白でも黒でもない【上】
(麻林目線)
白か、黒か。
善か、悪か。
好きか、嫌いか。
この世界にはふたつに分けられるものしか存在しない。じゃあ、彼は何なのだろう。
「ユキー、メシ行くぞー」
「はい!」
つい最近までクラスの男子にいじめられて捨て犬みたいになってたのに、今では大型犬みたいにしっぽを振って譲司先輩に懐いている。正直、目障りだと思う。
あのひとの周りをうろちょろしないでほしい。私はあのひとを見たいのに、いちいち目に入って鬱陶しい。だから“黒”に分類するべきなんだろう。
私にとって譲司先輩は、間違いなく“白”だ。たった一度しか話したことはないけど。西中に入学したばかりの頃、私はひとり校内で迷子になっていた。たまたま通りがかった譲司先輩が案内してくれて、遅刻せずに済んだ。
譲司先輩はもう、忘れてしまっただろうけど。半年も前のことだし。西の譲司、なんて呼ばれるほど人気あるみたいだし。彼女のひとりやふたり、いるだろうし。だから私は、ただ見ていることしかできない。
――そう、思っていたのに。
「ユキー。……あれ、いねえ」
もうすぐ昼休みが終わる、そんなとき。読みかけの文庫本にしおりを挟んでいたらそんな声が聞こえた。譲司先輩。何でこんなときに。
次は移動で、私は教室から誰もいなくなるのを待っていて、ようやくひとりになったからそろそろ出ようと思っていた。つまり今、譲司先輩とふたりきり。
「ねぇ、ユキ知らない?」
「次、移動なので、もう出たんだと……」
「そっかぁ。ま、いっか帰りで。ありがとねー」
そのまま何てことなく去っていくんだと思った。でも譲司先輩は途中で戻ってきて、なぜか私に近づいてきた。
「リボン、曲がってる」
譲司先輩の真っ黒い髪が目の前で風に吹かれる。落とされていた視線が押し上げられ、真っ黒い瞳と目が合った。どうしよう。息が、できない。
「よし、直った」
「……ありがとう、ございます」
「どーいたしまして」
やわらかく微笑む譲司先輩がまぶしすぎて、私はまばたきすらできずにいた。
頭のなかがぼんやりする。ああ、これが恋ってやつなのか。脳がおかしくなったみたいに譲司先輩のことばかり考えてる。
ついこの間まではただの憧れで。目で追うだけで充分だった。でも、今は。
もっと話したい。もっと譲司先輩のことが知りたい。私を見てほしい。私のそばにいてほしい。わがままな欲望ばかり膨らんで。
「花村さーん」
昼休み、読みかけの文庫本を開いてはいたけど読んでなかった。譲司先輩のことで頭がいっぱいで。
どうやらクラスの男子に呼ばれたらしい。そっちを見ると、知らない女が3人。制服の着慣れ具合から先輩だと判断する。
「ちょっといいかしら?」
胡散臭いお嬢様言葉に多少イラッとはしたけど、断るのも面倒だから「はい」と答えた。
ひと気のない校舎裏、目の前には見知らぬ3人の女。嫌でもわかる。このひとたちは“黒”だ。
「あなた、どういうつもりなの?」
「……はい?」
「とぼけないで。篠之宮譲司とはどういう関係?」
――ああ、なるほど。
「何の関係もないですけど」
「嘘おっしゃい! こっちには証拠があるのよ!」
言いながら携帯を突き出してくる。そこに写っていたのは、少しかがんだ譲司先輩と私。たぶんリボンを直してくれたときだ。
「坂井幸人のことを聞かれただけです」
「こんなに顔を近づける必要があるかしら?」
「リボンが曲がってたみたいで、直してくれただけです」
揃いも揃って白い目を向けてくる。嘘はついてない。だから負けじと見つめ返す。
「――そう。今回は見逃してあげるわ。でも、抜け駆けは許さないわよ」
抜け駆け?
「西の譲司はみんなのものなの。独占しようだなんて、変なこと考えないのね」
何、それ。
「そんなの、おかしい」
口が勝手に動いていた。立ち去ろうとしていた女たちが振り向く。聞こえたらしい。
「それで譲司先輩を守ってるつもりですか?」
――バチン。カッとしたんだと思う。さっきまでお嬢様ぶってた女が鬼みたいな顔になったから。ヒリヒリ、思い切りぶたれた頬が痛い。
「これは制裁よ」
自分に言い聞かせるように、自分を正当化するように、そうつぶやいて去っていく。
バカじゃないの。何が制裁よ。自分が勝手に譲司先輩を好きなんでしょ。私には関係ない。
そもそも誰が決めたルール? 誰のためのルール? 譲司先輩が望んでるとでも言うの? ふざけないでよ。
譲司先輩は、本当は寂しいのよ。私にはわかる。ずっと見てたから。懐いているのは坂井幸人じゃない。本当は、譲司先輩なんだ。
「――は、っ」
笑えてくる。加減ぐらいしなさいよ。けっこう痛いじゃない。痛いから、泣きそうになるじゃない。久しぶりに触れた体温は、ひんやりと冷たかった。
私だって努力しなかったわけじゃない。入学したばかりの頃は、それなりに友達を作ろうと頑張った。でもうまく行かなくて、気づけばひとりで。だから仲間だと思ってた。いじめられている坂井幸人を見ると、ひとりじゃないと思えた。
最低? そうね。でもそんなふうに思わなきゃ、自分がひどくカワイソウな人間に思えて。坂井幸人は、私よりずっと苦しんでる。そう思うことで私は私の痛みを無視してきた。
なのに。坂井幸人を救ったのは、他でもない譲司先輩だった。羨ましかった。いじめから解放された坂井幸人が。譲司先輩のそばにいる坂井幸人が。
私は別にいじめられているわけじゃない。ただひとりってだけで。ひとりが好きなんだ、そう見えればいいと思った。本当は、誰かのそばにいたいのに。
「……花村さん?」
何で。さっきまで誰もいなかったのに。よりによってあんたなのよ。
「泣いてるの?」
心配そうな顔つきで近づいてくる坂井幸人。そういうの、ムカつくのよ。いいひとぶって。
「えっと、あ、どうしよう。俺なんも持ってない」
「別に何もいらないから」
ついでに言うとあんたもいらないから。どっか行ってよ。目の前から消えてよ。あんた見てると苦しいの。
「ちょっと待ってて!」
は? 走り去る坂井幸人。今、待っててって言った? 何で待たなきゃいけないのよ。――何で。
何で私なんかのために、あわてたりするのよ。別に私が泣いてようがあんたには関係ないでしょ。あんたがつらいわけじゃないんだから。
それとも何? 誰かひとりでもつらい思いをしてたら助けたいって? 正義の味方にでもなったつもり? ふざけないでよ。……苦しい。
「お待たせ!」
駆け込んできた坂井幸人が息を切らしながら箱ティッシュを差し出してくる。何で箱。
「職員室のだから、いっぱい使っていいよ!」
なに備品かっぱらってんのよ。バカじゃないの。私なんかのために。そっと1枚取り出すと、やわらかかった。白い。もしかして、坂井幸人も?
顔を上げた先で、ぱあっと笑顔になる坂井幸人。勘違いしないで。別に、気を許したわけじゃないから。
“白”でもなく、“黒”でもない。彼は私が初めて出会った、分類できないひとだった。
利用してやろうと思った。譲司先輩に近づけないのなら、坂井幸人に近づけばいい。そしたら少しは譲司先輩に近づけるから。
要はムカつくのよ。当たり前のように譲司先輩のそばにいて、誰にでも優しくて。みんなに好かれようとして。
私は昔からひとに嫌われるのが得意だった。別に、わざと嫌われようとしてるわけじゃない。ただ媚びるのが嫌なだけ。
坂井幸人は、私とは違う。彼を肯定することは私を否定することになる。だから彼を“白”にしてはならない。
「さっきはごめんね。花村さんの番だったのに変な空気にしちゃって」
私は譲司先輩を追いかけて、超進学校の黒ヶ峰学園に入学した。帰り際、そう声をかけてきたのは坂井幸人。……ああ、自己紹介のときね。
あれから何となく話しかけられるようになった。私からも、話しかけるようにしている。
「気にしないで。むしろ感謝してるくらいだから」
「え?」
「おかげで緊張がほぐれたわ。ありがとう」
彼の先に譲司先輩がいると思えば、お愛想のひとつやふたつ何てことない。譲司先輩に近づけるなら、それだけでいい。
「見つけた」
久しぶりに会った譲司先輩は、真っ赤な髪をしていた。私に会いに来てくれたわけではない。
真っ先に阿部吉香のもとへ向かう。今日いきなり金髪にした彼女のもとへ。彼女の手を引いて走り出す譲司先輩。少し遅れてふたりを追いかける坂井幸人。
私はというと、呆然として動けずにいた。久しぶりに会えたのに嬉しくない。気づいてくれなかった。私に、見向きもしなかった。
「譲司先輩はあなたを気に入ってるみたいね。でも、私は――大っ嫌い」
傷つけてやろうと思った。悲しかったから。教室から連れ出した阿部吉香にニッコリ微笑みかけ、さっさと背を向ける。
彼女は“黒”だ。だから何を言ってもいい。言うべきなんだ。なのに何で、苦しくなるんだろう。最後に見た阿部吉香の悲しそうな顔がちらついて、渡り廊下の途中で動けなくなる。
「花村さん!」
向こうから走ってきたのは坂井幸人だった。何で、またあんたなのよ。嫌になって顔を背ける。
「花村さんなの? 吉香さんに嫌がらせしてるの」
「――だったら何」
怒りたいなら怒ればいいでしょ。軽蔑するなら、すれば。
「大丈夫?」
何で。何でそんなこと。責めなさいよ。最低でしょ? あんただって、つらかったはずでしょ? 好きでいじめられてたわけじゃないでしょ?
「言う相手、間違ってるんじゃないの」
「……だって、誰か嫌うのはつらいでしょ?」
振り向いた先に、情けない顔の坂井幸人。何でそんな顔するのよ。ほんと、バカじゃないの。
「全然、楽しいけど」
嘘をついて通り過ぎた。わかってる。どうして彼が、私に関わろうとするのか。
譲司先輩になりたいんだ。自分が譲司先輩に救われたように、自分も誰かを救いたいんだ。
おあいにく様。私はあんたに救われてなんかあげない。私とあんたは違うのよ。
私は、あんたみたいに生きれない。
彼の矢印が彼女に向いていると気づいたのは、いつのことだっただろう。彼女と同じ金髪にしても、軽音楽部に入っても、譲司先輩は私を見てくれなかった。
吉香ちゃん、嬉しそうに彼女を呼ぶから、嫌でも気づいてしまった。
けど、私は知ってる。吉香が瀧川先輩しか見てないのを。別れてからもそう。だから早く元気になってほしかった。まるで自分自身を見てるみたいだったから。
譲司先輩の言動ひとつで浮いたり沈んだり、相変わらず譲司先輩しか見えなくて。どうせ叶いもしないのに。
「ごめんね麻林ちゃん、手伝ってもらっちゃって」
譲司先輩も、そう。吉香次第なんだ。私じゃないんだ。
相変わらず豪華な譲司先輩の家。飲み物を取ってくると部屋を出た譲司先輩について行くことにした。目の前にある譲司先輩の背中は、なんだか悲しそうな色をしている。
「譲司先輩」
「あ、重い? 持とうか?」
「好きです」