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ブリーチガール 作者:森咲アサ

おまけ

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海と空のあいだ

(レイラ目線)

 ふと、わからなくなるときがある。私はここに存在しているのか。本当はどこにも存在していないんじゃないか。


 世の女子高生は忙しく生きている。友人と恋の話をしたり、恋人とデートに出かけたり、テスト勉強に追われたり、バイトで疲れてみたり。


 女子高生になって久しいが、私は、生きていないような気がする。たとえるならばさまよう霊魂のような。意識はあるのに、感覚がない。生きているという実感が。


 わざと伸ばした大嫌いな金髪を、今日もとかして学校へ向かう。今日から2年になるが、何ひとつ変わらないだろう。


「行ってきます」


 誰もいない部屋につぶやいてドアを押し開けた。カン、カン、と安っぽい階段が音を立てる。


 母はアメリカ人だ。歌手を目指して日本に来たらしい。そこで父と出会い、私ができたというわけだ。母とはもう、何年も会っていないのだが。


 父の浮気癖がひどくて、耐えきれず出て行ってしまったのだ。それから父はあまり家に寄りつかなくなった。母と同じ金髪を、青い目を、わざわざ見たくないのだろう。


『ねぇお母さん、海と空のあいだには何があるの?』


『レイラ、それはね――』


 いつかの海での会話を思い出す。忘れればいいのに。全部、忘れられたらいいのに。


「あのっ」


 考え込んでいたから声をかけられるまで気づかなかった。振り返れば、なんていうか間抜けな顔をした男が私を見ていた。


 1年か? 制服が真新しい。でも、ネクタイがない。忘れたのか?


「その髪、地毛ですか?」


「だったら何だ」


「いや、きれいだなぁと思って!」


「どうも」


「あの、今、黒ヶ峰に軽音楽部つくろうと思ってて!」


 背を向けて歩き出したらちょこちょこと追いかけてくる。何だこいつ、めんどくさいな。


「ちょうど今、ボーカル探してたところなんです!」


 ぴたり、動けなくなる。ボーカルって歌手のことだよな。母が、望んでいた場所。叶うことのなかった大きな夢。


「もしよかったら、一緒に――」


「わかった」


「え、いいんですか!?」


 振り向いた先で、顔をくしゃくしゃにして笑う男。いや、少年といったほうがしっくり来るかもしれない。まだ、あどけなさが残っている。




「というわけで、ボーカルになってくれた本郷レイラ先輩だ!」


 放課後、例の少年――譲司に連れてこられた屋上で、初対面の男と向き合う。


 譲司に屋上は立ち入り禁止じゃないのかと聞いたら、理事長が父親なのだと言っていた。だから簡単に軽音楽部を創るだなんて言えるのだ。


「ふーん、金髪ねぇ」


「おい泉、ちゃんと自己紹介しろよ!」


 センと呼ばれた男がまじまじと私を見てくる。少し茶色がかった目と髪、透き通るような白い肌。体つきはまだ幼いのに、やけに冷め切った視線が嫌だ。


「瀧川泉。よろしく、レイラ」


「バカ! なに先輩のこと呼び捨てにしてんだよ!」


「何で。いいじゃん別に」


「いいわけないだろ! ねぇ、本郷先輩?」


「――別にいい。苗字は嫌いだ」


 本郷は父のものだから。浮気ばかりして、母を傷つけたひとだから。


 父は元々どこぞのお坊ちゃまで、でも次男だから跡継ぎにはならなかったらしい。まあ本来ならどこぞのお嬢様と結婚するべき人間だったから、母と結婚したときに実家とは縁が切れたのだとか。そこまでして母と結婚したかったというよりは、それを機に自由が欲しかったのではないかと思う。


「じゃあ俺も、レイラって呼んでいいですか?」


 譲司は、なんというかキラキラしている。好奇心旺盛なのか、未来に希望を持っているのか。あふれんばかりの生命力を感じる。


「好きにしろ。……譲司」


 譲司がぱあっと笑顔になる。羨ましい。そんなふうに笑えて。譲司には陰がない。あるのはまばゆい光だけだ。




 軽音楽部ができるまでは屋上が部室ということで、ひとり階段を上る。譲司はいるだろうか。あいつとふたりは嫌だな。


 ギギギ、軋んだ音とともに扉が開く。まだ誰も来ていないようだ。


「ふーん、来たんだ」


 ……あいつの声。見上げると、階段室の上に座って私を見下ろしているあいつがいた。


「来ないほうがよかったか?」


「別に」


 何なんだこいつは、本当に。私を見ているはずなのに、私を見ていない。どこか遠くに意識があるように感じる。


「レイラ、どこ中?」


「――は?」


「譲司が西中で、俺は東中。で、レイラは?」


 中学のことなんか最近考えもしなかったな。あの頃は何だかんだ、楽しかったんだっけ。


 今と変わらず友人には恵まれなかったが、音楽の先生が気さくに声をかけてくれたんだ。ピアノを教えてくれたのも、先生だった。


「南中だ」


 時間が止まったようだった。泉が茶色い目を見開いて私を見てくる。南中がどうしたんだ。


「じゃあさ、白木真千のこと知ってる?」


 白木真千?


「1個下で、俺と同じ学年だったんだけど」


「いや、知らないな」


 誰のことだかわからない。でも、どこかで聞いたことがあるような気がする。気のせいか?


「――そう」


「知り合いか?」


「ん、何でもない。忘れて」


 その言葉が、その言葉を否定していた。何か言うべきかと思ったが、泉が私を見ないから。何も言えなかった。




 確かまだ入ってるはずなんだが。帰宅後、家の電話から先生の番号を探す。携帯は持っていない。欲しいとも思わない。


『もしもし、レイラさん?』


 数回のコールの後、先生の明るい声が聞こえた。まだ卒業して1年しか経たないのに、もう懐かしいな。


「お久しぶりです。先生」


『ほんと久しぶりねぇ。高校生活はどう? ピアノ、続けてるの?』


「はい。今、後輩と軽音楽部つくろうとしてて。ピアノ弾く予定です」


「そう、よかった。楽しんでるのね」


「――あの、白木真千って知ってますか?」




 翌日、放課後。今日もひとり階段を上る。脳内を埋め尽くすのは、昨日の先生の話。


『白木さんはね――』


 昨日は、譲司にいてほしいと思った。でも今日は違う。泉に聞きたいことがあるから。


 ギギギ、扉を開ける。少し歩いて振り返ると、昨日と同じ場所に泉がいた。


「譲司、部室のことで理事長に掛け合ってんだって」


「そうか」


「来る? 気持ちいいよ」


「泉」


 やわらかい笑みがほどける。目は合ってるのに、泉は私を見ていない。いつもどこか遠く、この世界にはない何かを見ている。泉は今ここにいるのに。


「白木真千は、2年前に死んでる」


 4年前、母は家を出た。中学に上がる前だった。当然、入学式に母は来なかった。父も来なかった。それから私はずっとひとりで生きてきた。


「泉、どうして彼女を知ってる? 2年も前に死んでるのに」


「まだだよ」


「――え?」


「まだ、2年しか経ってない」


 顔を上げた泉は、泣いているようだった。


『ねぇお母さん、海と空のあいだには何があるの?』


『レイラ、それはね、水平線っていうのよ』


『すいへいせん?』


『そうよ。海も空も、本当は終わってなんかないの』


 さらりと伸びた長い金髪が風に吹かれる。海を映したような青い瞳は、キラキラと輝いている。


 まだ母の横顔が忘れられない。離れてもう4年も経つのに。


「真千と付き合ってた、ちょっとだけ」


 そのまま軽々とこちらへ飛び降りた泉が小さな声で話す。言うべきじゃなかった。聞くべきじゃなかった。


「でも真千、病気のこと話してくんなくて。死んだって、あとから知った」


 泉が私を通り過ぎていく。泣き顔を、私に見られたくないのかもしれない。


「いま同情してる? 俺のこと、カワイソウとか思ってる?」


 知ってるはずなのに。大切なひとがいきなりいなくなるつらさ。何年経っても忘れられないことだって。知ってるはずなのに。


「俺そういうの大っ嫌い。自分のこといいひとだって思わせたいだけで」


「もういい」


 後ろから泉を抱きしめた。これ以上ぼろぼろにならなくていい。泣きたいのなら、気が済むまで泣けばいい。


「悪かった」


 私が引き受けるから。受け止めるから、全部。


「う、っく……」


 泉の嗚咽が聞こえてくる。ぼたり、ぼたり、腕に落ちてくる泉の涙。泉の痛み。泉の苦しみ。


 4年前の自分を、抱きしめているようだった。




 ――ポーン。静まり返った音楽室にピアノの音色が響きわたる。譲司たちに出会って約3ヶ月。無事、軽音楽部を創ることができた。たった3人しかいないのに部として成り立っているのは、譲司がいるからなのだろう。


「やっと見つけた」


 呆れ気味な声が聞こえてドアのほうを見ると、泉が気だるげに立ち尽くしていた。泉はここにいる。ここで生きている。


「携帯持ってよ。不便なんだけど」


「悪い」


 近づいてきた泉が隣に座って、当たり前のようにキスをする。生きていると感じる瞬間だった。


「やっぱピアノのがいい?」


 言いながら適当に弾いてみせる。本来ここは吹奏楽部の練習場所で、今日みたいにテスト期間でもなければお邪魔できない。軽音楽部の部室は大して広くないから、置けるのはキーボードが限界だった。


「いや。ちょっと弾きたくなっただけだ」


 立ち上がり、近くの机に置いてあったカバンを手に取る。途端、泉の体温に包み込まれて動けなくなった。……背、伸びたな。


「ごめん、レイラ」


 わからない。どうして泉の声が震えているのか。私を抱きしめる腕が弱々しいのか。


「別れよう」


 どうして泉が、こんなことを言うのか。


 泉と付き合いだしたのはまだ最近のことで。好きだと言われたわけでも、言ったわけでもなくて。いつの間にか泉が私の心のなかにいて。これからもそうだと、思っていた。


「泉、やってることと言ってることが一致してないぞ」


「だって、ほんとは別れたくない」


「――じゃあ何で」


「レイラも、譲司も、大事だから」


 譲司の気持ちに気づいていないわけじゃなかった。譲司はいいやつだ。誰かのために自分を犠牲にできるような。まぶしすぎるから、これ以上は近づけない。


「俺、欲張りなのかな。どっちも手放したくない」


 きっといっぱい悩んだんだろう。苦しんだんだろう。だから泉は震えているんだろう。


 泉と譲司は、中学からの仲で。泉も、譲司も、互いに信頼し合ってるのが傍目でもわかる。


 私がふたりに出会ったのはつい最近のことで。それまで私は、ずっとひとりだったから。ふたりの存在に救われたから。私が、距離を取るべきなんだろう。




 憂鬱だった期末テストも終わり、今日は久々の部活だ。さっさと教室を出て部室に向かうも、まだ鍵が開いていない。


 ここで待つ? ……いや、今はそういう気分じゃない。ふたりを迎えに行こう。


 そう思い立ち1年7組までやってきたが、譲司の姿はなかった。泉と一緒にいるのかもしれない。泉は1組だったよ、――な。


 何が起きている? 譲司が、泉の胸ぐらをつかんで。そのまま拳を振り下ろして。泉が、吹き飛ばされて。今、目の前で何が起きている?


「レイラ……」


 泉が気づいたらしい。悲しそうな瞳と目が合う。譲司に視線を移すと、怒られる前の子どもみたいな情けない顔で私を見ていた。


 私はふたりに背を向けて走り出した。どこにも逃げ場なんてないのに。唯一の居場所が、ふたりだったのに。




 ――ガチャ。結局ほかに行き場がなくて、大人しく家に帰ってきた。鍵が開いている。今朝、閉めたはずなのに。恐る恐るドアを開けると、懐かしい背中がそこにあった。


「お父さん」


 声をかけても振り向かない。電気ぐらい点ければいいのに。窓の向こうの月を見つめたまま動かない。傍らには一升瓶。……何だ、酔ってるのか。


「レイラ、父さんが憎いか?」


 父親だって自覚もないくせに。父親らしいことのひとつもしてこなかったくせに。憎むほど、あんたは大きい存在じゃない。


「父さんのせいで、母さんが出て行ったと思ってるか?」


 答えるまでもない。わかりきったことだ。だから家に寄りつかなくなったんだろう?


 母と同じ金髪の、青い目の、私がいるから。罪悪感から逃げてたんだろう? 母からも私からも、ずっと逃げて。


「父さんはこう思うんだ」


 ずっと、逃げて。


「今もどこかで、歌ってるんじゃないかって」


 ――逃げていたのは、私?


「また歌手を目指してるんじゃないかって」


 いたたまれなくなって思わず家から出た。ドアにもたれかかると、さらり、長い金髪が揺れる。母と同じ金髪。母の、象徴。


『海も空も、本当は終わってなんかないの』


 思い出す母の優しい声。繋いだ手から伝わる、やわらかいぬくもり。


『もっともっと遠くにはアメリカがあるのよ』


『アメリカって、お母さんが生まれたところ?』


『そうよ。……ねぇ、レイラ。大きくなったら――大きくなったら、一緒に行ってくれる?』


 こっちを見てほしいと思った。海ばかり見ないで。海の向こうにばかり、思いを馳せないで。私はここにいるから。お母さんのすぐそばに、いるから。


『うん! 一緒に行こう!』


 あの頃の私は、子どもだった私は、子どもなりにイイコを演じてて、誰にも迷惑をかけないよう、懸命にひとりで生きていた。


 だからお母さんは私を置いて行ったのかもしれない。お母さんをひとりにしたのは、私だったのかもしれない。


 次から次に涙が込み上げて、金髪がにじんで、ぐちゃぐちゃになった。




 翌日、放課後。部室に泉の姿はなかった。泉なりに気まずいんだろう。譲司は私と目が合うと、逃げるようにそらした。


「来ないかと思った」


「直接、言いたかったからな」


 何を? そう言いたげな顔をする。どうせならふたりに言いたかったんだが。まあ、譲司ならわかってくれるだろう。


「感謝してる。あのとき譲司が誘ってくれてなかったら、毎日こんなに楽しくなかった」


 何を言おうとしているのかわかったらしい。譲司が悲しそうな顔をする。そんな顔、するな。私はふたりに、そのままでいてほしいんだ。


「金髪だったから私に声かけてくれたんだろう? だから、金髪じゃなくなったら、私はいらないはずだ」


 いらない。私なんかいらない。私がいたらふたりを壊してしまう。そんなの嫌だ。


「泉と仲よくな。ふたりなら、きっと大丈夫だ」


 ふたりは私の唯一の居場所だった。だからこそ守らせてほしい。遠くから見守らせてほしい。


 ドアを開けると、泉がいた。気づかなかった。……ああもう、泉までそんな顔して。


「じゃあな」


 うまく笑えたと思う。そうであってくれなきゃ困る。泉を通り過ぎる。部室から離れていく。少しずつ、感情が理性を乗り越えて。こぼれそうになる。


 ――本当は。離れたくない。そばにいたい。これからもずっと、一緒に。ふたりのそばに。


 さようなら譲司。

 さようなら、泉。


 さようなら。母の面影で、父を傷つけようとした幼稚な私。


 ――お母さん。今もどこかで歌っていますか? どんな歌ですか? いつか私にも、聴かせてくれますか?


 私も、歌うことが好きです。ピアノも好きです。守りたいものもできました。私はあなたのおかげで、今日も生きています。

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