対峙するふたり
目の前が真っ暗になった。ここは4階、窓から飛び降りるという選択肢はない。唯一の出口はあのひとに塞がれている。
あわてて携帯を探すけど、どこにもない。そういえばカバンのなかに入れっぱなしだ。時計を見上げる。あと25分。
「葛目さん、ですよね? どうしてこんなことするんですか」
外にいる生徒会長に話しかけてみても返事はない。どうすればいいんだろう。どうすれば、ここから出られる?
「そんなに私たちが目障りなんですか」
確かに、私は金髪だし。譲司先輩は校則違反しまくりだし。瀧川先輩は立ち入り禁止の屋上に出入りしてるし。生徒会長として、許せないのはわかるけど。
だからってこんなやり方。頭いいんだからもっと違う方法で抗議してくれればいいのに。
「目障りなのは、篠之宮譲司だ」
ようやくドア越しに返事が来る。――ああ。譲司先輩が、ずっと首席だから?
「あいつは生まれたときから全部、持ってた」
生徒会長とは何度か話をしたことがある。いつもどこかよそよそしいというか、作っている感があった。
でも今の生徒会長は鎧も何も脱ぎ捨てたような。ありのままなんじゃないかと思う。
「家柄も、頭脳も、――カリスマ性も。あいつは努力なんかしなくても全部、何だって手に入る。努力を、知らないんだ」
私も初めはそう思ってた。譲司先輩のことをちゃんと知るまでは。
理事長の息子で、学年首席で、西の譲司で。いとも簡単に誰かの心をすくい上げて。憧れを通り越して、妬ましかった。
生徒会長は私に似ている。目の前にある光が強ければ強いほど、自分のなかに闇を感じるんだ。
違う。本当は、そうあるべきじゃない。
「私ちょっと前に嫌がらせされてて。教科書、使えなくなっちゃったんです」
自分とは違う光を、認めるべきなのに。
「そしたら、譲司先輩が去年の教科書くれるって。……笑っちゃいました。蛍光マーカーだったり走り書きだったり、使い込まれてて」
教科書を開くたび思う。一生懸命な譲司先輩がいたんだと。きっと今も、一生懸命なんだと。
「譲司先輩、ああ見えて必死なんです」
気づいてほしい。今ならまだ戻れるから。このままじゃ、闇に呑まれてしまうから。
「お父さん――理事長と約束したから。好きなことする代わりに首席を取りつづけるって。大切なもの守るために必死なんです」
「たかがバンドだろ? 校外でもできるじゃないか」
「ここじゃなきゃダメなんです」
きっとそうなんだ。譲司先輩は、お父さんに見てほしいんだ。ここじゃなきゃ意味がない。
「葛目さんは、どうして首席にこだわるんですか?」
そりゃあ首席ってすごいけど。私みたいなギリギリ黒ヶ峰に入学できた人間からしたら、次席だって充分すぎるぐらいすごい。
「トップじゃなきゃ、成功した証にならないだろう」
――成功した、証?
「いつか君にもわかる。絶対に越えられないひとがいる、それがどれだけ屈辱的なことか」
私だって、わかってるつもりだ。あのまぶしい金髪に、心地いい音色に、透き通った歌声に。敵わない。越えることなんてできない。
わかってるよ。わかってるけど。期待せずにはいられない。明日はもっと違うんじゃないかって。こんな私でも、誰かに認めてもらえるんじゃないかって。今だって。
『吉香ちゃーん!』
いつかみたいに譲司先輩が見つけてくれるって信じてる。きっと探し出してくれるって。
必死で練習したんだ。慣れない洋楽もあったけど、なんとか覚えて。レイラさんを越えたい一心で。自分を信じたい一心で。
『只今より、軽音楽部によるミニライブをお送りいたします』
――あ。ここ、体育館近いから聞こえるんだ。生徒会長に背を向けて窓に駆け寄る。窓を開けると新鮮な空気が流れ込んできた。
『こんにちは。glowのリーダー、篠之宮譲司です』
譲司先輩の声。いつもとは違い、暗くて低い声。
『今日はワケあってボーカルが不在なので、代わりにコーラスの本郷レイラが歌います。よろしくお願いします』
ドラムに、ベースに、ギター。そして、レイラさんの澄み切った声。何も欠けてない。何も、足りないものなんてない。
私は、足りないものじゃなかった。足りないものになれなかった。
「あいつは、君を見捨てたんだな」
2曲目が終わろうとしていたときだった。ずっと黙りこくっていた生徒会長が話しかけてきたのは。
どこか憐れむような声だった。生徒会長のシナリオとは違ったんだろうか。ここに来る、はずだったんだろうか。
――きっと初めから
出会うべきじゃなかったの
ラストの曲は、譲司先輩が作った歌だった。ときおり入ってくるピアノの音と、包み込まれるような歌声に、胸が締めつけられて。それは自然に、こぼれ落ちた。
「大丈夫か?」
磨りガラスの向こうにいる生徒会長が、いつの間にかこっちを向いていた。見えてないはずなのにそんなことを聞いてくる。
「阿部さん」
「ありがとうございました、葛目さん」
「――何、言ってるんだ?」
「おかげでわかりました。やっと、わかりました」
ただの不安が確信に変わる。私はあの場所に必要ない存在だ。むしろいないほうがいい。
「私、バカなんです。みんなのそばにいたら、近づけると思ってた」
譲司先輩の強い光に。瀧川先輩のゆるやかな光に。ユキくんの優しい光に。麻林のまっすぐな光に。
でも違ったんだ。私は鏡みたいに、みんなの光を映すばかりで。私自身は、輝いてなんかない。
「葛目!」
突然、譲司先輩の荒々しい声が耳に飛び込んできた。同時にバタバタと複数の足音が聞こえて。あわてて目元を拭う。
「今さら何の用ですか? 阿部くんを見捨てておいて」
「てめえっ……!」
ガチャガチャ、鍵が開いたような音がして、勢いよくドアが開く。麻林だ。
「吉香、大丈夫なの?」
「大丈夫!?」
麻林の向こうから今にも泣き出しそうな顔を覗かせるユキくん。麻林も麻林で眉を八の字にしてる。びっくりしたよね。心配かけちゃったよね。ふたりとも、ごめんね。
「大丈夫だよ」
嘘ついて、ごめんね。
表面上は取り繕えるんだ。何でもないみたいに笑えるんだ。でも心は落ちた。深い深い闇のなかに、落ちた。
「阿部くんが心配じゃなかったんですか?」
生徒会室を出たら、譲司先輩が生徒会長の胸ぐらをつかんでいるのが見えた。それを瀧川先輩がなだめている。
「私が言ったんだ。おまえはそこまで腐った人間じゃないって」
レイラさんの澄み切った声。さらりと伸びたまぶしい金髪。どんなに追いかけても、届かないひと。
「ライブを成功させなければ意味がないと思ったしな」
レイラさんの言葉は正しい。生徒会長はそこまで悪いひとじゃないし。ライブの成功が何よりもの優先事項だし。あの歌に合うのは、レイラさんの声だし。
「譲司先輩、やめてください」
「……吉香ちゃん」
「私はこの通り無事ですし。ライブも、成功したんですよね?」
振り向いた譲司先輩に笑ってみせる。譲司先輩は少し苦しそうな顔をして、静かに生徒会長から手を離した。
でも苛立ちは収まらないようで、乱暴に頭をかき乱した。あの日と同じ、赤い髪を。
あのとき、私を見つけてくれてありがとう。新しい世界に連れ出してくれてありがとう。夢を見させてくれて、ありがとう。このまま逃げることを、どうか許してください。
「葛目、俺と勝負しろ」
「――勝負? なぜそんなもの」
「おまえがムカついてんのは俺だろ? だったら、みんなに決めてもらおうぜ。どっちが上か」
文化祭が終わって、家に帰って、部屋に入って、机にカバンを置く。目に入ったのはデスクマットに挟んだ写真だった。
金髪にしたばかりの私と、ロクコンの後の私。どちらもお姉ちゃんが撮ってくれたものだ。
『今の吉香、すっごい輝いてるよ』
お姉ちゃんはそう言ってくれたけど。私は全然、輝いてなんかないよ。私はただの鏡で。みんなの光を映してただけなんだ。
私はまだ、あの頃のまま。好きなものに全力で向かっていくお姉ちゃんを、羨ましいと思っていた臆病な私のまま。
何も変わってなんかないんだ。変われてなんか、ないんだ。
「生徒会長、ですか?」
「うん。立候補しちゃった」
しちゃったって。そんな軽く。やっぱり譲司先輩は違う。私とは、住む世界が。
「吉香ちゃん、推薦人になってくれる?」
休み明け、私の机を陣取ったままそんなことを聞いてくる譲司先輩。答えはもう決まっていた。
「でも私、こんな髪なんで」
ただの言い訳だ。譲司先輩から離れるための、口実。離れたい。譲司先輩から、離れなきゃいけない。
「あれ、開いてる」
放課後、いつものように鍵を開けようとしていた麻林の手が止まる。ユキくん含め3人で顔を見合わせてみるけど、誰も心当たりはないようだ。
「譲司先輩?」
「でも、鍵はこれしかないはずよ」
「じゃあ……閉め忘れたとか?」
「私がそんな抜けたことするわけないでしょ」
ユキくんと麻林の会話を背中で聞きながら、そっとドアに手を伸ばす。ゆっくり開けてみると、そこにいたのは男のひとだった。
スーツを着たそのひとが振り向いて、真っ黒な瞳と目が合う。譲司先輩によく似た、瞳と。
「おとう、さま」
不意に背後から小さな声が聞こえた。振り返ると案の定、呆然と立ちすくむ譲司先輩がいて。ふたりの間に、ふたりにしかわからない空気が漂いはじめる。
私はただふたりを見比べることしかできなくて。あらためて無力だと、感じた。