せんのひび
(泉目線)
※登場人物の死亡あり
星が好きだった。大仰に世界を照らす太陽でもなく、太陽の光を受けて輝く月でもなく、星が。
弱々しく、自分の光を発する星が。たとえそれが何億光年も昔のものだろうと。夜空に散らばる無数の星を眺めているだけで、心が落ち着いていくから。
――まさか星を見つめて泣く日が来るなんて、あのときの俺は思いもしなかったんだ。
「えーっと」
何、この状況。
目の前にいるのは知らない女の子。制服から南中だっていうのはわかる。短い黒髪に、童顔でぽわんとした感じ。
で、俺はというと。バンドの練習まで時間をつぶすために、いつも通り公園のいちばん大きい木の下でうたた寝してたんだけど。
何で俺の上に知らない女の子が跨っているんでしょうか。しかも服、脱がせようとしてるし。
「ねぇ、何してんの?」
「まだ何もしてません!」
そういう意味じゃなくて。ていうかまだって何する予定なの。
「ちょっと、どいてくんない」
「お願いします!」
いやいや、まずどこうよ。この体勢じゃ話になんないでしょ。ていうかこんな変なひとの頼みなんて聞きたくないんだけど。
「私のこと、抱いてください」
そのとき、俺はまだ中1で。季節はバカみたいに暑い夏で。顔を真っ赤にして震える彼女が、カワイソウに思えて。
少しうたた寝しただけで、頭のなかがぐちゃぐちゃに溶けてしまったのかもしれない。
「いーよ」
重ねた唇も震えていて、それでも弱々しく、彼女は確かに息をしていた。
「セン、今日も来てんぞー。マチちゃん」
憂さ晴らしで始めたドラムだったけど、最近は純粋に楽しめている。真千のおかげかもしれない。
「お待たせ、真千」
真千はいつも南中の制服を着ている。休日にもかかわらず、白いセーラー服に水色のリボンとスカート。私服がセンスないから、そう困り顔で笑っていた。
「今日はどこ行く?」
「泉ちゃんと一緒ならどこでもいいよ」
あんなキッカケで始まった恋なのに、俺は呆れるほど真千に焦がれていた。
真千だからちゃん付けも許せた。真千が隣で笑っていてくれるなら、それだけでよかった。真千で、満たされていた。
「キャー、こっち見た!」
「マジやばい、かっこよすぎて死ぬ」
あっそう死ねば。
何で学校ってこんなに居心地が悪いんだろう。女はバカみたいに俺を見てくるし、男は睨むように俺を見てるし。
ああ、なんていうか。居場所がない。早く放課後になればいいのに。――真千。早く真千に会いたい。
「あ」
メール。真千からだ。どうしたんだろ、こんな時間に珍しい。
『泉ちゃんゴメン。今日は会えない』
今の俺にとって唯一の居場所が真千なのに。気づけばこんなふうに、会う日より会わない日のほうが多くなっていった。
たまに会うと真千は、すぐ体の繋がりを求めて。体は満たされても心は虚しい。
「ねぇ泉ちゃんー」
「んー?」
「私の名前って変わってるのかな?」
事後、唐突に真千はそんな話を振ってきた。……ベッドの上でする話かな、それって。全裸でする話かな、それって。まあいいけど、真千だから。
「んー、何で?」
「今日ね、転校生が来たの。隣の席になったの。そしたらマセンだーって」
マセンって。小学生かよ。
「んー、ならマセンじゃありマセンって言えば?」
「そんなこと言ったら余計からかわれるよー」
なんて唇を尖らせる。ああもう。小学生に嫉妬する。俺だって本当は、もっと真千のそばにいたいのに。
「いいじゃん、俺がマチって呼ぶから」
重ねた唇は冷たかった。それでも、確かに。真千は生きていた。
季節はいつの間にか、凍える冬になっていた。少しずつ真千と過ごす時間が減って、気づけばメールの返信さえ来なくなっていた。心身ともに凍える、今年の冬は。
「泉ちゃーん」
……その呼び方、真千のなんだけど。その腕も、組んでいいの真千だけなんだけど。しかも何で男。
「さーみーいー!」
ガタガタ震えながら俺にすり寄ってくるのは、西中の篠之宮譲司。こないだライブハウスで会って、それ以来つきまとわれている。一緒にバンドをやろうとか何とか。
「じゃあ帰れば」
「おまえをオトせたらな!」
行き交うカップルたちが冷たい目で俺たちを見ている。いやいや、違うから。
『初めて会った公園で待ってる』
今日はクリスマスイブで、今日ぐらい真千に会いたいなぁー、なんて思ってみたわけだけど。真千は一向に現れる気配がないし、座りすぎてケツ痛いし。イルミネーションがきれいすぎて、泣きたくなるし。
「なぁ、もう来ないんじゃねーの?」
わかってたんだけどさ。捨てられたんだって、頭ではわかってるんだけど。別れ話もないまま中途半端に終わっちゃったから。もしかしたらまだ、望みがあるんじゃないかって。
「うわっ、降ってきた!」
さっきまで俺の腕をガッチリつかんでいた譲司が、嬉しそうに立ち上がる。雪。まさかのホワイトクリスマス。
夜空からはらはらと落ちてくる雪は、まるで星がこぼれたみたいで。真千、みたいで。
『ねぇ泉ちゃん、お日様とお月様どっちが好き?』
『んー……どっちも好きくない』
『えー、じゃあ何が好きなの?』
星が好きだと言ったら真千は嬉しそうに笑った。なんとなく、その笑顔が儚く見えて。弱々しく光る星みたいだと思った。
真千も今どこかで、この空を見ているのかな。
「年明け早々にする話じゃないと思うんだけどさ。セン」
少ししてバンドのメンバーと約束してた初詣に行ったんだけど。そのなかのひとりが暗い顔をして、そう切り出してきた。
「マチちゃん、死んだよ」
まちちゃん、しんだよ。
簡単な言葉だった。子どもでもすぐ理解できるような。簡単な、言葉だった。なのに何でわからないんだろう。理解できないんだろう。脳が拒否してる。だってそんなわけない。
真千はまだ中1だよ? まだ人生、始まったばっかだし。俺を置いて、逝くわけないでしょ。
『真千、ずっと一緒にいようね』
『……うん』
約束したじゃん。真千。何で。勝手に。真千。嫌だ。そんなの。
嫌だ。
来てしまった。――南中に。真千と同じセーラー服を着た女の子がわさわさ出てくる。
確かめたい。真千が、本当に逝っちゃったのか。
「あ」
女の子の声だった。聞いたことのない、女の子の声だった。真千じゃない。
そっちを見ると、長い髪に気の強そうな顔をした女の子が俺を見ていた。ああ、やっぱり。真千じゃない。
「あなた、瀧川泉?」
「あ……はい」
「ちょっと時間ある?」
彼女に連れられて教室のなかに入る。いいんだろうか。俺、他校生なのに。
「ここ、真千の席」
そう言ってそっと机に触れる。窓際の最前列。どんなふうに座ってたか想像がつく。
両手で頬杖をついて、足をぶらぶらさせて、窓の向こうを見ながら楽しそうに笑ってたんだろう。
一瞬、幻影みたいなものが見えて。すぐに消えた。
「亡くなったの、クリスマスイブに」
――あ。
「ガンだったの。気づいたときにはもう末期で、入学してすぐ余命宣告されたって」
俺は、何も。
「その日、初めてあなたを見たって」
何も知らずに、俺は。
「もしあなたが来たら渡してほしいって頼まれてたの」
振り向いた彼女が凜とした表情で微笑む。差し出されたのは、かわいらしく折りたたまれた白い紙。
『泉ちゃんへ』
真千の、字だ。
「私がこんなこと言うのもおかしな話だけど」
顔を上げた先にうつむいた彼女。たぶん真千の、大切なひと。俺なんかよりもずっと、真千をよく知っているひと。伏せられたまつげがかすかに震えている。
「真千を、愛してくれてありがとう」
やわらかく笑う彼女の向こうには、夕暮れに染まる教室。真千がいた教室。真千は、もうどこにもいない。
真千が最期に見た景色を見たかった。
真千の病室には、もう、真千はいなかった。真千の荷物もなかった。当たり前だ。真千はもう死んだんだから。
あんなにたくさん抱きしめたはずなのに、真千の感触を思い出せない。前に「痩せたね」って言ったら、友達に付き合ってダイエットしてるとか言ってたっけ。「だって目の前で食べたらカワイソウでしょ」なんて。
もっと真千を抱きしめればよかった。こんな寒々しい木々を見ながら、真千は、どんなことを考えていたんだろう。――真千。会いたい。
「おまえ」
男の声だった。子どもみたいな声だった。振り返ると見たことのない子どもと目が合った。ここに入院してるんだろうか、病院の服を着ている。
「マセンの彼氏か?」
あ、その呼び方。マジで小学生だったんだ。
「おまえのせいでマセンはっ――」
泣きそうな顔をした小学生が勢いよく近づいてきて、両手でガッと胸ぐらをつかまれた。そのまま揺さぶられて、涙目でにらまれて。
「おまえに会うために、しょっちゅう病院ぬけ出して、どんどん悪くなって。星が好きとか言うから、星になっても安心だって」
――あ。
「だからマセンは、おまえのせいで」
痛い。どこが? ああ、心が。今にも、心が。粉々に砕けてしまいそう。
「おまえのせいで死んだんだ」
ぼろぼろと泣きながら揺さぶってくる小学生を、俺はただ見ていることしかできなかった。
どうやって受け止めればいい? だってこんな現実、誰も望んでなかった。
南中で会った真千の友達も、目の前で泣き崩れる小学生も。たぶん真千の家族も、真千自身も。俺も。
ぽろり。俺の目から、何かがこぼれたような気がした。
――泉ちゃんへ
泉ちゃんがこれを読んでるってことは、私はもうこの世にいないんだね。
ゴメン泉ちゃん、いきなりいなくなって。
実はね、泉ちゃんに初めて会った日、そう長くは生きられないことを知ったんだ。
正直、すっごいヘコんだの。
でもドラムを叩く泉ちゃんの姿を見て、あんなふうに生きたいって思えた。
泉ちゃんのおかげで、私は毎日が幸せだった。
ありがとう、泉ちゃん。
私を彼女にしてくれて。
私を、好きになってくれて。
大好きな泉ちゃん。
私の最後のお願いを聞いてください。
まず、誰がなんて言っても自分を責めたりしないでね。
私が勝手に泉ちゃんを好きで、勝手に会いたくて、会いに行ってただけなんだから。
私は私のせいで死んだの。
ジゴウジトクってやつなんだからね。
あと、私のことは忘れてください。
泉ちゃんにはまだまだ未来があって、これからきっともっとステキなひとに出会えると思うんだ。
もっと、泉ちゃんを幸せにできるひととね。
私は泉ちゃんの幸せを願って、遠くから見守ってるよ。
もし、怖くなったり、寂しくなったら、空を見上げてみて。
キラキラ輝くお星様のなかに、私もいるから。
大丈夫だよって、頑張れって、いっぱい言うから。
耳をすましてね。
聞いてね。
泉ちゃんの幸せな未来を願って。
真千より――
「……先輩」
あ、なんか。まぶた重い。体も。うまく力、入んない。
「瀧川先輩!」
いきなり金縛りが解けたみたいだ。目を開けた先には、困り顔で俺を見ている1個下の阿部吉香。
「そろそろ鍵、閉めるみたいですよ」
ようやく状況がつかめてきた。今、俺は中3で、季節は真冬で、ここは図書室で。どうやら俺は長い夢を見ていたらしい。……あ。まつげ、濡れてるし。
「ねぇ吉香」
「はい?」
「星、好き?」
「……まあ、普通に」
ほとんど電気が点いてない、暗い廊下を並んで歩く。冬の澄んだ空気は小さな音ひとつ大きく感じてしまうから、あんまり足音を立てないようにする。なんか、こんだけ暗いと空みたい。
「じゃあさ、もし俺が星になったら」
死んだって星にはなれないけど。もし、星になれたら。真千のそばに行けたら。
「俺のこと、見つけてくれる?」
もし俺が死んだら悲しんでくれるひとはいるんだろうか。真千みたいに、俺は愛されてないから。
「頑張ります」
そう言った吉香の顔が悲しそうで、それだけで充分だと思った。まっすぐ俺を見てくれる吉香のひたむきさは少しだけ真千に似ている。だからかな、吉香がいるとよく眠れるのは。
「じゃあ私、こっちなんで」
「うん、気ぃつけてねー」
ひとりになると、夜の空に飲み込まれた気分だ。見上げた先には空しかなくて。散らばる星のなかに、きっと、真千がいて。
真千を忘れるために、たくさんのひとを傷つけてきた。でもダメだった。真千のぬくもりじゃなきゃ愛しく思えなかった。だから、もうやめる。
俺、もうすぐ高校生になるんだ。黒ヶ峰学園って知ってる? 偏差値バカ高いの。譲司に勉強教えてもらって、俺すげー必死だった。
ここからもう一度、始めるんだ。真千が好きになってくれた、俺になるんだ。
最後のお願い、このまま聞けなかったらごめん。でも俺、今けっこう幸せなんだよ。なんとなく居心地のいい場所、見つけたから。
譲司とふたりで始めたバンド。図書室の隅っこ。少しずつ増えていくような気がしてるんだ。だから真千、安心してね。
キラキラ輝く星のなかに、きっと真千がいる。どこにいるのかはわからないけど力いっぱい光ってるんだ。それだけで俺は、明日も生きていける。