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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第4章

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譲れない気持ち

 下唇をきつく噛みしめて、こぼれそうな涙を何とかこらえた。


 にじんだ世界のなかで譲司先輩が目を伏せる。傷つけてるのは、譲司先輩のほうなのに。そんな顔しないでよ。


「そんなの麻林に失礼です。麻林がどれだけ譲司先輩を好きだと思ってんですか。私にまでヤキモチ妬くんですよ? 私と譲司先輩なんて、いちばん有り得ない組み合わせなのに」


 一気に言ってやった。麻林はきっと言わないから。言えないから。麻林は、譲司先輩を好きすぎるから。


「私、ぜったい許しませんから」


 もう一度、信じたかった。許したかった。譲司先輩に憧れたかった。もうダメだ。私は、もう譲司先輩を許せない。




「吉香、起きなさい。朝よ」


「んー」


 麻林に曖昧な返事をして重い体を起こす。何だかんだ毎朝起こしてくれるんだから、麻林はいいひとだ。譲司先輩のために、傷つく必要なんてないのに。


「先、下りてるから」


「んー」


 去っていく麻林の背中にひらひら手を振ってみる。ウェーブのかかった金髪がやわらかく揺れる。譲司先輩のために、ブリーチした髪。


 私に嫌がらせしてきたのも、金髪にしたのも、軽音楽部に入ったのも。全部、譲司先輩のため。


 きっと麻林は気づいているんだろう。片思いだとわかったうえで、譲司先輩のそばにいるんだろう。


『たとえ利用されてでも、今を一緒に過ごせたらそれでいい』


 いつかの麻林の言葉を思い出す。そのときは強いひとだと思った。でも今は違う。


 麻林は自分で思っているよりずっと弱い。不安で不安で仕方ないから、あんなにイライラしてるんだ。


 私に何ができるだろう。麻林に、何を返せるだろう。


『泣き止むまでそばにいてあげる』


 あの雨の日、麻林のぎこちない優しさが嬉しかった。なら、私がするべきことは。


 何があっても麻林のそばにいよう。逃げずに麻林を受け止めよう。そんなことしか私には、できないから。




「本番までもう1週間しかないし、そろそろ本格的に合わせようと思うんだけど……吉香ちゃん、出れる?」


 朝食を済ませてすぐ、こわごわと話しかけてきたのは譲司先輩だった。逃げる間はなかった。逃げる気も、なかった。


「もちろん出ますよ」


「そう? よかったー」


「これでもメンバーなんで一応。譲司先輩なんかのために迷惑かけらんないんで」


「あー……はは。だよねぇ」


 苦笑いの譲司先輩に冷たい視線を返す。本当なら無視してやりたいところだけど、このままじゃ前に進まないから。


「譲司。まずいの来た」


 ノートパソコンと向き合ったまま手招きする瀧川先輩。何だろう。まずいの?


 気になるので譲司先輩について行く。ユキくんと麻林も同じようで、瀧川先輩の周りに軽く人だかりができてしまった。


「どした? 泉」


「ホワイトライン、緊急参戦だって」


 ん? ホワイトライン、って――。


「何ですか?」


 率直な疑問を投げかけると、瀧川先輩が呆れ顔で私を振り返る。あわてて周りを見れば、みんな揃いも揃って同じ顔。……私、変なこと言った?


「まあ吉香は知らないか。この辺じゃ有名なロックバンドだよ」


 瀧川先輩がため息まじりに答えてくれる。へえ、そうなんだ。聞いたことないや。


「ボーカルはハスキーボイスのヒナ。高いファッションセンスで女に人気。ギターのアイトはそのテクニックに憧れる男が多い」


「詳しいんですね」


「誘われたことあるからね。天下取ろうとか面倒くさいこと言ってたから断ったけど」


「わー、瀧川先輩らしー」


「何その棒読み」


 冗談はさておき。そんなすごいグループが出るんだ。高校生のコンテストだっていうから安心してたけど、そんな甘いもんじゃないのか。


 ふと視界に入ったユキくんが珍しく眉をひそめていた。不安がっているというより、何やら思いつめているように見える。


「どうしたの?」


 声をかけたらパッと取り繕うように笑う。なんだ?


「何でもないよ!」


 ユキくんはわかりやすいんだから、ごまかさなくていいのに。




「吉香さん、ちょっといい?」


 午後の練習が終わり、夕食の時間まで休憩することになった。話しかけてきたのはユキくんで、その笑顔はいつもと違ってこわばっている。


「今朝の話なんだけどさ」


 ユキくんについて浜辺を歩き出して少し。先に切り出したのはユキくんだった。すぐピンと来た。


「ホワイトラインのギタリスト、同じ学校だったんだ」


 やっぱり。あのときユキくん、変だったから。何かあるって言ってるようなもんだったから。


「仲、よくなかったの?」


「――うん。俺、嫌われてたから」


 わかってしまった。全部。どうして言わせてしまったんだろう。ほんとに、私は。


 ユキくんをいじめていたのはアイトってひとなんだろう。だからユキくんの声が少しかすれたんだろう。


 ユキくんの短い黒髪がかすかに揺れる。夕暮れに溶けそうな、儚い横顔。


「だったらなおさら、勝とうよ」


 回り込んで見上げると、ユキくんは不安げな顔で笑った。ユキくんはすぐ無理をする。励まさなきゃ。ユキくんに、ちゃんと返さなきゃ。


「私も今すごいムシャクシャしてるから」


「……え?」


「ユキくんは悔しくないの? あんなやりたい放題のチャラ男に麻林とられて」


 悔しくないわけがない。麻林を好きなのはユキくんなんだから。譲司先輩なんかじゃない。


「譲司先輩なら仕方ないかなって」


 何でそんなふうに、困り顔で笑うの。笑えるの。


 ユキくんはわかってない。譲司先輩に遠慮しなくていいのに。する必要ないのに。


「そうやって何でも許すから甘く見られるんだよ。いちばん大事なものは、誰にも譲っちゃダメ」


 譲っちゃいけない。誰かを好きになって、好きなままいられるって、本当はすごいことなんだと思うから。


 傷ついても、苦しくても、好きでいるのやめなかったんでしょ? そんな大切な気持ち、簡単に譲らないで。


 願いを込めてただ見つめた。でもユキくんはふっと目を伏せてしまう。


「俺ね、ずっと自分の名前が嫌いだったんだ」


 いきなり何の話だろう。きょとんとしていたら、ユキくんが自嘲気味に笑う。


「もともと背も低くて、泣き虫だったから、ユキちゃんなんて呼ばれてた」


「――そう、なんだ」


「でも譲司先輩が言ってくれたんだ。周りの人を幸せにする名前だ、って」


 いかにも譲司先輩が言いそうなことだ。こんなふうに、簡単に誰かの心をすくい上げる。何でもないように。


 譲司先輩はまぶしすぎる。だから目をそらしたくなる。


「譲司先輩には、幸せでいてほしいんだ」


 胸が苦しい。痛い。ユキくんの笑顔が、やわらかくて。優しい気持ちにあふれていて。


 本当のことを話してしまえば少しは楽になれるかな。ユキくんを傷つけるだけかな。結局、苦しいままだろうか。


「……ダメだよ。ユキくんも幸せにならなきゃ」


 ようやく絞り出した言葉に、また笑顔が返ってくる。ユキくんは、本当はすごく強いひとなのかもしれない。


「ありがとう、吉香さん」


 私は、なんて弱いんだろう。




「なーにしてんの」


 夕食を済ませ、夜のなか。ひとり浜辺に座り込んで暗い海を見つめていた。夜の色をした波が静かに、私の心に押し寄せてくる。


 軽く声をかけてきた瀧川先輩が、当たり前のように私の隣に座る。あの日と同じシチュエーション。ただ私たちの関係が変わっただけ。


「たそがれてるんです」


「ふーん」


「ちっぽけだなぁと思って」


 ユキくんの大きさを見せつけられて、私はあらためて自分の小ささを知った。


 譲司先輩を許せなくて、ユキくんと麻林が付き合えばいいと思った。譲司先輩に、麻林と付き合う資格はないって。


 麻林の気持ち、わかってるのに。ふたりの問題なのに。私は関係ないのに。


「今さら気づいたの?」


「――え?」


「人間みんなちっぽけでしょ。海なんか前にしたら余計に」


 まあそれはそうなんですけど。私が比べてるのは海じゃなくて、ユキくんなんだけど。瀧川先輩にはわからないか。誰かと比べることなんてなさそうだし。


「俺のこと、完全に吹っ切れたみたいだね」


「あ……そうなんですかね。あんまり自分の気持ち、考えてなかったから」


「いいんじゃない。俺としては、早く前向いて幸せになってほしいし」


 波の音が優しい。水面は、月の光を映してきらめいている。隣にいる瀧川先輩の横顔は、やわらかい。


 こぼしてもいいだろうか。心につっかえたままの不満を。


「何でみんながみんな、幸せになれないんですか。傷つくために誰かを好きになったわけじゃないのに」


「――誰かを好きになるのはさ、傷つくことだよ。みんな同じように気持ちがあるから」


 瀧川先輩が何を言おうとしているのか、わかったような気がした。そうだ。誰にだって感情があって、それは不可抗力で。


「小さいことで嬉しくなったり、悲しくなったり。小さいきっかけで誰かを好きになったり、嫌いになったり」


 一瞬一瞬またたくように、いろんな感情に支配される。誰かの影響を受けても、誰かに決められることはない。


「同じときに同じ気持ちになれるのって、奇跡みたいなことでしょ」


 その瞬間の、そのひとにしかない気持ち。でもそれはきっと違う誰かもどこかで感じてる。


「だから、恋の歌は切ないんだよ」


 私たちはひとりだけどひとりじゃない。分かり合える。共有できる。想いを。


「私、頑張ります」


「――え?」


「譲司先輩のことは許せないけど、あの歌は好きだから」


 あの歌を聴いたとき、涙が出たのは同じ想いを知っていたから。私はあの歌に、泣くことを許されたんだ。


「たくさんのひとにあの歌を聴いてほしい。つらいのはあなただけじゃないって伝えたい」


 きょとんとした瀧川先輩に思ったまま話す。ずっと、どこへ向ければいいのかわからなかった。このやるせない想いを。


 きっと、あの歌に向ければいいんだ。向けるべきなんだ。


「私にも、できますか?」


 自信なんてどこにもない、臆病で、弱くて、ちっぽけな私だけど。誰かと、この想いを共有したい。


「できるよ」


 目をつむってから、やわらかく笑う。好きだったひと。初めて好きになったひと。


「伝えたいっていう気持ちがあれば」


 優しく背中を押してくれたから私も笑顔になれた。前を向いて。今はただ、前を。


「ありがとう、ございます」




 それから毎日バカみたいに練習した。麻林にそこがどうとか、ここがああとか言われながら。


 難しいことはわからないけど、なんとなく、この歌がなじんできたような気がする。すんなりと歌えるようになった気が。


 2週間という長かった合宿も終えて、高校生ロックコンテスト――ロクコン当日。


 衣装は制服という決まりだそうで、夏服に身を包み部室に集合。あえてまじめに着ようという譲司先輩の提案で、みんなぴっちりネクタイを締め上げている。


 普段はネクタイをつけない譲司先輩もぴっちり。頭は真っ赤だけど。ユキくんは青髪、瀧川先輩は銀髪とみんなライブ仕様だ。そして、私はというと――。


「何で高校生にもなって化粧できないのよ」


 なんて、文句を言われながら麻林に新しい顔を作ってもらっているのだった。


「だってする機会なかっ」


「あーもうしゃべらないで動かないでじっとしてて」


 ……そっちが話しかけてきたくせに。言い訳くらいさせてよ。


「わぁ、吉香さん別人みたい!」


 キラキラ目を輝かせるユキくん。そんなに元がひどかったのか私は。自覚はあったけど。


「メイクうまいね、麻林」


 瀧川先輩まで。みんなひどくないですか。そして誇らしげな麻林。うー。実験台にでもされた気分だ。


 普段メイクなんかしないから、顔全体に膜が張ったみたいで。私なのに私じゃないみたいで。


 バッサリ上向きなまつげ。目尻が跳ね上がったラインで少しつり目に見える。真っ赤な唇は挑発的に艶めいている。


 短い金髪も無造作にセットされて、爪まで真っ赤に塗られてしまって。そのくせ制服だけはまじめに着てるんだから、違和感が半端ない。


 ふと手鏡から目をそらすと、固まっている譲司先輩と目が合った。……そんなひどいですか変わり様が。


 何か言ってやろうと立ち上がったら、即座に顔を背ける。何それ。無視したいのはこっちなのに。ムカつく!


「吉香?」


 ひょいと顔を出してきた瀧川先輩に、あわてて笑顔を返す。何でもない。譲司先輩のためにイライラしたくない。もったいない。


「譲司。お迎え来たみたいだし、行こ」


「――ああ」


 お迎えとは、あの白いリムジンのことである。自分でできることは自分でしたいって言うわりに特権使いまくってるじゃん。


 合宿の別荘だってシェフだって今だって。やっぱり金持ちは金持ちなんだ。当たり前のように、特権を持ってる。




「わぁー……すごいひと……」


 つぶやくように言うユキくんに、無駄に何度もうなずいて同調。


 えーっと。高校生のコンテストで、参加できるのはアマチュアだけで。いくら会場が野外ステージだからって何この混雑ぶり。


「入場料タダだし。ちょっとした夏フェスみたいなもんだからね」


 飄々と話す瀧川先輩。夏フェスってよくわかんないけど何かすごいことなんだろう。この有りさまがちょっとした、なんだから。


「業界からスカウトマン来てたりするし。ある意味オーディションだよ」


 ちょっと譲司先輩、それ初耳なんですけど。ただのコンテストって聞いてたんですけど。自分で調べなかった私が悪いの?


「あ――」


 消え入りそうな声が聞こえ、隣にいるユキくんを見上げる。嫌な予感がした。


 ユキくんの顔がこわばっていて、その視線の先に嫌な笑みを浮かべた男がいたから。


 両手をポケットに突っ込んだ彼のそばには、偉そうに腕を組んだ小柄な女の子。長い白髪がふわふわしていて、一見かわいらしい。


 その後ろにはふたりの男がいて、そこでやっとわかった。彼らがホワイトラインで、嫌みに笑う彼がギタリストだと。


 ユキくんを傷つけた、最低の人間だと。

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