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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第3章

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大切なもの

 深い海の色をした瞳が、責めるように私を見ていた。確かに私はバカだけど、バカなりにわかろうとしてる。


 なのに、何がわかってないの? 何に気づけてないの?


「おまえは校則をやぶっただけで誰にも迷惑をかけていないと思っているだろう。だが、おまえの周りにいる人間は?」


 レイラさんが凄まじい勢いで近づいてくる。突き刺さるような冷たい視線。


「おまえのような人間がいるだけで悪影響なんだ。花村麻林を見てみろ。早速おまえをまねてるじゃないか」


 憎しみを感じる冷たい声。歌うときの淀みない透明感は、ない。


「さっきの動画だってそうだ。おまえが金髪じゃなければ、ここまで注目されなかっただろう」


 明らかに私は責められている。壁まで追い詰められ、逃げ場がなくなってしまった。


「このままじゃ黒ヶ峰学園の品格は下がる一方だ。経営はどうなる? 理事長は? 譲司は?」


 畳みかけるように現実問題を突きつけられ、私は何も言い返せなかった。ただ、レイラさんの冷たい瞳を見上げることしか。


「おまえは今、大切なものを自らの手で壊そうとしてるんだ」


 大切なものを、自らの、手で。


「――じゃあ、瀧川先輩を傷つけたレイラさんは正しかったんですか?」


 もうレイラさんと目を合わせることはできなかった。目の前にさらりと伸びたニセモノの黒髪をぼんやり見つめる。ピントがうまく合わない。


 レイラさんは何も答えず、私を睨むだけ睨んで去っていった。ぼやけた視界のなかでレイラさんの背中が遠ざかる。ニセモノの黒髪が、遠ざかる。




「吉香」


 ぼんやりしたまま重い足を引きずっていると、前方からそんな声が聞こえた。押し上げた視線の先で、壁にもたれた瀧川泉を見つけた。


 ああ、ここ、玄関だ。帰る気だったのか私。それとも譲司先輩のところに行くつもりだったのか。よくわからない。


「譲司、落ち込んでたよ。今日はひとりで行くって」


 よかった。瀧川泉、消えてない。そう思ったのに、近づいてきた瀧川泉はふっと目を伏せてしまう。


「あんまり、俺のために何かしないで」


 どういう意味だろう。伏せられたまつげが小さく震えている。


「期待するから。勘違いするから」


 顔を上げた瀧川泉がやわらかく笑う。苦しそうに、笑う。


「これだけ言いたくて待ってた。じゃーね」


 私に背を向け、さっさと玄関から出ていく。置いてけぼりの私は瀧川泉がいた場所をじっと見つめることしかできなかった。だって瀧川泉があんなこと言うから。


『俺のために何かしないで』


 あんな顔が見たかったわけじゃない。あんなことを言わせたかったわけじゃない。


 私はただ、瀧川泉に幸せでいてほしいだけなのに。




 とりあえず帰ろうと歩き出したものの、いろんなことが頭のなかでぐるぐるして、心のなかもぐちゃぐちゃで。


 きっとレイラさんの言葉は正しい。


 私は何にも考えてなかった。ただ、金髪にすれば変われると思ってた。目に映るものすべて変えられると思ってた。バカだ。本当に。どうしようもなく。


――愛してほしい 君を

僕が愛した君を


君の世界を今 君色に染めて


 あの歌が聞こえる。譲司先輩の、語りかけるような優しい声が。ぜんぶ包み込んでくれるような、あたたかい音色が。


 いつもの歩道橋で、譲司先輩はひとりギターをかき鳴らしていた。


 見事なまでに周りは女の子ばかり。さすが西の譲司だなぁ、なんて、思ってみるけど。


『泉、俺のこと知らなくて。途中まで西野ジョージだと思ってたみたいで。ハーフだと思い込んでて』


 結局のところ逃げられないんだと思う。どこにいても、何を考えても、瀧川泉にたどり着く。バカみたいに、何度も何度も。


 あきらめなきゃいけないのに。忘れなきゃいけないのに。


「吉香ちゃーん!」


 私に気づいたらしい。演奏を終えた譲司先輩がぶんぶん両手を振ってくる。


 整った顔をくしゃくしゃにして笑うから、なんだか私まで笑えてきちゃう。さっきまで泣きそうだったのに。


 あのときもそうだった。いつも譲司先輩は、私を見つけてくれる。




「今日は来ないんじゃなかったの」


「そのつもりだったんですけど」


「レイラには? 会えた?」


「……おかげさまで」


 いったん休憩ということで譲司先輩と喫茶店へ。向かい側に座る譲司先輩が苦そうなコーヒーに口をつける。砂糖もミルクも入れないなんて。大人だ。


「で? レイラに何か言われたの?」


 譲司先輩にはバレバレかなぁ。いつも通り振る舞ってたつもりなんだけど。


「ふーん、レイラがそんなことをねー」


 私の話を聞き終えた譲司先輩が頬杖をつきながらゆるい声を出す。こんなときでも余裕だなぁ。


「私、何にも考えてなかった。何にも見えてなかった」


 金髪にすることは私自身の問題で、黒ヶ峰の問題ではないと思っていた。甘かったんだ。私は、子どもだ。


「いーよ別に。吉香ちゃん、何も考えなくて」


「――え?」


「影響なんて与えてナンボだし」


 何を言い出すんだろう、このひと。事の重大さわかってんのかな。


「いいんですか? 黒ヶ峰なくなっちゃっても」


「まあ別に?」


「お父さんの学校なのに?」


「疲れてきたし。そーゆーの」


 そういうの、って。お父さんが理事長ってことに? あんなに好き放題やってるのに?


「とにかく、吉香ちゃんは変わりたかったから金髪にしたんだし、俺も金髪の吉香ちゃんが必要だし。生徒会の言い分なんて気にすることないよ」


 うーん。なんか、しっくり来ない。そんな一蹴していい内容じゃないと思うんだけど。


「それに、レイラの本心じゃないと思うし」


 ……どういう意味?


「吉香ちゃん来る前にね、レイラからメールあったんだ。動画ネットに流出、以後路上ライブ禁止って」


 そういえば。生徒会室でレイラさん、そんな話してたっけ。


「生徒会としてだったらメールで終わりにしないで、もっと大きな問題にしちゃえばいいじゃん」


 まあ、それはそうだけど。


「レイラはレイラなりに、俺らのこと応援してくれてんだと思うよ」


 そうかな。だったらあんな剣幕で責めてくる? ――それに。


「じゃあ、何で辞めちゃったんですか?」


 コーヒーを飲もうとしていた譲司先輩の、手が止まった。でもそれは一瞬のことで、すぐ何事もなかったかのように口をつける。


「生徒会に入りたかったからじゃないの? 俺らと一緒にいたら、好き放題やってるって思われるし」


 譲司先輩は何か知ってるのかもしれない。知ってて、隠してるのかもしれない。




「遅れる? 何でまた」


 麻林がきれいな眉をひそめる。翌日の、放課後。


 帰り支度をする麻林に、遅れて部室に行くことを伝えたのだ。そばまで来ていたユキくんも不思議そうな顔をしている。


「うん、ちょっとね」


「ちょっとって。昨日なんか瀧川先輩まで来なくて私たちふたりだったのよ」


「今日は先輩たちも来ると思うし。私もすぐ行くから」


「……勝手にすれば」


 麻林はまだ納得できていないようだったけど、投げやりながら承諾をいただけた。


「吉香さん、また後でね」


 手を振ってくれるユキくんに笑顔を返し、ひとり教室をあとにする。向かう先は、生徒会室だ。


 きっとあのひとなら教えてくれる。譲司先輩やレイラさんが隠していることを。きっと、教えてくれる。




 ――コンコン。軽いノックの音が静まり返った廊下に重く広がる。ああ、緊張するなぁ。レイラさんいなきゃいいけど。


「どうぞ」


 ドアの向こうから届くのは冷たい声。一発で生徒会長のものだとわかった。


「失礼します」


 恐る恐るドアを開けると、奥のほうに生徒会長の背中があった。長机のいちばん奥、黒い椅子に座って窓の向こうを見つめている。


 よかった。生徒会長しかいない。レイラさんは、いない。


「来るんじゃないかと思ってました」


 生徒会長がくるりと振り返る。メガネの奥から向けられるのは相変わらず冷たい眼差し。


「君は知りたいんだろう? 本郷先輩が何を隠しているのか」


「えっ、何で――」


「あんなに大きな声を出されたら嫌でも聞こえます」


 あー、昨日の。聞こえちゃってたわけですね。ばつが悪くて変な顔になる。いや、もともとか。


「とりあえず座ったらどうです? 立ってするような話でもないでしょう」


「あ……そうですね。失礼します」


 生徒会長と少し距離を取って座る。すると立ち上がった生徒会長が目の前に回り込んで腰を下ろした。


 言い知れない緊張感に飲み込まれそうになる。ダメだ、落ち着け。いま聞かなきゃ、きっと後悔する。


「どうしてレイラさんは、軽音楽部を辞めたんですか?」


「本郷先輩と瀧川くんに関係があったことは知ってますか?」


 質問に質問が返ってくる。でも、これって関係あるのかな。よくわからないけど「はい」と答えた。


「では、篠之宮くんが本郷先輩に好意を持っていたことは?」


 何でさっきから恋バナなんだろう。私が知りたいのはレイラさんが軽音楽部を辞めた理由なのに。生徒会長ってば意外とミーハー?


「はい。でも、それとこれに何の関係があるんですか?」


「答えは簡単だ。自分のために、ふたりの仲を引き裂くのが嫌だったから」


 ふたりの仲を引き裂く? どういう意味?


「現に篠之宮くんは瀧川くんに手を上げたことがある」


「えっ――」


「彼女を傷つけたことが許せなかったんだろう」


 傷つけた? 瀧川泉が、レイラさんを?


「その日、ふたりは別れたらしい。篠之宮くんのためにね」


 なんとなくだけどわかってきた。


 ふたりは、譲司先輩のために別れて。譲司先輩はそれが許せなくて、瀧川泉と揉めて。レイラさんは見ていられなくて、軽音楽部を辞めた。


 あれ、じゃあ何で金髪を隠すんだろう。


「金髪は災いだと言っていた」


 首をかしげて考え込んでいたら、するりと冷たい声が入ってきた。生徒会長に視線を戻す。銀縁メガネの奥で、目が伏せられている。


「大切なものを壊す、災いだと」


 昨日のレイラさんを思い出す。冷たい、青い瞳を。憎しみのこもった声を。


 だから隠すの? 大切だから突き放すの? そんなの、おかしい。


「葛目、資料もらってき――」


 いきなりドアが開いて、当たり前のように入ってきたのは本郷レイラそのひとだった。私の姿を認めるなり凄まじい勢いで近づいてくる。


「え、ちょっと!」


 ガッと手首をつかまれそのまま連れ出された。昨日と同じ突き当たりにたどり着くと、これまた勢いよく振り返る。


「何やってる、あいつは敵だぞ!」


 わかってます、わかってますよ生徒会長が味方じゃないことぐらい。でも、このまま通り過ぎることなんかできなかった。


「あいつになんて言われたのか知らないが、もう二度とここに近寄るな」


 冷たい声を出してそのまま通り過ぎようとする。待って。私にだって言いたいことがある。待って。待って。……待って!


「逃げないでください!」


 ようやく出たのはそんな言葉だった。背後でレイラさんの足音が止まる。よかった、立ち止まってくれた。


 振り返ると、まずニセモノの黒髪が見えた。隠さないでほしい。災いだなんて、思わないでほしい。


「生徒会長から聞きました。レイラさんが、軽音楽部を辞めた理由」


 レイラさんが勢いよく振り向いて、空を切る長い黒髪。きっと隠したって意味がない。だから、向き合ってほしい。


「でも、それって逃げてるだけじゃないですか」


「何だと……?」


「髪のせいにして逃げてるだけです!」


 私もずっと逃げていた。お姉ちゃんのせいにして、ずっと。ずっと。


「おまえに何がわかる? 生まれたときからこんな髪で、周りにどんな目で見られてきたか」


 青い瞳がじんわりと潤んでいく。悲しそうな瞳。きれいな瞳。


「わからないだろう。好き好んで金髪にするくらいだ。わかるはずがない」


 小さく首を振ったところできっと伝わらない。レイラさんの痛みを和らげてあげられない。だけど、でも。


「譲司先輩に、昔の写真、見せてもらいました」


 真っ赤な頭の譲司先輩に、銀色の髪の瀧川泉。そして、金髪がまぶしいレイラさん。


「譲司先輩と瀧川先輩に挟まれて笑うレイラさんは、すごく、きれいでした」


 羨ましかった。私なんかのとは違って、キラキラ輝く長い髪が。瀧川泉に愛されるレイラさんが。


「お願いします。もう隠さないでください」


 ふたりがちゃんと結ばれてくれたら、きっと私も前を向ける。あきらめがつく。


「大切なものを壊したくないからって、隠すのは違うと思います」


「……おまえなんだろう? 泉の、伝説の相手は」


 黙って私の話を聞いていたレイラさんが不意にそんなことを言い出す。ああ、バレちゃってたんだ。


「もう終わったことですよ」


 うまく笑えているだろうか。ちゃんと、レイラさんの背中を押せているだろうか。


「私じゃ瀧川先輩を幸せにできません。傷つけることもできません。だから――お願いします」


 最後に頭を下げて、そのままレイラさんに背を向けた。うまくできたと思う。そうじゃなきゃ困る。私には、こんなことしかできないから。




「おはよー吉香さん!」


「……あ、ユキくん、麻林」


「何ぼーっとしてんのよ、気持ち悪い」


 気持ち悪いって。これでも落ち込んでるのに。いいけど慣れたしもう。


 校門を抜けたところで会ったふたりと、たわいないことを話しながら玄関に向かう。途中、なんだか後ろがざわざわして。何気なく振り返ると。


「レイラ、さん」


 キラキラと、太陽の光を受けて輝く長い金髪。手には、ニセモノの黒髪。


 私は驚いてしまって、近づいてくるレイラさんを見つめ返すことしかできずにいた。

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