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ブリーチガール 作者:森咲アサ

第2章

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“自分”を試せ!

 不安で仕方ないなら

 自信が持てそうにないなら



 “自分”の気持ちを、試せ。




◆“自分”を試せ!◆






「ということで、うちのマネージャーになってくれた花村麻林ちゃんです!」


「よろしくお願いします」


 ぺこり、小さく頭を下げる花村さん。やわらかい金髪がふわふわ揺れる。放課後、軽音楽部の部室にて。譲司先輩の隣には変わり果てた花村さんがいた。


 ほんとに入部したんだ。なんて、花村さんの行動力にびっくりする。私は流されるように入っちゃったからなぁ。


「つっても、明日からテスト期間だから部活ないんだけどね」


「他のとこみたいに朝練しないんですか?」


 思わず尋ねたら、譲司先輩が珍しく渋い顔をして「うーん」と唸る。私と同じように座らされている瀧川泉を見やると、似たような顔で譲司先輩と目配せしていた。


「別にライブとか控えてるわけじゃないしね。まあしたいひとはすればいいけど」


 へえ、そんな感じなんだ。なんか思ってた“部活”と違うなぁ。もっと厳しいもんだと思ってた。


「とりあえず鍵は麻林ちゃんに預けとくから。練習したいときは前もって麻林ちゃんに言うよーに」


 譲司先輩から部室の鍵を受け取った花村さんが誇らしげな顔つきで私を見てくる。どうぞどうぞ、譲司先輩ならいくらでも差し上げますから。


 ちらり、瀧川泉に視線を戻すと、飽きてきたのか思いっきりあくびをしている。花村さんの矢印が、瀧川泉に向いてなくてよかった。独占欲のような感情がわき起こる。


「ほら泉、あくびしてねぇで自己紹介」


「2年の瀧川泉。よろしく、麻林」


「よろしくお願いします」


「ユキは同じクラスだから知ってる?」


 ただそばで見ていられたらいいと思ってた。ただ瀧川泉の空気を感じられたら、それで。なのに。わけのわからない感情が押し寄せてくる。軋む、心が。


 花村さんに向けられた言葉が、視線が、笑顔が。どうしようもなく私の心を締めつける。


 この感情は、何?




「おはよー吉香ちゃん!」


「……ひとの席で何してるんですか?」


 翌朝。いつも通り教室に入ったら、なぜか私の席に譲司先輩が座っていた。


「吉香ちゃんさ、俺に冷たくない?」


「だって譲司先輩、不正ばっかりなんですもん」


「不正って……せっかくイイモノ持ってきてあげたのに」


 苦笑しながらプリントの束を揺らす。何だろう。


「ジャジャーン! 去年の1学期中間テスト!」


 見せられたテストは、見事なまでにすべて高得点だった。ずっと学年首席だったって瀧川泉が言ってたもんね。


 理事長の息子で、西の譲司で、成績までいいと来た。私が生徒会長でもイラッとするだろうな。


「あれ、譲司先輩?」


「おーユキ! 麻林ちゃんも!」


「さっきそこで会ったんです」


 ニコニコしたユキくんと金髪の花村さんが目の端に映る。でも視線は譲司先輩が乱雑に置いたテスト用紙の束から、離せなかった。


「ちょうどよかった。ふたりも――」


「私、いいです」


 譲司先輩が何を言おうとしているのかわかった。その言葉が親切心から出てくるものだということも。


 でも努力すれば、私みたいに頭がよくなくても黒ヶ峰に入ることができたから。バカまじめに生きてきた今日までを、肯定してあげたいから。


「私は、自力で頑張ります」


 テストの束を譲司先輩に突き返す。譲司先輩が数回まばたきするのが見えたけど、すぐ顔を背けた。


 意地のようなものなんだと思う。これが私の、ちっぽけなプライド。




「見せてもらえばよかった……」


 さっそく後悔。バカみたい、ほんとに。放課後の図書室はテスト期間ともあって、いつも以上に混み合っていた。


 図書室の隅っこ、よく日の当たる場所。ひとり勉強道具を広げてみるも見事なまでに撃沈。さすが超進学校・黒ヶ峰学園。いろいろと想像を超えてます。


 今頃ユキくんと花村さんは譲司先輩のテスト見ながら勉強中かなぁ。いいなぁ。


 うなだれてても仕方ない。何とか顔を上げて、一度は手放したシャーペンを握り直す。そのときだった。


「やっぱりここにいた」


 そんなゆるい声が、背中に届いたのは。


 振り向いたらやっぱり瀧川泉。初めてだった。黒ヶ峰の図書室で彼に遭遇したのは。


 きっと彼は知らない。私が彼に会いたくて黒ヶ峰まで来たことも、ここで毎日待っていたことも。知らなくていい。


「譲司にタンカ切ったんだって?」


「タンカってそんな大げさな」


「譲司、驚いてたよ」


 やわらかい笑みを浮かべながら、当たり前のように隣の席に座る。瀧川泉がいる右側だけ変に神経が冴えて、うまく動けない。


「あーここ、俺もつまずいたっけ」


 瀧川泉の細い指が手元をさす。まずい。どこか違うところに意識を持っていかなきゃ。心臓おかしくなる。


「そ、なんですか」


「うん。俺、無理してここ入ったから」


 そうだったんだ。なんか意外。瀧川泉が必死に勉強してるイメージがわかない。


「あの、何で――」


「ここなら“東の泉”なんて呼ばれなくて済むと思って」


 言い終えるよりも先に答えが返ってくる。それだけここに来た理由がハッキリしてるってことだよね。


「ここなら、落ち着いて日々を過ごせるかなって」


 私が知っている瀧川泉といえば、いつも図書室の隅っこで気持ちよさそうにうたた寝してて、気が向いたら私に声をかけてくれて。


 見るからにモテそうなひとだなぁとは思ったけど、“東の泉”とまで呼ばれてたなんて知らなくて。あらためて思う。私は瀧川泉の、ほんの一部しか知らない。


「俺さぁ、自分のファン嫌いなんだよね。好きだったら何しても許されると思ってんじゃん」


「……いや、そんなことないんじゃないですか?」


「だって寝込み襲われたことあるし」


「ええ!?」


「目ぇ覚めたら知らない女の子が俺の上にまたがってて、俺の服ぬがしてんの」


 きっと知らないことばかりだから。少しずつでいいから。もっと、瀧川泉を知りたい。


「好きだから、触れたいって思うんじゃないですかね」


 きっと初めからこうなることは決まってた。初めて彼に会ったときから、全部きっと。この感情が心を支配することは、初めから決まってたんだ。


「吉香は、俺に触れたい?」


 意地の悪い笑みを浮かべて私の顔を覗き込んでくる。どうしようもなく鼓動が高鳴る。


 瀧川泉の冗談にうまく切り返せないくらい。少し茶色がかった瞳から目をそらせないくらい。


 私は瀧川泉のことが、好きなんだ。




「もう暗くなってんね」


 瀧川泉が靴を履き替えながらつぶやく。こんな時間まで瀧川泉に付き合わせてしまった。


「吉香、送ってこーか?」


 靴を履き替えようとしていた手が止まる。いつもは譲司先輩やユキくんも一緒で、瀧川泉とふたりきりで帰るなんてことはありえなくて。


「吉香?」


「あの、私、忘れ物! 先に帰っててください!」


 気づけばそんなことを口走って、逃げるように走り出していた。階段を駆け上がったせいで息が切れる。


 ああバカ。ほんとバカ。これじゃあ意識してますって、好きですって、自己申告してるみたいじゃない。


「あれ、吉香さん?」


 別に忘れ物をしたわけじゃないけど、どこかで時間をつぶそうと思って教室に行ったら、ユキくんと花村さんがいた。


「あ、まだやってたの?」


 何事もなかったように装いながら近づく。どうか気づかれませんように。


「うん。あ、譲司先輩には会えた?」


「え?」


 譲司先輩? 首を傾げたらユキくんもまったく同じことをする。


「吉香さんにも渡してくるって図書室行ったはずなんだけど……おかしいなぁ」


 ユキくんの手元には、今朝見せられた譲司先輩のテスト。コピーだろうか。


「見捨てられたんでしょ。あれだけ大口叩いてたもの」


「ちょっ、麻林さん!」


「きっと譲司先輩も途中で気づいたのよ。こんなひとに優しくしても意味がないって」


 花村さんの冷たい視線と言葉が、ぐさぐさ刺さってくる。私だってわかってるよ。わかってる、つもりだよ。


「私、そろそろ帰るね。また明日」


「うん、バイバイー……ってあれ、何しに来たんだろう?」


 ユキくんのつぶやきを聞き流して元来た道を歩く。しんとした廊下に私の足音だけが響いて何だか寂しい。


 仲よくなれたらいいな、なんて。少し期待した私がバカだったんだろうか。そもそも嫌がらせしてきたひとと仲よくなろうだなんて、思うべきじゃなかったんだろうか。


 あーあ、何で泣きそうになるかな。どこまでも私は、ことごとく私は。弱い。


「阿部、吉香」


 立ち止まったところで、誰かの足音とともに澄んだ声が聞こえた。顔を上げると、少し離れたところに長い黒髪が印象的な生徒会副会長。


「――なぜ」


 軽く会釈して通り過ぎようと思ったけど、その声にもう一度足を止める。見上げたらきれいな顔が頭上にあって、よく見たら瞳が青くて。同性だけど何だか緊張してしまう。


「なぜその頭で、平然と校内を闊歩できるんだ」


 ――闊歩してるつもりは、なかったんですけど。そう思ったけど言えそうにない。青い瞳が責めるように、まっすぐ私を見ているから。


「あ、えっと……」


「やっぱりいい。忘れてくれ」


 副会長はその言葉を最後に、さっさと私を通り過ぎていった。振り向いて副会長の背中を見つめる。長い髪がさらさらとなびいている。


 本郷レイラ、だったよね名前。ハーフなのかな、目ぇ青かったし。


 舞台の上で見たときは、あの長い黒髪がきれいだと思った。でもさっき近くで見たときは。


 なんていうか。くすんでいるように、見えた。




 翌朝。私はひとり、2年7組の教室の前をうろうろしていた。超進学校・黒ヶ峰学園の特進クラスだ。譲司先輩のクラスでもある。


 昨日のことを謝れたらいいな、なんて思ってみたわけだけど。譲司先輩いないみたいだし、見ず知らずの先輩に声かけるの怖いし。玄関で待てばよかった、なんて後悔。


「阿部吉香くん、じゃないですか?」


 不意にかけられた声。この冷たい声、知っているような気がする。


 振り向いたら黒い制服をばっちり着こなした生徒会長。銀縁メガネの奥の瞳は相変わらず冷たい。


「おはよう、ございます……」


「そんなに警戒されるとは心外ですね」


 生徒会長がふっと目を伏せて小さく笑う。あれ、何だ。思ったよりやわらかいひとだな。


「誰かに用事ですか?」


「……はい。篠之宮、先輩に」


 途端、空気が張り詰めたような気がした。やっぱりアレですか、禁句ってやつですか。


「彼ならまだ来てませんよ。伝言があるなら伝えておきましょうか?」


「あ、いや――」


「あれ、吉香ちゃん?」


 どうしようかと困っていたら、そんな軽い声が耳に届いた。生徒会長の向こうに、譲司先輩。


「あ、おはようございます」


「おはよー。どしたの?」


「君に用があるそうですよ」


「生徒会長には聞いてないんだけどなー」


 何この空気。ものすごくいたたまれないんですけど。私がどうにかするしかないの?


「ユキくんに聞いたんですけど、昨日、図書室まで来てくれたんですか?」


「あー、うん」


「何で声かけてくれなかったんですか?」


「だって泉と仲よさそうにしてんだもん、邪魔できないよ」


 ああ。ぜんぶ見られちゃってたわけですね。さっきとは違う意味でいたたまれない。


「いるんだったらあげるけど、どうする?」


「……せっかくコピーしてくれたんですし、もったいないので、いただきます」


 譲司先輩が呆れたように笑う。どうせヘタクソですよ。ほんとはちゃんと、謝りたかったんだけど。


「素直じゃないなぁ、吉香ちゃんは」


 でも、よかった。譲司先輩が笑ってくれて。


「あ、生徒会長。今回も勝っちゃうけどごめんね?」


 もう落ち着いたはずだったのに。譲司先輩が生徒会長に好戦的な笑みを向ける。


 生徒会長がふっと目を伏せて小さく笑う。さっきと似てるけど、ぜんぜん温度が違う。


「いいんです。そのうち君が落ちていくのはわかっていることですから」


 顔を上げた生徒会長は、譲司先輩じゃなくて私を見てきた。銀縁メガネの向こうから繰り出されるのは、やはり。冷え切った眼差し。


「あのときの本郷先輩のようにならないことを祈ってますよ、阿部吉香くん」

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