どうも。
ご存じの方はごきげんよう。
はじめましての方には自己紹介します。
「見たくなくてもあなたの瞳にダイビング。元宝塚歌劇団花組の視線ドロボウ、現在は歌って踊れるサラリーマンをしております」天真みちるです。愛称はたそです。よろしければたそって呼んでください。
初っ端から長ったらしい自己紹介で申し訳ございません。
ワタクシ、会話でも手紙でもなんでもハイパー前置き長太郎でして、近しい友人には「今の部分話さなくてよかったんじゃない?」とよく言われております。
先日初めてインスタLIVEをした際も「前置き20分:本題5分」のアンバランスな放送内容になり、アーカイブを見た方からも「冒頭いらなくない?」と言われ……
……とまあすでに本題からずれてしまいました。どうでもいいですね、戻します。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、実は本日で宝塚歌劇団を卒業して1年が経ちました。「光陰矢の如し」といいますがまさにその通りです。むしろ「矢」より早い。スマブラのピカチュウの電光石火くらい早い(コントロールが超難しいのも含めて)。
在団中、公演が終われば次の公演のお稽古が。お稽古が終われば本番が。本番が終わればまた次のお稽古が……と、ず——っと「次」に追われていた私にとって、卒業後はさぞやスローライフになるであろうと思っていたのですが……甘かった。
時の流れを急激に変化させることが怖かった私は、10月14日に宝塚歌劇団を卒業し、翌11月1日からサラリーマンになりました。
ここから、超怒涛の「遅れてきた新卒(中途?)社会人研修」が始まるのですが……またまた今回の本題から大幅にずれが生じてきているので、この件については別の機会に触れたいと思います。
やっとこさ本題です。
卒業して1年。様々なことがありましたが、せっかくなので今回はすべての始まり、
「宝塚音楽学校を受験したとき」
に何があったのかを振り返りたいと思います。
偉大な人物の伝記は、大抵が「人生の幕を下ろして」から「その人の近しい人物か研究者」によって書かれることが多いものです。また、生きているうちにそのような本を出すのは「偉業を成し遂げた人」じゃないと、とうてい無理なこと。
私の場合、この先偉業を成し遂げる気配もないし、誰も書いてくれそうにもないし……
ならば、「自分で」人生を今から振り返っていこう……と。
人生真っただ中に、「たそのたそによるたその為の」偉業でもなんでもない半生自伝をつらつらと書き綴ろうと思った次第でございます。
タカラヅカに興味がない方も、これを機に少し興味をもってもらえたら、この上ない喜びです。
それでは張り切ってゴー。
【そもそも、宝塚歌劇団とは。】
大正3年(1914年)に初公演後、令和元年(2019年)今日まで100年以上も不動の人気を誇る、女性のみで構成された特別な歌劇団。
タカラヅカの男役とは、世の女子たちの「究極の理想の男」。
愛する人を全身全霊で愛し抜き、はたまた禁断の恋に落ち一人の女性を巡って美しく競い、祖国のために命を懸けて戦い、この世のものとは思えない美しい妖精になったり、歴史上の人物を200%の再現率で本物超えてきたり……。
とにかく、様々な時代や国の男の物語を「究極の完成形」で表現する、
実際の人生では決して、けっっっっっっっっっっして出会えない、容姿端麗且つ、キザ且つ、歌ウマ且つ、ダンス最高且つ、マジで容姿端麗で最高 of 最高な理想の男、スターなのである。
しかも、1人じゃない。
1公演につき男役は35名くらい出演していて、さらに花・月・雪・星・宙の5組と、「人生を極めた」専科さんで構成されているので、「生涯追い続けたい男役」の候補は選びたい放題、しかも未来のイケメン候補生は毎年入団してくる。
ありがたい。本当にありがたい。
そして、本当に考えた人天才だなと思うのが、「スターシステム」である。
理想の男の中で、各組たった一人、「男の中の男」=「トップスター」が存在する。
「トップスター」は就任したら、その組の「顔」となり、いかなる作品においてもすべて「主役」を演じる。立ち位置は常にセンター。トップスターを中心に物語は進み、すべての作品はトップスターに始まり、トップスターに終わる。
宝塚歌劇団に在籍する生徒たちは皆、「トップスター」を目指し、日々精進している。
そんな華やかな世界で「私は」というと、
主役の吸血鬼に血を吸われめちゃめちゃ狂う不動産仲介人を演じたり、裏で麻薬を密売している医者を演じたり、女装する医者を演じたり(医者多いな)、モヒカンの用心棒、角刈りの車引き、邪馬台国のみずら結いの人、常に半目(薄目)状態の右大臣等々
トップスターやスターを目指す方々からはだいぶかけ離れた「情報量の多いおじさん」を演じることを極めていた。
まさか、宝塚の作品にそんな人が出てくるなんて信じられない!と思う方もいらっしゃるだろう。
しかし、在団2年目ですでにおじさん街道まっしぐらだった私は、いかに「老けるか」を考えながら毎日を過ごし、卒業するまでにありとあらゆるタイプの「髭」をつけ、よりリアルな「シワ・シミ」の再現など、様々な「逆アンチエイジング」方法を見出したのだ……が、記念すべき第1話からこの件を掘り下げるのもなんかアレなんで、いつか深く掘り下げると致しましょう。
ここまで読んだ方はもしかしたら、
「天真みちるは、おじさん街道を突っ走るために宝塚に入団したのか?」
とお思いになっただろうが、受験当時はノールックの全く予想していなかった未来だった。
【宝塚を目指したキッカケ】
当時私に宝塚の存在を教えてくれたのは、祖母だった。
小さい頃、ぼさーっとテレビを見ていた私に向かって、祖母は割と唐突に「あんたは宝塚に入りな」と告げた。当時3人姉妹の中で私だけ指名でそう告げてきたので、「おばあちゃんに期待されているんだ」と思い込んだ私は、それに応えるべく、受験するその日まで周りの人たちに「将来は宝塚に入りますから」と高らかに宣言していた。
ただ、私はここで大きな勘違いをしていたのだ。
宝塚歌劇団は、「おばあちゃんの許可があれば入れるところ」だと……。
【2003年3月宝塚音楽学校受験~完全敗北~】
宝塚歌劇団に入るには、まず2年制の養成所である「宝塚音楽学校」を卒業しなければいけない。
中学3年生、宝塚音楽学校の受験資格を得た私は、合格する気満々に受験会場の門を叩いた。
が、そこにいたのは、北海道から沖縄まで、全国津々浦々のうら若き乙女たち。
そしてそこにいる全員が合格を勝ち取るぞ!と、ギラッギラに燃えていた。
受験スクールに通い、対策がバッチリな子たち、蛍光塗料を丸呑みしたんじゃないか?と思うくらいキラキラオーラを放っている子、天使の歌声を持つ子……。
受験番号順に並んでいる間にも、(うわぁ超キレイな子いるわ、、1枠埋まったわ。うわぁ、あの子もキレイ。はい、2枠埋まった)と、周りを見渡しながらどんどん自分の中で合格者を輩出してしまう。抜群のプロポーションを持った人がわんさかいる会場で「並」の自分はますます自信を失っていった。
因みに、某バラエティ番組などで芸人さんによる「宝塚受験生のモノマネ」が披露されているのをご存知だろうか。独特の節をつけて
「○番!!、名前!!!、〇回目!!!!!趣味は星を眺めること☆彡」
と言うのがなかなか色んな意味で印象的だが、実際の現場も当たらずも遠からずというか、結構皆さんモノマネのような自己紹介をしている。当時の私はその光景にあまりにも衝撃を受けて、逆に「謎の引っ込み思案」が発動し、蚊の鳴く声ほどのなんともしょぼい名乗りを上げてしまった。
そこで心が折れてしまった私は、何の爪痕も残すことなく会場をあとにした。
こういう時、よく漫画で「地味に普通に自己紹介して、歌も踊りも特にハイレベルではないけど、なんか1番偉い人が、“こいつは光るものを持っている”とかなんとか言って周りの反対を押し切って合格させるスター」が出てくるが、私にはそんなことはマジで無かった。
会場に入った時までは、自分を「天海祐希」様に程近い存在だと、ほっといても周りが気にかけてくれるスターだと信じていたが、会場を後にするときは「天海祐希」様から1億光年くらい遠い存在だと痛いほどの現実を突きつけられた。
結果はもちろん、1次で敗退。
惨敗 of 惨敗だった。
家族に、友達に、今まで根拠のない自信を振りまいて高らかに宣言して回った人たちに合わせる顔がない!あゝ、恥ずかしい。
ショックと恥ずかしさが同時に押し寄せ、立っていられなくなった私は1日中寝込んだ。
しかし!!!
ぶっ通しで25時間くらい寝続け、目を覚ました時には、それまでの負の感情が消え去っていた。
実際には、牛乳に溶かすタイプのミロの、飲み切った時にコップの底で溶かし切れてなくて残っているやつぐらいの悲しみはあったのだが(むしろそこが1番おいしい。いや何の話だ)、自分でも信じられない速さで元気を取り戻したのであった。
なぜならば、宝塚音楽学校は中学卒業時~高校卒業時の4回受験資格がある。
つまり、後3回受験できるからだ!!!
今回は偵察! ていうか全然本気じゃなかった! 来年が本チャンだ! 来年にすべてをかける!
リベンジを心に決め、たそは再び歩き出したのであった。
次回、第2話
「リベンジを誓ったたそが、まずしたことは……なんと巫女さんのバイト!?」
お付き合いいただけましたら幸いです。
では。