題としてあったんじゃないかなと。何かしらの決断、環境を変えることがあの夏には必要だった。120パーセント必要だったのにそれができなかった」
チャレンジする勇気、チャレンジへの準備が足りず、タイミングの重要性を痛感することになってしまった。だが、後悔、反省という様子ではない。事実を淡々と客観的に捉え、今後に生かそうというように聞こえた。
「これからの未来をどう描いていけるか」
入団発表から8日後の17日、開幕戦はテネリフェをホームに迎えた。先発の香川は4-3-1-2のトップ下で80分間出場。香川の加入が決まってから急遽採用されたシステムで、ぎこちなさもあった。
だが、途中交代の際には盛大な拍手に送られてベンチに退き、チームは勝利した。第2節、アウェーのポンフェラディーナ戦では1得点を挙げ、第3節のエルチェ戦では無得点。第3節では少々精彩を欠き、さっそく地元紙からは厳しい評価も受けた。
(撮影:中島大介)
「絶対に、良い時もあれば悪い時もあるから。一番大事なのは悪い時にね、どれだけ、修正しながら戦っていけるかがキーになる。良い時は勢いに乗ってやっていればいい時もあるけど、実は良い時ほど自分自身をコントロールしながら常にやり続けることが大事。そうしていれば、悪い時でもある程度できる。問題は自分自身も、チームがうまくいかなかった時期に、どうするのか。チームとしても個人としても、それが大事だと思います」
街のショップでシャツに香川のネームを入れる店員(撮影:中島大介)
2部サラゴサでの日々は、マンUやドルトムントでのそれとは全く違う。何より練習環境が違う。まず自分でトレーニング用具を準備し、ジムや練習場に向かう。使っていたテーピングのテープはスペインにはないからドイツから取り寄せる。かつてともにプレーしたトップレベルのスペイン人選手たちとは違い、サラゴサに在籍するスペイン人選手たちのほとんどが英語はできないので、スペイン語習得も必須だ。
(撮影:中島大介)
「この移籍は本当に新鮮です。21歳で海外に出てきた時のような気持ちじゃないですけど、これからの未来をどう描いていけるかという気持ちがあるのが新鮮というか。楽しみです」
心機一転、初心に帰った香川。シーズン序盤、7戦連続で先発出場し、確かな存在感を示している。2部から「はい上がる」ことができるか。香川の新たな戦いが始まっている。
了戒美子(りょうかい・よしこ)
1975年生まれ。98年、日本女子大学文学部史学科卒。映像制作会社勤務を経て2003年から執筆活動を開始。11年3月11日からドイツ・デュッセルドルフを拠点として欧州サッカーをメインにスポーツ全般を取材。「スポルティーバ」(集英社)、「ナンバー」「ナンバーウェブ」(文藝春秋)などに寄稿している。近著に『内田篤人 悲痛と希望の3144日』(講談社)。
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