世界の貧困を撲滅しよう。この理想を実現するために、北の国々から南の国々に巨額の援助が与えられ、援助実務家やボランティアが汗を流してきた。しかし、効果が上がるとは限らない。学校に通った子供たちが読み書きができない。病院ができたのに看護師が出勤しない。マイクロクレジット(少額融資)を提供してもなかなか起業家が生まれない。さて、どうしたらいいのか。
一方では、外部からの無駄な介入をやめて、自助努力に任せればいいという考え方がある。他方では、一度に十分な規模の援助を投入して、まずはスタートラインに立ってもらおうという考え方がある。市場原理と公的支援のどちらを重視するか、援助の世界でも大論争が展開されてきた。
しかし、本書の著者たちは、どちらも「イデオロギー」にすぎないという。政策の効果が客観的に計測されていないからだ。彼らは世界各地で、臨床医学的なランダム化対照試行を展開してきた。対象を無作為に抽出し、ある政策を実施するグループとしないグループに分けて、効果を厳密に比較するのである。そうすると、ひとつひとつの事例について、成功と失敗を分けた本当の要因が鮮やかに浮かび上がってくる。目から鱗(うろこ)が落ちるとは、このことだ。
本書の事例分析の根底には、途上国の貧者もまた、期待したり、落胆したり、悩んだりする、我々と同じ生身の人間だという信念がある。しかし、本書の議論は情緒的ではなく、徹底して科学的。行動経済学の最新の理論に導かれて、一見すると「非合理的」な貧者の行動の仕組みが、ストンと理解できるようになっている。経済学の流れを変える書物として数々の賞を受賞したのも当然だろう。
徹底した現場主義。実証的な楽観主義。貧困の罠(わな)から脱却する具体的な処方箋。著者たちは、小さな改革が変化を生み出し、人々の行動が変わり、「静かな革命」へと合流する可能性を展望する。
政府と市場をめぐるイデオロギーの対立は日本でも生々しい。南北問題に関心がある人にも、そうでない人にも、貴重なヒントがぎっしり詰まった一冊だ。
(同志社大学教授 峯陽一)
[日本経済新聞朝刊2012年5月27日付]
著者:アビジット・V・バナジー, エスター・デュフロ.
出版:みすず書房
価格:3,150円(税込み)