『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて』が2017年7月29日に発売してから、早いもので2年以上が経過している。当時、約13年ぶりの据え置き機向けオフラインナンバリングにわくわくした筆者は私生活を忘れて、1週間で100時間以上かけてPS4版をクリアし、その後はすぐに3DS版にとりかかった。両バージョンの合わせたプレイ時間は優に200時間を超えている。

PS4版のレビューでは「オープンワールドと一線を画す冒険の舞台ロトゼタシアは最高に魅力的だ。ボリュームたっぷりで、序盤からクリア後まで引き込まれるスト―リーは『DQXI』をいつまでも夢中でいられるゲームにしている」という評価を下し、9.4点のスコアを与えた。

3DS版のレビューはそれよりも低い7.8点のスコアとし、「作品の本質は失われていない、その魅力はもう少し控えめになっているだけだ」と書いた。

Switch版をクリアして、まず言えることはロトゼタシアが美しく輝いて見えたことだ。

PS4版がなぜより魅力的に思えたかというと、もちろん美しい3Dビジュアルが大きい。だが、ゲームのビジュアルは我々が考えている以上に、直接ゲームプレイに大きな影響を与えていることも気付かされた。各ロケーションのデザインからモンスターの乗り物にミニゲームまで、雰囲気だけでなく遊び方も違ってくる。結果、冒険の舞台であるロトゼタシアが生きた世界のように感じられたのは、PS4版だけだった。

それから2年して、『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S(以下、DQXI S)』がNintendo Switch向けに発売し、筆者は再びロトゼタシアの住人――というか、勇者――となった。Switch版をクリアして、まず言えることはロトゼタシアが美しく輝いて見えたことだ。それはPS4で夢中になったのと同じロトゼタシアだった。

本編の評価については基本的にPS4版のレビューと同じなので、本稿では詳しく書かないことにする。代わりに、新要素を中心にレビューしていく。

PS4版と3DS版のいいとこ取り。

『DQXI S』はいわゆる完全版で、もちろん新要素も多い。だが、その前に、まずは本作がPS4版と3DS版のいいとこ取りをしている作品であることにも触れなければならない。PS4版をベースにした臨場感あふれる3Dビジュアルでアニメの世界を歩き回るような感覚が味わえるのはもちろん、3DS版に収録されていた2Dのドット絵に切り替えることもできる。3DSの小さな画面で見るときもよかったのだが、令和の時代に大画面に広がる2Dドット絵はなかなか味わい深い。


さらに、ドラクエの過去作の世界を訪れるという、3DS版にしかなかった要素も『DQXI S』に収録されている。3DS版ではすれちがい通信を通して、過去作を訪れるようになるシステムだったが、今作ではロトゼタシアの様々なところにいるヨッチ族に話しかけることで開放されていく。

筆者は過去作を訪れるミッションがあまり好きではない(3DS版のレビューでその理由を詳しく確認)が、PS4版になかった要素まで収録されているのは喜ばしいことだろう。

完全新要素として、まず台詞にボイスが当てられていることが大きい。ゲームの序盤からわかるように、単に台詞通りに声が入っているだけでなく、その場の雰囲気を作り出すための様々な声が入っている。立ち上がるときのちょっとしたかけ声、笑い、驚きの声などが、登場人物の喜怒哀楽をよりストレートに伝えてくれる。闘技場やサーカスといったイベントでは 観客の声もいろいろと聞こえてくるようになり、オリジナルになかった臨場感を作り出している。キャラクターはバトル中にも声を出すようになり、これも筆者が思っていたようなわざとらしいものではなく、ちゃんとバトルに臨場感を与えていた。

声優のキャスティングも申し分なく、オリジナルで好きになったパーティメンバーやその他の主要キャラクターの声に違和感はまったくなかった。「ドラクエに声はいらない」というストイックなスタンスの筆者でさえキャラクターに命が吹き込まれていることを否定できない。とはいえ、すぎやまこういちの神々しい音楽を聴きながら静かに流れる効果音とともに送られる堀井雄二の文章を読み進めるのもやはり捨てがたい体験だ。幸い、ボイスはいつでもオフにできるようになっているので、好きなスタイルで楽しんでほしい。いずれにしても、PS4版や3DS版でこの冒険をすでに一度体験しているユーザーにとって、声によるドラマが新鮮味を作り出しているのはありがたい。

声によるドラマが新鮮味を作り出している。

ボイスが入ったことに無理があるとするのならば、それは誰も勇者の名前を読み上げることができない点だろう。台詞に勇者の名前が出てくると、声優たちはそれを「お前」、「彼」、「息子」、「勇者」、「悪魔の子」、「ルーキー」、「新チャンピオン」などなどと、様々な言葉で回避してくる。筆者は勇者の名前が出てくるたびに、「今度はどんなかわし方をしてくるのだろう」と楽しみにしている自分がいた。非常に器用な立ち回りだが、これが本来ボイスなしで展開するゲームだったことを感じさせる。

絶対に名前を呼んでもらえない勇者。

『DQXI S』の主要な新コンテンツは、5つの追加シナリオだろう。これらのうちの4本は物語の中盤あたりで立て続けに進行し、5本目は本編クリア後のシナリオとなる。合わせて3、4時間程度のボリュームといったところか。

追加シナリオは、組み込まれた方法によって物語全体に少なからずのダメージを与えている。

追加シナリオの感じ方は、PS4版や3DS版をすでにプレイしているユーザーと、Switch版でDQXIを初めて遊ぶユーザーとでは、結構違うと思う。

すでにDQXIのストーリーを知っているユーザーにとっては、仲間がパーティーからはぐれていた間に何が起きたのかがわかる内容となっている。本編で説明されてこなかった展開だが、どれも想像で補える程度のお話で、物語全体に大きな付加価値を――良くも悪くも――与えていない。少なくとも、「まさかこんなことが起きていたのか?」と驚く場面はないし、仲間たちの新たな一面が見えてくるほど深堀りするのには短すぎるストーリーたちだ。それでも、ホイミスライムと一緒に冒険するカミュの微笑ましいチームプレイや、パレードをしてどんどん仲間を増やすシルビアの姿などは、このキャラクターたちが大好きなプレイヤーにとってはそれなりに楽しめるはずだ。


仲間キャラクターを操作できるのはこの追加シナリオが初めてとなるが、歩き方からモンスターに攻撃するところまで、アニメーションが凝っていてそのキャラクターになりきらせてくれるのは嬉しい。

追加シナリオは仲間からはぐれた状態でのプレイになるので、バトルの楽しさが半減するという問題も。

しかし、追加シナリオは仲間からはぐれた状態でのプレイになるので、バトルの楽しさが半減するという問題もある。一時的な仲間が加わることも多いが、直接指示できないのでそこまで奥深いバトルにならない。

ロウの追加シナリオはネタバレになるので詳しく書けないが、一番よくできていた。独特なロールプレイ体験が楽しめ、自分の選んだ行動の結果までわかり、コンパクトにまとまっていた。

ネタから始まるロウの追加シナリオであったが……。

まだDQXIのストーリーを知らないユーザーにとって、追加シナリオのインパクトは少し違うはずだ。これも詳しく説明するとネタバレになるが、問題は追加シナリオが発生するタイミングに起因している。DQXIの中盤あたりで大きな出来事があり、その後にロトゼタシアがどうなったのかを勇者として体験することになる。ところが、追加シナリオはその前に発生するので、勇者が見る中盤以降のロトゼタシアにはPS4版と3DS版ほどの重みがないように思う。追加シナリオはどれも単独で罪のない小さなストーリーだが、組み込まれた方法によって物語全体に少なからずのダメージを与えている。

ストーリー上の問題はさておき、『DQXI S』は機能的にはPS4版よりずっと便利なゲームになっている。海外版の変更点を中心に、本作ではいつでもダッシュができるようになり、仲間は一緒に歩いてくれるので、気軽に話しかけられるようになっている。バトルのスピードも「早い」と「超早い」に変えられるようになった。新しいコンテンツを中心に楽しみたいユーザーにとっては冒険をかなりスピードアップさせられるし、PS4版や3DS版の「ふっかつの呪文」を使って進めることもできる。追加シナリオだけをDLCとして配信しない完全版商法が気にならないと言ったら嘘になるが、少しでも早く新しい部分にたどり着ける様々な便利機能はありがたい。

 


それでも、すでに本作を一度プレイしているユーザーも途中で足を止めたくなるかもしれない。新しく追加されたフォトモードでキャラクターたちを絶景の前に並べて、様々なポースをさせてみよう。表示させるキャラクターを選び、向きや配置を変え、好きなポーズをとらせて、好みに合わせて背景をぼかしてからの撮影。機能が豊富なのはありがたく、ズームができないのが唯一の欠点だ。

そういえば、海外版では探索時にもズームができるようになっていたが、これも追加されていない。どうやらズーム機能をつけるとCEROのレーティングが上がるらしいが、魅力的な舞台であるだけに、近くから見られないのは残念だ。

これぞ堀井節といえる馬鹿騒ぎ。

冒険に新鮮味を加える工夫として、縛りプレイの新種類で遊ぶのも一興だろう。筆者は「町の人がウソをつくようになる」縛りプレイを設定して遊び、突然に犯人扱いされたり、勇者の役目を引き継いてやると言われたりして、これぞ堀井節といえる馬鹿騒ぎを盛大に楽しんだ。そして、メインストーリーに関わる人物までウソをついてきたときは不意をつかれ、見事に騙されてしまった。


乗れるモンスターが増えているのもありがたい追加コンテンツだ。しかし、従来のモンスターの乗り物のようにフィールドデザインに組み込まれているわけではないので、必然性を感じない。また、新しいモンスターの乗り物はゲームの後半に登場するものが多いので、期待していたほど冒険に新鮮味を作り出しているわけではなかった。


最後に、Switch版のビジュアルについても触れておこう。筆者はレビューの最初に「PS4で夢中になったのと同じロトゼタシアだった」と書いているが、厳密に言うとちょっと違う。一見すれば、確かにほとんどPS4と遜色のない出来だが、実際に比較してみるとかなりの差がある。

PS4版の鮮やかなライティングやキャラクターの質感は完全に再現されておらず、町の細かいディテールもよりシンプルな荒いグラフィックスになっている。フィールドに出ると特に遠景の描写には圧倒的な差があり、例えば遠くにある麦畑はPS4版だとちゃんと描画されているのに対して、Switch版では砂丘に見える。他にも、植物や樹木が最初から見えるPS4と違って、Switch版では近づくとやっと出現する。花畑といったディテールの多いフィールドでは特にSwitchの限界を実感するだろう。

PS4版であれば、奥の麦畑は砂丘に見えない。

結局のところ、Switch版は同じバージョンではなく、PS4版とよく似た別バージョンであると考えた方が良さそうだ。それでも、Switchのゲームとしてはかなりきれいなゲームだし、フレームレートも安定しているし、携帯モードで遊んでもきれいだ。SwitchでここまでPS4版と近いDQXIを実現できたことは、それだけで偉業と言えるかもしれない。