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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第4章

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“自分”に勝て!

 弱いと思えば弱いまま。

 強いと思えば強くなる。


 勝てるかどうかは“自分”次第。




◆“自分”に勝て!◆






「海だー!」


 勢いよく走り出すユキくん。目の前に広がるのは、澄み切った青空とまっさらな海。


 なんとか期末テストを乗り越え、高校生になって初めての夏休み。間近に迫った高校生ロックコンテスト――通称ロクコンのために合宿をすることになった。


 譲司先輩の別荘で。そう、別荘で。ちなみに車は真っ白いリムジン。だってお金持ちですもの。


「麻林ちゃん、持つよ」


「ありがとうございます」


 麻林の荷物を持ってあげる譲司先輩。嬉しそうにはにかむ麻林。ふたりは、あの日から付き合いはじめたらしい。


「吉香さーん!」


 裸足で波打ち際に立ち、笑顔で手招きしてくるユキくん。ほんとは麻林を呼びたいんだろうな。


「いま行くー」


 きっとあの日ふたりのキスシーンに胸が痛んだのは、ユキくんの気持ちを知ったからだ。ユキくんが悲しむと、思ったからだ。




「えーっと俺は俺の部屋を使うとして、泉とユキ、吉香ちゃんと麻林ちゃんって部屋割りでいい?」


 1階のリビングにて譲司先輩が切り出してきた。それぞれうなずくと鍵を手渡してくれる。


 見上げると吹き抜けになっていて、白木の素朴な質感が心地いい。なんか別荘って感じ。いや別荘だけど。


「あ、食事はシェフ呼んで作ってもらうから心配しないで」


 わお金持ち発言。まあそれもそうか、2週間もここに泊まるんだもんね。毎回自炊は大変か。にしても合宿で2週間って長くないかな。まあ本番まで3週間ないから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど。


 ユキくん、つらくないかな。こんな近くでふたりのこと見てるの。


「まあ今日は着いたばっかだし、ってことで。前夜祭やりまーす」


「――はい?」


 思わず間抜けな声が出た。いやだって前夜祭って。何の?


「前夜祭だよ、合宿の。まずは楽しまなきゃ」


 ああうん、なんていうか。譲司先輩って感じ。アハハ。


「ってことで、荷物置いたら庭に集合!」




 というわけで庭に出たのですが。えーっと、何で浴衣なんだろう。部屋に荷物を置きに行ったら着付けの方にシュパパパパッと着せられたんだけど。


「あー吉香さん、お揃い!」


 青色の浴衣を着たユキくんが駆け寄ってくる。私のはどっちかというと紺色だけど。


「気が合うね!」


 なんて、キラッキラ笑うユキくんにはとても言えそうにない。だから代わりに笑顔を返す。


 この浴衣を選んだとき、麻林には「無難ね」なんて笑われたけど。ユキくんがこんなふうに笑ってくれるならこれでよかったのかな、なんて。


「まったく、ふたりして無難なんだから」


 憎まれ口を叩く麻林。白地に黒いバラが咲き乱れた華のある浴衣で、すごく麻林らしいと思った。目を伏せたユキくんが口元だけでぎこちなく笑う。


「麻林さん、似合ってるね」


 胸が痛くなる。気にしないように、してるんだろうに。だから私に声をかけたんだろうに。ほんとは真っ先に、麻林のもとに駆け寄りたかったんだろう。


「吉香、麻林」


 振り向いた先で瀧川先輩がパタパタとうちわを扇いでいる。淡いグレーの浴衣が瀧川先輩の雰囲気によく合っていると思った。


「今からバーベキューと花火するんだって。譲司は食料とりに行った」


 だから譲司先輩いないんだ。でも、ひとりで大丈夫なのかな。


 路上ライブに行くときも、譲司先輩はひとりで荷物を持つんだ。手伝うって言っても手伝わせてくれない。譲司先輩はいつもひとりで抱えすぎていると思う。


「あ、来た来た」


 瀧川先輩が向こう側を見てゆるい声を出す。振り返ると案の定、譲司先輩。


 クーラーボックスを肩にかけ、両手にはそれぞれビニール袋を提げている。ああもう。手伝わなきゃ。


「手伝います!」


 譲司先輩に駆け寄ったのは、麻林だった。そうだ。私は心配しなくていいんだ。麻林がいるんだから。私の出る幕は、ない。




「何でぇ、瀧川先輩はぁ、吉香さんを振ったんですかぁ?」


 そろそろバーベキューも終わりに近づいた頃。瀧川先輩に絡んでいるのはユキくんだ。間違えて飲んだノンアルコールビールでなぜか見事に酔っ払っている。……もしかしたらわざとかも。


「吉香さんはぁ、あんなに瀧川先輩が好きらったのにぃ」


 瀧川先輩が目で助けを求めてくるけど、私にも無理だと首を振って答える。


「自分らけ幸せになるらんて、ずるいれすよぉ」


 なんて言ってまたノンアルコールビールに手を伸ばす。それを奪い取ったのは、他でもない麻林だった。


「ちょっと幸人くん、飲みすぎよ」


「あー、麻林さんー」


「間違えたんだったら、もういらないでしょ」


「麻林さんも、幸せなんらもんね」


 矛先が麻林に向いたところで室内に逃走する瀧川先輩。どうしようかと思っていたら、トントン肩を叩かれた。振り返ると、やわらかく笑う譲司先輩。


「ちょっと来て」


 導かれるままついて行く。ユキくんの相手を麻林に押し付けて申し訳ないなと思いつつ、でも先輩の言いつけには逆らえないし、なんて自分を正当化。


 夜のなかでも譲司先輩の赤い浴衣は鮮やかで、今にも闇に紛れてしまいそうな私は紺色の袖をぎゅっと握りしめずにはいられない。


「ユキ、ひっどい酔い方だなぁ。アルコール入ってないはずなのに」


「――そうですよ。早く麻林のこと、助けてあげてください」


「うん、吉香ちゃんにコレ渡したらね」


 これ? そう思うが早いか、譲司先輩が帯のなかから何か取り出す。振り向いた譲司先輩が笑顔で差し出してきたものは――。


「はい、歌詞カード」


 手のひらサイズの歌詞カード、だった。いつもは楽譜を見ながら歌っていたから、わざわざ歌詞だけのカードを作ってくれたんだろうか。


「ありがとう、ございます」


「本番までに読み込んで、そらで歌えるようにしといてね」


 前に、これはレイラさんの歌だと譲司先輩に聞いたことがある。自分ではない誰か――瀧川先輩を想うレイラさんに向けた歌だと。


「あの。レイラさんのこと、もう何とも思ってないんですよね?」


「え?」


「レイラさんの歌だって言ってたじゃないですか」


「あー……うん。もう吹っ切れてるよ」


「じゃあ麻林のこと、よろしくお願いします」


 こんなことを私が言うのはオカシイんだけど。でも、言わずにはいられない。


「麻林はずっと、譲司先輩のことが好きだったから」


 そう、ずっとだ。私が譲司先輩に出会うよりも前から。麻林は譲司先輩のことが好きで好きで仕方なかったんだ。


 ユキくんには悪いけど、ふたりが付き合うことになった以上、私はふたりを応援したい。


「……うん。大事にするよ」


 いつか私も、こんなふうに想ってくれるひとに出会えるだろうか。そんなことを考えていたら、背後で大きな音がした。


 打ち上げ花火だ。花火の束を抱えているところから瀧川先輩の仕業らしい。


 空高く上がる花火は鮮やかに夜を照らして、ふと見上げた先の譲司先輩の横顔は、それと同じようにまぶしかった。




「うー……いってえ」


 朝といっても、もう朝食を終えた頃。頭を押さえながらリビングに下りてきたのはユキくんだった。


 譲司先輩と麻林は散歩に出かけて、瀧川先輩はまだ寝たいと部屋に戻った。というわけで、私はユキくんの介抱係としてここで待っていたのだ。


「大丈夫? ユキくん」


「あー、吉香さん。もう俺、バカだぁ」


「とりあえず水もってくるから座ってて」


「んー、ごめんー」


 ずるずるとソファーに倒れ込む。つらそうだなぁと思いつつユキくんに背を向ける。


 小さく「お邪魔します」とつぶやきながらキッチンに入った。大きな冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを手に取る。思い出すのはユキくんの、つらそうな表情。


 ユキくんはいつも私のことを気にかけてくれたのに。私には何もできないんだろうか。風が吹いて、潮の香りが鼻先をくすぐる。――そうだ。私にだって、できることがある。


「ユキくん! 行こう!」


 突き動かされるようだった。駆け込んだ先でユキくんが不思議そうに首をかしげる。早く、ユキくんの笑顔が見たいと思った。




「なんか、朝の海って新鮮でいいね!」


 朝日を受けてキラキラとまたたく海は、まるで生まれたてのようにまぶしい。大きく息を吸うと、新しい匂いがした。


「もっと近づこうよ!」


 振り向いた先でユキくんが、ふっと目を伏せてしまう。胸が痛い。


「ごめん吉香さん。気、遣わせて」


 違う。小さく首を振ってもユキくんは気づいてくれない。私はただ、ユキくんの笑顔が見たいだけなのに。


「何で好きになっちゃったんだろう」


 泣いているような、かすれた声だった。私はどうすればいい? どうすれば、いつもみたいに笑ってくれる?


 私はいつもユキくんの笑顔に、まっすぐな明るさに、元気を分けてもらっていたのに。


「海ね、前に瀧川先輩とも来たんだ」


 どうすればいいかわからないから、ひとまず昔話をしてみる。いま思い出しても胸が痛むのは、ここが海だからだろうか。


「黒ヶ峰の伝説を丸ごと信じてたわけじゃないけど、ネクタイ交換してくれて嬉しかった」


 瀧川先輩の彼女だって、紺色のネクタイが宣言しているようで。瀧川先輩を好きでいていいんだと思った。


「いま思えば全部、夢みたいで」


 瀧川先輩に近づけたことも。瀧川先輩の彼女になれたことも。瀧川先輩が、少しだけ私を好きになってくれたことも。全部、夢みたいで。


「――夢じゃないよ」


 ぐいっと引っ張られて、見ると、ユキくんの両手が私の手を包み込んでいた。あったかい体温がじんわりと伝わってくる。


「俺が覚えてるから。ちゃんと覚えてるから」


 ……もう、ほんとにユキくんは。ちゃんと落ち込んでいいのに。私のことなんか心配しないで。


「聞いてもいい? 何で麻林が好きなの?」


 ふたりのことを応援したいと思ったけど。ユキくんにもユキくんの気持ちがあって、切なくて、苦しいんだ。


 そっとユキくんの体温が離れていく。遠くに視線を置いた横顔に、ぎゅっと胸が締めつけられる。


「前にも言ったけどさ、俺、中学んときいじめられてたんだ。譲司先輩が助けてくれるまでずっとひとりだった。――でも」


 ふっとユキくんが微笑む。やわらかいその表情を、キラキラ朝日が照らす。


「麻林さんが普通に声かけてくれたんだ」


 きっと小さなきっかけだったんだと思う。私だってそうだった。恋は、小さなきっかけで始まるんだ。


「今になって思えば譲司先輩の気ぃ引くためだったんだろうけど。俺、すんげー嬉しくて」


 キラキラ輝いているのは、朝日じゃなくてユキくんなのかもしれない。


「気づいたら、目で追っちゃってて」


 誰かを想うとき、ひとはこんなにも優しい顔になるのだろうか。こんなにも輝くのだろうか。いつか私にも、こんなふうに誰かを想えるときが来るのかな。


「おふたりさーん」


 ユキくんのまぶしい横顔を見つめていたら、そんなゆるい声が背中に届いた。振り向くと、口元に両手を添えた譲司先輩。


 隣には麻林、少し離れた場所にあくびをしている瀧川先輩がいた。探しに来てくれたんだろうか。


「愛の逃避行はナシだよ」




 あの後みんなで別荘に戻ってきて、練習を開始した。ユキくんの気持ちを思い出しながら歌うと、なおさら切なくて胸が痛んだ。


 お風呂も浴び終え、ひとりベッドに寝転がり歌詞カードを見つめる。


 譲司先輩はレイラさんのことを想いながらこの歌詞を書いたんだろう。あのメロディーにもレイラさんへの想いがあふれてる。そう、あふれてる。


――Love me,love me,love me...


 レイラさんに愛してほしくて。


――君を優しく

そっと包むよ Love you


 レイラさん自身を、愛してほしくて。


 譲司先輩だってつらかったはずだ。好きなひとが、大切なひとを好きで。自分を見てほしいって、何度も何度も願ったんだろう。


 きっと今のユキくんも同じだ。あふれ出しそうな想いにフタをして必死に笑ってる。


 誰も悪くなんかないのに、どうしてみんな幸せになれないんだろう。


「吉香」


 いつからそこにいたのか。起き上がって振り返ると、風呂上がりの麻林と目が合った。濡れた金髪をタオルで押さえている。


「それ、何」


「あ、譲司先輩にもらったんだ。本番までに覚えるようにって」


「――ふーん」


 何だろう。その、つまらないって感じの顔は。まさかヤキモチ? 部長としてやってくれたことなのに?


「吉香って大人しそうな顔してやるわね」


「え?」


 どういう意味だろう。麻林を見つめてみてもよくわからない。何が言いたいのか、わからない。


「幸人くんは、私のことが好きなんだと思ってた」


 ――気づいてたんだ。なら、少しぐらい配慮してあげなよ。ユキくんはずっと、ずっと切なかったのに。


「瀧川先輩に幸人くん。譲司先輩のことも横取りするつもりだったりして」


「なに言ってるの……?」


 意味がわからない。どうしてそんなこと言うの?


「図星?」


 なんて、蔑むように笑う麻林。


 私はふたりが幸せならそれでいいと思ってる。ユキくんの気持ちを知れば知るほど切ないけど、ふたりが幸せなら仕方ないって。


「変だよ、麻林」


 ぷいっと顔を背け隣のベッドに座り込む麻林。その後ろ姿は、なんだか悲しい色をしているように見えた。




「あー……寝れない」


 真っ暗な部屋、隣からは規則正しい寝息が聞こえてくる。起き上がって時計を見ると、夜中の0時半を過ぎた頃だった。


 考えても考えても麻林の真意がわからない。無駄に考えた結果、眠れなくなってしまった。はーあ、バカ。


 麻林は幸せなはずだ。ずっと好きだった譲司先輩が、振り向いてくれたんだから。何がそんなに不安なんだろう。譲司先輩は、麻林を大事にするって言っていた。麻林はちゃんと想われてるのに。


「ん……」


 麻林を起こしちゃまずい。とりあえず外に出よう。風に当たれば、少しはスッキリするかもしれない。


 そういうことにしてひとり、部屋から出る。薄暗がりの廊下を携帯で照らしながら歩いていたら、光が漏れている部屋の前を通りがかった。まだ誰か起きているんだろうか。


「どうされたんですか? こんなところまで、わざわざ」


 譲司先輩の声だ。でも、この口調――もしかして。


「それは、おまえのほうがわかってるんじゃないのか?」


 やっぱり。譲司先輩のお父さんだ。何でこんなところにいるんだろう。しかも、こんな時間に。


「期末テストのことですか?」


「ああ。次席の葛目くんに2点差まで追いつかれるなんて……どういうことだ、譲司」


 葛目くんって生徒会長、だよね? 何で話に出てくるんだろう。


「忘れたのか? あの約束を」


「もちろん覚えてます。首席を取りつづければ好きなことをしていい、ですよね」


 ――え?


「あの軽音楽部だっておまえのために創ったようなものなんだ」


 ちょっと待って。


「簡単に捨てるんじゃないぞ」


 ちょっと待ってってば。


「わかってます。次はもっと引き離しますから」


 なに言ってるの、譲司先輩。意味わかんない。冗談でしょ?


「失礼します」


 譲司先輩が出てくる。隠れなきゃ。そう思っても体が動かない。拒む、体が。目の前の現実を。


 ゆっくり扉が開いて、途端に光があふれて、出てきた譲司先輩と、しっかり視線が交わった。その瞳はいつも通り真っ黒いのに、いつもとは違う色をしているように見えた。

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