ガゼフ・ストロノーフは久しぶりに我が家への帰り道を歩いていた。日常的に王の護衛として城に詰めているため家に帰ることはめったにないため久しぶりの帰宅だ。城を出た時から土砂降りであったためレインコートを羽織り家路を急いでいた。
(あの戦争が終わってから陛下はすっかり老け込んでしまったな……。張りつめたものが抜けてしまったようだ……)
第一皇子バルブロが活躍したことによるバハルス帝国との戦争の勝利以降、貴族派閥が力を増し王派閥の求心力は落ちてしまった。
さらに正式にバルブロを後継者にとの声が高まりついに王もそれを認めたしまったのだ。バルブロ王子は貴族派閥の旗頭である。
そのため貴族中心の政治をという声が強くなり、平民出身の戦士長ガゼフとしては現在さらに肩身が狭い思いをしていた。貴族たちからの嫌がらせや嫌味に耐えつつ、今後の進退を考えている。
(もし陛下が引退されるのであれば……私も辞めるか……)
ガゼフが王家に仕えていたのも今のランボッサ三世が平民にも関わらず取り立てる度量の大きさとその民に向ける慈悲深さを慕ってのことだ。
しかし、息子のバルブロは尊大で自尊心が強く、横柄で民のことなど虫けら程度にしか思っていない男だ。とても仕えたいと思わせるような魅力はない。
沈んだ気持ちで家の見えるところまで来ると、そこに一人の男が立っていた。そしてその恰好には見覚えがある。
(白ブリーフ……だと!?)
ガゼフの脳裏に一瞬、カルネ村近くで出会った白ブリーフ集団のことがよぎる。もしやその一味ではと思い身構えたとき雷鳴が走た。
(……あれは……ブレイン?)
雷光で一瞬見えたその俯いた顔はかつて御前試合でしのぎを削ったブレイン・アングラウスに見えないこともない。
ガゼフが近づくと気づいたようでその男が振り向く。
「……ガゼフ……ストロノーフ?」
ガゼフは考える。確かに似ている。だが、こんな雨の日に白ブリーフ1枚で立っている男が剣の天才ブレイン・アングラウスだろうか。剣士たる者いついかなる時も剣を手放さない、剣を振ること人生だと言っていた男だ。その男が手に剣を持っていない。
(……なんだ、ただの変質者か)
ガゼフは男の傍を横切る。しかし近くで見た横顔があまりに見知った顔に思えて二度見してしまった……が、そのまま家のドアへと手をかけた。さっさと帰って寝よう。
「ふぅ……やれやれ……今日は疲れたな」
「ちょ、ちょっと待て!?今見たよな?俺のことを見たよな?ガゼフ・ストロノーフ!?」
家に入ろうとしたガゼフに白ブリーフの変態が言い寄ってくる。
「あ、そういうのは間に合ってるので……」
「そういうのってなんだよ!俺だよ俺!ブレイン・アングラウスだよ!」
目の前の変態はブレイン・アングラウスと言うらしい。同姓同名というやつなのだろうか、それとも親戚かなにかだろうか。
「ま、まあいい……。最後にお前に会って言いたいことがあったから来ただけだ……」
「言いたいこと……?ああ……なるほど……」
ガゼフは雨の降りしきる空を見上げると相手の言いたいことを察する。そしてレインコートを脱いで男の肩から掛けてやった。
「雨じゃねえよ!?つーかこの状態でレインコートとかやばいだろ!?」
レインコートを着た白ブリーフ男の変態度はますます上がったようだ。
ブレインは気を取り直すと、暗く沈んだ様子で呟く。
「ストロノーフ……俺たちは弱い……俺たちの剣の腕などゴミ程度でしかない……剣の腕で世界一を目指すなんてやめておけ……絶望するだけだぞ……」
ブレインはそれだけ言うと後ろを向いて肩を震わせている。そして最後に呟いた。
「……これで……死ねる……」
そう言ってとぼとぼと離れていく男。その男にガゼフは思うところは特にはなかった。ブレイン・アングラウスに似ている以外ただの変質者であり、通報したほうがいいかと思う程度だ。
しばらくその男が去って行くのを見ていたガゼフであるが、実際その男の足は前には進んでおらず牛歩戦術のごとく足を上下運動させているだけなのに気づく。
もしかして何か言ってほしいのかとも思うが変質者にかける言葉などない。ガゼフは家のドアを開けると家へと入った。
「おい!ちょっと待てよ!止めろよ!俺が死ぬのを止めろよ!」
ブレイン・アングラウスに似ている男はドアを開けて勝手に家に入ってきた。
「いや、勝手に家に入られるのは困るのだが……誰なんだあんたは……」
「ブレイン・アングラウスだって言ってるだろうが!!!!」
ブレイン・アングラウスと名乗る男はガゼフの肩を掴むとゆさゆさと揺する。そしてその男の肩を掴む力にガゼフは気づく。振りほどこうとするがしっかりと肩を握られておりガゼフでさえ振りほどけない。体はよく見るとがっちりしており手のひらには分厚い剣ダコが出来ている。これほどの剣ダコは毎日欠かさず剣を振り続けないと出来ないだろう。
「本当に……アングラウスなのか?変質者じゃなくて?」
「誰が変質者だ!!」
♦
とりあえずブレインにタオルで濡れた体を拭かせ、着る物を貸してやる。他の男に濡れた白ブリーフの代わりに自分の下着を貸すと言う人生初の不快な思いを経験したガゼフだが、今はテーブルを挟んでブレインと対面していた。
「まぁ一杯やれ、アングラウス」
「あ、ああ。すまない」
ブレインは遠慮なくつがれたワインを飲むと生き返るような思いがした。よほど衰弱していたらしい。
「それとブレインでいい。気楽にそう呼んでくれ」
「いや……何となくお前とはお近づきになりたくない。アングラウス」
「ひでえな!」
何と言われようと白ブリーフ1枚で家の前で待っているような男にファーストネームで呼ばれたくないガゼフであった。
「アングラウス。ところでお前、辺境のカルネ村あたりで白ブリーフ1枚で森を駆けまわったりしてなかったか?」
「するわけないだろう!?なんだそりゃ!?そんなやついるわけねえだろ!?」
身ぐるみを剥がれてこんな格好のブレインであるが、そんな真似をするはずがない。どこの妖精の話だ。
「いや、先日そんな集団に会ってな。お前もその一味かと思ったんだが……」
「違う!俺は身包み剥がされただけだ!」
「お前が……?何があったんだ?」
今はこんなではあるがガゼフと互角に渡り合った剣士だ。それに勝てるものなど数えるほどしかいないだろう。ブレインは言いにくそうに額に皺を寄せると口を開く。
「メイドだ……メイドにやられた……」
「は?」
メイドとはあの王宮などにいる女のお手伝いたちのことだろうか。やはりこの男はどうかしているかもしれない。
「メイドにボコボコにされたんだ……剣も服も奪われた……だが一般メイド程度であれば五体満足であったなら何とかなっただろう……」
一般メイドとは何なのか。一般でないメイドでもいるとでもいうのだろうか。ガゼフは本気でブレインの正気を疑いだす。
「だが本当に怖いのは黒い軍帽を被ったメイドだ……あれこそが……戦闘メイド!」
「戦闘メイド……?」
「ストロノーフ……黒い軍帽の戦闘メイドには絶対に挑まないことだ……」
ブレインは真剣な目でガゼフを見つめながらもう一度呟いた。
「戦闘メイドに気を付けろ……」