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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第4章

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「好きです」【下】

 伝わるだろうか、ユキくんに。麻林に。あと、譲司先輩にも。それから、このなかにいる切ない恋をしている誰かに。


 伝えたい、私の声で。

 共有したい、やり場のない想いを。


――きっと初めから

出会うべきじゃなかったの


 静かに押し寄せてくる感情は、胸を締め付けて仕方ないけど。あなただけじゃない。あなたひとりじゃない。


――ねぇ 僕はここにいるよ

抱えきれない想いと共に


 抱えきれないのなら、私が半分持つから。ひとりで苦しまないでほしい。ひとりだなんて、思い込まないでほしい。


 譲司先輩はひとりで抱えすぎるから。ほんとは私も、寂しいんだ。きっとみんな、寂しいんだ。




「結局あいつらが優勝かぁ」


 遠くにあるステージを見つめ、ため息まじりにつぶやく譲司先輩。満面の笑みでトロフィーを掲げるのはホワイトラインのヒナさんだ。結局、私たちは勝てなかった。


「よっし、うちで祝賀会でもするか!」


「え、勝ってもないのに?」


「もう吉香ちゃん、細かいことは気にしないー」


 別に細かくはないと思うんだけど。……ま、いっか。なんかみんな楽しそうだし。


「吉香ー!」


 明るい声だった。よく知っている声だった。振り返ると、満面の笑みでブンブン両手を振るお姉ちゃん。ヒナさんと全く同じ行動なのに、全く違って見える。


 相変わらず髪をテキトーにまとめて、首からカメラを下げている。あの日からもう4ヶ月くらい経つのに、お姉ちゃんは変わらない。


「吉香ちゃん、先いってるね」


 気を遣ってくれた譲司先輩がみんなを連れて去っていく。会釈だけ返して、ひとりお姉ちゃんと向き合った。


 私はずっと、お姉ちゃんが羨ましかった。まぶしかった。だから、目をそらしていた。


「さっきのひと? 歌う前に言ってた光って」


「え? あ――まあ」


「ふーん、好きなんだぁ?」


「なに言ってんの、違うよ」


「ふーん?」


 なんてニヤニヤ笑う。まるであの日、何もなかったみたいに。お姉ちゃんは変わらない。


「さっきまでお父さんとお母さんもいたんだよ。結果聞くのが怖いって帰っちゃったけど。小心者だよねー」


「……お姉ちゃん」


「歌、すっごいよかったよ! お姉ちゃん的には吉香たちが優勝!」


「ごめんね」


 お姉ちゃんの顔から笑みが消える。さっきまで大げさに動き回っていた両手は、不安げにカメラを握っている。傷つけてしまった。あらためてそう自覚する。


「あのとき、私ひどいこと言った。お姉ちゃんのせいにして、逃げてた」


 不意に背中を向けられてしまう。ああ、もう戻れないんだろうか。幼かった頃の私たちに。純粋に世界を見ていた、私に。


「あたしがカメラ触るようになったの、吉香のおかげなんだ」


「――え?」


「吉香が生まれてさぁ、あたしホント嬉しくて。頼まれてもないのにおもり買って出たりして」


 生まれたばかりのことは、当たり前だけど覚えてない。でもアルバムをめくると、いつも私のそばにお姉ちゃんの笑顔があった。いつも、お姉ちゃんの笑顔が。


「さっきまでニコニコしてたのにいきなり泣き出すの。かと思えばすぐ笑顔に戻ったり。そういう一瞬一瞬のさぁ、心が動く瞬間? 残したいなって思った」


 お姉ちゃんはずっと私のお姉ちゃんだったのに。怖がる必要なんてなかったのに。ちゃんと、思っててくれたのに。どうして目を背けてしまったんだろう。


「同じだと思ってた空が、昨日とは違う空だって。同じだと思ってた風が、昨日とは違う風だって。気づけたの、吉香のおかげだよ」


 振り向いて笑うお姉ちゃんは、あの頃と何も変わらない。私の大好きな笑顔。少しだけ、目元がキラキラしてるけど。


「お姉ちゃんのほうこそごめんね、好き勝手して。これからはもっと顔出すようにしようと思って、帰ってきたんだ」


 喉の奥が締まるのがわかった。ああ、私はこんなにも。どうして気づけなかったんだろう。どうして逃げたりしたんだろう。


 ――カシャッ。カメラの音。大好きなお姉ちゃんの、音。


「今の吉香、すっごい輝いてるよ」




 大切なものに気づくと、世界はこんなに色濃くなるのだろうか。


 悔し泣きしている誰かも、楽しそうに笑う誰かも、みんなまぶしくて。見上げた空は、きれいな青色で。


 大きく息を吸い込むと、空気さえまぶしく感じて。この世界を構築するすべてのものが、今はただ愛おしい。


「あんた、glowの」


 無愛想な声だった。聞いたことがあるような気がする。振り返ると、冷たい目をした彼――アイトがいた。


「他のやつらは?」


「もう帰りましたけど」


「ふーん、置いてけぼりか」


 カッチーン。ダメだこのひとやっぱムカつく。でもこんなひとにわざわざ説明するのも腹立たしいから言わないでおこう。


「あの歌、誰が作ったんだ?」


「……譲司先輩ですけど」


「ふーん」


 何なんだろうこのひと。興味ないなら聞かなきゃいいのに。


「じゃ」


 ちょっと。聞くだけ聞いてオシマイ? こっちはあんたに言いたいこと――っていうかいっそ殴ってやりたいぐらいなんだけど!


「ちょっと待ってください」


「何だよ。俺、女には不自由してねえんだけど」


「はあ!?」


 どうしよう本当に殴りたいんだけど。ダメダメ、落ち着け私。冷静に!


「ひとつだけ聞きたいんですけど」


「メールとか面倒だから」


「何でユキくんをいじめたりしたんですか?」


 聞きたい。どうしてユキくんがつらい思いをしなきゃいけなかったのか。知りたい。


「あいつは、俺と同じだから」


「えっ……?」


「俺も、名前でからかわれてたから」


 彼はこっちを見ない。ただ虚ろな目で、じっと宙を見つめている。アイト――アイちゃんとか? まあ、有り得そうではあるけど。でも、だからってそんなの。


「ずるいです。ユキくんを身代わりにするなんて」


「しょうがねえだろ」


「最低です」


 苦しそうに目を閉じる。苦しいのは、苦しんだのは、このひとじゃなくてユキくんなのに。


「そんなん、わかってんだよ」


 ほとんど声にはなっていなかった。押し殺すようにして吐き出された言葉。わかっていたならどうして? そう言ってやりたかったけど、できなかった。


「アイト、こんなとこにいたの?」


 振り向くと、真っ白い髪がふわふわ揺れていた。腕を組んで不機嫌な顔をする彼女は他でもないヒナさんだ。


「わり、いま戻る」


 私を通り過ぎてヒナさんのほうに歩いていく。ヒナさんは腕を組んだまま、じっと私を見てきた。


「あなた、glowのボーカルよね」


「……あ、はい」


「あなたたち、けっこうイイ線いってたと思うわよ」


 そう言いながら近づいてくる。褒められてるはずなのに、なんだか威圧的で萎縮してしまう。


「ただ、あなたが残念ね。大してうまくもないのに歌しか歌わないし」


 ――ほら、やっぱり。私は褒められてない。ヒナさんの猫みたいに大きな目が、蔑むように私を見上げてくる。


「ボーカルがあなたじゃなかったら、私たちに張り合えたのに」




 初めからわかっていたのに。歌がうまくないことも、才能なんてないことも。


 ただ、変わりたくて。ただ、伝えたくて。それだけだったはずなのに、どうしてこんなに胸が痛むんだろう。


 ぐるぐる、ぐるぐる、会場のなかを無駄に歩き回る。さっきと同じ景色が、さっきとは違って見える。色はどこに行ったんだろう。光は、どこに。


「吉香ちゃーん」


 優しい声。譲司先輩の、声。ダメだ。いつも通り笑わなきゃ。何にもないんだから。なかったんだから。


 振り向いたら、両手をポケットに突っ込んで、やわらかく笑う譲司先輩がいた。


「あんまり遅いから迎えに来ちゃった」


「……すいません。積もる話があったので」


「誰だったの? さっきのひと」


「姉です。7つ上の」


「ふーん」


「いま似てないって思いました?」


「いや、いいなーって」


 うまくできているだろうか。いつも通りの私に、なれているだろうか。


「俺ひとりっ子だから羨ましいよ。姉ちゃんとか」


「世界を股にかける写真家、って言ったらかっこいいんですけどね」


「へえ、かっこいーじゃん」


 目の前まで来た譲司先輩がくしゃっと笑う。今なら言ってもいいかな。瀧川先輩の話を聞いてから、ずっと考えていたこと。


「譲司先輩、私やっぱり許せません」


 ふっと、譲司先輩の笑顔がほどける。風に吹かれる赤い髪。お父さんに気づいてもらえない、小さなサイン。


「でも、今さら嫌いになれそうもないです」


 嫌いになろうとして嫌いになれるなら、初めっから嫌いだったんじゃないかと思う。


 不正ばっかだし、権力から特権から使いまくりで、嫌だなって思うところはたくさんあるけど。それ以上に私は、何度も何度も譲司先輩に救われてる。


「だから、これからも怒っていようと思います」


 ぽかんとする譲司先輩。なんだかおかしくて笑えてくる。


「譲司先輩が悪いときは、私が悪いって言ってあげます」


 そしたら少しは寂しくないでしょ? お父さんに気づいてもらえないサインを、私がきっと見つけてみせる。


 譲司先輩がやわらかく笑う。どうやら伝わったらしい。よかった。


「じゃあ吉香ちゃん、俺のことちゃんと――監視しててね」


「任せてください!」


 胸を締め付ける痛みには、気づかないふりをして。何にもなかったことにして。笑った。




「お疲れ様ー!」


 たくさんの缶と缶がぶつかり合う。ただいま譲司先輩の部屋で祝賀会――もとい、お疲れ会の真っ最中。


 ふと譲司先輩の手元を見ると、そこにあったのはノンアルコールビールだった。


「ちょっと譲司先輩、それ飲んじゃダメなやつじゃないですか!」


「飲まなきゃやってらんないもーん」


「どこのオッサンですか。ダメです未成年なんだから」


 とりあえず取り上げる。合宿でユキくんが間違って飲んだの、譲司先輩のだったのかも。


 ……あ。不意に麻林が席を立って、ひとり部屋から出て行く。どうしたんだろう。


「泉ちゃーん」


「はいはい離れて」


「せーんー!」


「うるさい」


 譲司先輩の相手を瀧川先輩に押しつけて、麻林を追いかけようと立ち上がったものの。私より先にユキくんが出て行ってしまった。


 どうしよう。ふたりっきりにしたほうがいいのかな。でも、麻林の様子が気になる。余計なお世話かもしれないけど。


「好きです」


 ドアノブを握ったところで、そんな声が聞こえてきた。少し震えた、ユキくんの声が。


「俺は、麻林さんのことが好きです」


 これ以上聞いちゃいけない。そう思いドアノブから手を離した。でも、麻林の言葉に動けなくなってしまう。


「吉香にでも頼まれた? 譲司先輩と別れさせるために」


「えっ……」


「だって幸人くんは、吉香のことが好きなんでしょう?」


 なに言ってるの、麻林。ねぇ。なに言ってるの?


「――そっか。そんなふうに見えてるんだ」


 思い出す。ユキくんの切ない顔。麻林を想って、キラキラ輝いていた横顔。


「ごめん、変なこと言って。忘れて」


 今ユキくんは、どんな顔で麻林を見つめているんだろう。笑っているだろうか。泣いているだろうか。それとも、消えそうになっているだろうか。


『吉香、俺、振られちゃった、レイラに』


 突き動かされるようだった。体の奥の奥のほうから、得体の知れないエネルギーが吹き出して。ドアを開けて、ずかずか歩いて、麻林の頬を思いっきりひっぱたいた。


「いい加減、目ぇ覚ましなよ」


 麻林にはわかってほしかった。ユキくんの気持ちを、ちゃんと受け止めてほしかった。


「ユキくんがどれだけ麻林のこと想ってるか考えもしないで」


「よ、吉香さん……あの、落ち着いて。ね?」


 ユキくんがあわてて間に入ってくる。手のひらの痛みをごまかそうと、ぎゅっと拳を握りしめるけど。あまり意味がない。


 赤い爪が食い込んでくる。麻林が塗ってくれた、赤いマニキュアが。


「吉香だってそうじゃない」


「――え?」


「譲司先輩の気持ちに気づきもしないで」


 何の話? 譲司先輩の気持ちって、レイラさんのこと?


「言わないでおこうと思ってた。私さえ黙ってれば、きっと譲司先輩は言わないから」


 わからない。どうして麻林が、今にもこぼれ落ちそうな涙を我慢しているのか。その涙が、どういう感情を表しているのか。


「譲司先輩は、吉香のことが好きなのよ」


 わからなかった。この言葉を聞いても。何ひとつ、わからなかった。

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