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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第4章

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彼のおもちゃ

 短い沈黙だったと思う。眉をひそめた譲司先輩に手首を取られ、そのまま突き当たりまで連れて行かれる。歩きながら振り返ると扉はもう閉まっていて、光は漏れ出している程度だった。


 譲司先輩はいつもこうやって周りを振り回すけど、最低限の誠意は持っていると思ってた。そう、思い込んでいた。


 立ち止まったまま動かない譲司先輩。つかまれた手首がじんわり痛い。


「手、離してください」


「――あ、ごめん」


 ようやく譲司先輩の手から解放された。振り向いた譲司先輩が申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「さっきの話、本当なんですか?」


 本当なんだと思う。だから譲司先輩に、いつもの余裕がないんだろう。でも、だからって逃がさない。聞かなきゃ。確かめなきゃ。


「譲司先輩にとって軽音楽部は、バンドは、ギターは。飽きたら簡単に捨てちゃえるおもちゃだってことですか?」


「吉香ちゃん……」


 譲司先輩が視線を落としたことで、目は合わなくなった。じっと見つめても譲司先輩はうつむいたまま。


「ごめん」


 否定してほしかった。まじめにやってるって、たった一言。聞きたかった。


「――最低」


 私の言葉でようやく顔を上げる。何でそんな、ショック受けたみたいな顔するの。私のほうがよっぽどショックだよ。


 譲司先輩をにらむだけにらんで背を向ける。涙が出そうだ。悔しくて。


 私はこんなひとについてきたのか。こんなひとの言葉に背中を押されたのか。こんなひとが作った歌に感動したのか。バカみたい、ほんとに。バカ。


 初めからおかしかった。赤い髪で教室に入ってきた時点でおかしい。理事長の息子だから好き放題やってる、なんて。ありえない。


 それなのにまだ信じたいだなんて。私は正真正銘の、大バカ者だ。




「吉香さん、どうしたのその格好」


 翌日。階段を下りきったところで、目を丸くしたユキくんに突っ込まれた。今から練習が始まるというのに、半袖短パン首にはタオル。朝食を終えてすぐ着替えてきたのだ。


「ちょっと走ってこようかなって」


「どういうこと? 吉香ちゃん」


 譲司先輩が横から割り込んできた。目は合わせられそうにないから、うつむいて答える。


「肺活量、鍛えたほうがいいと思って。だったらジョギングかな、って」


「だったら帽子ぐらい被んなきゃ。取ってくるから待ってて」


「いいです!」


 背を向けた譲司先輩にあわてて叫ぶ。いい。いらない。もう譲司先輩には頼らない。


「すぐ戻ってきますから」


 何か言いたげな譲司先輩に笑ってみせる。大丈夫。今はただ少し、譲司先輩の優しさが嫌なだけ。譲司先輩から、逃げたいだけ。




「はぁ、も、無理……っ」


 よろよろと浜辺に倒れ込んだものの、あまりの熱さに飛び退く。とりあえず暑い。暑すぎる。――ああ、そろそろ戻んなきゃ。


 わかってはいる。逃げたって意味がない。みんなが嫌な気分になるだけだし。でも、どうやって飲み込めばいいのかわからない。


「吉香さーん!」


 背中に大きな声が飛んできて、振り返ると、浜辺の先で誰かが両手をブンブン振っていた。日差しでよく顔が見えない。誰だろう。


「吉香さん!」


 ――あ、この呼び方。ユキくんだ。


 駆け寄ってくるユキくんに思わず頬がゆるむ。ほっとしたんだと思う。ふっと力が抜けて、意識が遠ざかるのを感じた。




 少しずつ、少しずつ、視界が白んでいく。うっすら目を開けると、見覚えのある白い天井。ここ……ああ、譲司先輩の別荘だ。


「目が覚めた?」


 この声、よく知っている気がする。ベッドの脇を見ると、少し眉尻を下げた麻林がいた。


「もしかして私――」


「倒れたのよ。幸人くんの目の前で」


 やっぱり。ああ、無理しなきゃよかった。そもそも持久走とか苦手じゃん私のバカ。


「で、どういうつもりなのよ」


「え?」


「みんなを振り回して、どういうつもり」


 怒っているようだ。少し眉間にしわが寄っている。振り回すつもりは、なかったんだけど。


「譲司先輩に帽子借りればよかったじゃない。私に遠慮してるの?」


「それはっ――!」


 違う。否定しようと起き上がった途端、ズキズキ頭が痛んで何も言えなくなった。同時に麻林が乗せてくれたらしい濡れタオルが落ちる。麻林は、優しい。


「おかゆ持ってくるから」


 麻林が立ち上がって背を向ける。何か言わなきゃ。早く。何か。


「ごめんね、麻林」


 ドアノブを握ったまま立ち止まる麻林。だけど振り向いてはくれない。このまま、離れてしまうのは嫌だ。


「ありがとう」


 麻林は何も言わずにそのまま出て行ってしまった。ドアの閉まる音が妙に響く。


 きっかけが何であれ、私たちは友達のはずだ。いつも一緒にいるとか、何でも話すとか、そういうのじゃないけど。心のどこかで寄り添えているんだと思ってた。


 なのに、こんな些細なすれ違いひとつで。いとも簡単に離れていく。心が、離れていく。




 ――コンコン。軽いようで重たいノックだった。なかなか入ってこないので「はい」と答えると、お盆を持ったユキくんが入ってきた。


「あれ、麻林は?」


 率直に思ったことを聞いてみる。てっきり麻林が持ってきてくれるんだと思ってたから。


「俺が行くって言ったんだ。吉香さんの様子が気になって」


「……そっか」


 本当かどうかわかんないけど。どっちにしてもユキくんは優しい。


「具合どう?」


「うん。だいぶ楽になったよ」


「よかったぁ」


「ごめんね、心配かけちゃって」


「ほんとだよー。吉香さん倒れたとき、このまま目ぇ覚まさなかったらどうしようって。すっごい、怖かった」


 目を伏せてぽつりぽつりと言葉を落とす。胸が痛んだ。こんなに優しいひとが、どうして幸せになれないんだろう。どうして譲司先輩が幸せで、ユキくんが幸せじゃないんだろう。


「ユキくんが、ここまで運んでくれたの?」


「そうしようと思ったんだけど、譲司先輩が追いかけてきてさ」


「え――」


「戻ってみんなに知らせろって言われて」


 ってことは、譲司先輩が運んでくれたの? あーあ。もう借り、作りたくなかったのに。


「吉香さん、譲司先輩と何かあった?」


「え、何で」


「なんか今ちょっと嫌そうな顔したから」


 うっ、顔に出ちゃった。純粋な瞳でまっすぐ見つめられると、思わず何もかも話してしまいそうになる。でも、ダメだ。


 ユキくんにとって、譲司先輩は恩人で。いわゆるヒーローで。


 その譲司先輩が、好き勝手したいがために首席を維持してるなんて知ったら。きっとユキくんは傷つく。言わないほうがいい。


「申し訳ないなって思っただけだよ」


「……ふーん?」


「おかゆ持ってきてくれてありがとう。いただきます」


 言わないほうが、いい。




 次の日も大事を取って休んで、その次の日から筋トレを始めることにした。もうみんなに迷惑かけたくないし。


 みんなでする練習も大事だってわかってるけど。まだ譲司先輩にお礼、言えてないけど。


「はぁ……」


 筋トレで疲れた体がベッドに沈む。ため息も重い。お礼は、言えそうにない。


 このままじゃいけない。でも、譲司先輩を許せない。だからって完全には嫌いになれなくて。苦しい。


 ――コンコン。軽やかなノックの音。重い体を起こし「はい」と答える。ひょいと顔を覗かせたのは、瀧川先輩だった。


「今いい?」


「はい。でもまだ練習中じゃないんですか?」


「晩飯まで休憩」


 なんて言いながら近づいてきて、当たり前のように隣を陣取る。マイペースすぎてこっちのペースが狂うんですけど。


「見事に10日間、譲司の目ぇ見なかったね」


「……よく見てますね」


「何かあったら俺に話すって約束だよ」


「そんな約束」


「した。で、何があったの?」


 なんて強引なんだこのひとは。何か言い返してやりたいけど、茶色い目で見つめられたら何も言えない。


 顔を背け、うつむいてみる。向けられる視線は強く、それでいて優しい。話していいのだろうか。受け止めてくれるだろうか。


「譲司先輩が、わかんないんです」


「どういう意味?」


「譲司先輩、お父さんと約束してるんです。首席を維持する代わりに好き勝手するって」


「あー、前にそんなこと言ってたっけ」


 ……え? 隣を見やると、瀧川先輩は後ろ手で体を支えて仰け反っていた。まるで大したことじゃないとでも言わんばかりに。


「知ってたんですか? 知って、嫌じゃなかったんですか」


「別に。理事長なら言い出しかねないでしょ、プライド高いし。息子にも常にトップでいてほしいんじゃないの」


 そんな。そんな簡単に納得できることじゃ、ない。瀧川先輩と譲司先輩の絆が強くて、私と譲司先輩の関係が薄っぺらいから?


「腹が立つのはさ、譲司のこと認めてるからじゃないの」


 ――認めてる?


「いいやつだって認めてるから、許せないんじゃないの」


 わからない。そうなのかもしれない、けど。わからない、譲司先輩が。


「譲司は、あれで必死なんだよ。大切なもの守るために、必死で勉強して首席とってんの」


 瀧川先輩にはわかるんだろうか。


「好き勝手やってるように見えて、本当は好き勝手やってないし。あいつは、いっつも何か守るため」


 私にはわからない、譲司先輩のことが。


「それがもう一方の何かを壊してるって、気づきもしないで」


 わかってるつもりだった。強引で、意地悪なところもあるけど、ほんとは優しいひとだって。わかってたつもりだった。


「麻林、傷つくよ。もう傷ついてるだろうけど」


「え――」


 どうして麻林が傷つくの。傷つく理由なんて、どこにもないのに。だってふたりは幸せなんでしょ?


「麻林の、片思いだってこと」


 心のどこかで、何かが崩れた。大きな音だった。胸が苦しい。込み上げてくる感情が熱い。――ああ、私。行かなきゃ。


「吉香!」


 瀧川先輩が珍しく大きな声を出す。それでも私は止まれずに、勢いよく部屋から出た。階段を駆け下りると、リビングにユキくんと麻林がいた。


「譲司先輩は!?」


「え? ……あ、部屋で休むって」


「ありがと!」


 教えてくれたユキくんにお礼を言って、今度は階段を駆け上がる。


 ぐるぐるする、心のなかが。こんなにも誰かに、怒りを覚えたことはない。許せない。今はただ、譲司先輩が。


 譲司先輩の部屋の前に立ち、小さく深呼吸。落ち着け。怒りを通り越して泣きそうだ。譲司先輩のために、泣きたくなんかないのに。


 ――コンコン。震える手でノックした。「はーい」なんて、ゆるい声が返ってくる。


 そっとドアを開けると、譲司先輩の横顔が見えた。机に向かって何か書いているようだ。


「何してるんですか?」


「勉強。俺、意外とまじめだから」


 譲司先輩はこっちを見ない。ただ机に向かって、さらさらとシャーペンを走らせている。こっちの気も知らないで。


「好き勝手するため、ですよね」


 ひどく冷たい声が出た。ようやく私を見た譲司先輩は、驚いたのか何も言わずに固まる。


「別に譲司先輩が好き勝手するのはいいです。どうでも」


 こんな冷たい言葉を、浴びせたかったわけじゃない。嫌いになりたかったわけじゃない。


 でも誰かが傷つくのは許せない。麻林が、傷つくのは。譲司先輩が、誰かを傷つけるのは。


「レイラさんが好きなんですか」

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