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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第2章

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切ないキス

 あれから1週間。瀧川泉は部活に来なくなってしまった。連絡もないし、会うことだってない。うん、間違っても付き合ってるとは言えないな。


「吉香ちゃん、泉と仲直りする方法おしえてあげよーか?」


「……譲司先輩のせいですよね?」


 思わず白い目を向けてしまう。しゃがみこんで、平然と私の机に腕を乗せてくる譲司先輩。朝の挨拶が済んだかと思えばこれだ。


「まあ否定はできないよね」


「自覚はあるんですね」


「一応ね」


「ていうか、譲司先輩のほうが早く仲直りしたいんじゃないんですか?」


「え、何で?」


「ユキくんに聞きましたよ。中学んときからの仲だって」


 照れているのか目をそらし、私の机から離れる。そうしてそのまま窓にもたれかかった。


「東の泉がライブやるって聞いて、会ってみたいと思って行ったんだ。ちっちゃいライブハウス」


 譲司先輩が遠くに視線を置いて話しはじめる。やわらかくて優しい横顔。こんな譲司先輩、初めて見た。


「そこで泉がドラム打ち鳴らしててさ。純粋にすげーと思って声かけたわけ。おまえが東の泉だろ、って」


 こらえきれないといった様子で小さく笑う。


「したら泉、俺のこと知らなくて。途中まで西野ジョージだと思ってたみたいで。ハーフだと思い込んでて」


 瀧川泉ならあり得るなぁ。そう思うと私まで笑えてくる。


「それまで俺、気ぃ許せるひといなくてさ」


「――そう、なんですか?」


「うん。でも泉となら、仲よくなれると思った」


 知らなかった。譲司先輩にとって、瀧川泉は大事なひとなんだ。きっと瀧川泉にとってもそう。私が割り込まなければ、ふたりはずっと仲よくいられたのかもしれない。


「ま、ケンカはしょっちゅうなんだけどね」


 笑顔を向けてくる譲司先輩に何とか笑顔を返す。と、ほぼ同時に予鈴が鳴った。


「仲直りの方法は帰りにね」


 なんて耳打ちして去っていく譲司先輩。普通に言えばいいのに。誰かに誤解されたらどうするんだ。


 いつも通り文庫本を読んでいるだろう麻林を振り返る。……ほら、目ぇそらされたじゃん。


 もう。うまく行かないことばっかりだ。




「ネクタイ、ですか?」


「そ、交換すんの」


 帰り道。譲司先輩が送ってくれるということで家までの道のりをふたりで歩く。話の内容は今朝の続きだ。


「これがウワサの黒ヶ峰伝説ってわけ」


 黒ヶ峰のネクタイは男子が紺色、女子がえんじ色だ。それを交換し、まる1日誰にも注意されなければ男女の愛は永遠。というのが黒ヶ峰の伝説らしい。


「でも無理じゃないですか? 校則キビシイし」


「伝説ってことで大目に見てもらえたりするんだよ。なんなら俺から注意しないように言っとこーか?」


「いやそれ伝説の意味なくなるじゃないですか」


 このひとはどこまで不正する気なんだ。


「とりあえず吉香ちゃん、明日は早めに学校きてよ。屋上で待ってるから」


 早めに? 屋上? ……何で?


 そう聞き返す間もなく家の前に到着。立ち止まった譲司先輩が「じゃーね」と手を振ってくる。これ以上は聞けそうにないな。


「送ってくれてありがとうございました」


「いーのいーの。吉香ちゃん、泉の彼女だし」


 瀧川泉はそう思ってないかもしれないけど。私自身そう思えない現状だけど。ネガティブな発想を飲み込んで笑う。


「じゃあ、また明日」


「うん、オヤスミ」


 手を振ってくる譲司先輩に会釈を返し家のなかへ。ひとつため息を落とすと、余計に心が暗くなったような気がした。


 瀧川泉は今、どこにいるんだろう。どこで、誰を想ってるんだろう。




 いつもより少し早起きした朝。いつもより空気が澄んでいて、いつもと同じ見慣れた景色も新鮮に感じる。


 屋上はもっと気持ちいいだろうな。そんなことを考えながらひと通りの少ない校内を歩いていく。


 長い長い階段を越え、ようやく屋上の前。譲司先輩もう来てるかな。まだだったらここで待つことになるんだけど。


 扉に手をかけると、ギギギと鈍い音が響いた。よかった、いる。だって影が見えてるから。少し歩いて振り返ると、彼がいた。


「――ああ、なるほどね」


 いつかと同じように足を垂らして座る、瀧川泉が。


「昨日いきなり譲司が謝ってきて、渡したいものがあるって言うから来てみれば」


 少しずつわかってきた。これは譲司先輩が仕組んだことで、おそらく仲直りするチャンスをくれたんだろうけど。


 瀧川泉がいるなんてまったくもって思わなかったから、心の準備ができてない。


「とりあえず上がれば」


 促されるままハシゴを伝い、彼のもとへ向かう。どう切り出そう。切り出したところで瀧川泉は乗ってくれないかもしれない。


 あの伝説は恋人同士のもので、私たちはそうじゃないかもしれないから。


「ん」


 ポンポンと床を叩いて隣に座るよう促される。恐る恐る腰を下ろす。足元を通り抜ける風が、少し優しい。


 ちらりと瀧川泉を盗み見る。遠くに視線を置いた、無表情の瀧川泉。これ以上、遠くに行かないでほしい。少しでいいから近づきたい。


「黒ヶ峰の伝説、知ってますか?」


「あー、ネクタイ交換するってやつ?」


「はい」


「したいの? 俺と」


 瀧川泉の視線を痛いほどに感じながら、なんとか小さくうなずいた。笑われるかもしれない。なに勘違いしてんの、って。


「ん」


 怖くてうつむいてたら、不意に目の前に影。顔を上げれば、瀧川泉の白くて細い手が紺色のネクタイを握っているのが見えた。


「え……いいんですか?」


「なに言ってんの、俺ら付き合ってんじゃん」


 1週間、何の連絡もなくて。会うことだってなくて。ここに来れば会えるのわかってたのに、勇気がなくて。


 あんなの冗談だよ、なんて笑われたら、それで終わりだと思ってた。信じていいのかな。夢じゃないのかな。




「吉香、それ――」


「おはよう麻林」


 驚いたのか立ち上がった麻林にひとまず笑顔を返す。机の上にカバンを置くと、追いかけてきたらしい麻林がそばにいた。


「黒ヶ峰の伝説、知ってる?」


「当たり前でしょ。瀧川先輩と交換したの?」


「……うん」


 抑えようとしても笑みがこぼれてしまう。首元には、いつもとは違う紺色のネクタイ。瀧川泉のネクタイ。いつも瀧川泉がつけてる、ネクタイ。


「そう。よかったわね」


「うん」


 ネクタイだけじゃない。お昼も、屋上で一緒に食べる約束をした。実に恋人っぽい。いや実際に付き合ってるんだけど。


 まだ夢を見ているみたいで、口元がゆるんで仕方ないけど。このネクタイが現実だと教えてくれる。


 大丈夫。

 私は瀧川泉の、彼女だ。




「行ってらっしゃい」


「楽しんできてね」


 麻林とユキくんに見送られ、ひとり教室を後にする。手にはお弁当。向かう先は待ち合わせ場所の屋上。


 今のところ誰にも注意はされていない。気づいてる先生もちらほらいたけど。今だって行き交うひとの視線は首元に集まってるし。


 いつも注目されるのは真っ金々の頭だったから。なんだか嬉しくてムズムズする。早く瀧川泉に会いたい。


「泉」


 角を曲がろうとしたとき、そんな澄んだ声が耳に届いて動けなくなった。この声、知ってる。天使みたいに透き通った、きれいな声。


「レイラ……」


 瀧川泉の声。どうしてふたりが一緒にいるんだろう。ふたりの姿をこの目で確かめたいのに、怖くて1歩も前に進めない。


「伝説か、懐かしいな」


 懐かしい? ふたりもネクタイ、交換したのかな。このネクタイを、本郷レイラもつけたの?


「俺もほら、そろそろ前向かなきゃでしょ。過去は過去でしかないんだし」


「過去――そうだな」


 紺色のネクタイを握りしめる。瀧川泉のネクタイ。本郷レイラも、つけたネクタイ。


「そのネクタイの子とお幸せに」


 あらためて痛いほどに自分の立場を認識した。私は瀧川泉が前を向くための道具で、本郷レイラを忘れるための道具で。


 聞きたくなかった。

 認めたくなかった。


「吉香?」


 逃げ出そうと背を向けたところに瀧川泉の声。逃げたいのに動けない。


「聞いてた? さっきの」


「……聞きたくなかったけど聞こえました」


「かわいいね、吉香は」


 精一杯の嫌みも簡単に流される。悔しい。瀧川泉に何を言ってもかわされるだけだ。


「バカにしてるんですか……?」


 振り向いて、ありったけの目力でにらみつける。泣きそうだ。瀧川泉は私に応えてくれない。どんなに答えを求めても、応えてはくれない。


「誰にも怒られなきゃいいんでしょ? 行くよ」


 瀧川泉に手首をつかまれ、曲がり角の先の階段を下りていく。ほらまたそうやってはぐらかす。瀧川泉は、ずるい。




「わあ……」


 ほんとに、瀧川泉はずるい。


 学校を抜け出して連れてこられたのは駐車場。目の前には黒々としたバイク。このひとはどこまで私を驚かせれば気が済むんだろう。


「なに笑ってんの、バイクがおかしい?」


「いや……いろんな瀧川先輩を知れて嬉しくて」


 瀧川泉がバイクを乗り回してるなんて。ほんと意外すぎる。


「泉でいいよ。付き合ってんだし」


 そういえば本郷レイラも下の名前で呼んでたっけ。


 ――やめよう。せっかく瀧川泉とふたりきりなのにネガティブになるのは。近づきたいって思うんだったら、勇気出さなきゃ。


「せ、泉」


 詰まっちゃったけど一応、呼べた。瀧川泉が苦笑気味に笑う。


「そんな緊張しっぱなしじゃさぁ」


 ずいっと瀧川泉の顔が近づいてくる。間近で見たらほんとに目ぇ茶色いんだな。肌も白くてきれいだし。


 騒がしい心臓を落ち着かせようと実況してみるけど意味がない。瀧川泉が目の前にいることを認識すればするほど、鼓動は高鳴るばかりだから。


「キスしたら気絶しちゃうんじゃない?」


 くすり、瀧川泉が笑って。瀧川泉の顔が傾いて、そのまま――。


 息はできてなかったと思う。一瞬だったけど。心臓だけが慌ただしく動いて、生きているのだと感じた。


「し、死ぬかと思った……」


 思わず本音をこぼすと、瀧川泉はやわらかく笑ってポンポン頭をなでてきた。まるで小さい子どもにするみたいに。


「吉香、俺だけ見ててね。じゃなきゃ俺、どっか行っちゃうかも」


 どっか、なんて、わかってるくせに。心はいつだってそこにあるくせに。私が瀧川泉しか見てないことも、知ってるくせに。


 紺色のネクタイを握りしめる。別にこの伝説を丸ごと信じてるわけじゃないけど。瀧川泉は交換してくれたから。


 大丈夫。きっと大丈夫。




「あ、吉香ちゃん。おかえりー」


 瀧川泉のバイクで海まで行って一緒にお昼を食べた。砂浜に寝転がってうたた寝する瀧川泉を見るのは幸せだったけど、同時に切なくもあった。


 学校側にバレたら面倒だとかいうことで、瀧川泉は少し離れた駐車場にバイクを戻しに行って。少し放課後には早いけど、部室を覗いたら譲司先輩がいたのだ。


「まだホームルーム終わってないんじゃないんですか?」


「学校ぬけ出してサボってた吉香ちゃんに言われたくないなー」


「……それはそうですけど」


「伝説うまく行ったんでしょ? よかったね」


 譲司先輩につられてネクタイを見下ろす。自然と頬がゆるむ。わかっていても無理に引きしめる必要はないと思って、そのままうなずいた。


「はい」


 きっと大丈夫。いつか瀧川泉も私を見てくれる。前に進める。


 ネクタイから譲司先輩に視線を戻すと、なぜか眉間にしわを寄せていた。譲司先輩でもそんな顔するんだ。


「どうしたんですか? 難しい顔しちゃって」


「――え? ああ、2番がね。歌詞がしっくり来なくて」


「ああ、あの歌ですか?」


「そ。うまくメロディーに乗っかんないんだよねー」


 なんて言ってさらりとギターをかき鳴らす。優しくてどこか切ない、胸を締めつけるメロディー。あの歌詞を思い出して何だかまた泣きそうになる。


 不意にギターの音が止まったと思ったら、譲司先輩がまた眉をひそめて鋭く私をにらみつけていた。……邪魔だったかな。


「すみません、席はずしますね」


「吉香ちゃん」


 気を利かせたつもりだったのにすぐ呼び止められる。さっきまでの軽い声じゃない。低くて、重みのある声。


「何で泣くの」


 ギターを置いた譲司先輩が近づいてくる。心配かけちゃったかな。


「まだ泣いてません」


「何で泣きそうになるの」


 瀧川泉と、本郷レイラの顔が頭をよぎる。認めたくなくて、ぎゅっとネクタイを握りしめた。


「今日、幸せだったから。幸せすぎて怖いんです」


 半分は本当だった。

 もう半分は願望だった。


「嘘つき」


 譲司先輩の言葉に思わず顔を上げる。譲司先輩はどこか悲しげな表情で私を見つめていた。


 目が、離せない。少しずつ近づいてくる譲司先輩が瀧川泉に重なって、瀧川泉の感触を思い出して。忘れたくなくて。


 私は譲司先輩を、突き飛ばした。


 譲司先輩は少しふらついただけだった。でも拒絶の意はしっかりと伝わったようで、譲司先輩は自嘲気味に笑った。


「何でみんな、泉なんだよ」


 顔を上げた譲司先輩と目が合う。悲しげに揺れる瞳。瀧川泉とは違う、黒い瞳。譲司先輩はそのまま私を通り過ぎて、部室から出て行ってしまった。


 ――やっとわかった。

 あの歌は、本郷レイラの歌なんだ。

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